第四話 マッテオ
渾身の登場ギャグを放った私はその後の空気に焦っていた。これはマズイ、またしてもすべっている。しかし私はその不安を掻き消すように明るく笑う。
「なんてね。アハハハ。皆さんお元気ですか~?」
とってつけたようなあいさつで、思わず井上陽水さんの物まねをしている神無月さんの物まねみたいになってしまった。
私は本来さほど陽気な人物ではないが、日本人が求める陽気なイタリア人イメージを崩さないよう、努力しているのだ。なのでダジャレをいうにもちょっと照れが入ってしまう。
そもそもイタリア人だからダジャレをいうなんて風習はないのであるが、何となく日本人が思うであろう陽気を私なりに考えたところたどり着いたのがダジャレだったのだ。
しかしよくよく考えてみるとテレビで見るイタリア人、例えばジローラモさんとかもダジャレは言っていないのに何でそう思ってしまったのだろうか、高田純次さんのことをイタリア人と勘違いしていたのだろうか? 今となっては我ながら謎だがいまさらキャラは変えられない。「全然受けないからキャラ変したのね」と周りに言われたくないからだ。
この状況は関西人が関東に引っ越してきたときに似ていた。留学していた高校の同級生に兵庫県の神戸から転校してきた男の子がいたのだが、その初日から、
「『でんねん』とか、『まんねん』とかなんで言わないの?」
とか、
「その透明なドア普通に開けるの? ボケでぶつかるところじゃないの?」
とか、そんなわけないことでいじられまくっていた。
私はイタリア生まれのイタリア育ちだが、小さいときから日本好きで小学生時代にも日本に短期のホームステイしていた。
その時のホストファミリーの家が兵庫県の西宮市というところだったので、実際の関西人が常時ボケたり突っ込んだりしていないことを知っている。大阪人でないならなおのこと「でんねん」とかい「まんねん」とか言うわけがない。いや大阪人でもめ普通言わない。
話は脱線したが閑話休題、要は固定概念のプレッシャーを受けるという意味で同じような境遇だと思っていたのだ。その辺、妻であるさつきは理解してくれていて、私のギャグにも頑張っているなー、というような顔で温かく見守ってくれる。できればピンク色の師匠みたいに「ハッハー!」と横で笑ってくれると大いに助かるのだが、事故には巻き込まれたくないらしい。
そして話は一時間ほど前にさかのぼる。
「ねえ、マッテオ。今日またおかあさんのところに行くんだけど一緒に来てくれない?」
さつきは本を読みながら私に話しかける。
私の今日の仕事はもう終わっているので、これからはフリーであることを知っているのだ。会社員とはいえ自由度の高い立場であるため、やることさえやっていれば割と時間は作りやすいのが今の仕事のいいところである。在宅ワークなのもありがたい。
「僕はいいけど、またカフェの話をしにいくの? 昨日行ってきてお義母さんに断られたばかりじゃないの?」
と私は言うが、さつきは、
「それも全部計算の内なのよ。昨日行ったのはあくまでもジャブを打つため。今日こそが勝負なの。鉄は熱いうちに打てってね!」
さつきが言い終わるのに被せるようにさつきの携帯から通知音が鳴る。
「あ、でもちょっと待って、そうか……マッテオ。後、三十分ほどしてから行こう」
なにやら携帯の通知を見ながらさつきは言った。熱くなってるのはさつきだけのような気がするのだが。このところ仕事が忙しくてお義母さんと会っていなかったので久々に顔を見に行くのも悪くないかと思った。
お義母さんとはさつきと結婚するときは急な報告だったため、ちょっと色々あったが今では良い関係を築けている。そもそも結婚の時だって、あれだけ先に僕のことをお義母さんに説明しておくように頼んでおいたのに、さつきの家に挨拶に行ってみたら完全にサプライズみたいになっていた。お義母さんも驚いていたが僕も同じくらい驚いていた。
さつきは基本的に自分の考えが正しいと思って誰にも相談せずに行動するところがあるので注意すべきだったのに迂闊だった。
やがて、三十分が経ち、お母さんの駄菓子屋に向けて出発した。駄菓子屋までは歩いて十分ほどだ。今日こそは登場ギャグで受けなくては。
さて、駄菓子屋にはさつきと一緒に到着したのだが、私は例のギャグをいうため、ちょっと遅れたふりをして、さつきが駄菓子屋に入った約五秒後に扉を開け、間髪入れずこう言った。笑いは“間”が大事なのだ。
「さつきさーん。おいてかないで、ちょっとマッテヨ。僕はマッチョのマッテオだけどね!」
ちなみに私は大してマッチョではないが、ダジャレは何個か重ねたほうがウケるという話をよく行く喫茶店の店主が教えてくれたので重ねバージョンを披露してみた。気のせいか武蔵が憐れんでいるような目をしてこっちを見ているような気がした。
続く




