第二話 武蔵(後編)
おばあちゃんは愚痴をいったん吐ききってすっきりしたのか、さわやかな笑顔でおとうさんに言葉を返す。普通犬は黙っているし、耳がかゆくなってから五分くらいは我慢してからどうしてもかゆくなって、話の邪魔をしないよう素早く右足で右耳を素早く掻いたのでそれくらいは勘弁してほしい。
ちなみに僕は黒毛の柴犬なのだがおばあちゃんは当初僕を見た目でクロちゃんと決めつけてそう呼んでいた。「あら、きれいな黒い犬だね。名前はクロちゃんだね」とか言って。
とりわけ肌の色(あるいは毛の色)で呼び方を決めるというのは現代社会においていかがなものかと思うが、おばあちゃんの年代にはルッキズムがよくないことはまだ浸透していないのだと思うことにする。
おとうさんが繰り返し「武蔵ですよ」と訂正してやっとクロちゃんと呼ぶことをあきらめ「むーちゃん」に落ち着いたので経緯を考えれば妥協せざるをえまいと思う。ちなみにこの駄菓子屋には散歩のルートとして、ほぼ毎日し連れて来られている。
その時の二人の会話を文字通り聞き耳を立てて聞いていたところでは、おばあちゃんは自分のことをおばちゃんとかおばあちゃんとか呼ばれるのが嫌で常連客には下の名前で呼ばせているそうだ。
ふと、おとうさんがおばあちゃんに尋ねる。
「武蔵と何の話をしてたんですか?」
僕はまた同じ話の再放送を聞かされることなると思いげんなりした。僕が人間の言葉を話せたら要約しておとうさんに伝えるのに。しかしおばあちゃんもさすがに同じ熱量でこの話をするのはダルいらしく、思いのほか綺麗に要点だけまとめて説明してくれたので賞味5分ほどであっただろうか。やればできるじゃん。と思ってまた耳を掻いた。
「かすみさんまだまだ元気ですからねえ。引退はちょっと早すぎますよね」
「ねえ、立花君もそう思うでしょ?この店だって私だってまだまだ現役なんだから」
共感を得て勢いづくおばあちゃん。
しかし、少し間を空けておとうさんがおばあちゃんに言う。
「そういえば、かすみさん最近よくこども食堂をやってみたいって言ってますよね?」
「ええ、それが人生の最後に挑戦したいことかな。おとうさんのお好み焼き屋も一緒にやってたし、飲食業に関してはずぶの素人ってわけではないしね」
確かに子供&料理好きのおばあちゃんは特に最近こども食堂に興味があることをよく話していた。元来料理好きなおばあちゃんであるが夫を亡くし、娘たちも独立して以来その腕を十分に振るうことができなくなっていたので、ただ働きでいいから人に料理を作って食べてもらいたい、と言っていた。
そして一番素直な気持ちで食べてくれるのは子供だとも。人は大きくなるとなんだかんだと食にこだわりだし、舌よりも情報で食べ物を味わうようになる。エモいだと映えるだのそんなことはどうでもよいのだ。心と体がうまいという料理が一番なんだと熱く語っていた。
実際に最近は、ほぼ年中無休だった駄菓子屋を時々休んで、こども食堂の手伝いにも行っている。
おとうさんはさらに言う。
「カフェにしてしまえばここを使ってこども食堂も出来ますしね。店に駄菓子を置いてもよいし、かすみさんだってこども食堂を毎日するのはしんどいので隔週くらいでいいかな。って言っていたし」
普段おとうさんは聞き役に徹して特に自分の意見を言わないのだが、今日はやけにこの件に介入しようとしている。なぜだろう?
おばあちゃんも最初きょとんとしていたが、確かになにかきっかけがないと中々実行に移すのは難しい。今のお店は元々お好み焼き屋ではあったが駄菓子屋を開店するときに休憩用のテーブルを一つ残してあとは全て撤去しており、この場所でこども食堂をやるというのは色々大変だとは思っていたようだ。
「お店の改装も全部娘がやってくれるのであれば、もしかしてこれは渡りに船というやつなのかしら?」
おばあちゃんは思案顔で軽く握った右手を口元によせ、ぼそぼそと独り言のようにしゃべっている。いい方向かどうかは僕にはわからないがどうやら話が進展しそうな気配である。そこにタイミングよく渦中の人物が引き戸を開けて現れた。
「おかあさん。ただいま。あら、武蔵くんと立花君もこんにちは!」
「こんにちは。いつもながら元気ですね」
はきはきとした声であいさつしてきたのはさつきさんだ今も昔もショートカットがトレードマークで肌は浅黒く焼けていて健康的だ。こうしてみるとさつきさんも齢をとったせいかおばあちゃんに似てきた気がする。おとうさんはいつも通りの挨拶を返している。
ちなみにさつきさんは僕のことをちゃんと武蔵と呼んでくれる。これだけでも二ポイントは武蔵ポイントを与えたいと思う。武蔵ポイントは十ポイントたまると僕のお腹をなでなでできるサービスが利用可能となる。その後、少し遅れて小走りにさつきさんの夫のマッテオがいつもの鉄板(と自分では思っている)ギャグとともに入ってきた。
「さつきさーん。おいてかないで、ちょっとマッテヨ! 僕はマッチョのマッテオだけどね!」
無駄なアレンジをしたものだ。
続く




