幕間【緑】筆頭補佐官の胸中 其の二
「かんぱーい!」
「……乾杯」
残念なことに業務が終わってしまい、遂に恐れていた時間が始まってしまった。
リライヴェッジ研究所から一番近い街、レードのそこそこ賑わっている洋食居酒屋の個室席でご満悦でジョッキを傾ける大使。その向かいでジュースのような甘い酒が入ったグラスを傾けながら私は非常に困っていた。
そもそも酒の席というのが苦手なのだ。歓送迎会や先日の初事業成功お疲れ様会(主役不在)などは流石に参加したが、こういったプライベートに立ち入るような飲み会は何を話せばいいか分からなくなる。
しかも相手は油断ならない元ニンゲン。そしてふたりきり。緊張するなと言う方が無理な話である。
プライベートを探れれば、とは確かに思ったが、こんな直接的な探り方は想定していない。ルイエル補佐官め、と今頃ロイドさんと共に飲み会を開いているだろう部下を恨めしく呪う。
「ユリナってお酒強い?」
「ええ、まあ……そこそこでしょうか」
「そうなんだ。じゃあ飲み放題にして正解だったねぇ」
嬉しそうな顔でぷはーっと息をついて、早くも一杯目のエーリを飲み干した大使は追加の酒を注文する。まだ8割以上グラスに酒を残す私は彼女のどうする?という視線に固辞を示した。
「ふふふ、実はずっとユリナと飲みに行きたかったんだよねぇ。僕、つきっきりで補佐してくれるユリナのこと大使室で一番頼りにしてるから」
「……」
裏表のなさそうな信頼を向けられて思わず口をつぐむ。たった二ヶ月少々の関係で頼りも何も、と捻くれたことを考えてしまったのだ。
そして頼りにしている相手に「私は貴女を疑っています」と言われたら彼女はどう思うのだろうか。
少なくとも今の顔はきっともう見せてくれなくなるだろう。
それは惜しいと思う自分と、きっとそれさえも嘘なのだから、心無いことを言って本性を晒させろ。役目を全うしろと囁く自分がせめぎ合う。
「ユリナ?」
「……いえ」
葛藤を飲み込むようにグイッとグラスの中身を一気に飲み干す。私の突然の行動に驚いて目を瞬かせる大使の目の前で追加の酒を注文した。
こうなれば酒に酔わせてこのモンスターの本性を暴いてやろう。貴族の娘たるもの酔った姿を演技以外で見せるものではないと訓練されている為に酒には強い。
それとなく度数の高い酒を勧めてその腹に抱えたものを晒してやる。
決意を込めた目で目の前のアンデッドを睨むと、私の内心など知る由もない大使ははて、と首を傾げるのだった。
──2時間後。
「もう、ですから父が縁談縁談うるさいんですぅ〜!私だって恋愛結婚にはそれなりに夢持ってるのに〜!」
「いやぁ、お貴族様ってのは大変だねぇ」
ぐわんぐわんとする頭で普段抑制している悩みをぶちまける。恋愛に対して自分の主観をあーだのこーだの語る私に、しかし大使は嫌な顔ひとつせずうんうん、と真剣に聞きながらお猪口に注いだグリエル酒をくい、と傾けた。
「ちなみにユリナ筆頭補佐官の推しはどなたなんです?」
「う~ん、顔の良さならロイドさんですかねぇ~。ちょっと童顔ですけど」
「ふむ……ロイド系の顔が好きならルイエルくんあたりもいいんじゃないの?甘い顔してるじゃん」
「ルイエルはダメです、チャラいです。女の子口説きすぎです」
「ルイエルェ~」
この状況を作ったドラゴン族の部下をケッと貶す。あの男はすぐに好みの顔とあらば声を掛けに行くから駄目だ。
淫魔よりも淫魔らしい性分は私とは全く合わない。しかしながら仕事はできるのでそれが尚の事憎たらしい男だ。
私としてはやはり顔は綺麗系でありながらも硬派な男というのが一番ぐっとくる。その点リライヴェッジ研究所の第零研究室筆頭研究員の肩書を持つロイドさんは中々優良物件だ。少々幼い顔立ちであるがそれが逆に良い。
しかしながら大使にそれを告げると、宙に視線を投げて「硬……派……?」と全く心当たりのなさそうな顔をされた。
「にしても、まさかユリナとこんな話できるとは思ってなかったなぁ」
「……っ!」
嬉しそうに微笑む大使の言葉にハッと我に返る。そうだった、私は大使の本性を暴くためにここにいるのに普通に楽しんでしまった。
だって大使聞き上手だし話が面白いのだ、つい話が弾んでしまう。今まで一度も酒の席で羽目など外したこと無かったのに、まんまと術中にはまってしまった気分だ。
気を取り直すように私は差し出された水を飲み干した。
「……なんで大使酔ってないんですか?」
「え?ああ……僕、モンスターになってからあんまり酔わなくなったんだよねぇ」
私が飲んでいた酒よりも数倍高い度数のそれを何なく飲み続ける大使。彼女はやさぐれたような、諦めを含んだ複雑な顔でふっと笑い、「お陰でお酒飲む醍醐味が消えたよ……ユウキエネルギーめ……」と何やら呟いた。
「あはは、もしかして僕のこと潰そうとしてた?」
「……はい」
「ごめんごめん、悪いことしちゃったね。もう一杯水飲む?」
正直に答えた私に大使は気を悪くした様子もなくカラカラと笑う。
なんでそんなことを、とか聞かないのだろうか。もしかして私の思惑は全てバレていたのだろうか。
真意が読めなくて狐面の向こうの焦げ茶色の目を伺い見る。慣れたように水を追加注文するその姿は上司というよりも気遣いのできる部下のようだ。飲みの席での会話も上手いし、どこか手慣れている感が否めない。
───きっとニンゲン時代の彼女は、上司に飲みにつれていかれ、上司を気遣い面倒を見る良い部下であったのだろう。
上に立ったことがないという発言と若すぎる年齢、そして端々から伺える『上司っぽくない様子』に、ふとそんなことを考えてしまう。
「……大使は」
「うん?」
「大使は、ニンゲンに戻りたくないんですか?」
「……」
口をついて出た疑問に、大使は静かな顔で口を噤んだ。問い返す言葉がない事を良いことに私は続ける。
「だって、ずっとニンゲン界でニンゲンとして生きてきたんですよね?家族も友達も恋人も、みんなニンゲンでしょう?戻りたくないんですか?戻る方法があれば戻りますよね?」
きっとそうだろう、そうであれ。何故か祈るような気持ちで問いかける。すると大使は酒が入った器を置いて静かにため息をついた。
「……恋人は死んだ時はいなかったけど、まあそうだね。ユリナの言う通り大事な人は沢山いたよ」
「なら、」
「でもね、残念ながら戻る方法があっても僕は戻らないよ。もうニンゲンの僕は殺しちゃったから」
僅かに笑んだ大使の言葉に喉が引き攣る。
元ニンゲンから発せられた『殺し』という言葉に怯えた、というのもあるが───それ以上に、彼女が酷く凪いだ表情をしていたから。
感情をどこかに置いてきたような彼女に、私は恐る恐る言葉を重ねる。
「……殺した?」
「うん。この世界で目覚めた日に博士に言われたんだ。生きたければモンスターとして生きろ、ニンゲンを捨てろって。でないと監禁するし、最悪殺すってさ」
「───」
「僕は何が何でも生きたかった。だから私は殺した。そんでもってニンゲンの時の名前も、思い出も、感傷も、ぜーんぶ捨てた。モンスターとして生きる為に」
私は言葉を失った。
確かにニンゲンは恐ろしい存在だ。残酷非道で、残虐で、話が通じなくて、何故か私たちモンスターを滅ぼしたがっている恐ろしい生き物。そんなものを野放しにできないというフリント博士の判断は分かる。それは正しい。
だが話を聞く限り、そして彼女の周りにいるモンスター達の様子を見る限り、彼女は史実に残る過去のニンゲンのようなことは一切していない。
なのに、彼女は自分の命と尊厳を天秤にかけられた。生きたければここまで抱えてきた尊厳を捨てろと。そう脅されたのだ。
ニンゲンだから。ただそれだけの理由で。
……もし私だったらどうするだろうか。自分のことを敵視する存在しかいない世界に放り出された挙句、28年間抱えてきた『ユリナ・バーント』を捨てろと言われたら。
家族とも友人とも二度と会えない状況にされて、自分を知る存在がひとりもいない中、全く別のイキモノになれと言われたら。なれないなら死ねと言われたら。
耐えられない。想像してしまって、ゾッと背筋が凍った。
「だから戻らないよ。っていうか戻りたいなんて言ったら多分陛下に殺されるんじゃないかな、僕」
ケラケラ笑う大使の顔を見つめる。殺した、殺される、と軽々しく命を語る彼女を。
否、軽くなんてない。このモンスターはきちんと理解しているのだ。必死に自分はモンスターの為になる存在であると示し続けないと、敵意はないと声を上げ続けないと自分の命は容易く奪われるであろうことを。
当然のように、安全に生を謳歌していた私には到底たどり着けない生死観が彼女には根付いている。
そしてそれは、きっとニンゲン時代から植え付けられたものでは無く……この世界で目覚めて僅か二ヶ月という短い期間で根付かされたもの。
勘違いしてた。そうだ、このモンスターはなりたくてモンスターになったんじゃない。ならざるを得なかった。
誰かに殺されて、勝手に生き返らせられて、そして今度は自らの手で自分を殺させられた。
だから彼女は必死に生きようとするのだ。必死に、全力で生きている。そうやって生きないと、殺した自分に顔向けできないから。
自分を殺したことは間違いじゃ無かったって思いたいから。
「どぇえ!?なんで泣いてんの!?ユリナぁ!?」
「……すみません」
知らなかったとはいえ、疑うような真似をしてしまった。悪いこと考えているに違いないって、先入観だけでこのモンスターを疑い続けていた。
本当は、元ニンゲンだとしても彼女は史実に残るような悪いニンゲンじゃないんじゃないかって思ってたくせに。本当は彼女のモンスター柄に惹かれていたくせに。疑いたくないという感情をずっと心の片隅で燻ぶらせていたくせに。
元ニンゲンというところだけ見て、彼女自身を全く見ていなかったということをまざまざと思い知らされた。私は彼女を───ラウ親善大使を補佐する親善大使筆頭補佐官なのに。
申し訳なさでハラハラと涙が溢れる。慌ててハンカチを差し出してくれる大使の手を握った。
「おお!?」
「……申し訳ございませんでした、大使。私は貴女を誤解していました。元とはいえニンゲンなのだから、きっと魔法界を陥れる為に暗躍するに違いないと、そう思っていました。ごめんなさい。……貴女は好きでこの世界にいる訳じゃなかったのに。それでも必死にこの魔法界を守るために身を粉にしている方だったのに」
「お、おう……?いやユリナの疑念はもっともだと思うけど……。っていうかむしろ僕の周りのモンスターみんな僕のこと疑わないからそう思われた方が逆に安心する……」
「ダメです。貴女は幸せになるべきです」
「んんっ!?」
困った顔で私を見下ろす大使に私はキッと眦を上げた。そして宣誓すべく私は口を開く。
「貴女は私が幸せにします、ラウ親善大使。何があっても私は貴女を支えます。この世界を共に守りましょう」
「えっ、ぷ、プロポーズ……?やだ照れちゃう……」
私は決意を新たにする。彼女はまだ未熟だ、この魔法界について熟知しているとはとても言えない。きっとこの先色んな面で苦労を強いられるだろう。
でも私なら。貴族の娘である私なら社交界のことも、内政官であった私なら政界のことも、生まれた時からモンスターであった私ならこの魔法界のこともよく知っている。彼女をフォローできる。彼女をこの魔法界の頂点にまできっと押し上げられる。
……いや、押し上げなくてはならない。
何故ならこのモンスターは世界を変える存在だから。
自分が生きる為に彼女はきっと世界を変える。いい方向に。ならば私も彼女が生きられるように全力でサポートしよう。それが正しい私の役目だ。
ドギマギと視線を泳がす大使。そんな彼女に私は───親善大使筆頭補佐官という栄誉ある任を仰せつかった私は、主である親善大使に任せてくださいと微笑みを返すのだった。
───この決意表明の一年後、私は自分と同じ思想を持つ令嬢と共に全力で大使を支え続けた結果、『ラウ親善大使ガチ勢共』『筆頭信仰者の片割れ』等と大変不名誉な呼び名を付けられることとなるのだが、それはまだ先の話。
『おまけ』
「ちょっとユリナさん?大丈夫?」
「うう……大丈夫です」
自分の気持ちに整理をつけ、ヤル気に満ち満ちた私はその後も大使と飲み続けた訳なのだが、しかしラストオーダーを迎える頃には訓練のかいなくしっかりと酔っぱらってしまっていた。お会計を済ませたラウ大使に肩を借りて店を出る。
「ユリナ家どこだっけ、送っていくよ」
「いえ……大使室で寝ますから……」
「うら若き女子が何言ってんの。やめなさい。さっさと教えないと僕の部屋で寝かせるよ」
「恐れ多すぎます……」
貴女もよく大使室で寝てるじゃないですか、と言い返そうとするも呂律が回らない。足元もフラフラする。上司である大使に体重を預けてしまう。
女とはいえモンスターひとり抱える大使は、しかしながら恵まれた身体能力をいかんなく発揮して軽々と私の体を支えてくれる。
しっかりとした腕の力に僅かに胸が熱くなる。静まりなさい私の中のサキュバス魂……。ぐっと口を引き結んだ。
そんな折。店を出た私たちの前に、見慣れたふたり組が───えらく陽気でご機嫌なふたり組が肩を組んで現れた。
「ロイドさぁん、これからアルバストス行きませ~ん?ロイドさんの顔なら女の子いっぱい寄ってきますよ~。可愛い子オレと引っかけましょ~」
「マジ?しゃーねえなぁ、可愛い年下の頼みなら行くしかね……」
酔っているのか、酷く下卑た会話を交わす男ふたり。女を口説く気満々のその品のない会話にスウッと酔いが冷めていくのを感じた。
私を支える大使が小さく「あちゃ~」と声を上げ片手で顔を覆う。
店の前で立ち尽くす私たちの視線を感じたのか、薄茶髪の小柄なモンスター……先ほどまで好感を抱いていたアンデッドが顔を上げる。
そして極寒の眼差しで自分たちを見つめる私(と困り顔の大使)の存在に気付いて、笑顔のまま固まった。
しかしえんじ色の角を持つドラゴン族のチャラ男は、体を強張らせる相方に気付いた様子はなくご機嫌に言葉を続けた。
「いやぁオレとしては今日はユリナさんみたいなクール系ナイスバディー美女を捕まえに行きたいところっすねぇ~!ユリナさんめっちゃ胸でかいじゃないすか、アレ何カッ……」
「死にたいようですね、ルイエル補佐官」
「アッ死んだ~」
大使から離れ前を横切ろうとする愚か者の肩をガシリと掴む。骨を砕かんばかりに手に力を籠めると、瞬時に状況を理解したらしいルイエル補佐官は自分の生命の終わりを正しく理解したようだ。
笑顔のまま冷や汗を浮かべるという器用な芸当を見せてくれる。
「丁度いいですねルイエル補佐官。アルバストスに行きたいのなら私を送って行きなさい。その浮ついた性根叩き直して差し上げます。それでは大使また週明けに。今日はありがとうございました」
「は、はーい。……ほどほどにねぇ」
早口で大使に別れを告げ、下種ドラゴンの首根っこを掴んで転移門広場へ向かって歩き出す。
ズルズルと大人しく引きずられるルイエル補佐官が「どなどな~」と泣きながら歌う光景にドン引きしながらも、ラウ大使はルイエル補佐官に手を合わせるロイドさんと並んで私たちに手を振るのであった。
残されたふたりの会話。
「あー……ぼ、僕とアルバストス行って女の子引っ掛ける?ロイド」
「行かねえよ、新手の拷問だろそれ……。パーシーには内緒にしといて、研究所まで送るから」
「はいはい。……ルイエルくん、ちゃんと週明け仕事出て来れるかなぁ……」
「ルイエル、強く生きろよ……」
尚、ちゃんと彼は週明け出勤してきました。萎びたほうれん草みたいになって。




