アルマリオファミリー 其の四
───屈辱だ。
目の前に映し出されるものが認め難くて顔が歪む。
しかしその行為は、伸びてきた白いたおやかな手によって咎められた。
眉間に寄るシワを伸ばすように指がなぞり、細長い筆が目元に差し出される。
反射的に目を閉じれば、瞼の上を柔らかいものが滑る感触と共に、背後からくすくすと軽やかな笑い声が聞こえた。
───屈辱すぎる。
スカートの裾を握り込む。たっぷりとしたフリルで膨らむ黒いそれは、太ももの上で頼りなく揺れている。
首元を紫色のリボンで飾られる。やけに胸元が涼しくて落ち着かない。
思わず身じろぎすれば、またもくすくす笑いが降ってきた。
─────めっちゃくちゃ屈辱ッ!!
両耳の上で結い上げられた髪の毛を飾る白いカチューシャはこれまたフリルたっぷりで、そこから伸びる長い耳がみょん、と頭の動き連動して揺れるのを感じ、今度こそ僕はギリッと歯を鳴らした。
「絶対……絶対!!ぜぇーーーったい!!全部終わったらブン殴るからな!!アルマリオォォーーーーッ!!!」
くすくす、くすくすと。
艶やかな笑い声に囲まれる僕は、ミニスカウサミミメイド服なんてものを着せられた自分の姿を映し出す全身鏡の前で、憤怒の絶叫を上げた。
事の発端は、今から1時間前に遡る───。
◆
「やっぱり俺の女になれ。悪いようにはしねェからよ」
「…………」
まるで決定事項のように尊大な態度でそう宣ったアルマリオに対し、僕は聞き返すことも言い返すこともしなかった。
代わりに、僕とアルマリオを隔てる高そうなテーブルをズリズリと引きずってズラして空間を作り、ソファーも邪魔にならないように移動させる。
そして片足を引いて腰を捻り、全身に魔力を回して、握った拳を限界まで引き絞────
「待て待て待て待てなんだその構えは全力で殺す気じゃねェか。落ち着けって別にふざけて言ってる訳じゃねェ」
「変態死すべし慈悲はない」
「取り戻した冷静さほっぽり投げるの早すぎんだろ。違ェよ、いやお前を俺の女にしてェのは本当だがそういう話じゃなくてだな」
紫の魔力を噴き上げる僕に、少しばかし焦った顔のアルマリオが早口で言い募る。
しかしここに至るまでにこの男からひたすらセクハラを受け続けた僕はもう我慢の限界だった。問答無用で身体強化魔法を発動させる。
よーし歯ぁ食い縛れよアルマリオ。その角バッキバキに折ってやらぁ。運が良ければ首と胴体がおさらばだけは免れる……
「魘と手ェ切るために一芝居打って欲しいってェことだ。お前もアイツらの情報欲しいんだろ?」
「………………………詳しく?」
どうやら下半身に直結した要望という訳ではないらしい。
少々残念に思いながらも拳を解き、ソファーを元の位置に戻して座り直す。アルマリオはひくりと口の端を引き攣らせて小さく安堵の息をついた。
「そもそもまだ俺がアイツらを潰してェ理由を話してねェだろうが。早まるんじゃねェよ」
「誰のせいだと思ってんだコラ」
「さっきはああ言ったがな、正直誘拐事件に関しちゃ俺らも手ェ焼いてんだよ。ウチのお膝元で余所モンが好き勝手してるって現状な上、その罪を俺らにおっ被せてきやがる始末だ。ムカつかねェ訳がねェだろ?」
余計なことは言わせまいと口早に魘との確執を語るアルマリオ。抗議の声を無視されむくれるも、なるほどと一応納得し頷く。
「コケにされたってのはそういうことね。まあマフィアなんてメンツがなんぼな商売だし、そりゃ面白くないよね」
「お前にマフィアのメンツ語られんのもなんか気に食わねェが……まあそういうこった。表向きは、な」
「ふぅん?」
どうやら他にも並々ならぬ事情があるようだ。
溢れてしまったお茶を悲しく見つめながら先を促すと、アルマリオは再び背もたれに深く背中を預けた。
「お前も見てんだろォ?精神干渉だよ。最初は誘拐したモンスターで満足してたよォだが……アイツら、それ以外にもいい稼ぎ方を学びやがった」
「……アルマリオファミリーの構成員に精神干渉をかけて、ブライテッド軍団にする為に連れ去ってるってこと?」
問いに対する返答は、灰皿にタバコの灰を落とす音だった。
「……アンポンタンはまだマシなほうだァ。一応自分で思考ができてんだろ?適切な治療を受ければ戻るだろうよ。だが……アイツらだけじゃねェ、もう何にんも脳ミソぶっ壊されて行方不明になってんだ」
「……確かに、由々しき事態だね」
考えてみればおかしな話だったのだ。先ほどアルマリオは誘拐事件の被害者の末路について部下に探らせたと言っていたが、利益第一のアルマリオがいくらメンツを潰されて憤っていたとしても利益が無い尾行をさせる訳がない。
つまり利益ではなく不利益を被っていたから───己の部下達の様子がおかしくなって、そしてその内忽然と姿を消すようになったから、彼は原因を探るべく動いていたのだ。
てっきり魘は、アルマリオファミリーの構成員の精神に干渉することで自由に扱える手駒を作ろうとしていたのかと思っていたが、あくまでそれは副次的なものだったのかもしれない。
あるいはアルマリオの言う通り、後から構成員をブライテッドにすることを思いついたか……。
どちらにせよ、アルマリオにとってこの事態は放っておけるものではなく、そして魘と手を切ることを踏み切るには十分すぎる裏切りであったということだ。僕の提案に結構すんなり乗ってきた理由にも納得がいく。
「動機はわかった。でもそれがどうしたら僕がアンタの女になるって話に繋がんの?」
「お前を拉致って来たのはクマールなんだろ?じゃあその内キレてこっちに来んだろ。なにせ見張り頼んでたアンポンタンごとお前が消えてんだ、絶対俺のところに探り入れにくる」
足を組み直したアルマリオがサイドテーブルに置いていた小さな手持ち鐘を揺らす。チリチリと控えめな音が響き、しばらくして隣のアルマリオの寝室からさきほどのチャイナ服の女のひと達が楚々と現れた。
素顔を晒す僕に驚いた様子も見せず相変わらずうつろな目で微笑む彼女らは、僕の前に新しいお茶を出してはアルマリオの傍に侍った。
「俺ァ寂しがり屋だからよォ、商談の時にゃいっつも女付けてんだ。可愛い女が近くに居りゃ嫌な話してても癒されるだろォ?」
「……いいご趣味で」
「どォも。で、お前にゃコイツらのひとりとしてクマールとの話し合いの場に同席してもらう。アイツらと手を切る口実としてなァ」
しらーっとした目で女に囲まれるアルマリオを見遣れば、鼻で笑ったアルマリオが先の発言の真意を語り始めた。
なるほど、アルマリオの女役をやれということか。確かにこの姿のままクマールさんの前にまた姿を現わせば、今度はアルマリオ諸共精神干渉を受けて捕まってしまう。変装すればその危険も減るだろうということだが……うーん。
「普通に取引止めますじゃダメなの?」
「バァカ。そんなこと正直に言えば『お前らの事信用できなくなりました』って言ってんのと同義になるだろうが。こんだけ散々取引してんのに急にんな事言いだした組織を裏のモンスターが放っとくと思うかァ?ヤベェ取引の証拠沢山あんのによォ」
「最悪、組織ごと無かったことにされる?」
「そういうこった。未来予知ができる奴らにとっちゃ、俺らを壊滅させることはそう難しい話じゃねェ。だから取引は『止める』んじゃなくて『続けられなくする』必要があんだよ。その理由になれってェ話だ」
分かるような分からないような、裏社会の常識についていけず首を傾げる。するとアルマリオは侍る女のひとりに大きな地図を持ってこさせた。
僕にも見えるようにテーブルの上に広げられた地図はロシェ全域が記されたものだ。その北東部、砂漠に面するとある一点をアルマリオは指し示す。
「郊外にあるこの街は、チョコレートの原材料であるカッカオの名産地だ。ロシェの商工会の殆どがこの街からカッカオを買い付けてる」
「……魔法界のカカオって砂漠に生えるんだ……」
ニンゲン界じゃカカオは亜熱帯に生える植物だったが、世界が違えば名前も植生も変わるものらしい。
へえ、と一つ増えた知識に頷いているとアルマリオはコツコツとその小さな街を指で叩いた。
「砂漠に面しているということもあって、この街は主要街に張られている結界とよりも多少強度の強い個別のモヴ避け結界が張られている。その結界装置の場所を教えてほしいと魘は俺に要求してきた」
「!……まさか」
「そうだ。ウェルデの時と同じように結界を破壊して砂漠のモヴをけしかけるんだと。今度は郊外だからなァ、ウェルデの時のようにすぐに憲兵隊や騎士団、魔導士団が駆けつけられるとも限らねェ。被害は大きいだろうなァ」
それもこれも、全ては僕を絶望させるため……バレンタイン事業によって大きな需要が見込まれるカッカオの名産地を襲うことで、親善大使がロシェに事業を持ち込んだせいだと非難を生ませるためなのだろう。
目的のためなら手段も選ばない方法に自然眉が寄る。そんな僕に、アルマリオはクッと喉を鳴らしては指を突きつけてきた。
「で、お前はその街出身の新しいお気に入り」
「は?」
「家業のカッカオ栽培に励んでいたところ、たまたまバカンスで街に立ち寄った俺に一目惚れして着いてきちまった頭空っぽな可愛い女な。趣味は刺繍。ベッドの上での特技は」
「下ネタはご遠慮ください。っていうか待って、まさかそれ僕の設定じゃないでしょうね?」
無理のありすぎるふざけたカバーストーリーに頭を抱える。
オアシスじゃなく砂漠に面してる街にバカンスに行くマフィアのボスがまず意味不明だし、明らかにカタギじゃないモンスターに一目惚れして着いて行っちゃう女だいぶヤバいだろ。家業ほっぽっちゃってるし。勤しめちゃんと。
しかし僕の突っ込みではアルマリオは止まらない。ニヤニヤと美女達にセクハラしながらさらに続ける。
「俺に可愛がられてるお前はある日、俺とクマールの話から自分の故郷が狙われていることを知る。そんで俺にお願いする訳だ。『旦那様、あそこは私の故郷なんです。壊さないでください』ってな。膝の上で可愛く見上げられながらそうお願いされたら、愛妻家な俺はとしちゃァ叶えてやらなきゃいけねェってことよ」
「愛妻家……?」
「あァそうだ。俺は俺の女には優しくするしちゃァんと可愛がる。お願いだってなんでも聞いてやるぜ、なァ?」
肩越しにその自分の女達を振り返るアルマリオ。『旦那様』にしだれかかるチャイナ服の美女達はその言葉にくすくすと笑って曖昧に頷いた。
本当かなぁ……。疑惑たっぷりな目でアルマリオとその『奥方』を見つめる。お願いごとできるような精神状態か?アレ。不健全オブ不健全な関係にしか見えませんけど。
「ん?なんだ?羨ましくなっちまったか?仕方ねェなァ……おい、アイツ用にそのご奉仕服用意してやれ」
「冗談は存在だけにしろ変態ヤギ。……取引やめますは通らないのに、女からのお願いは通るんだ?」
「勿論。なんて言ったって俺ァ愛妻家だからなァ」
含みのある言い方にピンと来る。
つまりアルマリオは、普段から愛妻家を自称することで周囲に『自分の女からの要望なら損でも応える男』という印象を持たせ、面倒なことは女のせいにしてのらりくらりと躱しているのだろう。色んな意味で都合のいい女扱いじゃん。やっぱ女の敵だわコイツ……。
「クマールは俺の女のことは全員把握してるからなァ、例の街の出身じゃねェことも調べてあんだろ。辻褄合わせんなら新しい女が必要な訳だ」
「……………まあ一応、やりたいことは分かった。でもアンタの女に変装するってどうやるの?この認識阻害のお面付けたらバレバレだよ?かといって素顔のままじゃニンゲンだって騒ぎになるし」
というか僕が元ニンゲンだと知ってるらしい魘やクマールさんには素顔でもバレるだろう。聖霊教会の巡礼者用ローブも持ってきてないし……。
当然浮かぶ疑問に、しかしアルマリオは待ってましたとばかりにニヤリと笑う。
間髪入れず、チャイナお姉さん達が突然すすすっと寄ってきては僕の両腕をガッシリ抱き込んできた。突然立派な双丘にむちむち拘束され目を白黒させる。
「へ?」
「お前の面、そのいやにお綺麗な術式からして大方リライヴェッジ産なんだろォが……綺麗だからいいってもんじゃァねェんだぜ?」
「は?」
「認識阻害っつーのは本来こっちが本筋だ。脛に傷がある奴はその辺ほっぽり歩く訳にゃいかねェからよ、需要は常にある。いつでも売り捌けるように在庫は潤沢なんだよォ」
嫌な予感に頰が引き攣る。自然と視線がお姉さん達に……もっと具体的に言うならば彼女らが纏うミニチャイナ服の際どすぎる裾とか、何故かがっぱり開いてる谷間部分とかに吸い寄せられる。
まさか、とお姉さん達とアルマリオを交互に見比べれば艶やかな頷きとますます深まった笑みが返ってくる。その反応に全てを悟りザアーッと顔からエネルギーが引いた。
油断した!!そりゃそうだ、普通に考えりゃこの男の女役ってことはつまりそういうことだ!
僕のバカ!!なんで思い至らなかった!そんなん着せられたら一生の恥だぞ!うおおおなんとか逃げ出せ!!
「リライヴェッジの魔術狂い共にも負けねェウチの商品の真髄ってのを見せてやるよォ」
「いや、ちょ、まっ」
逃げ道が無いか視線を巡らせるも、しかし明らかに非戦闘員であるお姉さん達を力づくで引っぺがす訳にもいかずオロオロ。
もがく僕とその僕を囲むお姉さん達に、ソファーの肘置きに頬杖付いたアルマリオは心底楽しそうに命令を下した。
「俺のお気に入りに相応しくしてこい」
「待て!待って!!こんなドエロいチャイナ服は嫌アアアアッ!!」
その細腕のどこにそんな力が?と疑問に思う暇も無いまま、僕は絶叫と共に隣室に問答無用で連行されたのだった────
───そして時は冒頭に戻る。
「うっうっうっ……こんなあられもない姿見られたらもうお嫁に行けない……」
なんとかそれだけは!と懇願したお陰でチャイナ服は回避できたものの、結局同じくらい露出度の高いメイド服を着せられた僕は鏡に映る己の姿にさめざめと涙していた。
スカートの丈が短すぎるよぉ……なんで胸元こんな開いてんの……ウサミミいるぅ……?
暴漢にでもあったかのように膝を揃えて崩れ落ちる。僕をこんな有様にした下手モンスターもといアルマリオの奥様方は「かわいいわね」「可愛いウサギちゃんだわ」とポヤポヤきゃっきゃっとはしゃいでいた。
魔力の流れからして、恐らく頭の上で揺れるウサミミプリマフリルこそが僕の素顔を隠す認識阻害の魔導具であるようだ。きっと今の僕は周囲には白ウサギの獣人に見えていることであろう。メイド服の。納得いかん。
「おい、いつまで遊んでんだ。クマールの奴もう来るぞ」
「っ!」
ドン、と荒っぽく扉がノックされびっくんとその場で跳ねる。隣室の執務室で待機しているアルマリオが痺れを切らして声を掛けてきたらしい。
ヤバい、こんな姿見せられない……というか見せたくない。絶対余計なこと言うしセクハラされる。なんとか別の方法を取ってもらうようにしよう。
扉を開けようとする奥様のひとりにブンブンと首を振る。とりあえずまだ開けないでくれ、という旨を身振り手振りで伝えると、ドアノブに手を掛けた奥様はにこーっと笑っては指で丸を作ってくれた。
よかった伝わった……と胸を撫で下ろすも束の間、何故かオッケーしてくれた奥様が満面の笑みで扉をバーーーンッ!と元気に全開にした。キャアアアナンデエエ!?
「んだよ、準備できてんじゃねェか」
「んぐ……っ」
ズカズカと躊躇いなく入ってくるアルマリオを睨みつける。いやにスースーする胸元と太ももを手で隠すと、外道変態ヤギはニヤニヤしながら顎を撫でては「ほお、ふーん」と僕を眺め回した。
羞恥心を煽るようにジロジロ見られてギリギリ歯を鳴らす。あとで覚えとけよ変態……ッ!
「いいんじゃねェ?適度にエロくて」
「趣旨変わってんだけど」
「魔術も問題なく掛かってるようだしなァ。後は……お、ちゃんと気合い入ったの履いてんじゃねェか」
後ろ姿までチェックしていたアルマリオが、突然ペラッと何の気負いもなくスカートの裾を持ち上げた。
「」
「赤ねェ、随分と情熱的……」
スカートの裾を摘み上げたまま感心したように頷くアルマリオ、「きゃっ♡」と色めき立つ奥様方、そしてやけに風通しが良くなったお尻───脳が状況を把握し何が起きたかを理解する前に、勝手に動いた右拳が変態クソ野郎の頰に刺さった。
咄嗟のことに身体強化は掛けられなかったものの、腰の入った全力右ストレートはアルマリオの体をぶっ飛ばすには十分だった。
錐揉みして空中を飛ぶ大きな体がドンガラガッシャーンッ!と調度品を薙ぎ倒して執務室に逆戻りしていく。
その音でようやく僕はハッと我に返った。
「や、やば……」
やっちまった。あまりにもあんまりすぎて思いっきり殴っちゃった。せっかく我慢してたのに……でもだって変態だったから……っ!どどどどうしようワンチャン死んでるかも……。
「あ、アルマリオ……?ごめんやりすぎちゃった……生きてる……?」
あらら〜みたいな感じで焦ってなさそうな奥様方と一緒に隣の部屋を覗き込む。
どうやらぶっ飛ばされたアルマリオは執務机に激突したらしい。整頓されていた机周りがえらいことになっている。
ただでさえ薄暗かった部屋は机の上に置いていたランタンが粉々に砕け散ったせいでさらに暗くなっており、脚が折れた重厚な机だったものを背にグッタリ座り込むアルマリオの表情を判然とさせない。
「し、死……」
「おい」
「ヒャアア生きてたっ!!いや、えっと、だ、大丈夫……?」
ビクンッとその場で跳ねる。うんともすんとも言わなかったので殺っちまったかと戦々恐々としていたのだがどうやら無事のようだ。残ね……いやいやここでアルマリオに死なれたら困るから落ち着け僕。
見た感じ大きな怪我はなさそうだ。すぐに立ち上がらないあたり脳震盪くらいは起こしてるかもしれないが……。
「…………」
殴られた頰をじっくりと撫で、何故か身震いしたアルマリオ。その様子に疑問を覚えるも、大きな体がのそりと緩慢に動き出した。
だ、大丈夫かな……?と恐る恐る手を差し伸べ───途端、目にも留まらない速さで腕を掴まれた。ホラーさながらの掴み方に絶叫する。
「キャアアアッ!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい悪気はなかったんです反射的に殴っちゃいましたごめんなさいっていうかむしろ悪気あったのはアンタだろこのド変態自業自得だバーカバー……」
「全員、出ていけ」
半泣きで謝罪と一緒に本音もぶちまけていると、アルマリオが地を這うような声で奥様方へとそう命令した。
心得たとばかりに反論することなく寝室へと戻っていくチャイナガールズ。
ぼ、僕も向こうで待機してていいですかね……?ダメですかはい分かっていました。
「……おい、親善大使ィ」
「なななななんですか!?やんのかこらっ!」
怒ってる、絶対怒ってる!!だって腕がとてつもない力でギリギリ握り込まれてるもの!身体強化をかけてなきゃ折れてる力だもの!
くっ……こうなればもう取引は無理だ。構成員の総攻撃が来る前になんとかしてこの場から逃げなくては……っ!
掴まれていない方の手でファイティングポーズ。ぼ、僕は暴力とセクハラには屈しないぞ!例え際どいメイド服を着せられたとしても!心まで屈服させられると思わないでよね!えっちなメイドさんにはなりません!いやまあ暴力振るったのはどっちかって言うと僕だけ「もう一回殴れ」ど。
は?
「え、っと?アルマリオさん?今、なんと……?」
「もう一回、俺を殴れ」
聞き間違いじゃなかった。もう一回アルマリオを殴れだと?なんで?どういう目的で?
意味が分からず呆然としていると、ギリッと一際強く腕を握られる。
流石に痛みが走り小さく呻けばアルマリオはゆっくり、ゆっくりと顔を上げた。
「……あァ、ようやく見つけたぜ」
「ひ……っ」
───その顔を見た瞬間、一生分の鳥肌が全身に立った気がした。
「親善大使……いや、 ラウ……」
「な、なに……っ」
立ち上がったアルマリオが僕を見下ろす。その目は愉悦とも歓喜とも違う感情で歪み、口元はニチャァ……と音が聞こえてきそうなほどに気持ち悪く吊り上がっていた。
声が震える。今日一番の恐怖を覚えて体が竦んだ。
「……俺ァずっとどこか乾いていた。女でも、酒でも、ヤクでも潤せない乾き。ずっと付き纏うこれに、俺はいつしか諦めを覚えていた。だというのによォ……くくっ、あァ……まさかそれがここで……お前によって潤うとはなァ」
本能が鳴らす警鐘に従ってアルマリオの手を力づくで振り解く。湧き上がる恐怖にたじ、と一歩後退るも、すぐさまアルマリオの靴が生まれた差を埋めた。幽鬼のような足取りに息を呑む。
「これが……これこそが、俺がずっと探し求めていたものだった」
「い、いやだ……来ないで……」
はあ、と嫌に色気を含んだ荒い息遣いと共に大きな影が迫り来る。逃げるように後退するも、そこまで広くない部屋の中じゃすぐに限界が来る。トン、と背中に壁が触れ絶望。逃げ場の無い恐怖に目の端に涙が滲む。
己の赤く腫れた頰と切れた唇を愛おしげに撫でたアルマリオに先程までのマフィアのボスとしての威厳は皆無。
自分に空いていた穴を埋めるモノをようやく理解し、そして貪欲に求めるひとりの男は、正気を失った目で舌舐めずりした。
「そうだ、俺がずっと探し求めていたのは───この、脳天ぶち抜かれるような痛み!!意識がカッ飛ぶような痛みだ!!もう一回だラウ!!死が垣間見せる恐怖!!地獄が見えるような痛みを寄越せ!!殴って蹴って罵ってくれェ!!」
「イヤアアアアッ!!来ないで変態ィィィイイっ!」
ハアハアハア!と気持ち悪く吐息しながら、快楽のお仕置きをしてくれと襲いかかってくる痛みに快楽を覚えるド変態に、恐怖に涙する僕はまたしても拳を握り───
───次の瞬間、ドメギャァッと何かが床にめり込む音が執務室に響いたのだった。




