象徴としての誇り
「……まるで、自分に言い聞かせているようですね」
「え、あ」
「聖女に説教垂れるとはいい度胸です。死になさい」
「ウゴボボボボババババッ!?」
はっと我に返り顔を上げた瞬間、顔面に向けられたシャワーから凄まじい勢いで水が噴き出した。
「ハッ、お前のような死にぞこないのニンゲンと一緒にしないでください。私はただ単にもう少し自分で物事判断できるようになりたいなと思っただけです。というかお前、そんな言い訳じみた思考回路のくせにベルリアナ様と共にツーショット撮ったんですか?万死に値します」
「げほごほげほっ!?おげぇっ!な、何すんねんこの聖女ァ……っ!!」
水が気管に入ったせいで四つ這いで咽込む僕を仁王立ちで見下ろす聖女を涙目で睨む。殺す気か!?やっべえ殺す気だわ!あの目は殺す気です!
「確かにお前は私と同じように親善大使という席を用意され、そこに座らされているだけなのでしょう。しかし私とお前の明確な違いは、その席に、責に、誇りがあるかどうかです」
「ほ、誇り……?」
「私は相応しいから聖女になっただけですが、聖女であることに誇りを忘れたことはありません。国民の拠り所である象徴たらんという誇りを掲げて聖女を名乗っています。ですがお前は違う。仕方なく、そうあれと言われたから親善大使をやっていると言わんばかり。期待に応えようと思考し続けている?ならば何故俯くのです?何故自分の意思だと言い聞かせているのです?」
水を止めたシャワーヘッドを僕に突きつけるシエルリーファ様。教会という大きな組織の象徴たる聖女は、へたり込む僕に無表情のままに言葉を紡ぐ。
「断言しましょう。お前には誇りがないからです。国王陛下に役職を賜った親善大使であるという誇り、国民の未来を担う者としての誇りが無いのです。だからそんな言い訳が出てくるのです。理由を言い聞かせないと、自分のやっていることに迷いが生じるから必死に自分に言い聞かせている」
ギクリと、心臓が嫌な震え方をした。図星を言い当てられた気分で思わず唇を引き結ぶ。
確かに、クラーケンに襲われたとき───僕を殺そうとする誰かがいると知った時、僕は『僕の意思じゃないのに』と言い訳した。やらされているだけなのに、なんて言い訳して逃げ出したくなった。それを今、指摘されたような気がして後ろめたさが募る。
しかし聖女シエルリーファは、そんな僕を逃がさないと言わんばかりに真っすぐに視線で射抜いた。
「そんな自分の事しか見えていない、誇りも何もないお前が『世界を守る為』と言ったところで何の説得力もありません。そんな心積もりでは自分の身に何か危機が降りかかった時、お前は逃げる。本当にニンゲンの魔の手からこの世界を守りたいと願っているのであれば、その覚悟を誇りなさい。誇って魅せなさい」
「誇って……魅せる……」
それは突き放すような言葉であると同時に、迷う者を導くような言葉でもあった。
「悔しいですが、聖霊様がお前の言葉に嘘は無いと言うのであれば、お前の言うニンゲンの侵攻は本当に起こりうる未来なのでしょう。ならば、その未来を回避するべく奔走するのはそれを知るお前がやるべき事なのです。言い訳じみた思考を止め、我こそがこの世界の未来を守るものとして前を向きなさい。自分の意思だけを見るのではなく、誇りを見せる立場にあると自覚なさい」
「……」
「自分本位な理由は言動行動の端々に滲むもの。いくら強固な後ろ盾があろうと、そんな者についてくる国民はいません。前を向きなさい。誇りを掲げなさい。そうすれば自ずと後に続く者は現れます。前を歩く者として前を向きなさい。親善大使」
『生きたい』という気持ちは僕の原動力である。それは疑いようもないもので、変えられるものでは無い。
でも親善大使であるならばそれだけじゃ足りない。ただ『生きたい』だけのモンスターに国民は付いてこない。世界は救えない。
この世界を救えと期待された者としての誇りを、この世界を救って見せるという意思を持てと、聖女は叱責する。
そしてその叱責は僕の胸に痛みとして刺さった。
「私はお前の生い立ちに同情しません。何故なら親善大使を続けることはお前が決めた道だとお前自身が言ったからです。ならばその意思に見合うだけの覚悟を誇りなさい。……同情が欲しいだけなら今すぐ辞めることですね。そしてその座は今すぐ私に明け渡しなさい。私がベルリアナ様とこの世界を救います」
「……シエルリーファ様」
ふん、と鼻を鳴らしたシエルリーファ様を呆然と見上げる。
堂々とした立ち振る舞い、そして象徴としての覚悟を語った彼女は、見習うべき存在であって───
「……もしかしてシエルリーファ様がやけに僕に当たり強いのって、ベルリアナとMonMonの表紙飾ったからですか?」
「何故バレたし」
語るに落ちてんだよなぁ……。
◆
「……本当に疲れたな……」
自分の部屋に戻るや否やベッドに倒れ、大きな大きなため息を零す。
結局あの後「とはいえ、誇りを持ったとて私がお前を警戒しないということはありませんが」と輩みたいな顔でぺっと吐き捨てた聖女に早く続きをしろと命じられ、言われるがまま化粧品使用方法レクチャーに戻り、ねちねち言われながら共に大きな湯船につかり、つらつら文句を言われながら大浴場前で別れた。
まさかドライヤーまでさせられるとは思っていなかったが、その頃にはもはや「まあ毒を食らわば皿までともいうし……」と謎の達観すら芽生えていたので問題は無かった。いや大ありだったけど。聖女を毒扱いするな、聖水を毒物扱いするんじゃない。
一先ず、今回の件が終わったらベルリアナとの面通しを仲介するので代わりに僕の正体を吹聴しないでほしいという約束だけは取り付けられたので、明日朝起きたら教会のモンスター達に『ニンゲン死すべし慈悲は無いー!!』と問答無用で滅されることは無いだろう……無いと思いたい。
「……誇り、かぁ」
ベッド脇の間接照明の橙をぼんやりと眺める。
そんなこと考えたことも無かった。いつだって僕は生きることに全力で、生きる為なら何でもするって気持ちでひたすらおもてなし政策のこと考えていた。
けれども、確かにどこかで被害者面していた。博士に監禁すると脅されたから、陛下や騎士団長、魔導士団長に危険分子として殺されたくないから、ロイド達に「やっぱりお前はニンゲンなんだな」って言われたくないからと、『誰かのせい』で『自分の為』だった。
そしてそれを『仕方ないだろう』と開き直っていた。『自分だって望んでここにいる訳じゃない』って。
聖女はそれを見透かしていたのだ。いつだかメディアで彼女は僕のことを『パフォーマー』と揶揄したが、それはとても正しい視点だったのだ。いつだって僕は自分の為に親善大使のパフォーマンスをしていただけ。
そこにこの世界の為という意識は無かった。あったとしてもそれすらも自分の為だった。
「……」
でも、じゃあどうすればいいのだろうか。誇りを持てと言われても、具体的にどういう行動をすればいいのか分からない。心構えだけで何かが変わるのなら苦労はしないのだ。
僕はヒーローじゃない。自分の命よりも優先して何かを守るなんてできない。
この世界の全てを導くだなんて、そんなおとぎ話の勇者みたいなこと───
『魔法界を蹂躙する勇者の力は、君という礎の元、魔法界を守る導きとなるのだ』
博士の言葉が蘇る。勇者の力を持ってして魔法界を導けと言った男の言葉は、ズシリとした重石となって僕の心に影を落とした。
勇者は恐ろしい存在だ。使命だからとこの世界に生きるもの全てを殺し続け、世界を一つ滅亡させてみせた。
そんな存在に僕がなることを博士は望んでいる。勇者になって、『加護』の力を得て、その力でモンスターを強化して、勇者を退けて。
そして───その後は、どうする?
「…………っ」
最悪な想像が脳裏を過る。
力を得た被侵略者達が、世界を滅ぼす敵を退けた後に考えることとは。……そんなの決まっている。
報復だ。流れた血の無念を晴らそうと、ニンゲン界に侵攻する。
そんな事態になった時、僕はどんな立場に居るんだろう。
ニンゲン界を滅ぼす旗頭に、モンスターの『勇者』として、この世界を先導するようになるのだろうか。
かつての家族を、友達を、同僚を、恋人を……大事であったはずの彼らに対し、僕は刃を向けることになるのだろうか。
そうなれば───聖女の言う誇りは、僕に芽生えるのだろうか。
「……もうわかんないよ……」
何が正しくて、何が間違っていて、僕がやっていることは正しいのか。
誰か教えて、という懇願は誰もいない客室にひっそりと溶けて────
───気が付けば、先の見えない暗闇の中に居た。
ぽつんとひとりで立ち尽くす。
周囲にはまたしても大量の紙が落ちていて、正面には大太刀のような刀がまるで握られるのを待っているかのように地面に突き刺さっている。
長い刀身の切っ先は暗闇に吞まれている。柄を握って引き抜けば、何の抵抗もなくそれは刀身の全てを晒した。
「……」
やけに手に馴染む感覚に嫌な気分を覚える。───ふと、自分の背後に気配を感じた。
『さあ、誇りを。その剣を以てしてこの世界を導きなさい』
「……シエルリーファ、様?」
『この世界にいる限り、お前は親善大使で在るしかない。であるならば、証明を。自らがニンゲンに与する存在ではないと示しなさい』
聖職者のヴェールを纏った天使は、僕の肩越しから一点を指差す。淡いシルエットでしかない聖女の影が指し示す方へ視線を向け……息を飲んだ。
3人分の影が居た。
暗闇の中、聖女と同じようにシルエットでしかないのに、僕は───私は、その影の正体を瞬時に理解した。
『優……無事だったんだな』
『良かった……本当に良かった。心配したのよ』
『姉ちゃん、今まで何してたんだよ!俺らがどんだけ探し回ったと思って……』
「……お、父さん?……お母さん……和人……?」
私に向かって歩いてくる人影に喉が詰まる。もう二度と会えないと、会わないと、篠原優と共に地に埋めた筈の思い出が目の前に現れる。
力の入らない足で何とか一歩踏み出して、大切な家族に縋りついて───
『殺しなさい』
ゾッとするほど冷たい声が、耳に滑り込んできた。
足がまるで底なし沼に嵌ったかのように重く、うまく持ち上げられない。
動きを止めた私に、聖女は感情のこもらない声で淡々と命令を下した。
『お前はモンスターです。アレは憎きニンゲンです。ニンゲンは聖霊様の敵、モンスターの敵、お前の敵です。殺しなさい』
「ぃ……い、やだ」
『ならば、死にますか?』
ひたりと、首に鋭利なものが押し当てられる。薄皮一枚突き破る痛みに恐怖心がもたげた。
『ニンゲンも殺せないモノがモンスターを導く?そんな事出来るわけ無いでしょう。だからあの蜘蛛はお前を勇者にしようとしてるのでは無いですか?』
「は……?」
『勇者になれば、きっと何かを殺すことに抵抗なんて無くなるのでしょうから……ね?そうだよね?篠原優』
静かな聖女の声が、どこかで聞いたことのある女の声に変わる。歌うように私の名を呼ぶそれを振り返れば、長い焦茶の髪がふわりと揺れるのが見えた。
『人間を殺せないなら、モンスターを殺すしか無いよね?』
「や、だ……殺したくない……殺せないよ……」
家族に手をかけるなんて私にはできない。でも、この世界で出会ったモンスターを殺すことも、僕にはできないのだ。
だって、そんなことしたら……。
首を振りながら後ずさる。でも私の後ろに立つ誰かはそれ以上目の前の光景から逃げるのを許さない。
長剣を握る右手の甲を、暖かい手が滑る。
ガチャ、と響いた無骨な音に肩が跳ねた。
『じゃあなんでそんなモノ持ってるの?それは殺すための道具だよ』
「ぅ……ぁ……」
『分かってるよ。所詮おままごとだもんね。できないよね。責められないように、頑張ってるって言ってもらうためだけに握ってるだけのモノだもん。ラウには無理だよね』
耳元で囁かれる言葉に震える。否定も肯定も、拒否もできずに流し込まれる言葉をただただ咀嚼することしかできない。
『でもね、篠原優なら出来るんだよ。だって私は───』
くすくす、くすくすと笑い声が反響する。耳から聞こえているのか、頭の中で鳴っているのか分からない音が、思考を、意識を埋めて。
『だって篠原優は、**だから』
「ラウ?起きてるか?」
重なった男女の声に体がビクリと跳ねた。
視界に広がるのは暗闇ではなく聖霊教会の客室。
昨夜のトラップのせいで荒れたままの部屋の中を見渡し、カーテンの隙間から差し込む朝日に目を瞬かせる。
「は……っ、……」
必死に空気を取り込もうとする肺によって、全力疾走した後のように呼吸が乱れていた。連続するノック音がまるで心臓の音のように聞こえてしょうがない。
「……夢か……」
膝に顔を埋め、大きく息を吐く。僅かにだが震えている体を抱きしめて、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。
「ラウー?大丈夫でござるかー?」
「え……あ!?ごめん!」
再度の呼びかけでようやく我に帰った。ドアをノックする音はまだ続いている。
大急ぎでベッドから降りてはドアを開けた。
「おお、無事でござったか」
「ごめんね!寝坊した!?」
「いやいや、まだ10分前でござる。ただロイドとミモザからお主が朝弱いと聞いていたからな、トラップも心配でござったし……」
ドアの向こうに立っていたのは、すでに騎士服をキッチリと纏ったアジェルだった。
朗らかに笑いつつも僕に怪我がないか心配する眼差しの彼に、なんだかほっと安堵を覚えてしまう。
「……昨日以上に隈ができていないか?大丈夫でござるか?」
「大丈夫。ちょっと寝るのが遅かったのと、あと……夢見が悪くて」
苦笑いで問題ないと手を振る。
今日は早朝から教会敷地内の教会騎士団用訓練室を借りて、アジェルに剣術指南をしてもらう予定だったのだ。ちゃんと寝坊しないよう待ち合わせの30分前にアラームかけていたと思うのだが、無意識のうちに消してしまっていただろうか。
「夢でござるか?まあ……昨日の状況じゃ誰でもいい夢は見れないだろうが。聖女に襲われる夢でも見たでござる?」
「あー、それが……あれ?」
今し方見たものを口にしようとして、しかし記憶のどこにもないことに気がついて口を噤む。首を捻って記憶を捏ね繰り返すが、出てくるのは昨日の夜寝入る前の僅かな時間の葛藤だけ。
「……忘れた」
「はあ……心配して損したでござる……」
しょうがないじゃん夢なんだから!!
まさかの風呂スキップ。




