9 選択肢「やり過ごす」
来る4月17日――自宅にて僕はイグニスに注意を呼びかけたあと、大人しく「やり過ごす」ことにした。
イグニスは言う通りにしたようだ。警戒しながら日々を過ごすことで、その結果、約束の日を過ぎてもイグニスは生きていた。日々はなにごともなく過ぎていくかに見えた、が。
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突然、僕らの住む王都ルーメンが大火に飲まれた。あの日のように突然魔物の奇襲を受けて。
明け方近く、寝起きで降り注いだ瓦礫。とっさに僕を庇って、倒壊する家屋に下敷きになったイグニスと僕。崩壊に巻き込まれるも自分たちが生き残るだけのスペースがあった。イグニスの手も借り、なんとか瓦礫から脱することはできた。
「痛むのか!?」
「いや、……ッつぅ!」
イグニスがよろめいた気がしたので彼の状態を確認すれば、腕の着衣は破けて裂傷がみえる。だらだらと流れる血が見ていて痛々しかった。さらに問題なのは脚で、瓦礫から飛び出ていた金属片が刺さっている。肉に食い込んでいて立ち上がるだけでも相当な負荷がかかっているようだ。こんな状態で僕を瓦礫から救うだなんて無茶にもほどがある。イグニスの力を使って瓦礫を押しのけたものだから余計に後悔した。
周囲は、灰や燃えた痕跡でどこもかしこも街全体が灰色だった。火に飲まれ崩壊していく街を目の当たりにする僕。煤煙が辺り一帯に広がっていくなか、似つかわしくないどこか甘ったるい異臭がしていた。
容赦ない熱さが襲いかかる。それでも彼を救おうと僕はイグニスに肩を貸して歩こうとした。
「もう無理だ……。お前だけでも逃げてくれ」
「なに言ってるの! 君だって、ちゃんと……ほら、病院に……!」
「病院も燃えた。どのみち俺がいては足手纏いになる」
右足を大怪我しているイグニスが、塀に体を寄せて行けと言う。ここは任せろ、なんて強がって。視線で促し、僕の背中を押そうとする。
僕はそれを拒んだ。イグニスは僕の体を抱きしめた。
「守ってやれなくてごめんな」
「なんで、守ってくれたのに! これからだって、ずっと、僕が守るから!」
――ごめん、イグニスはそれしか言わなかった。
なんでこんなことに? 僕は何を間違えた。
「ここでしたか」
今だけは聞きたくなかった声。ふらふらと千鳥足で現れたのはイグニスの相棒。まさかこれも彼が? この火事や魔物の騒ぎはすべて陽動だったのか?
と、僕が思考停止したそばから全速力で駆け出すマルクス。濁りきった目で、剣が僕の心臓を正確に貫く、その間をすり抜けて入り込んだイグニスの体。僕を狙ってみせたのに、この結果に不敵に笑う、マルクス。一撃が、入った。
そして、また繰り返される惨劇。イグニスの体に馬乗りになると剣の柄を両手で握って熾烈に突き刺す。マルクスの剣が幾度となく振り下ろされる。
こんなのって……。いやだ、やめろッ。
僕が張り裂けんばかりに叫んでも状況は止まらない。
やがてイグニスの抵抗していた腕が落ちて、指先すらぴくりとも動かなくなった。
「いやあああああッ!!」
燃え盛り、魔物に蹂躙される街を見下ろして高々と笑ったマルクス。酩酊しながら酒瓶を捨てて、煙に巻かれて消えるその背中。
僕は彼がいなくなったあとで誘蛾灯に誘われた虫のように一歩ずつ近づいた。自分を囮に僕を助けたイグニスのズタズタの体に。
目には生気がなく、口元からは体液が流れ落ちていた。僕はうずくまって彼の口元を拭った。拭いても消えない赤が僕の指にまでこびりついた。もう笑ってくれない唇に口を近づけて吐き気のようなものを催してしまった。えずいて喉の奥からせき止めようのない感情が漏れ出してくる。イグニスの顔にかけないように吐瀉物を地面に吐く。
こんな時、背中を擦って優しく慰めてくれた彼はもういない。今ではキスもねだれない。そのことが無性に虚しかった。
空の器しかない体を前に崩れ落ちる。抱きしめられて感じていた温もりが恋しい。彼の胸板に手を添えてもなにかが戻ってくる気配はない。その愛しかった人の骸の前で泣き暮らした。
No.03 バッドエンド 『手遅れになった決意の光』
ああ、僕がばかだった。自分でけじめをつけていればこんな結果にはならなかったはずなのに。




