10 選択肢「事態を解決する」
イグニスの名前を呼んだ。
突然のことに驚いたイグニスがこちらのベッドを覗き込む。
「泣いてんのか?」
思い詰めた表情で距離感を縮めるイグニス。僕はそっと、彼の体を抱きしめた。ああ、暖かい。この手に感じるぬくもりはたしかに36度だ。
「信用してないわけじゃない。でも怖いんだ」
僕はイグニスに嘘偽りない本心を述べた。彼は口も挟まずきちんと聞いてくれる。指を絡めてじっと待ってくれるイグニス。
「なにもしなかったら僕は、僕を許せなくなりそう」
「だから一緒に行きたいって?」
うんと僕はうなずいた。
イグニスは困った顔つきで僕の頬を撫でた。
「俺も怖いよ。もし、お前がいなくなったらと思うと」
愛しい誰かがいなくなる。それは信じられない恐怖を与える。
僕が怖くなって震えていると守るみたいに抱きしめられた。落ち着かせるように背中をとんとんと叩く。
つられて、言うつもりもなかった言葉が涙の雫みたいにぽろっと落ちた。
「もうどこにも行かないで」、と。
僕はわんわん泣いた。自分でも情けないほど。みっともない感情を吐露しながら号泣したのだ。そんな僕でもイグニスは捨て置かない。
「んなわけないだろ」とちょっとムっとした声音で答えられる。
「お前を置いて、遠い場所までわざわざ行かない」
「でも任務には行くじゃん」
「それは。ってお前自分で言ってちょっと笑うなよ……調子狂うぜまったく」
照れながら決めた台詞の揚げ足を取られて。イグニスはごまかすみたいにふーっと息を吐いた。
ふざけたようなやりとりだ。絶望だけだった心があったかい。希望みたいな光を見出して僕は笑ったのに、慌てるイグニスがおかしいや。飲み物を持ってこようとしてベッドの端に小指をぶつけたらしい。滑稽な様子で痛がる姿まで面白く思えてきて、僕は全開で破顔した。
「ね、生きててよ。一緒に生きようよ。どんなにかっこ悪くても、後ろ指指されたっていいから君といたいんだ」
指切りするように小指を差し出す。
僕の指を取るか迷ったイグニスだったが、彼は僕の様子をみて考えを改めたらしい。丁寧に指を重ねると先を折り曲げた。
「失敗や間違いなら一緒に咎を負うさ。だから一人で思い詰めないでくれ」
――攻略対象キャラとの絆が深まりました。
通知とともに出現したラブレターにUIが表示されていた。ラブレターからの通知には機能が解放されましたとある。僕は早速それをチェックした。
【既読スキップ】←New!!
・既知のストーリーを早送りする機能です。未知の部分で止まるため、取りこぼしを防げます。
#
4月17日。今度は最初から訳知り顔のイグニスと派遣任務に同行した。現場を視察し、前回もみた光景をこっそり覗き込む。いろんな場面を確認するも、彼が関わったと思しき場面はあそこしかないと絞る。
その怪しそうな場面とは――松明に木をくべた瞬間だ。
マルクスが僕に話しかけながら村の松明にいれた木片。それを追って松明を覗き込む。この香り……どこかで? 思い出した、イグニスに大人しくしろと拘束された時だ。たしか魔物が村を闊歩していたはず。その時の妙に甘い香りだ。
僕は早速、まだ着火しきってない木片を回収すると証拠としてイグニスに提供した。
「なんの変哲もなさそうな木片だが」
甘い独特の匂いがする、と僕が説明するとこの村の住民が横から覗き込んだ。彼らはちょうどイグニスに頼んでいた依頼品を受け取るところだった。魔物の体内にある魔石を回収していたイグニスから物品を受け取る最中だったが、僕が割り込ませてもらったのだ。
「この匂い……まさかメルリスの樹木か!?」
横から覗き込むのはこの村の住民だ。匂いを鼻で嗅いでたしかめて渋い顔をする。
「こいつの樹液は大半の魔物の好物じゃ。ここいらでは魔物を招く木として忌避されとる。そんなもんを持っとるなんて騎士様は一体何を考えているんじゃ」
僕とイグニスは顔を見合わせた。
魔物が好む樹液がでる特殊な木は魔物を引きよせる。僕らは他の騎士仲間や村人と結託してマルクスを包囲した。後からタックルして体の大きい団員が動きを封じる。数人がかりで身動きを封じたと思ったら、別の場所から火の手が上がった。協力者がいるのか?
一瞬の隙をついてマルクスが逃げ出す。取り押さえていた団員の拘束がゆるんでいたらしい。騎士団員を振り払って彼は自由になった。
「お前なんていなければッ!!」
イグニスに対して強い敵意を剥き出しに、マルクスは憤った。彼は唾液を撒き散らす勢いでさらに吠えた。
「大事なもののために死ねええええ!」
にじみでる殺意。マルクスの剣がイグニスに向かう。
だが、イグニスは覚悟を決めていた。基本の構えから流麗に突き出された片手突。強烈な一撃はマルクスの剣を持つ腕をかすめて剣を取り落とさせた。とっさに離した剣を拾おうとしゃがんだマルクスに他団員のタックルが決まる。それで終わりかと思えば、再び拘束されるのを恐れたマルクスが丸薬を飲み込んだ。
マルクスの背中が不自然に盛り上がる。衣服のボタンが弾け飛び、上腕筋や大腿筋が盛り上がって倍以上の力こぶが出来上がる。ぐわあああ、彼の絶叫とともに頭髪が不自然に伸びて、やがて異常に伸びた髪を逆立てる人間体の怪物としか形容できない姿となった。
おぞましく変化したマルクスが腕で辺りを薙ぐ。増強されたパワーで気圧された団員が吹き飛んだ。次の攻撃を食い止めようと構える団員には強烈なキックが決まった。鼻血を出してのけぞる団員だが、彼は怯まない。進んでマルクスへ剣での一撃を放つが、諸手突が当たってもマルクスは微動だにしない。
連撃をかわすマルクス。追いすがる騎士。それでも速度もパワーアップされたマルクスの方が強かった。復帰した団員が防がなければ、その騎士は木に激突してそのまま死亡していたかもしれない。
イグニスが前に飛び出る。剣を両手で構えて静かに息を吐いた。肺から大きく吸い込むと、一気に飛び出す。トップスピードに乗って駆け上がり、マルクスの横っ面めがけて全力の刺突。肉に刺さって決まった、だが不敵に笑うマルクス。嫌な予感がして飛び退けば、イグニスは次の技を放とうと剣を引っ込める。だが剣は抜ききらない。抜ける前に片手で押さえられた。油断した一瞬の隙をついて斜め下から振り上げられる拳。イグニスの顔面を直撃する。脳震盪か、昏倒し動けないイグニスの上で仁王立ちになると姿を変じたマルクスの怪力、が。
……――届く前、同じく覚悟を決めていた。「事態を解決する」のは僕しかいない、と。
怒れる猛獣と化した相棒を前に竦むことなく契約を行使する。契約印の刻まれた腕を自分のナイフで刺した。流れる血は印に吸収されて光の化身となった。霊獣アルブスの登場である。
白虎は唸った。マルクスも警戒するように吠えた。契約していた霊獣をけしかけて、二匹の戦いが始まった。
その傍ら、僕は倒れたイグニスへと駆け寄る。意識はあるようだが方向感覚が掴めないようにふらつく彼を支えた。騎士がポケットに常備しているポーションを彼の口へ。だが飲み込むことができないようで液体が彼の胸を伝って流れ落ちる。中途して、躊躇した僕だが、そこから迷いなく彼の口めがけていった。自分で含んだ液体を彼の口へ。ごくりごくり、喉が鳴る。嚥下したのを確認すると、僕は口を離した。ポーションによる効果でもたらされた一時的な回復。彼は意識がしっかりし、酩酊のような状態を抑えられると立ち上がろうとした。だが、僕はそれを引き止める。
「君はそこで見ていて。僕が解決するところを」
白虎と格闘するマルクスだが倒れない白虎に苛立っている。地団駄を踏んで悔しがる様子の彼は、こちらに視線を移した。にやり、笑って僕に狙いを変えてきた。
「セレーヌ、無茶は……!」
「無茶でもなんでもやるしかないんだ! 僕はっ、君をっ……たすけたいから!」
僕はラブレターによってもたらされた機能を行使する。その名も既読スキップ。
ここまでマルクスは拳による振り下ろしや、でかくなった図体での体当たりをメインに使ってきた。剣は地面に放置されたままで取ることはない。だから単調な動きしかしない彼を封じるなら……。
僕の頭上に迫る両手の拳を一つにした攻撃。マルクスからは避けられない攻撃にみえたことだろう。愉悦に浸る彼に僕は見せつけた。
「既読スキップ」
彼の攻撃が早送りのように飛ばされる。不自然にかすめとられたようになくなった攻撃の威力。透過した彼のモーションが戻ってくるが、直立不動のマルクスには理解できないようだった。
苛立ったマルクスが今度は腰を屈めてから速度をあげて飛び込んできた。腕を伸ばして狙いをつけた攻撃だ。
「既読スキップ」
だが僕は避けない。ただ直立するだけ。それだけでマルクスの攻撃は倍速視聴になり、威力が消えた状態で端折られる。
何度も何度も攻撃を繰り返すマルクス。
「その攻撃はもう見たよ。これで終わりだね。アルブス!」
「ガァアアア!!」
霊獣が僕の声に反応する。立ち尽くしていた敵めがけて猛追する。太い尻尾で鞭打つようにしてアルブスはマルクスを捕らえたのだった。
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「こんなはずでは、ばかな。この私が……ァァァ」
錯乱した仲間を哀れみながらロープで捕縛するイグニスら。
僕はといえば霊獣をなだめてご褒美として血液を分け与えていた。そのせいでふらふらとした足取りで帰路に就くこととなった。
帰宅すると玄関に入ってすぐイグニスに抱きしめられた。
きっと、裏切られたことと激しい憎しみをぶつけられたことに心を痛めているのだろう。僕は彼を慰めようと腕を伸ばした。僕がいるよと口で労わる。「俺はなにもできない。あいつのことも分かってやれなかった」、いつになく悲観しているイグニス。貧血気味のせいで集中できない僕。視界がグレーアウトし、斜線の雨が降り出す。それでも僕は懸命に訴えた。
「こんなに思ってくれるのは君だけだよ。僕の大事な人」
抱きしめて、ふたりきりの世界。霧煙るような灰の視界で、僕は温かい腕の中で濃密な抱擁を受けるのだった。
No.04 ノーマルエンド 『ホールドアウト』
僕は君から送られるなにもかもが嬉しかった。そんな君に伝えるためなら何度だって不条理も乗り越えよう。
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夢の中、UIから通知が届く。ラブレターの文字が意思を持ったように蠢いて、文字を形作って知らせていた。
――第2章クリア。




