7
靄がかかった意識が目覚める。自分のベッドの横で眠る彼に声をかけた。
「おはようイグニ……ス?」
まばたきをする。しかし、隣のベッドには彼の体はおろか掛け布団すらなかった。
もしかして、と日めくりカレンダーの日付を確認すれば日付は12月24日。いや、正確には切り取る分があるから今日は……。
「25日か……」、ため息が漏れた。
まだ夢の余韻から覚めていない。イグニスがいたあの世界から。
「ふは……あるわけないのに。彼はいなくて、僕は夢でも見ていたのかな」
ぽた、ぽたたっ。ベッドに押し付けた掌が涙の粒で濡れる。
目覚めても君はいないのに。僕はなんて期待をしたのか。
玄関が開閉する音がした。朝日が差し込む入口に、人影。僕は思わず出迎える。飛びつかんばかりに急いで駆けた。名前を呼ぼうとした時には向こうから呼びかけられた。
「ここにいたのか。セレーヌ、もう式の……セレーヌ?」
てっきりイグニスが戻ってきたのかと思った。
僕を呼ぶ夫、ノクス・ファビウス。うねる黒髪の波巻きパーマはもともと癖っ毛だと言っていた。切れ長の黒目が僕を検めるようにみつめる。息が止まるかと思った。
「なんだ?」
「べつに……」
イグニスかもなんて、恥ずかしすぎる勘違いだ。
僕は顔をうつむかせたまま、部屋に引き返そうとした。ところがそれを腰に手を添えたノクスに止められる。
「もう時間だ。いつまでメソメソしている、いい加減切り替えてくれ」
イグニスの死を切り替えろ、だなんてできるわけない。瞬間的に頭の中が怒りで真っ赤に染まった。それでも大人しく夫の手に従った。
「急ぐぞ。式まで時間がない」
だって、――イグニスはここにはいないから。
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式場では冷めた夫の視線を浴びながら来客の声に耳を澄ました。揃いの純白のタキシード姿で、取り繕った笑みを浮かべて夫の隣に座る。来客の談笑を耳に、あれは夢だったのか、と何度も考えてしまう。いやにリアルなタイムループ。最後の巻き戻しで僕は彼を救うことに成功したはずだが……。
まったく、なんて夢をみてしまったのか。いまさらながら呆れてしまう。
「それにしてもセレーヌ様はまぶしいですな。きっと、イグニス様も空の彼方で喜んでいることでしょう」
ええ、ええそうと、同じテーブルから声がする。
「イグニス様といえば、あの事故はむごかったですわよね。まさに誇り高い騎士でしたわ」
「しっ! こんなおめでたい席でそんなこと……」
「これは失礼いたしましたわ」
よよよとハンカチを目元にあてて泣いていた婦人を隣の旦那が諌める。
それはそうと……――事故? それにイグニスは失踪扱いになっていたはず。これは一体、どうなっているんだ。
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「あった! これだ……」
式が終わって僕は新たな邸宅に移った。豪華な屋敷には僕らのほかに使用人まで常駐しているという。僕は帰り際に人目を忍んで雑誌や新聞を数冊買い込んでいた。それを拡げて該当の記事を探した。
式中に噂になっていたイグニス。やはりこの前と死因が変わっている。盗賊からは生き延びたのか、日付は12月から進んでいた。だが今度は職務中に殉職したとある。
イグニスは4月17日の任務中に魔物によって殺されたらしく、訃報がでている。そこには、庇われた仲間や逃げ延びた部隊からの証言も。彼は英雄視されているようだ。殉職したイグニスを尊ぶ称賛の言葉がつらつらと述べられていた。
なぜか変化した死因。生き延びている期間。もしかしたら、彼を導けばこの現実も変わるのでは? 確証はないが、期待する。そんな思いでラブレターに真摯に祈る。――が、変化はなかった。
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夜半、私室の扉がノックされてノクスが姿を現した。彼は湯浴みを終えたあとなのか、濡れた髪にバスローブ姿だった。どこか高揚した様子で僕を促した。
「今日は……その、どうだ」
「へ?」
「その……ああー……初、夜」
僕は目を瞬かせた。なんだって。この人は僕を抱く気なのか? そんなそぶり昼間はなかったのに。それとも既成事実だけでも作ろうという魂胆か? あるいは親にせっつかれて子……どもはないか。僕らは男同士だし。
「ごめんなさい、まだそんな気分じゃなくて……」
「そう、か」
肩を落として、夫は微妙に気まずい空気を漂わせて部屋を出た。
初夜がなくなって、僕はほっと安心した。
僕は夜中にもかかわらず急いでテーブルの記事をかき集める。これが見られなくてよか「セレーヌ、あまり夜ふかしは……なんだそれは」……?
隠しそびれた証拠がみつかる。僕のうなじに汗が垂れた。夫は僕が掴む前に新聞を掴むと目を走らせた。すると新品の家具に新聞を叩きつけて怒鳴った。
「まだあいつに懸想しているのか!?」
まるで不貞を咎めるような有様。僕はただ、情報を集めていただけだ。それでも心にはイグニスが残っている。彼と過ごした日々も、その手の温もりも、ただ過ぎたことにするには重すぎるのだ。
夫は次々に文句を口にした。憤怒の表情で突きつけられる罵声。僕は思わず夫を追い出して部屋に閉じこもった。憔悴した心で祈るように助けを求めた。すがるように、ポケットに入れっぱなしだったラブレターに会いたいとだけ願った。
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「セレーヌ? また悪夢でもみたのか」
「ほぇ? ……イグニ、ス」
精悍な顔立ちが甘く緩んでいる。まだ夜の気配の残る寝室に居たのはイグニス張本人。僕は思わず半開きの口になった。だらしなく開きっぱなしになった口で、彼の名前をもう一度胸の中で唱える。だって眼の前に、彼がいる。
――もうなんだっていいや。
僕はイグニスの胸元に飛び込んだ。彼との同棲生活がまた始まったのだ。横目に確認した4月17日の日付。脳内で何かが浮かんだが、僕はそれを無視してイグニスの抱擁を受けるのだった。
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互いのベッドの上に向かい合わせに座る。夜着の胸元をはだけさせるイグニスの色気は凄まじい。僕はそっと目をそらして、手持ち無沙汰な自分の手をみた。
「あのさ、今日ってほんとに4月17日?」
「そうだが……。フ、嘘かなんて確認するなんてまだエイプリルフールが抜けてないんじゃないか?」
とすると、あの死亡記事の当日である。
まずは何が起きるのか、それを知らないと……。でも、そうだ。今回は単純な話だ。だって彼を任務に行かせなければいい。そう思って僕はねだったが「それはできない」とあえなく断られてしまった。
「なんで?」
「困ってる人がいればどれも大切な仕事だ。職務放棄なんてできない」
そんな……。
「セレーヌのかわいいわがままはあとでじっくり聞かせてくれよ。それじゃ、いってきます」
僕は泣く泣く見送った。
するとやはり、夜になっても彼は帰ってこなかった。なんとなくそんな気はしていたけど、いざ帰らぬ人となると胸がつかえる。気づけばふらふらと彼を求めるように椅子から立ち上がっていた。同時に、ポケットから自然に落下するラブレター。文字が滲んで浮かび上がったのは見覚えのある――そこにはゲームオーバーの記載。
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時間がまた巻き戻った。今度こそ、という気持ちで僕は朝から準備をした。やはり自分で注意するしかない。そう思ってこっそりイグニスの後をつける。出かけたイグニスは騎士団の詰め所で仲間たちと合流して、どうやらこれから任務に向かうらしい。僕は厚着をして変装し、街の人を装って彼らに続いた。
一団から声がする。
「これ以上は危険じゃないか」
「誰かの知り合いか?」
「さすがに見ず知らずの他人だったら怖いぞ」
「どうかし――セレーヌ!? なんでお前っ、早く帰るんだ!」
騎士たちの会話のせいで、6人隊の隊長として先頭を歩いていたイグニスに気づかれてしまう。
「ええと、人違いでは? 僕はただの通りすがりの商人で……」
「いつもの一人称使ってる時点でバレバレだし、この季節に冬服は暑いだろう。商人に化けるならせめて商材の荷物入れぐらいは確保しておくべきだよ」
ほら脱いでと、余計な上着を剥ぎ取られる。帽子やマスクも取られてしまって、僕には隠すものがなくなってしまった。騎士たちに上から下から確認されてたじろぐ。そういえばイグニスの職場の人と顔を合わせるのは初めてだ。
「へえこれが噂のセレーヌさんか。美人さんだね」
その中の一人、茶髪のシースルーマッシュヘアの美男が思わせぶりな態度で僕を褒めた。透き通って美しい青目に眼鏡をかけたクールな騎士、彼はイグニスと目を合わせてうんうんと満面の笑みだ。
突き返された衣服は小ぶりなリュックに詰め込んだ。中身が増えてパンパンになってしまったが、致し方あるまい。
「いやたしかにセレーヌだが……お前、余計なことはっ」
イグニスは僕の出現と同じくらい動揺した様子でクールな騎士に言いつけた。
「相棒がお世話になってます。そうだ、道中暇だから彼も連れて行こうよ」
「はあ!? なんでそうなる」
声を荒げたイグニス。僕は僕で思わぬ提案に目を丸くした。
「どうせ街の外には出ちゃったし、ここから一人で帰すのも可哀想だろう」と両手を広げて首を振る、イグニスの相棒を自称する騎士。
「だからって……」
「お前だって心配だろ。な?」
「くっ……」
イグニスは渋々であったが、他の騎士仲間にも同意を得て、晴れて僕も付き添えることが決まった。
「俺はマルクス・コルネリウス。イグニスとは孤児院からの知り合いなんだ。よろしくね」
「セレーヌ・ウァレリウスです。イグニスとは……ええと学生時代からの親友です」
「そんなよそよそしい挨拶じゃなくて同棲してますって言ってもいいんだよ」
「いやあの……あはは」
事実だけれどマルクスさんのニュアンスだともっと親密な仲ととられかねない……!
「そのへんにしとけよ。セレーヌもこいつに付き合わなくていいぞ、なんせこいつはナンパ師だからな。やつの話術にはまると抜け出せないぞ」
イグニスが僕を気にかける言葉からはマルクスさんと気安い仲なのがうかがえた。現にマルクスさんに構われているイグニスはちょっとだけ年下のような空気感がある。頼れる相棒、ってことなのかな。
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バレてしかたなく行動をともにする僕らだが、それでもイグニスは職務にまじめだ。僕が忠犬よろしくつきまとっていても周囲の警戒や魔物の観察は怠らない。
「セレーヌさんはレニタスで働いてるんだよね。あそこの薬はほんとに質が高いよ。うちの騎士団にも卸してるけど評判がいいんだ」
「そう言っていただけると店主も喜びます」と僕はお辞儀をする。
僕も扱っている薬があるのでそれを褒められたことで嬉しくなった。一時は就職先の悪い雰囲気のせいで自分の調合技術も落ち込んだが、今は親切なおばあさんの指導のもと自信があるのだ。
「うんうん。ところで……イグニスって家にいるとどんな感じなの?」
「そうですね、体幹を鍛えるトレーニングとかでほとんどを鍛錬に費やしてます」
「うわでた、鍛錬ばか。家でも筋トレかよ!」
「うるせえ!」
思わずイグニスが突っ込んだ。
他には、とマルクスさんは俄然興味を持ったらしく尋ねる。僕はそれに応えようと彼の普段の生活を思い浮かべた。
「あとは観葉植物を育ててたり、食事のコーヒーを楽しんだりとかですかね」
「へえ。なに育ててるの?」
「サボテンとかです」
「ぶっ! サボテンとか手入れほぼいらないだろ!?」
ウケたらしい。
「でも名前も付けてて」
「あ……こらセレー……」
「『ペルペトゥス』もそのおかげか元気そうですよ?」
「不滅……ッ!! たしかに強いがっ!」
ツボったマルクスさんはなかなか帰ってこられない。イグニスはといえば顔を覆ってしまった。耳まで赤面しているのが丸わかりなのだが、それでも目を見られないほどの羞恥に襲われているようだった。
「すごく仲がいいんだね」、マルクスさんはからかい調子で言った。
恥ずかしがるイグニスはぶっきらぼうに「べつに……普通だよ」とまだ格好つけていた。そんな彼をみて僕も照れてしまう。だから僕はお返しにと口にした。
「それはイグニスとマルクスさんの方ですよ。おふたりの連携ってすごく、みていて気持ちがいいです」
「そうみえるかな」
「はい!」
騎士団員が進む隊に構わず突っ込んできた野の魔物もあっという間に片付けてみせた。イグニスが先行すればマルクスさんが後方から追撃し、イグニスが大雑把な範囲を攻撃すれば打ち漏らした残りをマルクスさんが片付ける。こんな具合に役割分担が自然に行われていた。見ていてすごく、胸が熱くなったのだった。
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山間部のシルバ村を目指しての行軍。強敵となる魔物がいつ現れるのかとヒヤヒヤするがすんなり踏破できてしまった。なんだか肩透かしだ。目的地となる周辺で今日は野宿が決まった。天幕をイグニスと共有することになった僕は村の様子を見た。警戒している騎士たちが常駐して村を警護する。道中で依頼の魔物はあらかた討伐できたと、マルクスさんが村の松明を補充するなか僕はそれを見ながら聞いていた。ふとマルクスさんがそれまでの笑顔を引っ込めて真剣な表情になった。
「あいつの隠してた大切な相手ってあなたのことですよね」
「そんなことないですよ」
「分かりますよ。これでもあいつとは長い付き合いなんです。こうも感情を仕事中に露わにするのは初めてみましたよ。私も、……いえ」
「ん?」
「なんでもないです。ただ、あいつの大切なあなたがいてくれてよかった、そう思いましてね」
唐突に打ち切られた会話。おやすみなさいと、マルクスさんは自分の天幕に戻っていった。僕は眠れない頭のまま、天幕で横になる。今日はずっとイグニスと一緒だったから一人でいると、なんだか落ち着かない。
――カンカンカンカーン!
警鐘が鳴った。ハっとした僕が天幕から飛び起きて集落をみれば、すでに門の近くから鈍い戦闘音がする。武器が当たって跳ね返る高い音や肉が裂けるような低い音。
うかつな僕はまだ4月17日が終わっていないことを思い知った。イグニスと離れたことを後悔しながら、夜半、突然の魔物の奇襲は始まった。




