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しみじみと、大変な一年だったと振り返る。3時近くまで夜ふかししている僕の隣にはイグニス。彼は眠そうに眼をこすって僕のベッドに潜り込んでいる。こんな風に過ごすのは久しぶりだ。窮屈な狭いベッドに彼に抱え込まれるように潜り込んで、僕は同棲生活を懐かしんだ。
「デカいベッドでも買うか」と唐突にイグニスが提案した。
「また僕の分を買うのではダメなのかい?」
以前と同じように、と僕は彼をみつめる。
「ふたりで……その、……できないだろ」
イグニスは僕を抱き起こし、その腕で囲って、ちょっとだけ不満そうにつぶやいた。彼に期待されていると分かると体が火照った。僕は羞恥心から真っ赤になって頷く。
その瞬間ベッドに引き込まれる。戯れのようなふれあいを愉しんで僕らは横になった。
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午後からは予定通り出勤した。この世界では新年から働くのも珍しくはないのだ。カウンターに立つとよく店に来るお客さんが押しかけた。なにやら手提げをもって黒髪のウルフヘアをなびかせる。
「あれ? ドルシラじゃないか。また顔の炎症かい」
「ニキビ……? え、いつの話ですか」
――そうだった。彼女に薬を渡したのはもう一年も前だ。
「ごめん、ちょっと他の人と間違えたみたいだ」
「もうー、うちを誰と間違えたんです? まさか恋人ぉ?」
ドルシラが目を細め顔を傾けて僕の肩を押す。
「その……あはは。まあ恋人はできたんだけどね。その人とじゃないよ」
「へ……? あ、そうなんだ」
ドルシラは拍子抜けしたような様子で手提げを落とした。
「おっと、……小包?」、慌ててキャッチして彼女に返却する。
「はい。セレーヌさんに渡そうと……あの、こういうの迷惑ですよね……」
ドルシラは包装されたかわいらしい焼き菓子を手にしていた。
「迷惑じゃないよ。嬉しい。ドルシラはお店の常連さんだもんね」
包みを受けとろうと手を伸ばす。ドルシラも手を差し出した。その時学園のローブの袖が下がって古傷がみてとれた。それは一直線に引かれた切り傷のように思えた。
彼女の外傷につよい違和感を覚える。
ドルシラを確認する。お菓子を渡す彼女は耳がほんのりと赤い。手を握ったままの僕を不思議そうにみつめている。
彼女は王立学園の在学生で魔術科の生徒だ。この世界ではあまり見慣れぬウルフヘアにくりくりとした黒目をしている。身長は160cmほどだろう、僕のちょうど口元ぐらいの高さだ。いつもローブ姿で薬屋レニタスに訪ねてくるドルシラにあった左腕の縦に一本の傷跡。
「セレーヌさん? どうかしましたか?」
「じつはイリス岬に用があってね。天気もいいしあの辺りを観光したいなと思って」
「岬は犯人の爆破で崩落してましたよね。危ないですよ?」
ドルシラは急な話題転換に困惑した様子で答えた。
――やっぱり、そうだったのか。
奇妙な合致に、僕は彼女から見えないように拳を震わせた。
漂流先からの帰還。タイムループが終わって戻った丘の上の屋敷。ノクスに叩かれた後探った情報源。新聞にはたしかにこう書かれていた。
【イリス岬は原因不明の崩落で立入禁止】
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始終愛想笑いで店を閉めた。動悸がする。ドルシラが出ていったあと、僕は許可を得て店番を店長に代わってもらった。急いで帰宅しイグニスの無事を確認する。
「イグニス――!!」
家の廊下を歩きながら大声で彼の名を呼んだ。彼は今日、非番のはず。しかし家から物音はせず、返事も聞こえない。
じっとりと背中が濡れる。嫌な汗の感覚。
「イグッ、」
「……っびっくりした。セレーヌか、何事だ」
イグニスはダイニングのソファで寝落ちしていたようだ。僕の声に驚いて脚がソファからはみ出ている。
よかった……。僕は彼の額にキスをすると髪を撫でる。その手触りが幻でもなんでもないことを確認して落ち着いた。
その時ベルが鳴った。突然の来客にイグニスは頭をかくが、僕は心臓が鷲掴みにされたような動悸に襲われた。
「誰だ?」と彼が起き上がろうとしたのを僕は止めた。
「僕が出る! 出てくるから、イグニスはここにいて。何があっても、絶対に、出てこないで」
イグニスを押し留めて玄関ドアを開けた。
「セレーヌさん? もうお帰りでしたか」
ドルシラの目を見開いた表情。演技でもない素のリアクションだ。
僕は警戒しながら尋ねた。
「君に家を教えた覚えはないけど、どうして把握してるの」
「その様子……、やっぱりバレちゃいましたか」
ドルシラのくりくりとした黒い目が今は奥底の見えない不気味なものに感じる。
彼女は前髪をかき分けて、学生服のローブから杖を取り出した。
「あーあ……おかしいと思ったんだよね。呪いが途中で消えちゃったからまさかって。そしたら……恋人だもんなぁ」
しとしとと冷たい雨が降り出す。1月の氷雨は、玄関先のドルシラにフードを被らせた。そうだ、魔術師のローブは王立学園の学生服のローブで、魔術は魔術科の生徒が放ったもの。魔術の威力は桁違いだし、なぜイグニスの周囲の人間をこんなによく知っているのかは謎だが、やはりドルシラこそ謎の魔術師――!!
対峙する僕はラブレターを握りしめた。
「……こんなはずじゃなかったのに。なんでうまくいかないのよ」
雨のようにぽつりと口から漏れた本音。
「因縁のある王族にまで伝わるよう出自を言いふらしたのに、影はまとめてやられるし! 元相棒に魔物を呼び寄せる木まで渡してそそのかしたのに最初から捕まるわ! うちが家を燃やしてまで手助けしてもなんか倒されちゃうって! 直接おびき出せばなぜかあなたまで……。しかもうちの肌には傷がついた! あいつらに魔物になる丸薬まで渡したのに――役立たず! どいつもこいつも使えないじゃん!!」
張本人は犯行をその口からほのめかした。
「大体乙女ゲームの世界なのに、なんでアイツとくっついてるの!? おかしいって! 変じゃん男同士なんて、ありえないわよ!」
「その設定を知ってるってことは君も転生者だったのか?」
「君、も? あ、あー!? 嘘でしょ、あなたも?」
僕らは顔を見合わせた。思わぬ共通点だ。しかし納得した。道理で彼女の容姿や口調がイレギュラーなもののわけだ。
「だからゲームと設定が違ったの!?」
ドルシラの黄色い悲鳴に背後から足音。聞きつけた彼がこちらに近づいていることに気づいた。僕は祈りを込めて玄関を閉めようとした。しかし一歩遅く「どうした」とイグニスが顔を覗かせてしまった。
ドルシラの暗い目が、奇妙なハイテンションが、彼に向けられる。
「好きな人に近づくには全員攻略してフラグを立てないといけない。でもアンタを攻略したくないからチートアイテムまでゲットして消そうとしたのに、なんでっ、うまくいかない! やっとこいつを排除しても、別の男がくっつくし……。害虫の分際で、うちの好きな人に誰も近づかないでよ!」
「ちょっとドルシラ……、」
「もういい。このセーブデータはリセットする。うちと付き合ってくれないセレーヌさんなんて、もう知らない!!」
ドルシラは握った杖に隠し刃を潜ませていた。ドライバーのような鉄の棘で僕を刺そうと扉を強引に開け放って家の中に侵入した。凶行に気づいたイグニスが止めに入る。腹部に吸い込まれる刃を僕は客観的に見つめていた。
ドルシラはイグニスを刺したことで精神を高ぶらせた。彼女の刃物はイグニスのヘソの上を刺した。深々と刺さった刃物の下から血が滴る。どす黒く染まるシャツ。
「あは、はあはははっはあはっっっあはは! やった、やってやったわあ! これでセレーヌさんはうちのもの!! 待っててね、新しいセレーヌさん。今度は転生前の人生も語ろうね、うちがあなたの………」
――理解者になったげる。
頬を染めてあごのまわりに添えた手。ドルシラは、夢見心地な様子でつぶやく。
イグニスの弱っていく心音、乱れる呼吸、目も虚ろになっていく。僕は彼の腹部をみつめてからラブレターを手に取った。この際ドルシラにみつかるのも構わずUIからの通知を待つ。
もうイグニスの死ぬところなんてみたくない。
そんな心境に反していつまで経ってもタイムループは起こらない。ばかりかゲームオーバーの表示もこない。酷なことだが、まさかイグニスの息があるせいだろうか。僕は邪推してしまう。
と、ここでラブレターのUIに変化が生じていることに気づいた。
『上位者権限の存在を確認してラブレターの保有する現機能が使用不可になりました』




