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前略 不在の親友へ  作者: 碓氷みゆき


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「ん……っあ……っ。痛!?」

 床から立ち上がった。頬がじんじんする痛みに、そういえば夫に叩かれていたことを思い出した。僕は階下の冷蔵庫から氷を持ってくるか悩み、諦めた。激昂した夫とかち合っても大変だ。無精だが、魔法で出したちいさな氷塊で我慢する。

 室内は夜の気配に静まり返っていた。

 床にまで散らばったラブレターの残骸というべき紙切れはすっかり消えていた。代わりにポケットをまさぐるとやはり紙の感触がした。復活した表示もたぶん機能しているだろう。


 月明かりを頼りに部屋の記録を確認する。

 どこだ? どこにある……彼の……訃報は。目を皿のようにして情報を漁った。イリス岬は原因不明の崩落で立入禁止となっていたが、そこに関連付けられた死亡記事はない。これに安堵した僕は、早く彼を助けなければと急いだ。しかし、どこにもイグニスが死んだ、という記録がない。隅から隅まで漁るが該当するものはない。今度こそ失踪した手がかりすらないと愕然とした。

 めまいがしてふらつく体をベッドに横たえた。それでも気持ち悪さは引かない。額に手を当てる。こんなことしてる場合ではないのに、体はとうに言うことを聞かないようだ。僕はじれったい気持ちで天井を見上げた。


 ――コツン。

 窓に虫でも当たったのか、硬質な音がした。

 ――サク、サクサクッ。

 芝を踏みしめる音がいやにうるさくて、体を起こした。ベランダの窓ガラスを引いて外を見る。人影が手を上げた。

「よお。来てやったぞ!」

 声を潜めてにかっと白い歯をみせる。イタズラっぽく微笑んだ相手はどうみてもイグニスで、亡霊でもでたんじゃないかと、僕は右に左に視線をさまよわせた。それでもやはり、いる。彼は手に小石を掴んで怪訝な顔でこちらを見上げていた。

 12月30日、とうとうイグニスが一年前の呪縛から解放されて目の前に存在しているのだ。僕の目からは歓喜が涙となって流れ落ちた。求めていた現実に感動して鼻をすする。

「ん? お前その顔ッ――待て。すぐ行く!」

 僕は慌てて部屋を飛び出し折り返し階段を使って階下へ駆け下りた。広間を抜けてそっと扉の鍵を緩める。

 す、と扉にちかずく懐かしい彼の上背。

「こんばんは、セレーヌ」

 直後に玄関ポーチから顔を覗かせるイグニス。会いたかった、そう僕が続ければ、彼が上を指し示した。


#


 部屋に到着したイグニスは窓際のデスクチェアに座った。僕はベッドに座り込む。金髪が揺れて視界に入ってきた。ハーフアップにしていた髪が叩かれたせいでほどけてしまったらしい。肩に乗った髪を巻いているとイグニスが尋ねた。

「その頬はどうした?」

「……っ」

「言いにくいか。あの人の仕業、だよな?」

 イグニスは確信があるようだった。彼と僕はどこまで情報を共有しているのか知りたくて、「ノクスとのことはどこまで覚えてる?」と僕は聞いた。

「あまり馴染めてないとは前に聞いてたよな。今日はお前が気になって、相談に乗ろうかと来たんだが……こんなことになってるとはな。何があった」

 それから僕はイグニスに求められるままに答えた。タイムループを繰り返す合間に送る彼との結婚生活。うまくいかない夫婦仲はおそらく冷え切っており、その上、僕がイグニスの情報を隠れて漁っていたこと、その調査がバレて口論に。一度は引きこもった僕だったが、タイムループが終わって戻った後には夫のかけた言葉にむしゃくしゃして喧嘩にまで発展した。さらに、最終的にはラブレターの存在がバレて逆上された、と。

「叩かれたのはその時か」

 僕は迷った末うなずいた。

「僕がいけなかったんだ。彼を拒みきれず、この生活だって両親に乗せられて仕方なく……」


 政略結婚、愛のない生活。イグニスがいなかったことで元は生じた縁談。疲れ切ってしまっていた僕は一人の生活もなにもかもがどうでもよくなった。だから縁談ぐらい、という気持ちで言いくるめられたのだ。結婚を望んでいなかったとノクスに突きつけたが、あれは本心だったように思う。


「セレーヌ、お前はどうしたい?」

「え……?」


 イグニスは真剣な眼差しで僕の目を見つめている。思わぬ発言に僕は、言葉を選びながら話すイグニスの声に耳を傾けた。

「俺はお前自身の気持ちを聞いてる。お前が願うならここから連れ去ったっていい、ふたりで逃げる用意をしよう。お前が否と言うならこのまま黙って見守る。どうしたいか打ち明けてみろ」


 ――しかし、夫とは結婚している。複雑な心境だ。取り決めもあるし僕一人だけの問題ではない。あの婚約には僕以外の人たちの親心や利益が絡んでいる。それを僕一人の判断で……。


 と、悩む合間に廊下から足音が聞こえた。三度ノックの音がする。

「セレーヌ、こんな夜分に誰と話しているんだい?」

 おだやかな声音で問いかけたのは夫だった。

 僕は慌てて取り繕った。表情を引き締めて、イグニスに隠れるよう指示すると扉の方へ声をかける。

「と、……友達だよ。学園時代のやつと話し込んでいたんだ」

 とっさに出たのは嘘だけど半分真実だった。イグニスはたしかに学園時代からの親友だ。僕が匿ったのは、隠した相手がイグニスだとバレるのはまずいと思ったから。警鐘通り、ノクスは「学園……まさか」とつぶやくと扉を一度殴るような威力で叩いた。

 僕の嘘がずさんだったせいかはたまた夫の勘が鋭いせいか、僕のごまかしはすぐに看破され窮地に陥った。どうする、イグニスと視線を合わせた。

「……あの男か! 我が家に連れ込んで密会なんて……! ふたりで出てこい!!」

 鍵を閉めたままの出入り口。怒鳴り声をあげて夫はドアノブをガチャガチャとせわしなく回す。それでも開かないとみると扉を強く蹴って引き返した。

 僕が胸をなでおろしているとイグニスがそんな僕の手を取った。腰を低くしてノクスのいなくなった扉に近づくよう動く。

「まずいぞ、ベランダから回る気だ! ガラスを破られたら侵入してくるぞ!」

 僕は警戒するイグニスに合わせて外を見つめた。もう大人しく出ていける雰囲気ではなかった。

 たしかに隣の部屋から物音がして、ベランダへの窓が開いた音がする。

 そして僕らは窓ガラスごしに対面した。目を血走らせた夫は椅子を手にこちらをうかがった。恐怖で歯が鳴る。イグニスが僕と繋いだ手を強く握った。

「殺してやる……!」

 直後、窓ガラスが椅子の足によって破壊され、衝撃音が響いた。脆くも割れたガラス窓。何度も叩きつけて穴のあいたそこをくぐり抜けるノクス。飛び出たガラスに腕や脚が傷つけられることも厭わずこちらに近づいた。

「行くぞっ!」

「待て!!」

 夫の制止を振り切って、背中ごしに鍵を開けたイグニスが扉から飛び出す。僕も連れ立って彼と走った。


#


 一階へと続く階段を転がるように駆け下りる。イグニスは時折振り返って僕を急かした。もつれるような足で一段ずつ降りるのも煩わしくなって数段飛ばしでジャンプした。かろうじて飛び降りるが、そこで頭上から空を切る音が聞こえた。姿のみえなくなった夫はどうやら私室から武器を回収してきたらしい。剣を片手に僕らを追いつめる。

「セレーヌ! いまならそいつだけで許してやる。戻ってこい」

 夫が手を伸ばした。僕は固まる。刹那の硬直状態。

「……ゃ、です」

「セレーヌ?」

「いやです! 僕はもうっ……!」

 翻して玄関の方へ。僕はイグニスと共に走った。しかしイグニスだけなら余裕で切り抜けられる局面も、僕という足手纏いがいるとそうはいかない。歩幅の大きい夫に簡単に追い付かれた。

 振り返った瞬間、夫の剣が僕――、ではなく庇ったイグニスへと振り下ろされた。彼の首から肩に走る赤い線。

 剣を片手にイグニスを取り押さえようとするノクス。イグニスが突き飛ばされたところで僕はとっさに叫んでいた。

「もうやめて!? お願い、彼を傷つけないで!!」

 止めようとするがうまくいかない。息の荒い夫はついに怒りの矛先をイグニスへと向けることにしたらしい。食い止めるのに精一杯のイグニスに馬乗りになると彼の顔を殴った。それだけで飽き足らず、彼の胸に剣を――……。


 突き刺さる、その手前で盆を落としたメイドの悲鳴があがった。屋敷中から使用人が顔を覗かせて主人であるノクスの凶行を止めにかかる。僕らが全力で食い止めたおかげか、イグニスは軽い負傷だけで済んだ。


 通報された夫は騎士団預かりとなり、僕らも事情聴取を受けることとなった。


#


「旦那さんはかなり興奮しているようですね」と騎士の女性は説明した。

 騎士団の詰め所に案内されて僕らはノクスの状態を耳にした。一時的に収監された牢の中で「セレーヌを返せ」「あいつはどこにいる」「今すぐ俺を解放しろ」と激しく喚き散らしているらしい。鉄格子を揺らし、つばを吐く勢いで。


 騎士団の女性は業務らしく客観的に聞き取りを開始した。

「旦那さん、ノクスさんの性格を教えてください」

「冷静な人なんだろうと思います。ただ僕に対しては怒りっぽいというか、急に沸点が低くなるところがあるような……」

 僕は思い出して苦々しく答えた。知っていることといえば、そのくらい。あとは、僕との口論で声を荒げてイグニスを否定するところとか、そんなものだ。

「その様子ですと普段から一緒には過ごされていないようですね。これまでにDVを受けたといったことは……、もしやその頬は」

「一緒には過ごしません。といっても結婚してから数日しか経っていませんから相手のことも、その、よく知らなくて。暴力というか喧嘩がもつれてですが、殴られたのは一度だけ」

 政略結婚だったのでと、曖昧に笑って僕は自分の頬を撫でた。痺れるような痛みは取れれど殴られた衝撃は記憶に新しかった。ノクスが、あの人があんな人だったなんて……。

 僕が思い出している間に話題は移り、治療が終わって隣にいたイグニスについても聞かれた。

「おふたりの関係性は?」

「イグニスとは学生時代からの親友です」

 ずいぶんと仲がよろしいようですね、と女性は微笑んだ。僕もええと返す。


「では聴取の結果です。イグニスさんは負傷していましたが軽度なものでした。セレーヌさんが叩かれたのも一度きり。それですと夫婦間の痴情のもつれと処理されて家庭内の調査や裁判の対象にはなりえません。この件はノクスさんの態度が落ち着き次第静観、となるでしょう」

 第三者からの沙汰にズボンの上で丸めていた手をより固く握り込む。

「……なんとかなりませんか」

「なんとかとは離婚についてでしょうか」

「り、こん――」

 考えたこともなかった。僕はイグニスが失踪して以降にノクスとの縁談を承諾した。まさか結婚したうえでイグニスが戻ってくるとは思わなかった。彼を誘導し生存が確保されたのはいいが、僕には夫がいた。彼と元の生活に戻れるとは思っていなかったが夫と決別するならば……。

 僕は期待してイグニスを振り返った。

 ところがイグニスは冷静な顔をして眼の前の女性に尋ねていた。

「暴力を止めさせることはできないのか?」

「え?」、間の抜けた声がでてしまった。

「あの人の態度を軟化させて暖かい家庭ってのは無理か。それで丸く収まりそうだが……」

「ノクスさんが叫んでいた内容によりますとイグニスさんがセレーヌさんを誘惑しているのだとか。思い込み、にしては真に迫っている様子でしたね。失礼ですがおふたり肉体関係などは?」

「ない。俺とセレーヌはそんな関係ではないからな」

 イグニスは平静な様子で答えた。動揺や隠すような様子はまったくみられない。


 ――え?


 耳を疑った。

 僕は彼が好きだ。どうしようもなく恋焦がれてタイムループの中、絶望的な死の淵から彼を導いてきた。彼の心も両思いとはいかずとも、ノクスが来る直前の提案だって……。

『セレーヌ、お前はどうしたい?』

 そう優しく問うて、僕に託した二択。

 しがらみを取り払った僕の選択肢は彼一択だ。なのに、その彼の心にあるのは友としての親愛のみ。僕の複雑な心境など知らないで。

 連れ去ったっていい、あれは友人への親切心、だったのか……。もしかすると永遠の逃避行などでなく、一時的な逃げ場所のつもりだったのかもしれない。

 期待した胸は腐敗した果実のようにぐずつく。溶解した本音は身勝手にも醜い悲しみでいっぱいだった。僕がしてきたことを彼は多くは知らない。仮に知っていても、彼に問い詰める資格は僕にはない。僕らはただの親友で、……。


 歯を食いしばってなんとか泣くのはこらえたが、それでも事実は変わることがない。それから僕はうつむきがちで聴取を終えた。

 騎士団の詰め所をイグニスとともに出る。頭上は星月夜、道に従って歩くとイグニスに問いかけられた。

「今日はどうする? 家に……」

「宿屋に泊まるよ。今日はごめん。お詫びはまた今度!」

「あ、おい……セレーヌ!」

 口をつぐんで逃げるように彼のもとを去った。袖を掴んで走る。やりきれない感情を抱えたまま。


#


 12月31日。僕は予定通り重い足取りで騎士団に向かっていた。夫は事情聴取が終わり今朝方解放されて家に戻ったとのこと。騎士団での話によると夫には特殊な魔法がかかっていたという。騎士団に置かれる干渉妨害の魔道具が反応したことで明らかとなった。


「呪い……ですか?」

「ええ。禁じ手の闇魔法。習得している者は国で登録管理されている魔法ですね。特定の対象への感情を増幅させる効果、それから本人が興奮状態に入りやすくするよう促す効果が付いていました」


 ノクスの様子がおかしかったのはそのせい? でも、なんでだ。何故夫に?


 呪いというなら……そういえば。


「その呪い、まさかマルクスにも?」

「マルクス? ええとどの件でしょうか」

「イグニスを殺そうとした騎士です。そう、シルバ村の……」

「民家から火の手があがった、例の件ですか……。少々お待ちください」


 話を聞きながらいつものブレスレットをいじる癖をしたが右腕にそれはない。あの時、イリス岬で魔術師が広げてみせて以降見ていなかった。紛失……いやこの場合は略奪か。奪われたブレスレットがないのは必然として、やはり主犯は例の魔術師、か? 夫に呪いがかかっていたのは狙いが僕に移ったとか。いや、たしかにイグニスも居たが彼を狙うならもっと相手が違うはず。それこそ僕に呪いをかけたってありえなくはないと思う。そうなっていないのにはなにか理由があるのか。


「国で登録されている方々は魔術師ですよね」

「はい、そうですね。ああ、ありましたよ。マルクスさんは――……、たしかに捕縛当初呪いの反応が示されていたそうです。それで、どうかされましたか?」

「その魔術師の方々に直接会えないでしょうか。じつは僕――……」


 以前に起きた事件、マルクスの一件での不審火も持ち出して僕は語った。この件にはきっとその魔術師が関わっている、と。ノクスだけでなくマルクスにも呪いの反応があったらなおさら。ふたりの精神をおかしくさせた元凶、僕がイグニスと岬で遭難する前にやり合った魔術師。そのことを追加してもしかしたら魔術師に覚えがあるかもしれない、そう語ると騎士団の女性は慌てて上と掛け合ってくれた。


 顔はたしかに覚えていない。しかし怪しい人物を絞り込めるかもしれない。顔は見ていなくとももしかしたら体つきで。あのローブは間違いなく魔術師のものだから。


「セレーヌさんに【塔】への入場許可が下りました。王都ルーメン常在一般騎士イグニスも召喚いたしましたので、のちほど一緒にご案内します」


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