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第3話 五人と、りんごのお昼ごはん

 午後になってから、ととのひ整体所には四人のお客さんが来た。


 最初はパン屋のミレアさんだった。


「手首が、朝からずっと変なの」


 生地をこねる手を、何度も開いたり閉じたりしている。


 ひよりは椅子をすすめて、手を触る前に聞いた。


「今日は、いつもよりたくさん焼いたんですか?」


「明日がお祭りだからね。朝から三倍」


「じゃあ、手首さんも三倍働いたんですね」


 ミレアさんは、くすっと笑った。


「手首さん、ですって」


「ちょっとだけ、休ませてあげましょう」


 手を上に向けたり、下に向けたりして、いちばん楽な場所を探す。ひよりは強く押さなかった。


 吐く息に合わせて、手のひらをゆるめてもらう。


「生地をこねるときも、握りっぱなしじゃなくて。途中で一回、手を開いてみてください」


「お店が混んでたら?」


「パンのほうが、ちょっと待ってくれます」


「お客さんは?」


「……そこは、急いでください」


 ミレアさんは笑って帰った。


 二人目は、仕立て屋のおばさんだった。


 三人目は、石工見習いの青年だった。


 四人目は、寝つけないという若いお母さんだった。


 ひよりは、そのたびに聞いた。


 どこが痛いのか。


 いつからなのか。


 痛くないときは、あるのか。


 何をしていると、少しだけ楽なのか。


 みんな、最初は「そんなこと、考えたことない」と言った。


 でも、話しているうちに、少しずつ思い出していく。


「首が痛くないのは、縫い物を休んで、お茶を入れているときかもしれない」


「脚が震えないのは、石を運ぶ前に、兄貴とくだらない話をしているときです」


「子どもが眠ったあとの部屋が静かすぎて、寝られないんです」


 身体は、言葉より先に知っている。


 そのことを、ひよりは前の世界で何度も見てきた。


 だから、無理に答えを出さない。


 答えが出ないまま、少し息ができる時間をつくる。


 それだけで、帰るときの顔が少し変わることがある。


「ひより」


 四人目のお母さんを見送ったあと、水差しの中でルゥがぽこんと跳ねた。


『ひより、疲れた?』


「うん。ちょっと」


『いっぱい来たね』


「四人も来たね」


『グラムさんも来たから、五人』


「あ」


 ひよりは、店の中を見回した。


 長椅子。木箱。薄い敷布。


 それから、窓際に置いたりんごの籠。


「五人」


『五人』


「まだ、開店二日目だよ」


『看板、曲がってたのに』


「関係ないって言ったでしょ」


 ひよりは壁にもたれた。


 足が少しだるい。


 患者さんを迎えるたびに、自分の呼吸が浅くなっていたことに、今になって気づく。


「ルゥ」


『うん?』


「お水、ください」


 ルゥは水差しの中で、うれしそうにくるんと回った。


 冷たい水が、木のコップにふわりと浮かび上がる。


 ひよりはゆっくり飲んだ。


「私も、吐かないとね」


『すうまえに、はく?』


「そう」


『ひよりは、忘れるんだね』


「忘れるよ」


 ひよりは笑った。


「人には言えるのにね」


 夕方には、もらったりんごを二つ切った。


 ひとつは、ひよりが食べた。


 もうひとつは、ルゥが水の中で薄い赤色を眺めていた。


『これ、甘い?』


「甘いよ」


『ルゥは食べられない』


「うん」


『でも、甘い色は分かる』


「そうなんだ」


 ひよりは三つ目のりんごに手を伸ばしかけて、止めた。


 今日は五人も来たのだ。


 少しくらい、ごほうびがあってもいいと思う。


 その結果。


 ひよりは、夜に四つ目のりんごまで食べた。


「……食べすぎたかも」


 寝台代わりの敷布の上で、ひよりはお腹を押さえた。


 水差しの中のルゥが、ゆらゆら揺れる。


『ひより』


「うん」


『明日、りんごは一つにしようね』


「はい」


『約束?』


「約束」


 すると、入口の外で、小さな音がした。


 こつん。


 誰かが、看板の下に何かを置いた音。


 ひよりは起き上がり、戸を少し開けた。


 誰もいない。


 ただ、月明かりの下に、小さな木箱が置かれていた。


 中には、りんごが十個。


 そして、短い手紙。


『明日、園の若い者を連れて行く。

 腰はまだ痛い。だが、空は広かった。

 グラム』


 ひよりは、木箱を見た。


 ルゥも、水差しから顔だけ出して見た。


『りんご、増えたね』


「増えたね」


『一日一つだよ』


「……りんごの料理、覚えようかな」


 小さな整体所の夜は、りんごの匂いがした。


 窓の外では、明日の祭りのために、町のどこかで誰かが笑っていた。

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