第27話 朝ごはんは、四つに分ける
朝、ひよりは、パンの匂いで目を覚ました。
最初は夢だと思った。
でも、鼻をひくひくさせたルゥが、水差しの中で泡を一つ作った。
『パンだ』
「パンですね」
長椅子から起き上がる。
背中は、少しだけ固かった。
ひよりは、両腕を上に伸ばした。
「うーん……」
昨日は、子どもたちの毛布ばかり気にしていた。
自分の寝るところは、最後だった。
『ひよりも、吐く?』
「はい。吸う前に、吐く」
ふう、と細く息を吐く。
すると、背中のあたりが少しゆるんだ。
奥の部屋を見る。
ノアは、まだ眠っていた。
灰色の子も、同じ敷布の端で丸くなっている。
毛布は、夜のまま。
途中で逃げ出した様子はなかった。
ソラは、戸の見える場所で目を開けていた。
「おはようございます」
「……おはよう」
「眠れましたか?」
ソラは、すぐには答えなかった。
「二回、起きた」
「はい」
「でも、戸はあった」
「ありましたね」
「だから、また眠った」
ひよりは、うなずいた。
朝まで眠れたかどうかだけが、大事ではない。
起きても、戻れたこと。
それも、眠るためには大事なのだ。
戸を開けると。
入口の前に、布で包まれた籠が置いてあった。
上には、小さな紙がある。
『朝の焼きたて。数は、気にしないで』
ミレアの字だった。
籠の中には、丸いパンが六つ。
それから、少しだけ硬い白いチーズ。
ひよりは、パンを数えた。
「六つあります」
『四人と、ルゥで五人だよ』
「ルゥは、パンを食べられないでしょう」
『においは、食べられる』
「それなら、ルゥの分は一つですね」
ルゥは、しばらく考えた。
『ひより、それ、ずるい計算?』
「少しだけ」
鍋に水を入れる。
昨日の残りの根菜を、小さく切って入れた。
塩をひとつまみ。
火にかけると、店の中に、湯気が広がった。
その音で、ノアが起きた。
「……なに?」
「朝ごはんです」
ノアは、毛布の中から顔だけ出した。
灰色の子も、片方の耳を動かしている。
「パン、ある?」
「ありますよ」
ノアは、ゆっくり起きた。
灰色の子も、毛布の端から出てくる。
でも、二人ともすぐには鍋のそばへ来なかった。
朝の部屋には、まだ少しだけ、眠りの続きが残っている。
ひよりは、急がなかった。
「パンは、四つに分けましょう」
「四つ?」
ノアが訊いた。
「はい。ひより、ノアさん、ソラさん。それから」
灰色の子を見る。
灰色の子は、前足を床につけた。
こつ。
「あなたの分です」
灰色の子の尻尾が、ふわりと上がった。
ソラが、籠をのぞきこんだ。
「六つある。二つ余る」
「そうですね」
「余ったものは、あとから来る人の分か?」
「それもいいですね」
「わたしは、半分でいい」
ソラは言った。
ひよりは、パンに触れようとしたソラの手の近くへ、自分の手を置いた。
止めはしない。
ただ、そこに置く。
「ソラさんは、昨日も半分でした」
「わたしは、大きかったから」
「昔のソラさんは、そうだったのかもしれません」
ひよりは、パンを一つ持ち上げた。
まだ、あたたかい。
「でも、いまのソラさんは。朝ごはんを一つ、食べていい子です」
ソラの金色の目が、少し揺れた。
「一つ、食べるだけでいい?」
「一つ食べて。足りなかったら、もう半分です」
ノアが、鍋の湯気を見ながら言った。
「ぼくも、二つは、まだ食べられない」
「二つ、食べなくていいですよ」
「でも、明日、ないかもしれない」
ひよりは、鍋をゆっくり混ぜた。
ぐるり。
根菜が、小さく回る。
「明日のことは、明日、考えましょう」
「……できるの?」
「難しいです」
ひよりは、正直に言った。
「でも、今日はパンが六つあります」
ノアは、籠の中を見た。
「本当に、六つ」
「はい」
「じゃあ、今日は、四つに分ける」
「はい」
それだけ言うと。
ノアは、自分のパンを一つ取った。
すぐには食べない。
両手で包んで、あたたかさを確かめている。
灰色の子には、小さくちぎったパンを木皿に置いた。
灰色の子は、皿の近くまで来て。
まず、パンではなく、皿の縁を。
こつ。
と叩いた。
『いる、って言った』
ルゥが言う。
「そうですね」
灰色の子は、それからパンを一口かじった。
耳が、ぴんと立つ。
もう一口。
それから、急に食べるのをやめた。
木皿を、前足で少し押す。
ノアのほうへ。
「いらないよ」
ノアが言った。
灰色の子は、また皿を押した。
こつ。
ノアは困った顔をした。
「……半分こ?」
灰色の子の尻尾が、一度だけ床を打った。
ひよりは、二人を見た。
「自分の分から、あげたいんですね」
ノアは、しばらく考える。
「でも。ぼくのも、ある」
「ありますね」
ノアは、自分のパンを、さらに小さくちぎった。
灰色の子の皿に一つ置く。
「じゃあ、これも」
灰色の子は、ノアの指には触れなかった。
けれど、パンを食べたあと。
敷布の端を、こつ、と叩いた。
ノアは、少し笑った。
「うん。ここにいる」
ソラは、スープを両手で持っていた。
湯気の向こうから、みんなを見る。
「食べることも、役に立つのか」
「食べることは、生きることに役に立ちます」
「それなら、わたしも役に立っている」
「はい」
「……少し、うれしい」
ひよりは、スープを自分の椀によそった。
熱いので、すぐには飲まない。
みんなも、すぐには飲まない。
朝ごはんは、急ぐものではなかった。
窓の外を、町の人が通っていく。
遠くで、荷車の車輪が鳴った。
今日も、整体所は開く。
誰かが、肩を押さえてくるかもしれない。
腰をかばって、ゆっくり戸を開ける人もいるかもしれない。
その前に。
ひよりは、パンを一口食べた。
あたたかくて、少し甘い。
「おいしいですね」
ノアが、うなずく。
ソラも、うなずく。
灰色の子は。
木皿を、こつ、と叩いた。
朝ごはんは、四つに分けた。
けれど、あたたかさは。
四つより、少し多かった。




