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第26話 毛布の端は、三人ぶん

 店じまいのあと。


 ととのひ整体所は、急に静かになる。


 昼間は人の声と、椅子の足の音と。


 水差しの中でルゥが作る泡の音がある。


 でも戸を閉めると。


 木の壁が、ゆっくり息をしているみたいだった。


 ひよりは、入口の鍵をかけない。


 戸を少しだけ閉めて、内側の小さなつっかえ棒をかけるだけにしている。


 外から急に入る人はいない。


 けれど、出たくなった人は、すぐ出られる。


 ノアが、最初にそれを望んだからだ。


 奥の部屋には、薄い敷布が二枚。


 長椅子の下には、もう一枚。


 そして、木箱のそばに、小さな丸い籠が一つある。


 誰が、どこで眠るかは。


 毎晩、少し違った。


「今日は、寒くなりそうですね」


 ひよりは、窓を見た。


 外はもう暗い。


 風が、戸の隙間から細く入ってくる。


『毛布、いるね』


 ルゥは、水差しの上で小さく揺れた。


「そうですね」


 ひよりが奥の部屋の戸を開けると。


 そこには、毛布が三枚、きれいに積まれていた。


 午後、ミレアが持ってきてくれたものだ。


「パン屋の倉庫に、使ってないのがあったの」


 そう言っていた。


「三枚も、いいんですか?」


「三人いるでしょう」


 ミレアは、当たり前みたいに答えた。


 ひよりはそのとき、少しだけ言葉に詰まった。


 三人いる。


 そう言われると。


 この店には、いつの間にか、三人の眠る子どもがいるのだった。


「毛布が、三枚あります」


 ひよりが言うと。


 ノアが、奥の部屋の入口から顔を出した。


「ぼく、前ののでいい」


「前の毛布は、薄いですよ」


「薄いのが、いい」


「そうですか」


 ひよりは、すぐに新しい毛布を押しつけなかった。


 ソラは、少し離れたところに立っていた。


「わたしは、いらない」


「ソラさんも?」


「昔は、雪の上で眠ったことがある」


「エンシェントドラゴンのころに?」


「うん」


「いまのソラさんは、雪の上では眠りません」


 ひよりが言うと。


 ソラは、少し困った顔をした。


「なぜ?」


「風邪をひくからです」


「ドラゴンは、風邪をひかない」


「いまは、少し咳をしました」


 ソラは黙った。


 夕方、パンを食べたとき。


 たしかに一度、こほ、と咳をしていた。


「あれは、パンくずだ」


「そうかもしれません」


「でも、毛布はいる?」


「あったかいですから」


 ソラは、積まれた毛布を見た。


「あったかいのは。役に立たなくても、もらっていい?」


 ひよりは、少し笑った。


「はい。とてもいいです」


 ソラは、一番上の毛布に手を伸ばした。


 両手で抱える。


 でも、すぐに奥の部屋へは行かなかった。


 灰色の子を見た。


 灰色の子は、木箱のそばに置かれた籠を見ている。


 籠には、古い布が一枚だけ敷かれていた。


「そこ、寝ますか?」


 ひよりが訊くと。


 灰色の子は、籠へ入った。


 丸くなる。


 それから、すぐ出てきた。


 前足で籠の縁を。


 こつ。


 と叩く。


『ここにいる?』


 ルゥが言う。


「そうかもしれません」


 灰色の子は、今度は長椅子の下へ行った。


 少し潜って。


 また出てくる。


 こつ。


 木の床を叩いた。


 ノアが、奥の部屋から見ていた。


「どこ、がいいの?」


 灰色の子は答えない。


 でも、ノアの敷布の近くまで歩いていった。


 ノアは、少し身体をずらす。


「ここ、半分、空いてるよ」


 灰色の子の耳が動く。


「狭いかもしれない」


 ノアは、毛布の端を持ち上げた。


「でも、前より、あったかい」


 灰色の子は、敷布の端に前足を置いた。


 それから、ノアを見る。


 ノアは急かさなかった。


 ただ、毛布の端を持ったまま待っている。


 ソラも、抱えた毛布を持ったまま見ていた。


「毛布は、半分にできるのか」


「できます」


 ひよりが言う。


「三分の一にも」


「三人、入るのか?」


「少し、くっつけば」


 ソラは、考えた。


「くっつくのは、怖くないか?」


 ノアが、灰色の子に訊く。


 灰色の子は、しばらく動かなかった。


 そして、毛布の端を。


 こつ。


 と一度叩いた。


『ここにいる、だね』


「うん」


 ノアが言う。


「でも、ここにいるだけでいいよ」


 灰色の子は、そっと敷布に乗った。


 ノアの足元から少し離れたところで、丸くなる。


 ノアは毛布を、灰色の子の背中までゆっくりかけた。


 手は触れない。


 毛布だけが、ふわりと落ちる。


 灰色の子は逃げなかった。


 ソラは、その隣に自分の毛布を広げた。


「わたしは、ここにする」


「奥の部屋の端でいいんですか?」


「うん。戸が見える」


「戸が見えたほうが、安心ですか?」


「……うん」


 ひよりは、奥の戸を閉めなかった。


 いつものように、拳ひとつぶん開けておく。


 外の店も見える。


 入口のつっかえ棒も、見える。


 ルゥの水差しも、見える。


『みんな、見えるね』


「そうですね」


 ひよりは、水差しに布をかけた。


 朝まで水が冷えすぎないように。


 ルゥは、布の隙間から顔だけ出した。


『ひよりも、毛布いる?』


「私は、長椅子で」


『ひより、いつも座ってる』


「今日は、横になります」


 ひよりは、長椅子に薄い敷布を敷いた。


 施術台はない。


 大きな寝台もない。


 それでも、今夜は。


 寝る場所が四つあった。


 ノアの敷布。


 灰色の子の場所。


 ソラの毛布。


 ひよりの長椅子。


 しばらくして。


「ひより」


 ソラが、暗がりから呼んだ。


「はい」


「夜、見張らなくていいのか」


 ひよりは、天井を見た。


 木の梁のあいだから、細い月の光が落ちている。


「今夜は、見張らなくていいですよ」


「空は?」


「空も、今夜は休みです」


「山は?」


「山も、たぶん休んでいます」


 ソラは、少し黙った。


「みんな、休むのか」


「はい。休めるものは」


 ノアが、もう半分眠りながら言った。


「ぼくも、休む」


 灰色の子の尻尾が、毛布の下で小さく動く。


 こつ。


 今度は音にならないくらい、小さな合図だった。


 ひよりは、目を閉じた。


 毛布の端は、三人ぶん。


 長椅子は、ひとりぶん。


 そして、ととのひ整体所には。


 眠っていい夜が、ちゃんとあった。

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