第28話 赤いリボンの、待つ場所
朝ごはんのあと。
パンは、二つ残った。
ひよりは籠に戻そうとして、やめた。
ノアが、残ったパンを見ていたからだ。
「お昼に食べてもいいですか?」
「いいですよ」
「明日の分じゃなくて?」
「明日のパンは、明日考えましょう」
ノアは少し迷ってから、パンを一つ、布に包んだ。
残りの一つは、籠に入れたままにした。
使い道を決めないものが、店に一つくらいあってもいい。
そう思った。
午前の診療が始まって、しばらくしたころ。
入口の戸が、控えめに鳴った。
こつ、こつ。
「どうぞ」
入ってきたのは、赤いリボンをつけた女の子だった。
その後ろに、片方の腕を胸の前で支えた女性がいる。
「こんにちは」
女の子が言った。
「こんにちは。前にも来てくれましたね」
ひよりが答えると、女の子は赤いリボンに触れた。
「この前、落としたのを拾ってくれた子がいたの」
女の子は、店の奥を見た。
灰色の子は、長椅子の下に半分だけ隠れていた。
耳が、こちらを向いている。
「今日は、お母さんと来ました」
女性が、会釈した。
「娘が、ここなら待てると言うものですから」
「どうぞ。座れるところがありますよ」
女性は、椅子に腰を下ろす前に、腕を少し動かした。
顔がこわばる。
「肩から、腕にかけて張る感じでしょうか」
「ええ。朝から、荷物を運んでいたら、だんだん」
「急に強い痛みが出たとか、しびれたり、力が入らないことはありますか?」
「それはありません」
「分かりました。痛む動きが増えたり、気になる症状が出たら、治癒師さんにも相談してくださいね。今日は、楽な姿勢を一緒に探しましょう」
女性は、うなずいた。
「触れてもいいですか?」
「お願いします」
ひよりは、まず椅子の高さを確かめた。
腕を支える台を置き、女性自身に、いちばん楽な位置を探してもらう。
「ここなら、どうですか?」
「さっきより、肩が上がらないです」
「では、そこから動かさずに。息を吐いてみましょう」
女性は、ゆっくり息を吐いた。
ひよりの手は、肩に触れるか触れないかのところで止まっている。
力を加えなくても、呼吸に合わせて、肩の位置がわずかに下がった。
「今、少し変わりました」
「はい。無理のないところで、止めておきましょう」
施術のあいだ、赤いリボンの女の子は、椅子に座っていた。
奥の子たちを、じっと見つめない。
ノアも、ソラも、いつもどおりそこにいた。
灰色の子だけは、長椅子の下から出てこなかった。
それでも、店の中には、四人分の気配があった。
ひよりが手を離すと、女性はゆっくり腕を下ろした。
「痛みは残っています。でも、さっきより腕を置いていられます」
「よかったです。今日は、ここまでにしましょう」
女性が立つと、女の子も椅子から降りた。
「あの子に、おはようって言ってもいい?」
女の子は、ひよりに訊いた。
「言うのは大丈夫です。返事をしなくてもいい、ということも一緒に伝えてください」
女の子は、灰色の子が隠れている長椅子のほうへ向いた。
近づきすぎない場所で止まる。
「おはよう」
返事はなかった。
女の子は、そのまま待った。
長椅子の下から、灰色の前足が少しだけ出る。
床を。
こつ。
「うん。聞こえたよ」
女の子は、笑って、それ以上は何も言わなかった。
帰り際、女性がひよりに小さく頭を下げた。
「また、相談に来てもいいでしょうか」
「もちろんです。つらくなる前でも、気になることがあれば」
「はい」
二人が出ていく。
戸が閉まると、ノアが布包みを抱えたまま言った。
「あの子、また来るかな」
「来るかもしれませんね」
「来ても、いいの?」
「はい。ここは、待っていてもいい場所ですから」
灰色の子が、長椅子の下から出てきた。
女の子が座っていた椅子の脚に近づく。
前足で、床を一度叩いた。
こつ。
『椅子、覚えたのかな』
「そうかもしれません」
ひよりは、椅子を少しだけ壁際へ寄せた。
次に来たときも、座れるように。
赤いリボンの女の子のため。
それから、そこにいたい誰かのために。
椅子は、空けておくことにした。




