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第21話 入口の外は、三歩まで

異世界整体師ひより


第21話 入口の外は、三歩まで


 ソラは、入口の戸の前に立っていた。


 中から外を見るのと。


 外へ出るのは、少し違う。


 石畳は、陽の光を受けて白く見えた。


 向かいの屋根では、小鳥が鳴いている。


 荷車の車輪が、遠くでがたん、と鳴った。


 ソラの小さな手が、戸の端をつかむ。


「外に、出たいですか?」


 ひよりが訊くと。


「分からない」


 ソラは答えた。


「でも、見たい」


「じゃあ、見ましょう」


 ノアが、すぐ隣に来た。


「どこまで?」


「三歩まで」


 ひよりは言った。


「三歩で、帰りたくなったら帰っていい。四歩目は、明日でもいいです」


「三歩」


 ソラは、足元を見た。


 裸足だった昨日と違って、今日はミレアが置いていった小さな布靴を履いている。


 淡い灰色で、少し大きい。


「靴、変じゃないか」


「少し大きいです」


 ひよりは正直に言った。


「でも、紐を結び直せば歩けます」


 ノアが、ソラの靴を見た。


「ぼくの最初の靴も、大きかった」


「なぜ?」


「すぐ逃げられるように、って」


 ノアは少し考えた。


「……違うかも。誰かのおさがりだったから」


 ソラは、くすっと笑った。


 灰色の子は、二人の後ろで尻尾を揺らしている。


 ルゥは、入口脇の小さな水桶へ移っていた。


『三歩、数えるよ』


「ルゥは、数えられる?」


『一。二。いっぱい』


「三がないね」


『今日は、三まであるよ』


 ルゥは、少し得意そうだった。


 ひよりは戸を全開にはしなかった。


 いつでも戻れるくらいに開けておく。


「では、ソラさん」


 ソラは、ひよりを見る。


「一歩目から、数えましょうか」


 ソラは、そっと外へ足を出した。


 一歩。


 石畳の上に、靴底が触れる。


 少しだけ、青白い光が揺れた。


 近くを通っていた女の人が、足を止めた。


 ソラの角を見たのだと思う。


 ソラも気づいた。


 肩が上がる。


「二歩目は、まだですよ」


 ひよりが言った。


「……うん」


 二歩。


 ノアが、その横に立つ。


 三歩。


 灰色の子は、ソラの外套の端に鼻先を寄せた。


 ルゥが水桶の中で、ぽこん、と泡を作る。


『三歩』


「できた」


 ソラは、自分の足元を見た。


 声は、とても小さかった。


「はい。できました」


 ひよりが言うと。


「……それで、終わりか」


「終わってもいいし。ここで立っていてもいいですよ」


 ソラは石畳の向こうを見た。


 パン屋さんの前。


 花屋さんの軒下。


 昨日の夜には見えなかった、町のいろいろな色。


 そのとき、通りの向こうから低い声がした。


「角のある子だ」


 別の声が、すぐに重なる。


「森の光の……」


 ソラの指が、外套をぎゅっとつかんだ。


 青白い光が、指のあいだから漏れる。


 水桶の水が、ぶるりと震えた。


 ひよりは、ソラの前には立たなかった。


 前に立たれると、守られているぶん、外が見えなくなることもある。


 だから、半歩だけ横に立った。


「ソラさん」


「……帰る」


「はい」


 ひよりが答える前に。


「待て」


 ブラムの声がした。


 見張りの服を着たブラムが、道の向こうから歩いてくる。


 剣には手をかけていない。


 ただ、いつもより少し大きな声で言った。


「ここは整体所の前だ。通るなら、通れ」


 ざわめきが、少しだけ止まる。


「だが、その前に何か言う必要はない」


 ブラムは、町の人たちを見た。


「見物の場所でもない」


 さっき声を出した人は、目を伏せた。


 すぐに去る人もいた。


 それでも、空気はまだ少し固い。


 ソラは、三歩目の場所から動けなかった。


「怖いか?」


 ブラムは、ソラには近づかずに訊いた。


 ソラは、首を横に振りかけて。


 途中でやめた。


「……怖い」


「そうか」


 ブラムは、うなずいた。


「じゃあ、今日はここまでだ」


「三歩しか、できなかった」


「三歩もだ」


「町へ行くには、足りない」


「町は逃げん」


 ブラムは短く言った。


「おまえも、急がなくていい」


 ソラは、しばらく黙っていた。


 それから、ひよりを見た。


「帰って、いい?」


「もちろんです」


 ソラは、一歩ずつ店の中へ戻った。


 戸の内側へ入ると、灰色の子が先に長椅子の下へ潜り込んだ。


 ノアも、入口の木箱に腰を下ろす。


 ひよりは、戸を閉めなかった。


 風が通るくらいに、少しだけ開けておく。


 *


 昼前。


 グラムが来た。


 杖の音を二回鳴らし、いつものように中へ入る。


「りんごの枝はな」


 長椅子に座るなり、話を始めた。


「実が大きくなりすぎると、枝が耐えられん」


 ソラは、奥の部屋の戸の隙間から聞いていた。


「だから、早いうちに少しだけ、実を落とす」


「落とすの?」


「もったいないがな。全部を一度に育てようとすると、枝が折れる」


 グラムは、腰へ手を当てた。


「わしも、若いころは、全部やれると思っとった」


「できなかった?」


「枝も腰も、そう都合よくはできとらん」


 ひよりは、薄く切ったりんごを皿に載せた。


「今日は、外に三歩出ました」


 グラムは、ソラのいる戸のほうを見ないまま言った。


「ほう」


「帰ってきました」


「それでよい」


 それだけだった。


 ソラは、少し待ってから、奥の部屋を出てきた。


 皿のりんごを、一つ取る。


「実を、落とすのは。痛くないのか」


 グラムは、少し考えた。


「痛いかもしれん」


「でも?」


「残る実が、甘くなることもある」


 ソラは、りんごを一口かじった。


「……今日は、三歩だけでいいのか」


「いい」


 グラムは言った。


「次に、四歩出たくなったら出ればよい。三歩が足りん日もある」


 ひよりは、ソラの顔を見た。


「明日も、三歩でいいですからね」


「……うん」


 ソラは、りんごをもう一口食べた。


 灰色の子が、長椅子の下から出てくる。


 ノアは、入口の木箱から見ていた。


 戸の外には、町がある。


 中には、りんごがある。


 そのあいだに。


 今日は、三歩ぶんの石畳があった。

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