↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/29

第20話 おはようは、まだあります

 朝。


 竜の子は、目を開けた。


 天井があった。


 低くて、木の節が三つある。


 その一つが、少しだけりんごに似ていた。


 知らない天井だ、と思う。


 それから、昨夜のことを思い出した。


 パン。あたたかい灯り。毛布を押してきた、灰色の小さな子。


 そして。


 起きていたら、おはようと言う、と約束した子。


 竜の子は、身体を起こした。


 戸は少し開いている。


 その向こうに、ノアがいた。


 壁にもたれ、毛布を肩まで引き上げている。


 目は、閉じていた。


「……いない」


 竜の子がつぶやくと。


「いるよ」


 毛布の中から声がした。


「起きていたのか」


「いま、起きた」


 ノアは目をこすった。


 それから、竜の子を見た。


「おはよう」


 竜の子は、答えなかった。


 ノアも、もう一度は言わなかった。


 しばらくして、竜の子は敷布から足を下ろした。


 床は、少し冷たい。


「……朝だ」


「うん」


「山は?」


「見てない」


「町は?」


「まだ見てない」


 ノアは、少し考えた。


「いっしょに見る?」


 竜の子は、こくんとうなずいた。


 二人は、音を立てないように奥の部屋を出た。


 灰色の子は、毛布の端で丸くなっていた。


 昨夜、竜の子の膝まで毛布を押したまま、そこで眠ってしまったらしい。


 ノアがまた毛布にくるまろうとすると、灰色の子の尻尾がぴくりと動いた。


「ごめん。取らないよ」


 尻尾は、また静かになった。


 店の窓辺では、ひよりがうとうとしていた。


 長椅子に座ったまま、首が少しだけ傾いている。


 窓の外には、いつもの町があった。


 石畳を箒で掃く人。


 荷車を押す人。


 遠くの屋根から上がる、細い煙。


 森も、山も、昨日と同じところに見える。


 竜の子は、窓に近づいた。


「……ある」


「あるね」


「なくなっていない」


「うん」


 竜の子は、窓枠に手を置いた。


 小さな指の先に、青白い鱗が見える。


 町が無事なのか、全部は分からない。


 けれど、ここから見えるものは、確かにそこにあった。


「わたしが眠っても」


 竜の子は、小さく言った。


「朝に、なった」


「なるよ」


 ノアは答えた。


「ぼくが寝ても、なる」


 少し間があって。


「ひよりが寝ても、なる」


 そのひよりは。


「……はっ」


 目を開けた。


 どうやら、寝ていた。


「朝……ですね」


「なったよ」


「よかった」


 ひよりは伸びをしようとして、途中でやめた。


 首が、少しだけ痛い。


「長椅子で寝ると、身体がびっくりしますね」


「整体師なのに?」


 ノアが言った。


「整体師も、たまには寝違えます」


 水差しから、ぽこん、と泡が上がった。


『たまに?』


「……ルゥ」


『この前も、あったよ』


「ルゥ」


 水面から浮かんだ水色の精霊は、丸い身体を楽しそうに揺らした。


 竜の子が、くすっと笑った。


 ほんの小さな声だったけれど。


 ひよりには、ちゃんと聞こえた。


 *


 朝ごはんは、ミレアが昨日届けてくれたパンと、りんごにした。


 パンを温めて、りんごを薄く切る。


 灰色の子には、小さな皿を一つ。


 ノアは、皿を運ぶ係になった。


「そっちは、熱いから気をつけてね」


「うん」


 ノアは両手で皿を持ち、長椅子の前までそろそろと歩いた。


 竜の子も、立ち上がる。


「わたしは、何をすればいい」


「りんごを食べてみますか?」


「仕事だ」


「お仕事ですか」


「食べるだけでは、だめだ」


 ひよりは、少し考えた。


「じゃあ、ここに座って、味を教えてください」


「味?」


「おいしいか、すっぱいか。硬いか、やわらかいか。食べてみないと、私には分からないので」


 竜の子は、皿のりんごを一つ取った。


 口に入れて、ゆっくり噛む。


「……甘い」


「よかった」


「少し、かたい」


「そうですね。もっと薄く切りましょうか?」


「いや。これがいい」


 竜の子は、もう一つ取った。


 ノアが、自分の皿から一切れ持ち上げる。


「グラムさんのりんごだよ」


「グラム?」


「腰が少し邪魔する人」


「人の名前だよ」と、ひよりは笑った。


 そのとき。


 こつん、こつん。


 入口の外で、杖の音が二つした。


「本人だ」とノアが言った。


 ひよりが戸を開けると、グラムが立っていた。


「朝から、りんごの話が聞こえた」


「すごい耳ですね」


「わしのりんごの話だけな」


 グラムは店の中を見た。


 銀青色の髪と、小さな角。


 竜の子は、りんごを持ったまま動かなくなった。


 グラムも、一瞬だけ目を細めた。


「新しい子か」


「はい。昨夜、来ました」


「そうか」


 グラムは、手に持っていた小さな包みを長椅子の端に置いた。


「こいつは柔らかく煮たりんごだ。腰には効かんが、パンには合う」


「ありがとうございます」


「まだ食べとらん。礼は味を見てからにしろ」


 竜の子が、包みを見る。


 グラムは、その視線に気づいた。


「甘いぞ」


 それだけ言って、杖をついた。


「また昼に来る。今日は、りんごの木の話をする」


 帰りかけて、振り向く。


「返事はせんでよい」


 竜の子は、グラムの背中を見送った。


「……あの人も、知っているのか」


「何を?」


「返事をしなくていいこと」


 ノアは少し得意そうな顔をした。


「知ってる。ぼくが教わった人だから」


 包みを開けると、甘い匂いがした。


 煮たりんごは、少し形が崩れている。


『曲がってる看板と同じだね』


 ルゥが言った。


「どこが?」


『味です』


「それは、本当に味だね」


 ひよりが言うと、ルゥは満足そうに水差しへ戻った。


 竜の子は、パンにりんごを乗せた。


 一口食べる。


「……これも、甘い」


「うん」


「やわらかい」


「うん」


「仕事は、これで終わりか」


「もう一口、必要かもしれません」


 竜の子は、真剣な顔でもう一口食べた。


 ノアが笑う。


 灰色の子も、小さな皿のそばで尻尾を揺らした。


 *


 食べ終わるころ。


 竜の子は、窓の外をもう一度見た。


 朝は、まだ続いていた。


 人は歩き、荷車は進み、パンの匂いは少しずつ薄くなる。


「……わたし」


 竜の子が言った。


 ひよりは、皿を重ねる手を止めた。


「呼んでほしい名前が、ある」


 ノアも、灰色の子も、竜の子を見た。


「前の名は、とても長い。石に刻まれて、たくさんの人が頭を下げた」


 竜の子は、膝の上で指を組んだ。


「それも、わたしの名前だ。でも、いまは」


 窓の外に、青い空が見える。


「ソラ、と呼んでほしい」


「ソラ」


 ひよりは、そっと繰り返した。


「いい名前ですね」


「昨夜は暗くて、空が見えなかった。いまは、見えるから」


「うん」


「いつか、違う名前にしたくなったら?」


「そのときは、教えてください」


 ソラは、少し考えた。


 それからノアに向かって、口を開いた。


「おはよう」


 ノアは、ぱちぱちと瞬きをした。


「……もう言ったよ」


「遅かったか」


「ううん」


 ノアは、にっと笑った。


「おはようは、まだあるよ」


 ひよりは、空になった皿を運んだ。


 長椅子の上には、パンくずが三つ。


 灰色の子の皿の横には、小さな足跡が一つ。


 水差しの中では、ルゥがぽこん、と泡を作った。


 ととのひ整体所の朝は。


 少しだけ、にぎやかになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。