第十五章 対決
「奴の足取りが摑めた」
久我が地図を広げた。蒲生嘉一郎は、月に一度、都内の会員制クラブで密談を行う習慣があった。護衛は二人だけ。表沙汰にできない話をするための、最小限の警戒だった。
「正面から潰す気か」亮が聞く。
「潰すんじゃない。取引だ」久我はデータの入った端末を掲げた。「第七研究棟の全データ、出荷リスト、蒲生の指示書――これをばら撒かれたくなければ、施設を全部畳ませる。それが目的だ」
「殺すつもりはないんですか」
久我は一瞬、目を伏せた。
「殺したい気持ちはある。妹のことを考えりゃな。だが、それをやったら俺たちも同じ側に堕ちる。……お前が、そう教えてくれたんだろう」
決行の夜、二人はクラブの裏口で蒲生の車を待ち構えた。護衛の一人は久我が音もなく制圧し、もう一人は亮が端末で車両の電子ロックを乗っ取り、閉じ込めた。
一瞬、護衛の一人が無線に手をかけかけた。久我の動きの方が速かった。首筋への一撃で意識を刈り取り、崩れ落ちる体を音もなく地面に横たえる。九年間、こうした場面を何度も見てきたはずなのに、亮の心臓は今も跳ねた。人を制圧するという行為に、慣れることはあっても、無感動になることはない。それが、自分と高宮を分ける最後の一線のような気がした。
黒塗りの車の後部座席に、蒲生嘉一郎は座っていた。恰幅の良い体、値踏みするような細い目。銃口を向けられても、その顔に動揺はなかった。
「……何が望みだ」
「施設の閉鎖と、被害者への補償」
久我が端末の画面を見せる。データの一覧が表示された。蒲生の目が一瞬だけ泳いだが、すぐに冷静さを取り戻した。
「面白い。だが、それを公表したところで、私を追い詰められると思うか。私の後ろには、この国の中枢に近い人間が何人もいる。あんたらのような小物が動いたところで、揉み消されるだけだ」
「試してみるか」
亮が初めて口を開いた。蒲生は初めて、亮の顔をまじまじと見た。
「……お前、まさか」
「高宮征一の、実験体です」
蒲生の表情が、初めてわずかに崩れた。
「あの男の計画は、私にとっては数ある投資案件の一つに過ぎなかった。うまくいけば市場価値のある技術、失敗すれば処分するだけの話だ。それだけだ」
「それだけの話で、何人の子供が檻の中で死んでいったか、知ってますか」
亮の声は静かだった。だが、その静けさに、蒲生は初めて怯んだ気配を見せた。
「……お前が生きているのが、その証拠だろう。うまくいった例だ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない」
「感謝ですか」
亮は一歩、車に近づいた。
「あなたにとって俺たちは、成功した商品と、失敗した廃棄物でしかない。だから分からないんです。俺たちが、それでも人間だってことが」
蒲生は答えなかった。ただ、視線を逸らした。それが、彼にできる唯一の抵抗だった。
久我が端末を操作し、データの一部を蒲生のスマートフォンに強制的に送りつけた。
「これで、あんたの手元にも同じデータがある。もし俺たちに何かあれば、残りの全データは即座に警察とマスコミ、監督官庁に一斉送信される。もう手遅れだ、蒲生さん。あんたが揉み消せる規模を、とっくに超えてる」
蒲生の顔から、初めて余裕が消えた。
「……何が望みだと聞いている」
「施設の閉鎖」久我が繰り返した。「保護されている全員の医療的ケア、そして正体を隠したままでいい、被害者救済の基金の設立。今夜のうちに、あんたの側近に指示を出せ」
長い沈黙の後、蒲生は掠れた声で答えた。
「……分かった」
車が走り去るのを、亮と久我は無言で見送った。
「……終わった、んですかね」
「終わっちゃいない」久我は端末をしまいながら言った。「奴は必ず裏切ろうとする。だが、これで時間は稼げた。あとは、俺たちが証拠を安全な場所に確保しておくことだ」
夜風が二人の間を吹き抜けた。亮は夜空を見上げた。十年前、高宮の屋敷の窓から見た空とは、違って見えた。




