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影を継ぐもの(2026改定版)  作者: キロヒカ.オツマ―


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第十一章 セイレーンメディカル

久我のねぐらの壁には、いつの間にか相関図が貼られていた。


セイレーンメディカル。表向きは臨床検査と製薬原料の輸入を手がける、東証には上場していない中堅企業だ。だが久我が三年がかりで集めた資料を辿ると、その持株構造は複雑な迂回路を経て、ある人物に収斂していく。


――理事長、蒲生嘉一郎。六十八歳。


元厚生官僚。天下りで複数の医療法人を渡り歩き、最終的にセイレーンメディカルの実権を握った男だ。表向きの経歴に傷は一つもない。だが久我が集めた裏帳簿には、蒲生の名の下で処理された「協力金」の流れが、いくつもの闇に消えていた。高宮が受け取っていた匿名の研究資金も、その一本だった。


「高宮は駒だったんだよ」


久我は写真に指を突き立てた。「金と自由な"実験環境"を与えられて、勝手に暴走しただけの、都合のいい変人だ。だが蒲生にとっちゃ、そういう変人が何人もいる方が都合がいい。当たれば儲けもの、外れれば切り捨てりゃいい」


「妹さんも、その一人ですか」


亮の問いに、久我はしばらく答えなかった。やがて、写真の隅にある小さな施設の見取り図を指した。


「これが、俺が摑んだ最後の手がかりだ。第七研究棟――名目上は"検体保管施設"。地下の開発区画に紛れ込ませてある。表の登記には存在しない」


「侵入するんですか」


「するさ。だが正面からじゃ無理だ。警備は民間軍事会社に丸投げされてる。銃を持った連中が、金のためだけに命を張ってる」


亮は資料の束を手に取り、静かにページをめくった。生体データ、実験記録らしき数値の羅列、そして何枚かの写真――培養槽らしき装置に横たわる、幼い体。


胸の奥が、冷たく痺れた。


――高宮がやったことは、独りの狂気ではなかった。


「久我さん」


「なんだ」


「俺は、あそこに"俺と同じもの"がいるかもしれないと思ってます」


久我は亮の顔を見た。長い付き合いの中で、初めて見る表情だった。恐怖でも怒りでもなく、ただ静かな覚悟。


「……それでも行くのか」


「行きます」亮は資料を閉じた。「見なきゃならない。俺がここで目を逸らしたら、高宮と同じになる。都合の悪いものから、逃げ続けるだけの人間に」


久我は短く息を吐き、煙草に火をつけた。今度は本当に吸った。


「なら、準備するぞ。俺たちだけじゃ人手が足りない。使える伝手を当たる」


彼が挙げたのは、かつて情報部にいた頃の後輩――今は民間軍事会社で裏の仕事も請け負う、腕利きの技術屋だった。名を石田といい、四十がらみの小柄な男は、初めて亮と顔を合わせたとき、値踏みするように全身を眺め回した。


「久我さん、こいつ本当に素人か。目つきが違う」


「素人じゃない。だが今回の護衛と電子戦は、お前の腕を貸してもらう」


石田は肩をすくめ、それ以上は詮索しなかった。この世界では、詮索しないことこそが最大の礼儀だった。


数日かけて、久我は装備と情報を集めた。第七研究棟の警備配置、電源系統の見取り図、監視カメラの死角。すべてが、金と人脈と、九年かけて積み上げてきた執念の結晶だった。


その過程で、石田が一つの録音データを持ち込んできた。数週間前に傍受した、蒲生嘉一郎本人の電話の一部だった。


「……歩留まりが悪いなら、廃棄すればいい。損失計上はいつも通り、研究開発費で処理しろ」


淡々とした声だった。感情の起伏は一切ない。まるで在庫管理の話をしているかのような口調で、蒲生は人間の生死を語っていた。亮はその録音を、三度聞き返した。怒りのためではなく、この男の正体を、体の芯まで刻みつけておくためだった。


決行の夜、亮は鏡の前に立った。


そこに映っているのは、もう「対象」でも「被験体」でもない。真壁亮という、二十歳の男の顔だった。それでも鏡の奥に、ふと高宮の面影がよぎる瞬間がある。育てられた記憶は、簡単には消えない。


「――行くか」


背後で久我の声がした。亮は振り返らずに頷いた。


「行きましょう」

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