4吹 先へ行ったわけではありません。戻るために走っただけです
先へ行く者は、速い。
道の先を見る。
水場を見る。
橋を見る。
敵を見る。
荷車が追いつく前に、危険を見つける。
だから、走る血の民では、先へ行く者が褒められる。
最初に丘を越えた者。
最初に川へ着いた者。
最初に敵を見つけた者。
最初に帰還の火を見た者。
ラグは、そういう走りを好んだ。
先頭に立つ。
誰よりも早く着く。
振り返れば、皆がまだ後ろにいる。
その距離が、自分の速さだった。
だが、ローデン商隊では、先へ行っただけでは役に立たない。
戻らなければならない。
何があったかを伝えなければならない。
自分が通れたかではなく、馬と荷車と布と薬と水が通れるかを見なければならない。
先へ行くために走る。
戻るためにも走る。
同じ道を二度走る。
ラグには、それが少しだけ面倒だった。
*
南の塩場を出て二日目。
ローデン商隊は、森の縁へ続く古い街道から、岩山の間を抜ける谷道へ入ろうとしていた。
左には切り立った岩壁。
右には浅い流れ。
流れの向こうにも岩がある。
道幅は、荷車一台とケンタウロス一騎が並べる程度。
荷車は三台。
一台目と二台目は二頭立て。
三台目の軽い荷車は一頭立て。
荷を付けていない予備馬が一頭。
馬は全部で六頭だった。
馬方は三人。
商隊主ローデン。
弟子のサナ。
弟子のセレナ。
ケンタウロス護衛は、カヤン、ラグ、ナギリ、ディルの四騎。
荷車を引くのは馬である。
ケンタウロスは護衛として走る。
道を見る。
異変を伝える。
荷が傾けば支える。
車輪が沈めば縄を掛ける。
だが、馬の代わりに轅へ入ることはない。
*
谷へ入る前、カヤンが足を止めた。
遠くを見る。
谷の上。
岩山のさらに向こう。
ローデンには、灰色の空しか見えない。
「何だ」
ローデンが聞く。
「上の尾根だけ暗い」
カヤンが答えた。
「雨か」
「ここからは見えない」
「なら何が見える」
「岩溝に白い筋がある」
カヤンが指を差す。
谷の上流。
岩壁の切れ目。
陽を返す細い線が、一瞬だけ見えた。
すぐ岩陰へ消える。
「水か」
「たぶん」
「たぶんで止めるな。見えたものだけ言え」
「上の尾根が暗い。岩溝に白い筋が一度見えた」
「聞いた」
ナギリが浅い流れへ近づいた。
水は澄んでいる。
底の石も見える。
流れは弱い。
道の表面も乾いている。
今は通れる。
今は。
「上で降っていれば、後から水が来ます」
ナギリが言った。
「どれくらい後だ」
「分かりません」
「どれだけ増える」
「分かりません」
「分かることは」
「谷の中では、戻す場所が少ないです」
ローデンは谷道を見る。
曲がり角が多い。
先頭から最後尾までは見えない。
声も岩へ当たり、どこから来たか分からなくなる。
「ラグ」
「何だ」
「先を見ろ」
「どこまでだ」
「荷車を止められる広みを三つ見つけろ」
「通れるかを見るんじゃないのか」
「通れなくなった時、どこへ戻すかも見ろ」
「戻る前から戻る場所を探すのか」
「荷車は、お前のようにその場で向きを変えられん」
ラグは鼻を鳴らした。
「三つ見つければいいんだな」
「見つけて戻れ」
「通れたら先で待つ」
「戻れ」
「分かっている」
「なら行け」
ラグは谷へ走った。
*
谷道は、見た目ほど悪くなかった。
石は多い。
だが、大きく崩れた場所はない。
浅い流れも澄んでいる。
荷車の車輪が水へ入る場所もない。
ラグは、広みを探した。
一つ目。
岩壁の切れ目。
右側に平らな石地がある。
荷車一台なら止められる。
二つ目。
古い倒木の手前。
左側に乾いた棚がある。
少し狭いが、軽い荷車なら入れられる。
三つ目。
谷が開く場所。
馬六頭と荷車三台をすべて入れるには足りない。
だが、一台ずつなら間を空けて置ける。
さらに先へ進む。
道は残っている。
濁りもない。
崩れもない。
ラグなら走れる。
ケンタウロス四騎も通れる。
馬も通れるだろう。
荷車も、今なら通れる。
ラグは、そこで止まった。
以前なら、もう一つ先の曲がりまで走った。
自分がどこまで行けるか、確かめた。
だが、今日は広みを三つ見つけた。
ローデンは戻れと言った。
ラグは振り返った。
誰もいない。
自分だけが先にいる。
その距離は、確かに速さだった。
だが、商隊にはまだ何も伝わっていない。
ラグは戻った。
*
「道は通れる」
ラグは言った。
「何が通れる」
ローデンが聞く。
「俺が」
「聞いていない」
「ケンタウロス四騎。馬六頭。荷車三台」
「戻す場所は」
「三つ」
「順に言え」
「一つ目。岩壁の切れ目。右に平らな石地。荷車一台」
「二つ目」
「古い倒木の手前。左に乾いた棚。軽い荷車一台」
「三つ目」
「谷が開く。三台とも入るが、間は狭い」
「水は」
セレナが聞く。
「澄んでいる」
「流れは」
「弱い」
「蹄は」
ナギリが聞く。
「右側に濡れた石が多い。馬は左へ寄せた方がいい」
「泥は」
「ない」
「布を下ろせる場所は」
サナが聞く。
「一つ目と三つ目。二つ目は狭い」
「地面は」
「一つ目は平らな石。三つ目は乾いた土と小石」
「風は」
「谷の奥から来る」
ラグは答え終えた。
以前なら、問題ないの一言で終わっていた。
ローデンは谷を見る。
カヤンを見る。
「上は」
「尾根の暗さは変わらない」
「白い筋は」
「今は見えない」
ナギリが水を見る。
「今は通れます」
ローデンが決めた。
「入る」
*
谷道では、列が長くなった。
先頭にカヤン。
少し後ろにラグ。
その後ろにローデンと一台目の荷車。
サナは一台目と二台目の間。
二台目の横にセレナ。
三台目の横にナギリとディル。
馬方が、それぞれの荷車を進める。
曲がり角へ入れば、前後は見えなくなる。
声を上げても、岩へ当たって返る。
先頭の声が最後尾まで届くとは限らない。
最後尾の声が先頭へ届くとも限らない。
だから、ラグは先頭だけを走らなかった。
カヤンのところへ行く。
戻る。
一台目の位置を見る。
また前へ行く。
広みを確かめる。
戻る。
「一つ目、空いている」
ローデンへ伝える。
また走る。
今までの走りより遅い。
同じ道を何度も往復するからである。
だが、商隊は少しずつ谷の中へ入った。
*
一刻ほど進んだ。
カヤンは三つ目の広みより先にいた。
ラグは、カヤンと一台目の間を走っていた。
ローデンと一台目は、二つ目の広みを越えたところ。
二台目は曲がり角の中。
三台目は、まだ二つ目の広みへ入る手前だった。
商隊は、細い道へ長く伸びている。
その時、ナギリは三台目を引く馬の右後ろを見た。
細かな砂がついている。
黒い泥ではない。
白い石粉でもない。
薄い灰色。
濡れている。
「止めて」
ナギリが言った。
馬方が手綱を引く。
「蹄か」
「右後ろを見ます」
ナギリが触れる。
冷たい。
熱はない。
傷もない。
だが、細かな砂が蹄の縁へ張りついている。
先ほどまではなかった。
ナギリは道の脇を流れる水を見る。
表面は澄んでいる。
だが、底の小石の間を、細い濁りが流れている。
上流から来た砂だった。
「水が変わっています」
ナギリが言う。
「増えているのか」
ディルが聞く。
「まだ、分かりません」
「なら進むか」
「先へ伝えます」
ナギリは前を見る。
曲がり角。
荷車。
岩壁。
ローデンは見えない。
声も届かない。
「ラグを呼べますか」
「叫んでも岩へ返る」
ディルが答える。
ナギリは三台目を止めたままにした。
「ここで待って」
「道の中だぞ」
馬方が言う。
「少し後ろへ戻します」
「荷車をか」
「二つ目の広みまで」
馬方が後ろを見る。
一頭立ての馬。
狭い道。
緩い下り。
「そのままでは重い」
ディルが荷台へ手を当てる。
「止め木を外す。ゆっくり下げる」
「引くのか」
「引かない」
ディルは答えた。
「高い側を支える」
予備馬は、三台目の後ろにいた。
馬方が予備馬を二つ目の広みへ戻す。
長縄を、三台目の後軸へ回す。
予備馬を広み側へ歩かせ、荷車が急に下がらないよう重みを受けさせる。
一頭立ての馬は轅の中で、馬方の声に合わせて一歩ずつ後退する。
ディルは荷台の高い側へ手を添える。
傾けば支える。
止め木を一つずつ後ろへ移す。
ケンタウロスが荷車を引いているのではない。
二頭の馬と馬方が、荷車を戻している。
ディルは倒れないよう支えている。
ナギリは車輪と馬の蹄を見ている。
まだ水は来ていない。
だが、三台目は狭い道から広みへ戻った。
*
その頃、先頭のカヤンも異変を見ていた。
浅い流れの表面に、小さな枝が増えている。
一本。
二本。
三本。
上流から流れてくる。
白かった石の一つが、水の下へ消えた。
水の線が、先ほどより指二本分ほど高い。
「ラグ」
カヤンが呼んだ。
ラグが振り向く。
「水が増える」
「見たのか」
「白い石が消えた。枝も来ている」
ラグは流れを見る。
音も変わっている。
水が石へ当たる音が、一段低くなった。
量が増えている。
ラグはローデンのところへ戻った。
「水が増える」
「見たことを言え」
「枝が来ている。白い石が一つ沈んだ。音も低くなった」
「最後尾は」
「見えない」
「三台目の位置は」
「二つ目の広みの手前だった」
「今も進んでいるか」
「分からない」
ラグは上流を見る。
先へ行けば、水がどこから来るか分かるかもしれない。
雨の場所も見つけられるかもしれない。
だが、三台目は後ろにいる。
水の変化を知らないかもしれない。
以前のラグなら、上流へ走った。
原因を最初に見つけた者になろうとした。
今、必要なのは原因だけではない。
後ろを止める者である。
「最後尾へ行く」
ラグが言った。
「先ではなく?」
「後ろは、水が来ることを知らない」
「何を伝える」
「止まれ」
「それだけでは道を塞ぐ」
ローデンは谷の中へ並ぶ三台の位置を思い浮かべた。
「一台目は、次の広みまで進める」
「分かった」
「二台目は、曲がり角へ入れるな。今いる場所で止めろ」
「分かった」
「三台目は、二つ目の広みへ戻せ」
「もう入っていたら」
「そこで止めろ」
「荷車の間は」
「一台分以上空けろ」
「水が道へ来たら」
「馬を高い側へ向ける。荷は下ろすな」
「ナギリは」
「三台目にいる」
「ディルも」
「いる」
「サナは」
「一台目の後ろだ」
「セレナは」
「二台目」
「俺は」
ローデンがラグを見る。
「走れ」
ラグは走った。
*
一台目の馬方へ伝える。
「次の広みまで進め! そこで止まれ!」
「ローデンの指示か!」
「そうだ!」
戻る。
サナへ伝える。
「一台目を広みへ入れる! 荷紐を見ろ!」
「どちらの荷紐ですか!」
「全部だ!」
「それでは分かりません!」
「傾いている方だ!」
「最初からそう言ってください!」
ラグは返事をしなかった。
もう走っている。
二台目。
「曲がりへ入るな! そこで止めろ!」
馬方が手綱を引く。
セレナが水袋を押さえる。
「水が来ますか」
「増えている」
「どれくらい」
「まだ浅い」
「上流は」
「これから見る」
「先に後ろへ?」
「そうだ」
ラグはまた走る。
曲がり角。
岩壁。
浅い流れ。
声の届かない道。
三台目が見えた。
すでに二つ目の広みへ戻っている。
予備馬が後方の縄を張っている。
一頭立ての馬は広みの中央で止まっている。
ディルが荷車の高い側を支えている。
ナギリが車輪を見ている。
「止まれ!」
ラグが叫んだ。
「止まっています」
ナギリが答えた。
「なぜ分かった」
「馬の蹄に濡れた砂がつきました」
「水は」
「増え始めています」
「ローデンからだ。ここで待て。馬を高い側へ。荷は下ろすな」
「聞きました」
その時、三台目の荷紐が鳴った。
左側だけ強く張っている。
荷車を後退させた時、上部の荷が少し寄った。
「左が重い」
ラグが言った。
ナギリが荷台を見る。
「左へ傾いています」
ディルが両手を当てる。
「今は持つ」
「乾草を右へ」
ラグが言った。
「油壺は」
「動かすな」
「布は」
「下ろすな」
「なぜ分かるの」
「前にサナが言った!」
「サナはここにいません」
「だから俺が伝える!」
ディルが上の乾草束を右へ移す。
重い布包みには触れない。
油壺も動かさない。
荷紐を締め直す。
傾きが少し戻った。
「ここで待て」
ラグが言う。
「先へ戻るの」
ナギリが聞く。
「水量を見る」
「最後尾は止まりました」
「だから、今度は先だ」
ラグは再び走った。
*
水が来た。
谷を埋める濁流ではない。
人を流す大水でもない。
足首にも届かない。
だが、細かな泥と枝を含んでいる。
浅い流れが道へ広がる。
低い側の轍へ入る。
乾いた土を濡らす。
車輪の下へ回る。
一台目は、次の広みへ入った。
二台目は曲がり角の手前で止まっている。
三台目は、二つ目の広みへ戻っている。
三台が同じ狭い道で詰まることはなかった。
ローデンは一台目の車輪を見る。
水は来ている。
だが、平らな石地なので沈まない。
サナは布荷の下を確かめる。
濡れていない。
セレナは二台目の白い水袋を見る。
跳ねた泥が口紐へついている。
白い印を外す。
黒い印へ替える。
薬へ使えるか、後で確かめる水である。
ナギリは三台目を引く馬の蹄を見る。
灰色の砂が増えている。
だが、熱も傷もない。
ディルは荷車の高い側を支え、止め木が水で流れないよう石を重ねた。
カヤンは上流を見ている。
「水の線は、もう上がっていない」
ローデンへ伝える。
「枝は」
「減っている」
「まだ進ませるな」
「聞いた」
*
ラグが戻った。
息は上がっている。
だが、止まらない。
「最後尾、二つ目の広み」
「荷車は」
「三台目まで止まった」
「馬は」
「六頭いる」
「サナは」
「一台目の後ろ。荷紐を見ている」
「セレナは」
「二台目。白い水袋一つを黒へ変更」
「ナギリは」
「三台目の馬と車輪」
「ディルは」
「三台目の高い側を支えている」
「水量は」
ラグは流れを見る。
「今は増えていない」
「先を見ろ」
ラグは一瞬だけ黙った。
「今度は先か」
「後ろは止まった」
「どこまで」
「次の広みの先」
「何を見る」
「水量。崩れ。流木。車輪の通る線。戻れる場所」
「戻れ」
「戻る」
ラグは上流へ走った。
*
谷の奥では、道の一部へ水が流れ込んでいた。
岩壁の切れ目。
普段は乾いている細い溝から、水が出ている。
上流のどこかで雨が降った。
谷全体を埋めるほどではない。
だが、道を濡らし、細かな砂と泥を運ぶには十分である。
ラグは先へ進む。
倒木。
枝。
石。
道そのものは残っている。
次の広みも残っている。
ただし、そこへ入るまでに低い場所が二か所ある。
一か所目は右側の轍が深い。
二か所目は左から水が入っている。
今すぐ荷車を通せば、車輪が泥を押し広げる。
少し待てば、水は引くかもしれない。
ラグは、さらに先へは行かなかった。
必要なものは見た。
戻る。
*
「道は残っている」
ラグは言った。
「水は」
「増えていない」
「低い場所は」
「二つ。最初は右が深い。次は左から水が入っている」
「荷車は」
「今は通さない」
「待てば」
「半刻から一刻。上の雨次第」
「雨は見えたか」
「見えない」
「水の音は」
「同じか、少し軽い」
「結論は」
「待つ」
ローデンは短く言った。
「待つ」
それで決まった。
*
半刻後。
枝の数が減った。
白い石が、再び水面へ少し出た。
カヤンが言う。
「水が下がっている」
ナギリが、広みの縁を踏む。
地面は濡れている。
だが、沈まない。
「一台ずつなら通せます」
「最初は」
ローデンが聞く。
「一台目。右の轍を避けます」
「ラグ」
「先へ行く」
「一台目の後を見て戻れ」
「先行ではないな」
「走り継ぎだ」
「何だ、それは」
「先と後ろをつなぐ者だ」
「今作っただろう」
「役名より先に働け」
ラグは胸を張った。
「働く」
「なら走れ」
*
一台目が動く。
牽引馬二頭。
馬方が左へ寄せる。
ラグが前を走る。
低い場所へ入る。
車輪が泥を踏む。
沈まない。
右側の轍だけが少し深くなる。
一台目が次の広みへ入る。
ラグは戻る。
「一台目、通過。右が深くなった。二台目は左を使え」
ローデンが二台目へ伝える。
ラグは再び先へ走る。
二台目。
二頭立て。
セレナが黒い印の水袋を固定する。
左側へ寄せる。
石。
泥。
通過。
ラグが戻る。
「二台目、通過。左も少し崩れた。三台目は中央をゆっくり」
三台目が動く。
一頭立て。
荷を付けていない予備馬は後ろからついてくる。
ナギリが馬の蹄を見る。
サナが三台目まで戻り、左側の荷紐を見る。
セレナが黒い水袋を押さえる。
ディルは荷車の低い側へつく。
引かない。
荷台が傾いた時に支える。
車輪が深い轍へ落ちそうなら、梃子を入れられる位置を取る。
ラグは前と後ろを走る。
「中央!」
「少し左!」
「戻った!」
「そのまま!」
馬方が手綱を調整する。
車輪が泥を越える。
荷台が一度だけ右へ傾いた。
ディルが押さえる。
サナが荷紐を見る。
「持ちます!」
三台目も通過した。
予備馬が続く。
ナギリが最後に濡れた地面を踏む。
蹄は沈まない。
四騎全員が、次の広みへ入った。
誰も倒れていない。
荷車も沈んでいない。
布も濡れていない。
薬水は一袋だけ黒へ変わった。
馬の蹄には、灰色の砂が少し入った。
それだけだった。
*
その夜、ローデンは帳へ書いた。
――谷道。
――上流水増加。
――荷車三台、分離停止。
――一台目、前方石地。
――二台目、曲がり手前。
――三台目、第二広みへ後退。
――連なり詰まりなし。
――布荷直置きなし。
――薬水一袋、白より黒へ変更。
――馬六頭、蹄傷なし。
――護衛四騎、蹄傷なし。
――水引き後、一台ずつ通行。
その下へ、名前を書く。
遠見。
カヤン。
水面の上昇、枝、白石の消失を確認。
足元。
ナギリ。
三台目の馬蹄に濡れた灰砂を確認。
荷車補助。
ディル。
三台目の後退および傾き支え。
走り継ぎ。
ラグ。
先頭、商隊主、各荷車、最後尾を往復。
停止位置と通行順を伝達。
ラグが帳を覗く。
「走り継ぎ」
「そう書いた」
ローデンが答えた。
「俺の役か」
「今日の働きだ」
「明日は」
「必要なら走れ」
「必要でなければ」
「護衛をしろ」
「役ではないのか」
「役名を守るために走るな」
ラグは少し不満そうな顔をした。
「では、何のために走る」
「伝えるためだ」
「速さは」
「戻れなければ値がない」
ラグは黙った。
以前なら、速さに値をつけるなと怒ったかもしれない。
だが、今日、最後尾はラグの声で止まった。
一台目はラグの声で広みへ入った。
二台目は曲がり角の前で止まった。
三台目は狭い道から戻った。
水が引いた後も、一台ずつ通った。
速さがなければ、間に合わなかった。
戻らなければ、何も伝わらなかった。
「次も戻る」
ラグが言った。
「先を見てからな」
ローデンは帳を閉じた。
*
後に、誰かがこの日のことを大げさに語った。
濁流より速く谷を駆けた戦士。
三台の荷車を一声で止めた族長の甥。
水の来る道を読み、商隊全てを救った若き英雄。
先頭から最後尾までを、一騎で支配した走り継ぎ。
ラグは、その話を聞くたびに胸を張りかけた。
だが、その横で、カヤンが遠くを見る。
ナギリが蹄を見る。
ディルが車輪止めを確かめる。
サナが荷紐を見る。
セレナが水の印を見る。
ローデンが帳を開く。
だから、ラグは少しだけ言い直す。
違う。
先へ行ったわけではない。
先には行った。
だが、それだけではない。
戻るために走った。
見たものを伝えるために戻った。
最後尾を止めるために戻った。
皆が通れる道へ変わったかを確かめるため、もう一度戻った。
そう言って、ラグは次の丘を見る。
そして、誰かに言われる前に、自分の蹄を一度見た。




