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走る血のケンタウロス 十五文化圏周縁抄  作者: 黒瀬 量衡


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5/5

5吹 逃げ戻ったわけではありません。最後尾を止めに来ただけです

 逃げる者は、後ろを見る。


 追ってくるものを見る。


 仲間がついてきているかを見る。


 逃げ道が残っているかを見る。


 だから、走る血の民は、後ろを見ながら走る者をあまり好まない。


 突撃する者は前を見る。


 先頭は振り返らない。


 後ろがついてくることを信じる。


 それが、走る血の誇りである。


 ラグも、そう思っていた。


 先へ出る。


 先に着く。


 危険を見つける。


 戻って伝える。


 そこまでは覚えた。


 だが、ローデン商隊では、それだけでも足りなかった。


 先頭へ戻る。


 中ほどへ走る。


 最後尾まで行く。


 また先頭へ戻る。


 前にも走る。


 後ろにも走る。


 遠くから見れば、逃げ回っているようにも見える。


 それでも、列はつながる。


     *


 谷道を抜けた翌日。


 ローデン商隊は、森の縁へ入った。


 道の両側には、背の高い木が立っている。


 草原のように遠くまでは見えない。


 道は、根と石を避けながら曲がる。


 曲がりの先に何があるかは、近づくまで分からない。


 荷車は三台。


 一台目と二台目は二頭立て。


 三台目の軽い荷車は一頭立て。


 予備馬が一頭。


 馬は全部で六頭。


 馬方は三人。


 商隊主はローデン。


 弟子はサナとセレナ。


 ケンタウロス護衛は、カヤン、ラグ、ナギリ、ディルの四騎。


 カヤンは前方の外側。


 ラグは先頭と中ほどを往復する。


 ナギリは馬とケンタウロスの蹄、轍、泥、水を見る。


 ディルは重い荷車の横につく。


 それぞれの役は、まだ正式なものではない。


 移動幕営の役職でもない。


 王国の認可もない。


 ローデンの帳に、働いたことが書かれているだけである。


 それでも、翌日には同じ働きを求められた。


 役とは、先に名があるものばかりではない。


     *


 道は、ゆるく下っていた。


 木々の間から、水音がする。


 川ではない。


 雨の時だけ水が走る、浅い谷筋である。


 その上へ、古い木橋が架けられていた。


 荷車一台が通れる幅。


 両端は石積み。


 橋板は太い。


 王国の道役が手を入れたものではない。


 森を往来する商人や木こりが、傷んだ板をその都度替えてきた橋だった。


 カヤンが歩みを止めた。


「橋の右下が白い」


 ローデンが前を見る。


 木橋はまだ遠い。


 木々が重なり、橋板の一部しか見えない。


「どこだ」


「下流側。石積みの上」


「何が白い」


「木の腹が見えている」


「割れたのか」


「そこまでは見えない」


「他には」


「橋の手前で、古い車輪跡が左へ外れている」


「何台」


「一台。戻った跡もある」


 ラグが前へ出た。


「見てくる」


「橋へ乗るな」


 ナギリが言った。


「まだ遠い」


「だから乗らないで」


 ローデンがラグを見る。


「橋板と、その下を見ろ。渡るな。戻れ」


「分かっている」


「何を見る」


「橋板。下の横木。石積み。戻った車輪跡」


「行け」


 ラグは走った。


     *


 橋の手前までは、乾いていた。


 橋板にも、大きな穴はない。


 上から見れば、通れそうに見える。


 ラグは橋へ乗らなかった。


 道の脇へ回る。


 下流側の土手を下りる。


 そこで、カヤンが見た白いものの正体が分かった。


 橋板を支える太い横木。


 その端が、石積みから外れている。


 雨水が石の下の土を削った。


 石積みは残っている。


 橋板も残っている。


 だが、その下にある支えだけが、半分浮いている。


 人一人なら渡れるかもしれない。


 ケンタウロス一騎なら、速く抜けられるかもしれない。


 馬一頭でも、足を選べば渡れるかもしれない。


 だが、荷車の車輪が中央へ乗れば、重さが同じ場所へかかる。


 横木が落ちる。


 橋板が傾く。


 馬が前へ行き、荷車が下へ落ちる。


 ラグは、橋の向こうを見る。


 道は続いている。


 森の縁を抜ける道である。


 近い。


 通れれば早い。


 橋の手前に、古い轍がある。


 橋へ向かい。


 途中で止まり。


 左へ曲がっている。


 戻った荷車も、橋を見て引き返したらしい。


 ラグは橋を渡らなかった。


 戻った。


     *


 商隊は、すでに下り道へ入り始めていた。


 一台目は曲がり角の手前。


 二台目はその後ろ。


 三台目は、まだ上の平らな道にいる。


 ローデンは一台目の前にいた。


 カヤンもそこにいる。


「橋は通せない!」


 ラグが言った。


「理由」


 ローデンが聞く。


「下流側の横木が、石積みから外れている。橋板は残っている。荷車が乗れば落ちる」


「どこまで進める」


「一台目は曲がりの手前まで」


「二台目は」


「今の場所で止める」


「三台目は」


「上の平らな場所から動かさない」


 ローデンは列を見る。


 一台目と二台目は、まだ互いの姿が見える。


 三台目は曲がりの向こうにいる。


 声は届かない。


「最後尾へ行け」


 ローデンが言った。


「今戻った」


「三台目は橋を知らん」


「分かった」


「止め木を入れろ。馬は下りへ向けたまま動かすな。荷を下ろすな」


「聞いた」


「二台目にも伝えろ」


「一台目は」


「俺が止める」


 ラグは再び走った。


     *


 二台目の馬方へ伝える。


「動かすな! 橋が落ちる!」


 馬方が手綱を引く。


「ここでか」


「そこで止めろ。止め木を入れろ。荷は下ろすな」


 セレナが水袋を押さえる。


「橋は渡れないのですか」


「下の横木が外れている」


「水は」


「浅い」


「橋の下へ流れていますか」


「流れている」


「濁りは」


「少しある」


「分かりました」


 ラグはもう走っている。


 曲がりを上る。


 三台目が動き始めていた。


 一頭立ての馬が、下りへ脚を踏み出している。


「止まれ!」


 ラグが叫んだ。


 馬方が振り向く。


「何だ!」


「橋が落ちる! そこで止めろ!」


 馬方が手綱を引く。


 馬が止まる。


 だが、荷車は下りへ重みをかけている。


 車輪が半回りした。


 ディルが荷車の低い側へ回る。


「止め木!」


 ナギリが言う。


 馬方が止め木を取る。


 だが、車輪の後ろへ入れる前に、荷車がもう少し動く。


 ディルが荷台へ両手を当てた。


 引かない。


 押し戻さない。


 傾きを支え、急に下へ走らないよう時間を作る。


 ラグが止め木を受け取る。


 車輪の後ろへ入れる。


 反対側にも入れる。


 荷車が止まった。


 馬が荒く息をする。


「逃げてきたのか」


 馬方が言った。


 ラグは息を整えながら答えた。


「違う」


「では何だ」


「最後尾を止めに来た」


 ナギリが車輪を見る。


「止まっています」


「見れば分かる」


「止め木が浅いです」


 ラグが見る。


 右側の止め木は、根の上へ乗っている。


 車輪の重みを受けきれない。


「ディル」


「持つ」


 ディルが再び荷台を支える。


 馬方が手綱を張る。


 ラグが止め木を外し、根のない場所へ入れ直す。


 今度は深く入った。


「これで動かない」


 ナギリが言った。


「最初からそこを言え」


 ラグが答えた。


「止める前には見えませんでした」


「なら仕方ない」


     *


 ラグは、また先頭へ戻った。


 最後尾は止まった。


 それだけでは仕事は終わらない。


 先頭は、最後尾が止まったことを知らない。


 二台目も、三台目の止め木が入ったことを知らない。


 列の一部だけが止まれば、別の場所が動き出す。


「三台目、上の平場で停止」


 ラグはローデンへ伝えた。


「馬は」


「一頭。異常なし」


「車輪」


「止め木二つ。右を入れ直した」


「荷は」


「下ろしていない」


「ナギリとディルは」


「三台目」


「二台目」


「その場で停止。止め木あり。セレナが水袋を見ている」


「聞いた」


 ローデンは橋を見る。


「迂回路を探す」


 カヤンが言った。


「上流に、木が途切れている場所があります」


「どこだ」


「橋から北。水が細く光っている」


「道は」


「古い轍の続きが、そちらへ向いています」


 ラグが言う。


「橋の手前で左へ曲がっていた跡だ」


「渡り場か」


 ローデンが聞く。


「遠くからでは分からない」


 カヤンが答えた。


「ラグ」


「見てくる」


「カヤンも行け。お前は道筋を見ろ。ラグは足元と戻り道を覚えろ」


「ナギリは」


「後から呼ぶ」


「分かった」


 二騎は上流へ向かった。


     *


 古い轍は、橋の手前で森へ入っていた。


 草が伸びている。


 近頃は多く使われていない。


 だが、完全には消えていない。


 木の間を抜ける。


 浅い下り。


 その先で谷筋が広がっていた。


 水は膝にも届かない。


 底には丸い石が多い。


 上流側には、細かな砂がたまっている。


 下流側には、少し深い場所がある。


 対岸には、古い車輪跡。


 渡り場である。


 カヤンが上流を見る。


「水は増えていない」


「枝は」


「少ない」


「人影」


「ない」


「馬は」


「見えない」


 ラグは渡り場の手前まで進む。


 水へは入らない。


 自分が渡れたかどうかではなく、荷車が渡れるかを確かめる必要がある。


「ナギリを呼ぶ」


「先にローデンへ知らせますか」


「先にナギリだ」


「なぜ」


「足元を見ないと、通せるとは言えない」


 ラグは戻った。


     *


「渡り場がある」


 ラグが言った。


「通れるか」


 ローデンが聞く。


「まだ決めない」


「お前がそれを言うのか」


「ナギリに見せる」


 ローデンは少しだけ眉を動かした。


「呼べ」


 ラグは最後尾へ走る。


 ナギリへ伝える。


「上流に渡り場がある。見ろ」


「馬と荷車は」


「まだ分からない」


「水の深さ」


「浅い」


「底は」


「丸石と砂」


「流れは」


「弱い」


「行きます」


 ディルが荷台を支えたまま言う。


「ここは俺が見る」


「止め木を外さないで」


「外さない」


 ナギリとラグは渡り場へ向かった。


     *


 ナギリは、水へ入る前に岸を見る。


 古い轍。


 馬の蹄跡。


 鹿の跡。


 人の足跡。


 新しいものは少ない。


 だが、対岸まで線が続いている。


 流れへ入る。


 最初の一歩。


 石は動かない。


 二歩目。


 細かな砂が少し上がる。


 三歩目。


 水は浅い。


 流れも強くない。


 中央へ近づく。


 左側の石は丸い。


 右側は砂が深い。


 馬なら左。


 車輪は、左へ寄りすぎると大きな石へ乗る。


 少し中央。


 ナギリは足元を確かめながら対岸へ渡る。


 戻る。


 今度は、車輪が通る線を見る。


「通れます」


 ナギリが言った。


「条件は」


 ローデンが聞く。


「一台ずつ」


「他には」


「三台目から」


「なぜ軽い荷車からだ」


「渡った後の登りが狭いです。先に軽い荷車を上げて、待ち場を作ります」


「二頭立てにするか」


「一頭でも渡れます。ただ、上りで止まりたくありません」


 ローデンが馬を見る。


 三台目は一頭立て。


 予備馬が一頭いる。


「予備馬を足す」


 馬方が言った。


「二頭で三台目を先に渡す。向こうで予備馬だけ戻します」


「決まりだ」


 ローデンが言った。


「一台目と二台目は止めたまま。三台目だけ回す」


「最後尾から先ですか」


 ラグが聞く。


「橋へ近い一台目を動かせば、道が詰まる」


「最後尾を先頭にするのか」


「迂回路ではな」


 ラグは少し笑った。


「悪くない」


「笑う前に伝えろ」


     *


 ラグは列を走った。


 先頭へ。


 中ほどへ。


 最後尾へ。


 同じ言葉を、同じ順で伝える。


「三台目から動かす」


「予備馬を足す」


「荷は下ろさない」


「一台目と二台目は止めたまま」


「渡り場へ入るのは一台ずつ」


「対岸へ上がるまで次は動かさない」


 以前なら、止まれの一言だけだった。


 今は違う。


 何を止めるか。


 何を動かすか。


 どの馬を使うか。


 誰が先か。


 誰が待つか。


 伝えなければ、同じ命令にはならない。


     *


 三台目の一頭立てへ、予備馬を加えた。


 二頭を並べる。


 荷車は軽い。


 だが、渡り場の向こうに短い上りがある。


 途中で止まれば、車輪が水へ戻る。


 サナが荷紐を見る。


「左の乾草を締め直します」


 セレナが水袋を見る。


「白い袋は上へ移します」


 ナギリは二頭の蹄を見る。


「左の馬は、右前へ小石が入っています」


 馬方が蹄を上げさせる。


 ナギリが小石を外す。


「傷は」


 ローデンが聞く。


「ありません」


「なら出せ」


 カヤンは上流を見る。


 枝。


 水の色。


 木の揺れ。


 変化はない。


 ラグは対岸へ走る。


 ディルは荷車の低い側へつく。


 荷車を引かない。


 水へ入る時、荷台が傾けば支える。


 車輪が石へ乗れば、梃子を差せる位置を取る。


「入る!」


 ラグが対岸から声を上げる。


 二頭の馬が水へ入る。


 車輪が岸を下る。


 右の車輪が少し砂へ沈む。


「中央へ!」


 ナギリが言う。


 馬方が二頭を少し左へ向ける。


「左へ寄せすぎない!」


 ラグが対岸から返す。


 車輪が丸石の間を通る。


 荷台が一度傾く。


 ディルが手を当てる。


「そのまま!」


 水を越える。


 対岸の上りへ入る。


 二頭が力を合わせる。


 車輪が岸を上がる。


 三台目は渡った。


     *


 予備馬を外す。


 馬方が渡り場を戻る。


 次は一台目。


 二頭立て。


 重い布荷。


 サナが荷紐を締め直す。


「水へ入っている間、止めないでください」


「止まったら」


 馬方が聞く。


「布荷は下ろしません。まず馬と車輪を戻します」


 セレナが飲み水を上へ移す。


「水跳ねが口紐へついた袋は、白のまま使いません」


 ローデンが言う。


「黒へ変える基準は」


「口紐または栓へ水が届いたものです」


「聞いた」


 ナギリが馬の蹄を見る。


 異常なし。


 カヤンが上流を見る。


 変化なし。


 ラグが、先頭と対岸を往復する。


「出せ!」


 一台目が渡る。


 右の車輪が、三台目の跡へ入る。


 少し深い。


「半歩左!」


 ナギリが言う。


「半歩左!」


 ラグが馬方へ伝える。


 二頭が進路を変える。


 車輪が固い石へ戻る。


 ディルは低い側を支える。


 荷台は倒れない。


 一台目も渡った。


 次は二台目。


 同じ順。


 同じ確認。


 同じ言葉。


 ただし、道は同じではない。


 二台が通ったため、右側の砂が少し深くなっている。


 ナギリが見る。


「中央より少し左」


 ラグが伝える。


「中央より少し左!」


 二台目が入る。


 車輪が石へ乗る。


 荷台が上がる。


「止めるな!」


 ディルが言う。


 馬方が二頭を進める。


 車輪が石を越える。


 対岸へ上がる。


 三台すべてが渡った。


 六頭の馬もいる。


 四騎の護衛もいる。


 布は濡れていない。


 薬籠も落ちていない。


 白から黒へ変わった水袋は一つだけだった。


 橋は渡らなかった。


 何も落ちなかった。


     *


 壊れかけた橋の手前には、別の荷車が来ていた。


 北から来た小商人だった。


 荷車一台。


 二頭立て。


 護衛は二人。


 彼らは橋の前で止まっている。


「お前たちは、あそこから来たのか」


 商人がラグへ聞いた。


「上流の渡り場からだ」


「橋は」


「通すな」


「人なら渡れるだろう」


「人が渡れることと、荷車が渡れることは違う」


「橋の向こうから、こちらへ逃げ戻ってきたように見えたぞ」


 ラグは少しだけ胸を張った。


 以前なら、逃げたのではないと怒鳴った。


 今は違う。


「逃げ戻ったわけではない」


「では何だ」


「最後尾を止めに来ただけだ」


「最後尾を」


「三台目が橋へ近づく前にな」


「橋が落ちると知っていたのか」


「先へ行って見た」


「それから戻ったのか」


「戻らなければ、見たことにならない」


 小商人は橋を見る。


 次に、ラグを見る。


「渡り場はどこだ」


 ラグは道を指した。


「左の古い轍。木が途切れた場所まで行け。右の砂へ寄るな」


「通れるのか」


「お前の荷車は、ローデンの一台目より軽い」


「なら通れるな」


「ナギリに足元を見せろ」


「誰だ」


「蹄と道を見る者だ」


 ナギリがラグを見る。


「正式な蹄見ではありません」


「商隊では見る者だ」


 ラグが答えた。


     *


 その夜。


 ローデンは帳を開いた。


 ――森縁木橋。


 ――橋板外見上異常少。


 ――下流側横木、石積みより外れ。


 ――荷車通行不可。


 ――橋手前の古い轍より、上流渡り場確認。


 ――三台目、一頭立てへ予備馬を加え、先行。


 ――一台目、二台目、順次通行。


 ――布荷損失なし。


 ――薬籠損失なし。


 ――水袋一、白より黒へ変更。


 ――馬六頭、蹄傷なし。


 ――護衛四騎、蹄傷なし。


 その下へ、人の名を書く。


 遠見。


 カヤン。


 橋下の白い横木、外れ轍、上流渡り場を発見。


 先行確認および走り継ぎ。


 ラグ。


 橋下確認。


 先頭、中列、最後尾への停止および迂回順伝達。


 蹄・路面・渡り線。


 ナギリ。


 渡り場の底、馬蹄、車輪通過線を確認。


 荷車補助。


 ディル。


 下り停止時の荷台支持、渡り場の低側支持。


 ローデンは筆を止めた。


「ナギリ」


「はい」


「森の縁まで来た」


「来ました」


「戻るなら、明朝だ」


 ナギリは暗い森を見る。


 草原は遠い。


 移動幕営へ戻る道はある。


 トルガが立っていた境石。


 老いた蹄見。


 シオン。


 蹄洗い場。


 母が運んでいた水。


 戻れば、すべてがなくなるわけではない。


 残れば、戻れなくなるわけでもない。


「次の市まで見ます」


 ナギリは言った。


「その次も見ろ」


 ローデンが答えた。


「見てから決めます」


「なら、次で決めろ」


「私の役は」


「蹄と道だ」


「正式な蹄見ではありません」


「幕営の役は知らん」


 ローデンは帳へ書く。


 ――ナギリ。


 ――ローデン商隊、蹄・路面・水場周辺検分。


 ――次市まで。


「勝手に決めましたね」


「お前が残ると言った」


「次の市までです」


「そう書いた」


 ナギリは帳を見る。


 本当に、次市までと書いてある。


 戻る道は消されていない。


「ラグ」


 ローデンが呼ぶ。


「何だ」


「明日も先を見ろ」


「戻るところまでか」


「戻らなければ、帳へ書かん」


「なら戻る」


「カヤン」


「はい」


「ラグより先に見つけろ」


「見つけます」


「ディル」


「はい」


「重い荷の横につけ」


「分かった」


「寝ろ。明朝出る」


     *


 翌朝。


 ローデン商隊は森の道を進んだ。


 荷車三台。


 牽引馬五頭。


 予備馬一頭。


 商隊主ローデン。


 弟子のサナ。


 弟子のセレナ。


 護衛のカヤン。


 ラグ。


 ナギリ。


 ディル。


 カヤンは、遠くを見る。


 ラグは先へ走る。


 そして戻る。


 ナギリは、馬とケンタウロスの蹄を見る。


 車輪の沈みを見る。


 水の寄る場所を見る。


 ディルは、重い荷車の横へつく。


 荷台が傾けば支える。


 止め木を入れる。


 縄と梃子を持つ。


 サナは布と荷紐を見る。


 セレナは水と薬の印を見る。


 ローデンは、荷と日数と損を帳へ落とす。


 誰も、一人では商隊を進められない。


 遠くを見る者だけでも足りない。


 先へ走る者だけでも足りない。


 足元を見る者だけでも足りない。


 重いものを支える者だけでも足りない。


 止める言葉。


 動かす言葉。


 戻って伝える脚。


 進める道を選ぶ目。


 それらがつながって、荷車は進む。


 ラグは次の曲がりまで走った。


 道を見た。


 倒木はない。


 水も出ていない。


 車輪が通れる幅もある。


 それでも、先で待たなかった。


 戻った。


 商隊へ伝えた。


「次の曲がりまで通れる」


 ローデンが聞く。


「その先は」


「まだ見ていない」


「なら見てこい」


「分かった」


 ラグは再び前へ走る。


 逃げるためではない。


 戻るために先へ行く。


 最後尾まで言葉を届けるために戻る。


 走る血は、前へ進む。


 だが、前だけを見ているわけではない。


 全員が戻れる道を残しながら、進むのである。

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