2吹 近道を避けただけです。荷車を沈めたくなかったので
近道は、近い。
だから、近道と呼ばれる。
短い。
速い。
水場へ早く着く。
日が高いうちに荷を下ろせる。
次の市へ一日早く入れる。
売り場の場所を先に取れる。
宿代が一晩減る。
馬へ食わせる飼葉が一日分減る。
護衛と馬方へ渡す食糧も減る。
商人は近道を好む。
走る者も近道を好む。
ナギリは、近道をあまり好まなかった。
短い道には、短い理由がある。
丘を越えない。
石場を避ける。
川を回らない。
乾草地を斜めに切る。
水の寄る低地を、そのまま通る。
近いということは、何かを避けていないということでもある。
*
ラグの蹄を洗った翌朝、ローデン商隊は再び南へ向かった。
荷車は三台。
一台目と二台目は、二頭立て。
三台目の軽い荷車は、一頭立て。
荷を付けていない予備馬が一頭。
馬は全部で六頭だった。
三台の荷車には、それぞれ馬方がついている。
商人ではない。
馬を扱い、車輪を見て、道の上で荷を進めるために雇われた者たちである。
護衛は、ケンタウロスが四騎。
カヤン。
ラグ。
ナギリ。
ディル。
カヤンは列の前方外側にいた。
道だけではなく、その先を見る。
草の色。
遠くの煙。
水面の光。
動く人影。
丘の裏へ消える荷影。
近くへ行く前に、異変を見つける。
ラグは先頭と中ほどを行き来していた。
左後ろの熱は引いている。
黒い泥も残っていない。
ただし、走り出す前に、自分で一度蹄を見た。
誰にも言われずに。
ナギリは、それを見た。
だが、何も言わなかった。
自分で見た者を、止める必要はない。
ディルは、一番重い荷車の横にいた。
荷紐が緩めば支える。
車輪が石へ乗れば、荷台が傾かないよう押さえる。
倒れた荷を持ち上げる。
縄を張る。
止め木を入れる。
力はある。
だが、荷車を引くことはない。
荷車を引くのは馬である。
ケンタウロスは馬ではない。
*
商隊主のローデンは、荷札と道の日数を見ていた。
「南の低地を通れば、昼前に水場へ入れる」
ローデンが言った。
「北へ回れば」
サナが尋ねる。
「半日増える」
「宿代は」
「今日は野営だ。変わらん」
「馬の飼葉は」
「一回分増える」
「水は」
セレナが聞いた。
「今の分で足りる。ただし、ぎりぎりだ」
ラグが南を見た。
低い草地が広がっている。
表面は乾いている。
風に揺れる草も軽い。
道らしい道はない。
だが、荷車が何度か通った跡が、薄く残っている。
「走れる」
ラグが言った。
「お前はな」
ローデンが答えた。
「俺たちが先に抜ける。道を確かめる」
「荷車が抜けられるかを見ろ」
「同じだ」
「違う」
ローデンは荷車を指した。
「お前の脚には車輪も荷箱もついていない」
ラグは鼻を鳴らした。
その時、カヤンが片手を上げた。
「中央の草が濃い」
全員が南を見る。
ローデンが目を細めた。
「どこだ」
「あの白い石の先。細長く色が変わっている」
カヤンが指す。
「水面は見えるか」
「水は見えない。ただ、根元だけ暗い」
「人は」
「いない」
「荷車は」
「古い車輪跡が一つ。途中で北へ曲がっている」
ラグが前へ出た。
「見てくる」
「中央へ入るな」
ナギリが言った。
「まだ何も見ていないだろう」
「だから入らないで」
ローデンがラグを見る。
「東の縁を走れ。中央へ踏み込むな。戻って報告しろ」
「分かった」
「戻るまでが仕事だ」
ラグは少し嫌な顔をした。
「分かっている」
そう言って走った。
*
ラグは、低地の東側を回った。
乾いた草。
白い小石。
固い土。
そこまでは悪くない。
中央へ近づくにつれて、草の根元が暗くなる。
カヤンの見たとおりだった。
表面は乾いている。
だが、地面へ落ちた自分の影が、わずかに揺れている。
草の間に、水の反り返す光がある。
正面から見れば分からない。
横から低く見れば、細く光る。
ラグは速度を落とした。
少し先に蹄跡がある。
ケンタウロス。
二騎。
南へ入った跡。
そして、同じ場所から戻った跡。
片方は深い。
もう片方は、途中から大きく外へ逃げている。
走り抜けてはいない。
入って、戻っている。
ラグは中央へは行かなかった。
蹄跡の端だけを踏んだ。
表面が割れた。
薄い乾き土の下から、黒い泥がにじんだ。
ラグはすぐに蹄を抜いた。
商隊へ戻る。
以前なら、そのまま中央を走ったかもしれない。
今は走らなかった。
戻って伝えるためである。
*
「中央は濡れている」
戻ったラグが言った。
「見たのか」
ローデンが聞く。
「草の下に水がある。二騎入って、二騎とも戻っている」
「深さは」
「端は浅い」
「中央は」
「入っていない」
ローデンは少しだけ頷いた。
「それでいい」
言ってから、短く言い直す。
「聞いた」
ナギリはラグの足元を見る。
右前の蹄に、黒い泥がついている。
「見せて」
「少しだけだ」
「少しだけです」
「なら進める」
「ケンタウロスだけなら」
ナギリは後ろの荷車を見る。
馬が六頭。
荷車が三台。
薄布。
厚布。
薬籠。
紙。
小壺。
革袋。
油。
乾草。
車輪は、蹄とは違う。
同じ場所へ重さをかけ続ける。
回るたびに土を押す。
沈み始めても、馬のように脚を抜くことはできない。
「荷車は違います」
「車輪は蹄より広い」
ラグが言った。
「でも、荷の重さが乗ります」
ナギリが答える。
ローデンが前へ出た。
「沈むのか」
「分かりません」
「分からんで止めるのか」
「まだ止めていません」
「通すのか」
「まだ決めません」
ローデンは眉を寄せた。
商人は、決まらない時間を嫌う。
止まっている間にも日は進む。
水場は近づかない。
市場の場所も埋まっていく。
「何を見れば決まる」
ナギリは答えられなかった。
蹄なら見られる。
泥なら触れられる。
だが、荷車三台が入った後、どこで止まるかまでは分からない。
その時、荷紐へ結んだ小さな包みが目に入った。
乾いた草束。
移動幕営を出る前に、シオンから渡されたものだった。
*
シオンは、幕営の端にいる娘だった。
小枝を並べる。
草を置く。
石を動かす。
先頭。
最後尾。
水場。
産幕。
荷。
幼い者。
風下。
湿った草。
それらを地面へ置き、どこで重なるかを見る。
若い者は、遊びだと言った。
老いた風読みは、気味が悪いと言った。
ナギリにも、最初はよく分からなかった。
南へ出る前、シオンは草束を渡した。
長い草。
短い草。
途中で折った草。
三つの結び目。
「長い草は水」
シオンは言った。
「短い草は蹄」
「折った草は」
「荷」
「何に使うの」
「分からなくなった時に置く」
「何が分からなくなるの」
「どれが先に止まるか」
ナギリには、やはりよく分からなかった。
だが、捨てなかった。
*
ナギリは地面へ三本の草を置いた。
長い草。
水。
短い草。
蹄。
折った草。
荷。
南の低地を示す場所で、三本を重ねた。
「何の占いだ」
ローデンが聞いた。
「占いではありません」
「では何だ」
「ここで、水と蹄と荷が重なります」
「見れば分かる」
「入った後は、分けられません」
ナギリは長い草を指す。
「水が上がります」
短い草を指す。
「馬とケンタウロスの蹄へ泥が入ります」
折った草を指す。
「荷車が沈みます」
「沈むと決まったのか」
「決まっていません」
「なら、また同じだ」
サナが布荷を見る。
「沈んだ場所で荷を下ろすことになります」
「下ろせば軽くなる」
ローデンが答える。
「布をどこへ置きますか」
ローデンは低地を見る。
乾いた場所は、東の縁に少しだけある。
三台分の荷を置ける広さはない。
セレナも言った。
「薬籠と水袋も下ろすことになります」
「なぜ」
「荷車を軽くするためです」
「分かっている」
「蹄水と泥がつく場所で下ろします。薬へ使う水と、洗い水の区別を確かめるまで使えなくなります」
「次の水場まで」
「半日です」
「ここで止まれば」
「明日になります」
ローデンは低地を見る。
表面は乾いている。
平らである。
近い。
速く見える。
だが、止まった後の場所がない。
「試せるか」
ローデンが聞いた。
ナギリは周囲を見る。
荷車そのものを入れて試すのは遅い。
沈んでからでは、試しではない。
ローデン商隊には、交換用の車輪が一つあった。
軸が折れた時に使う予備である。
「予備の車輪を使います」
「泥へ入れるのか」
「沈まなければ、洗えば戻せます」
「沈んだら」
「通らなくてよかったと分かります」
ローデンは少し考えた。
「やれ」
*
予備の車輪を、短い仮軸へ通した。
荷枠の補修に使う横木を二本。
縄で縛る。
粗い試し枠を作る。
その上へ、金具箱を一つ載せた。
荷車一台分の重さには足りない。
だが、空の車輪だけを転がすよりは近い。
「箱が濡れたら」
サナが言った。
「金具は拭け」
ローデンが答える。
「箱は木です」
「箱の損も帳へ入れろ」
試し枠を引くのは、ケンタウロスではない。
予備馬へ長い縄をつないだ。
馬は、低地へ入れない。
乾いた東側の縁を歩かせる。
長縄を斜めに取り、試し枠だけを低地へ入れる。
馬方が予備馬の手綱を持つ。
ラグは、馬方と試し枠の間に立った。
止める。
進める。
縄を緩める。
短い声で合図する。
ディルは、試し枠の後ろへ回った。
引くためではない。
横木がねじれないよう、両手で押さえる。
車輪が傾けば、長い梃子を差し込める位置につく。
カヤンは少し離れた高い場所から、地面全体を見ていた。
「右の草が動く」
カヤンが言う。
水が見えるわけではない。
車輪の重みで地面が押され、少し離れた草の根元が揺れている。
「まだ進めるか」
ローデンが聞く。
ナギリは車輪を見る。
「もう一歩」
「ラグ」
「一歩だけ進め!」
馬方が予備馬を歩かせた。
最初の一歩。
車輪は進む。
二歩目。
表面に細い割れ目が入る。
三歩目。
乾いた土が、車輪の前で小さく盛り上がる。
「止めて」
ナギリが言った。
だが、その直前。
乾いた表面が割れた。
薄皮が破れるような、小さな音だった。
次の瞬間、車輪が半分まで沈んだ。
黒い水が、周囲へゆっくり上がる。
予備馬が縄の重みを感じ、首を上げた。
「止めろ!」
ラグが叫ぶ。
馬方が手綱を引く。
予備馬は乾いた場所で止まった。
カヤンが低地の中央を見る。
「奥も動いてる」
車輪から離れた草の根元まで、水が広がっている。
ナギリが頷く。
「表だけでつながっています。下は全部濡れています」
ラグの顔が変わった。
予備の車輪だけである。
荷車一台ではない。
布荷もない。
薬籠もない。
それでも、車輪は半分まで沈んだ。
「戻すぞ」
ローデンが言った。
まず、金具箱を下ろす。
ディルが両腕で持ち上げた。
泥へ足を入れない。
乾いた側から身体を伸ばし、箱を受け取る。
サナが下へ古布を敷く。
次に、ディルが長い梃子を車輪の下へ差した。
「押す」
ディルが言う。
「待て」
ナギリは車輪の周囲を見る。
「左へ上げて。右は深い」
「左だな」
「少しずつ」
ラグが馬方へ声を送る。
「縄を張れ! まだ引くな!」
予備馬だけでは足りない。
一台目の荷車から、外側の馬を一頭外した。
荷車には止め木を入れる。
ディルが荷台を支える。
二頭の馬へ引き綱を分ける。
馬はどちらも乾いた場所に立たせる。
「引け!」
ラグが合図する。
二頭の馬が歩く。
ディルが梃子を押す。
車輪の縁が少し浮く。
「止めろ!」
ナギリが言う。
「右へ寄っています」
「縄を左へ移せ!」
ラグが伝える。
馬方が縄の位置を変える。
もう一度。
二頭の馬が引く。
ディルが車輪を浮かせる。
黒い泥が音を立てて離れた。
試し枠が乾いた場所へ戻る。
誰も歓声を上げなかった。
泥の重さを見たからである。
*
「これを三台分か」
ローデンが言った。
「三台全部が同じ場所ではまりません」
ナギリは答えた。
「一台目が沈めば、後ろは止まります」
「戻せるか」
「一台目を軽くするために荷を下ろします」
「置く場所がない」
サナが言う。
「薬水も分けられません」
セレナが続ける。
カヤンは低地の奥を見る。
「中央は、今の場所より草が濃い」
「もっと深いか」
ローデンが聞く。
「遠くからでは深さまでは分からない。ただ、暗い範囲は広い」
ローデンがラグを見る。
「お前だけなら抜けられるか」
「東の縁なら」
「中央は」
「走れば、抜けられるかもしれない」
「かもしれない、か」
以前なら、ラグは言い切った。
今は言い切らなかった。
「俺一騎なら試せる」
「荷車三台は、お前一騎ではない」
「分かっている」
「なら決まりだ」
ローデンは北を見る。
「回る」
ラグが低地を見る。
「半日増える」
「沈めば一日では済まん」
「荷を捨てれば」
「捨てるために仕入れた荷ではない」
ローデンは命じた。
「カヤン。北の道筋を見ろ」
「煙はありません。丘の裏に水の光があります」
「ラグ。走って確かめろ。乾いた場所まで行って戻れ」
「分かった」
「戻るまでが仕事だ」
「二度言うな」
「戻らなければ三度言えん」
ラグは北へ走った。
「ディル。車輪を洗う。金具箱も見ろ」
「分かった」
「ナギリ。南へ入れない線を残せ」
「誰に」
「次に来る荷車へだ」
ナギリは少し考えた。
低地の入口へ、黒い泥のついた草束を結んだ。
そこへ、割れた表土を一片置く。
文字はない。
だが、荷を運ぶ者なら、泥のついた予備輪と折れた草の意味を考える。
ローデンは馬方へ言った。
「北へ向け直せ。重い荷車から先だ」
*
北の道は、近くなかった。
だが、乾いていた。
ラグが先に戻り、報告した。
「丘を一つ回る。石場がある。荷車一台ずつなら通れる」
「水は」
「丘の裏に浅い流れがある」
カヤンが頷く。
「ここから見えた光と同じ場所だ」
「岸は」
「北側が乾いている」
「戻れる場所は」
「ある。荷車二台分の広みが二つ」
「行くぞ」
ローデンが言った。
商隊は北へ向きを変えた。
カヤンが先を見る。
ラグが、先頭と一台目の間を走る。
坂の先を見て戻る。
次の広みを見て戻る。
馬方へ、止まる場所を伝える。
ナギリは馬とケンタウロスの蹄を見る。
乾いた石場で滑っていないか。
低い場所へ水が残っていないか。
車輪へ泥が固まっていないか。
ディルは重い荷車の横にいた。
石へ乗る時は荷台を支える。
斜面で止まる時は、止め木を入れる。
金具箱がずれれば、持ち上げて位置を戻す。
誰も荷車の代わりにはならない。
馬が引く。
馬方が進める。
護衛が道を確かめる。
ローデンが進むか止まるかを決める。
それぞれの仕事が分かれていた。
*
水場へ着いた時、日は西へ傾いていた。
近道を通れば、昼前に着くはずだった。
半日遅れた。
だが、荷車は三台ともある。
馬も六頭いる。
布荷は濡れていない。
薬籠も泥へ落ちていない。
金具箱は、底に少し泥がついただけだった。
サナが箱を見た。
「木箱は乾かせば戻せます」
「値は」
ローデンが聞く。
「今のところ、下がりません」
「なら帳へは泥落としだけ書け」
「はい」
セレナは試験に使った縄を分けた。
「この縄は薬籠へ戻しません」
「何へ使う」
「車輪の引き上げ用に残します」
「札をつけろ」
「はい」
ナギリはシオンの草束を広げた。
長い草。
短い草。
折った草。
泥が少しついている。
サナが、細い糸を一本加えた。
「これは何」
ナギリが聞く。
「布です」
「なぜ」
「荷車が沈めば、置き場所を探すのは布だからです」
セレナも、小さな青い紙片を加えた。
「これは水ですか」
「薬へ使える水です」
「長い草も水です」
「同じ水ではありません」
青い紙を裏返す。
裏には黒い印が一つある。
「泥へ触れたら、こちらです」
ナギリは五つを並べた。
水。
蹄。
荷。
布。
薬水。
南の低地では、全部が同じ場所へ集まっていた。
北の道では、分かれていた。
ローデンが草束を見る。
「それを最初に置いたのは誰だ」
「シオンです」
「幕営の娘か」
「はい」
「名を書いておく」
「なぜですか」
「見方の元を出した」
「売ったわけではありません」
「仕事なら、後で値がつく」
「シオンは商人ではありません」
「商人だけが仕事を売るわけではない」
ローデンは帳へ書いた。
――南低地。
――表面乾燥。下層湿り。
――予備輪、金具箱一箱分の荷重にて半輪沈下。
――荷車通行、不可。
――北回り、半日増し。
――布荷損失なし。
――薬水用途変更なし。
――馬および護衛の蹄傷なし。
その下へ、人の名を書く。
遠見。
カヤン。
先行確認。
ラグ。
泥と進行可否。
ナギリ。
試し枠および車輪引き上げ補助。
ディル。
線置きの元。
シオン。
ラグが帳を覗く。
「俺が走ったことも書くのか」
「書いた」
「速かったからか」
「戻ってきたからだ」
ラグは少し黙った。
「先へ着くだけでは駄目か」
「先に着いて、後ろが沈めば護衛ではない」
「分かっている」
「なら次も戻れ」
*
夜、ローデンがナギリを呼んだ。
「次の塩場まで、商隊の蹄と低地を見ろ」
「次の水場まででは」
「今日着いた」
「では、終わりです」
「終わったから次を頼んでいる」
「塩場までですか」
「まずは」
「その先は」
「塩場で決める」
前と同じ答えだった。
ナギリは少し考える。
幕営へ戻る道。
南へ続く道。
どちらも、まだ消えていない。
「止めることがあります」
「理由を出せ」
「遠回りもします」
「沈むより安ければ回す」
「値は分かりません」
「サナが出す」
「水は」
「セレナが分ける」
「遠くは」
「カヤンが見る」
「走って確かめるのは」
「ラグだ」
「ディルは」
「沈んだ時に持ち上げる」
ローデンはナギリを見る。
「お前は泥と蹄を見ろ」
「私は弟子ではありません」
「聞いていない」
「商人にもなりません」
「それも聞いていない」
「では」
「塩場まで見ろ」
ナギリは草束を包み直した。
「分かりました」
*
翌朝、ローデン商隊は水場を出た。
荷車三台。
牽引馬五頭。
予備馬一頭。
馬方三人。
商隊主ローデン。
弟子のサナ。
弟子のセレナ。
護衛のカヤン、ラグ、ナギリ、ディル。
カヤンは、遠くを見る。
ラグは、前へ行き、戻って伝える。
ディルは、重い荷の横につく。
ナギリは、蹄と泥を見る。
サナは、荷紐と布を見る。
セレナは、水と薬の印を見る。
ローデンは、荷札と道の日数を見る。
昨日まで、ナギリが止めたのは、一騎の蹄だった。
今日は、商隊全体の進路を変えた。
だが、ナギリは商隊を止めたつもりはなかった。
進める道を変えただけである。
近道を避けた。
半日遠回りした。
何も沈まなかった。
何も濡れなかった。
何も割れなかった。
何も起きなかった。
何も起きなかったので、遠回りが正しかったと証明するものは少ない。
南の低地へ沈んだ予備車輪の泥。
ローデンの帳。
サナが計算した、失わずに済んだ荷の値。
セレナが使わずに済んだ黒い印。
カヤンが見つけた、草の根元の暗い線。
ラグが走って持ち帰った、戻り蹄の跡。
ディルの梃子についた黒い泥。
ナギリが置いた、三本の草。
それだけである。
だが、道とは、通った跡だけではない。
通らなかった理由も、次の道を作る。
*
後に、誰かがこの日のことを大げさに語った。
草原の沼を見抜いた女。
商隊を破滅から救った道見。
地面へ草を置き、沈む未来を言い当てた娘。
ナギリは、その話を聞くたびに否定した。
「未来は見ていません」
では、何を見たのかと聞かれる。
ナギリは答える。
「草の根元と、戻ってきた蹄と、沈んだ車輪です」
それだけでは話にならないと言われる。
英雄らしくないと言われる。
ナギリは困った。
英雄になったつもりはない。
商隊を救ったつもりもない。
ただ、近道を避けただけである。
荷車を沈めたくなかったので。




