翌朝、目覚めて
――目を、覚ます。
視線の先。
そこは皇泉院絢人の自室の天井ではなく……もっと、見覚えのある――
……なんてことはなく。
今日もここは、皇泉院絢人の寝室であった。
(これ、本当に夢の中なのかな……? 夢の中で何度も寝たり起きたり……むしろ、夢ってより……これって、やっぱり――、……んんっ?)
左手をつき、布団から上半身を起こした状態。
違和感。
恐る恐る、薄くて軽い羽毛掛け布団を片手で持ち上げる。
「…………」
なんか、いる。
なんか――寝てる。
「……おい」
思わず、声をかける。
というか……起きてもらわないと、困る。
「――ん……ああ、おはよう」
「おはよう、じゃねーだろ……オレの布団の中で何してんだ、テメェは」
んんぅ~っ、と。
彼女も布団の上で上半身を起こすと、組んだ腕を上げて身体をのばす。
さらに、ほわぁ~あ、と彼女は手を口に添えてあくびをした。
皇泉院黒薔薇であった。
「何って……添い寝に決まっているでしょう? この子ったら、起きがけで頭が回っていないの?」
「誰の許可を取ってオレの布団に勝手に潜り込んでんだ」
「あなたに許可を求めたって、許可してくれないじゃない」
……まあ。
絢人が許可しない以上、強硬手段しかないわけで。
そして絢人以外に彼女を止められる者がいるかというと……。
たとえば玲雄奈が察知していたとしても、止められはしないだろう。
(玲雄奈さんは、気づいたとは思うんだよなぁ……)
が、皇泉院黒薔薇が相手ではどうしようもない。
絢人もこれは、玲雄奈を咎めることはできない。
髪を整えながら、姿勢を適度に崩す黒薔薇。
起床直後の座る姿勢すらしなやかで――美しく、隙がない。
これが一児の母なのか……と、心の中で改めて驚く絢人。
公式でも明確な数字は公表されていなかったはずだが……
年齢が、まるで読めない。
そんな黒薔薇は不満そうに、
「そもそも、母親が我が子と一緒の布団で寝ることのどこに問題があるのかしら? 疑問を差し挟まれる意味がわからないわ。まるで――まったく、完全に」
鬱陶しさを隠さず、舌打ちする絢人。
「どこの世界に、この歳になって母親と一緒に寝る高校生がいるんだよ」
「どこって……今まさに、ここにいるじゃないのよ」
「不同意だろーが」
「もう……冷たいわねぇ」
不平をこぼす黒薔薇。
やれやれ、と彼女はその艶やかな黒髪を後ろへ撫でつける。
「この皇泉院黒薔薇との永遠に実現しない同衾に憧れる男が、この世に一体どれだけいると思っているのかしら」
絢人は不快感を込め、苛ついた息をつく。
「この歳で母親と一緒に寝て喜ぶ男なんて、いるわけがねぇだろ。悪ふざけも大概にしろ」
「もー冗談でしょぉ? けどまあ……あなたらしい反応ね。偉いわよ」
うんざりした態度で立ち上がる絢人。
「んなことで褒められても微塵も嬉しくねぇよ。ほら……気が済んだら、さっさと消えろ」
「絢人」
「あ?」
辟易顔で振り返ると――黒薔薇が、両手を広げていた。
まるで〝おいで?〟と誘っているかのようなポーズ。
「……なんのつもりだ」
「ご褒美」
「んなもん誰が欲しがんだよ。もう一度だけ言う――消えろ」
「は? あなたにあげるご褒美だと思ってるの? これは――私がもらうご褒美よ? 私があなたのために日々、どれだけがんばっていると思うの?」
「あのなぁ……」
「埋め合わせ……してくれると、確かに言ったわよね?」
「…………チッ」
確かに。
それを引き合い出されると――なかなかに、厳しい。
が、中の人的には別の問題があった。
なぜなら……
(いや……さっきから顔を背け気味なのも、ですね……確かに体は息子の〝絢人〟ではあるんですが……ぼくからすると他人の母親……要するに、ただの美しい女性なわけでして……)
正直言って。
この距離でのその無防備なナイトウェア姿は、ちょっと……。
(しかもこの美貌な黒薔薇さんなわけで……距離的に、直視がなかなか厳しいと言いますか、その……反射的にドキドキしてしまうわけで――)
まともに〝演技〟が、できなくなるかもしれないんですよ!
旅行から帰った日の翌日――まさかの最大のピンチを今、迎えたのかもしれなかった。
(けど、ここで拒絶したら……それはそれで埋め合わせの件を軽く扱ったって意味で――黒薔薇さんとの関係的に、よくない気がするし……ッ!)
「絢人?」
追い詰めるように――外堀でも、埋めるみたいに。
首を傾け、命令的に問いを投げてくる皇泉院の女帝。
(……致し方あるまい、か)
それに……なぁに、特別なことをするわけじゃない。
息子が母親に抱擁されるだけの話だ。
一般的なハグである。
が、ここで妙にドキドキしてしまっては違和感を抱かれるかもしれない。
だから平静に……絢人、らしく……。
――ふぅ、と。
絢人は息をつき――黒薔薇に向き合って、前屈みになる。
この距離ですでに……鼻腔をくすぐる、ほんのり良い香りがする。
黒薔薇は膝立ちになると、
「いらっしゃい?」
そう言って、まるで優しい捕食者のように微笑んだ。
(…………)
スゥッ――と。
絢人は目を細め「……これで、借りはチャラだぞ」と身を委ねる。
黒薔薇の両腕が絢人の首に回ってきて、そのまま緩く引き寄せる。
そうして、絢人は黒薔薇の抱擁を受け入れた。
黒薔薇は何やら匂いを嗅ぐ仕草をしたあと――絢人の耳元で、ぽつりと呟く。
「……もうあなたも3年生になるのね。時の流れとは、本当に早いものだわ。そして、新学期が始まる……そうね……あなたのことだから、私に頼らずとも大抵のことは今まで通り解決してしまうのでしょう。けれど……いざとなれば遠慮せず、母親であるこの私を頼りなさい……いいえ、使いなさい」
「…………」
「あなたは確かに優れた子だけれど、この世において人ひとりがやれる範囲なんて限られているわ。だからこそ、いかに自らの〝駒〟を揃え、どのように〝使う〟か。手持ちの駒を充実させ、性能を把握し――効率よく、ベストなパフォーマンスで運用する……これができてこその〝皇帝〟。頭の隅にでも、入れておきなさい」
これは――黒薔薇なりの助言、なのだろうか。
声のトーンは忠告めいており、そして、とても真剣なものだった。
くすり、と。
妖しい微笑を漏らす黒薔薇。
「最近のあなたはどうもそういう方向を目指しているようだから……これは、母親というより――」
黒薔薇は抱擁を解くと、密着していた体を離した。
そして斜め下から息子を緩く見上げ――
「皇泉院の〝女帝〟からの、先達としての助言よ」
ぴとっ、と。
黒薔薇が絢人の胸辺りに、右のてのひらを添えた。
「ふふ……最後まで黙って聞けたのは、偉いわ。久しぶりに、黒薔薇印の花丸をあげましょう」
「いらねぇよ。ただ――」
上半身を起こし、フン、と黒薔薇を見おろす
「まあ――アドバイスの方は一応、受け取っといてやる」
「本当に、愛想のない子ねぇ……」
言って、やれやれと立ち上がる黒薔薇。
しかし彼女の口もとには、満足そうな微笑みが溜まっている。
「けれど久しぶりに息子パワーを充填できたから、得るものはあったわ――、……あら、口に出てしまったわね」
「用が済んだなら、とっとと出てけ。居座るな」
「はいはい」
黒薔薇が移動し、引き戸の前に立つ。
と、自動ドアのように戸がスライドした。
自動ではなく――開けたのは、廊下の床に膝をついて控える玲雄奈。
黒薔薇は玲雄奈に一瞥だけをくれると、
「槇嶋。これからも絢人のこと、任せたわよ。もしあの子に何かあれば――おまえがどうなるか、それはもう言わずともわかっているわよね? いいな?」
「この命に、代えましても」
フン、と。
黒薔薇は傅く玲雄奈を見ることもなく、鼻を鳴らす。
……母親なだけあってか、絢人そっくりの鳴らし方である。
「この命に代えましても、ね……軽いな、おまえの命は」
「わたくしの大事な〝重さ〟はすべて、絢人様に預けております」
舌打ちする黒薔薇。
こちらもやはり、絢人に似ている。
「昔よりずいぶん、口が回るようになった……が、おまえは絢人の道具にすぎない。それだけは、ゆめゆめ忘れるな。返事は?」
「おい、黒薔薇」
そこで口を挟む絢人。
「玲雄奈はテメェのじゃなく、オレのだぞ」
咎めるニュアンスを、意図的に混入した。
すると――ぴくっ、と黒薔薇の肩がちょっと強張る。
そして、
「わ、わかってるわよぉ。これくらい……ちょっとした戯れでしょぉ。はぁ……でもそうね、長話がすぎたわ。もう行くわ――またね、絢人」
傅いたまま黙して頭を垂れ、女帝を恭しく見送る玲雄奈。
そんな執事にはもう一瞥もくれず、黒薔薇は廊下の向こうへと颯爽と消えて行った。
(…………はぁぁ~、怖い! 絢人以外が相手だと黒薔薇さん、相変わらず怖すぎるよ!)
ある意味、豹変である。
声のトーンも全然違うし!
そして、
(ふぅぅ、ていうか……火事場の馬鹿力ならぬ集中力をどうにか発揮できたおかげか、かなり平然と〝絢人〟として乗り切れた気がする……!)
一瞬で、なりきった――というか。
あれは。
皇泉院絢人がそのまま憑依したくらいの感覚、と言いたいくらいだった。
「…………」
あの時、自分の中で色濃く湧いたのは……皇泉院絢人への気持ち。
大好きな絢人の人生を、いらぬ違和感のせいで台無しにするかもしれない。
それだけは――絶対嫌だ、と。
こう、思った。
すると、急に黒薔薇を前にしていることのドキドキは落ち着き――
ただの〝見慣れた母親を前にした息子〟として、完全に振る舞うことができた。
(あそこで変に照れたりしたら、絶対黒薔薇さんから奇妙に思われただろうし……何より、あそこで照れるなんてのは――)
ぼくの大好きな悪帝じゃない。
まさに、そう――愛の勝利と言ってよかった。
……………………多分。




