皇泉院黒薔薇
◆◇【 現在の世界 ~皇泉院黒薔薇~ 】◆◇
皇泉院黒薔薇の視線の先では、害虫たちが悲鳴を上げている。
「つくづく――あなたの〝娘たち〟は、恐ろしいわね」
斜め後ろに控える女執事に、黒薔薇は言った。
黒薔薇がまだ若い頃からそのお目付役を務めてきた女執事。
付き合いは、姓が皇泉院に変わる以前からとなる。
今、男たちを薙ぎ倒している黒服の女たちは黒薔薇の私的な〝兵隊〟だ。
彼女らは、この女執事に育てられた者たち。
女執事は黒薔薇の言葉に、
「いえいえ、恐ろしさで言えばお嬢様には敵わないかと」
「解釈によっては、無礼千万ね」
「恐縮です」
黒薔薇が絢人以外で多少の無礼を許す数少ない人物。
もちろん、絢人ほどの心の許容量はないが。
「お嬢様、念のためあの者らの手足……もいでおきますか?」
そうね、と黒薔薇。
「そうしてちょうだい」
「かしこまりました」
「…………」
数秒して黒薔薇は、女執事の方を振り返る。
「一応言っておくけれど――今のはあくまで、比喩の話よ……?」
手足を、もぐ。
要は〝社会的に殺しておく〟という比喩である。
……と、黒薔薇はそう解釈したのだが。
女執事は虚を突かれたように〝え……?〟という反応をした。
口をぽかんと開き、糸目のまま停止している。
しかし数拍後、
「…………それは、はい――もちろんで、ございます」
黒薔薇は前へ向き直り、
(なんなのよ、今の微妙な間は……)
確認的に釘を刺さなければ文字通り、手足をもいでいたのではないか?
この女執事なら……やりかねない。
昔から過去を語りたがらないが、元殺し屋だなんて噂もあるくらいだ。
が、頼りになるのは事実。
ボディガードとしては完璧に、申し分ない。
「まあ……あなたの育てた玲雄奈があの子のそばについているのは、安心ではあるわね」
「恐縮です」
「けれど、そうね……絢人自身も、あなたに鍛えてもらった方がいいのかもしれない。あなたがずっと乗り気じゃないようだったから、この話題は避けていたけれど……」
この女執事の〝育成〟はかなり過酷と聞く。
絢人にそれをさせるのは母として気が引ける部分はあった。
ただ――最近は少し考えが変わってきていた。
だが女執事はやはり気が乗らぬという調子で、
「それは、どうでしょうかねぇ」
「どういう意味? それは、あなたが基本的に女しか育てないから? 玲雄奈は育てたのに?」
詰問調で、質問を重ねる黒薔薇。
それでも女執事は平然と「玲雄奈は例外ですからねぇ」と言う。
さらに、
「それ以前に……絢人様の戦闘能力はいわば、純度高めの野生みたいなものですから。あの方の戦闘センスは〝養殖もの〟とは、根本的に違うのです」
「あの子を、獣や魚なんかと一緒にしないでちょうだい」
「確かに」
「その返しは、違うわね?」
「申し訳ございません。適当に返しました」
「おい」
「ともかくですね、絢人様のようなタイプは下手に技を教え込むと……逆に、元々の強みを失いかねんのです。はい、ごくまれにいるのですよ。体系的な戦い方を教わらない方がむしろ強い、という種類の人間が」
「……よくわからないけれど、なんとなくわかったわ」
こういう時、この女執事は適当な逃げの弁解はしない。
だから、おそらく真実を話している。
そして――
この会話の間も、害虫たちの泣き喚くBGMが続いている。
一人も逃がすなと黒服たちには命じてある。
今のところ、害虫たちは誰一人逃げられていないようだ。
黒服の回し蹴りで沈むタトゥー入りの男を、無感動に眺める黒薔薇。
次に、黒服の膝蹴りを顔面に受けて戦意喪失している”ターゲット”を見る。
「…………」
からあげだかなんだか知らないが、哀れなものである。
動画配信者、とか言っていたか。
あの男にメッセージを送った主は――黒薔薇である。
モールで絢人に二つに折られて破壊された、あの男のスマートフォン。
黒薔薇はあのあとそれを、黒服に回収させていた。
持ち主は気づいて一度探しに戻ったようだが、見つからないのも当然である。
黒薔薇は、回収したスマートフォンをすぐ解析させた。
それで得た情報を元に、連絡先などを含め短時間で徹底的に調べさせた。
そしてサブのスマホがあるのも分かり、そこへメッセージを送ったのだ。
そう――まるで絢人たちへの襲撃を、後押しするようなメッセージを。
「しかしお嬢様、あの程度の数と質の輩であれば……仮に襲撃を受けたとしても、絢人様や玲雄奈がいれば十分に捻じ伏せられたかと」
黒薔薇はバッと扇子を開き、
「あの子はあえて火種を残して……再び向かってくるのを返り討ちにして、楽しむようなところがあるでしょう?」
「なるほど、確かに。お嬢様に似て、性格がお悪いですからな」
「殺すぞ」
「恐縮です――あ、違った。はい、申し訳ございません。不適切な言動でした……わたくしも、もう歳ですなぁ……」
相変わらずの女執事に呆れつつ、
「私は知っての通り、面倒そうな事柄の〝芽〟は早めに摘んでおきたいタイプなの」
「しかしなぜあの男が、誘いに乗ってくると?」
「自画自賛で言うけれど――私、人を見る目はあるでしょう? あのプライドの高そうな感じと、調べさせた情報……綜合的に組み立てれば、簡単だわ。あなた……サイコパスでない人間が残酷になれる条件って、知っている?」
「集団になることですか」
「的外れではないけれど、本質ではないわ。正解は、自分の意思や行動に〝安全〟が保証された時よ。たとえば、そうね……例としては『リズム0』とかにも近いかしら。あなた、知ってる?」
「残念ながら。ご存じの通り、わたくしはお嬢様のように博識ではありませんので。あ、殺しの知識なら――、……いえ、忘れてください」
「……何よ今の、最後の余計なひと言は」
ともかく――あの男にメッセージで与えてやったのは〝安全〟。
後始末はすべてこちらがやる――こう言えば、こう動くだろうと思った。
悪い仲間が近くに来ているのも知っていた。
位置情報も、簡単に掴めた。
この辺りはメインだった方のスマホを回収できたのが大きい。
おかげでサブのスマホにも楽に特殊なバックドアを仕込めた。
なので、すべてが黒薔薇には筒抜けだった。
絢人と揉めた三人のうち二人が逃げたらしいのは、少し予想外だったが……。
しかしまあ……不参加を選んだ二人は、今は見逃してやろう。
(人の心……行動……それを読むのは、たやすいこと。そう、私は完璧なのだから……私は決して、誰も寄せつけない。私の中の〝芯〟に入場できる者など、この世に誰もいない)
黒薔薇は、誰も愛さない。
誰にも憧れないし、誰にも奉仕しない。
そう――この世でたった一人を、除いては。
夫の厳正とは、家同士の取り決めで結婚しただけだ。
ただ、文句はなかった。
皇泉院に嫁げば今と比べものにならぬ〝力〟が手に入る。
自分の完璧な美貌に自負もあった。
厳正もたちまち、黒薔薇の虜になった。
だがしばらく共に過ごすうち、とんでもない怪物だと気づいたようだ。
恐ろしい怪異を皇泉院に引き込んでしまった――と。
しかし、もう遅い。
黒き薔薇の棘はもう、皇泉院に絡みついている。
〝この世の絶対者である私を、高みへ押し上げる〟
黒薔薇は、このためだけに生きてきた。
たとえば異性に恋をしたことなど、一度もない。
同性にも。
数えきれぬアプローチを受けてきたが、どれも無価値でしかなかった。
なぜおまえ程度がこの黒薔薇と同等と思えるのか――
心底、理解に苦しんだだけだった。
あまりに男っ気のない若き日の黒薔薇は色んな異性について聞かれた。
どこどこ学園の○○くんだか、アイドルだか俳優だか、有名ホストだか。
どこの誰を知っても結局、心が動くことはなかった。
尊敬もなければ、好意もない。
この世において――絶対は、自分。
自分だけが、愛するに値する存在。
――と、思っていた。
あの子……絢人が、生まれるまでは。
それまで赤ん坊や子どもも、やはり例外ではなかった。
可愛いと思ったことなど一度もなかった。
なのに――まさか自分が他者に対してこんな気持ちを、抱くだなんて。
〝これが世に聞く、母性だとでもいうのか……?〟
初めて自覚した時は、ショックすら覚えた。
世の中には、
〝自分の子どもだけは特別〟
こう主張する親がいるそうだが……。
正直こればかりは黒薔薇も、賛同せざるをえなかった。
特別だ――明らかに。
だから絢人に関しては大抵のことを許せてしまう。
どころか、すべてを与えてやりたいとさえ思う。
思うように生きさせてあげたい。
絢人が生まれてから――人生が、変わった。
その息子からは、つれない態度を取られることもある。
というか悪態をつかれたり、すげない態度を取られるのが基本である。
が、そんな態度すら黒薔薇は大抵〝可愛い……〟と許せてしまうのだ。
もはや理屈ではない。
本能としか、言いようがない。
(ただやっぱり、もうちょっと……もうちょっとくらい甘えてくれてもいいのにとは、思うんだけど……)
一方で――黒薔薇は、自分を捨てたわけでもなかった。
自分は自分として、ないがしろにはできない。
息子への溺愛。
自らの譲れぬ絶対聖域。
この二つのせめぎ合いの中で、皇泉院黒薔薇は生きていた。
(でも……)
扇子で口元を隠し、黒薔薇は思う。
(あの子……少し、変わってきたのかもしれないわね……)
今日、話してみて〝おや?〟と思った。
以前は思うがまま欲望を満たすような、そんな子だった。
あの子も黒薔薇と同じく自分だけがすべてであり、自分だけが世界の中心。
ならば、できるだけ思うままにさせてやろう……と、そう思っていた。
絶対者の地位は自分が固め、その位置から息子をサポートしてやればいい。
けれど、
(あの子、絶対者に……覇王に化けそうな気配が……そこはかとなく、漂い始めている気が……)
あの娘……虎葉の件でも、それを感じた。
何か――今までの絢人とは違う。
いや、絢人であるのは確かなのだが……なんと、いうか。
大局を、視ている――。
そんな感じが、あった。
(もう少し見極めは必要でしょうけれど……)
しかし、もし自分の感覚が当たっているのであれば……
(面白いわ……もしあなたが覇王を目指すのであれば、そのまま好きにやってみなさい……裏方のサポートはきっちり、母さんがやってあげるから……)
そして……その愛する息子の貴重な観光旅行に――
ゴミのようなノイズを引き起こした、バカども。
息子にとってなんの得にもならぬ、社会のゴミにも等しき存在……。
すでに柄澤大育とその仲間たちは全員が地面に倒れ、苦しげに呻いている。
半分は気絶しているようだ。
あんなものはこうして、早々に一網打尽にしておくべきだ。
最後まで出番なく控えていた女執事に、黒薔薇は念を押す。
「後始末は、きっちりと」
「はい、承知しております」
地面に転がるゴミたちに視線を戻す黒薔薇。
口元は扇子で覆われているが、彼女のその目はすべてを物語っている。
――いつのことだったか。
温室の薔薇に、害虫がついていた。
迷わず殺虫剤で殺した。
コロリと死んだ害虫は、地面に落ちた。
この時、黒薔薇はこう思った。
〝あぁ、殺虫剤が薔薇にかかってしまった〟
あの時の……害虫を見る目。
黒薔薇は視線の先の〝害虫〟たちをその目で眺め――
刺すように、毒づいた。
「クソガキどもが」




