第二話 放課後何する?
第二話 放課後何する?
帰りのホームルームが終わった。
教室の空気が、一気に放課後へ変わる。
凛は竹刀袋を肩に掛けると、「また明日」と剣道部へ向かった。足を痛めている奈々も、今日はそのまま帰るらしい。
真二も鞄を持ち上げた。
「探検しよう」
目の前にひなたがいた。
「探検って時点で嫌な予感するんだけど」
「まだ何も説明してないよ」
「探検って聞いた」
「学校を探検するの」
「一週間ちょっと通ってるだろ」
「じゃあ、この学校に部屋いくつある?」
「知らない」
「屋上って入れる?」
「知らない」
「校長先生の下の名前は?」
「知らない」
ひなたが胸を張った。
「何も知らないじゃん!」
「最後のは探検しても分からないだろ」
近くで美咲が笑った。
ひなたが振り返る。
「美咲も行く?」
「校内探検?」
「うん」
「高校生が?」
「高校生は探検しちゃいけないの?」
美咲は少し考えてから鞄を持った。
「……面白いもの見つけたら悔しいから行く」
「素直じゃないね」
「ひなたに言われたくない」
帰りかけていた理央まで捕まり、結局四人になった。
真二は早くも後悔していた。
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普段ほとんど用のない特別教室棟は、放課後になると少しだけ別の建物に見えた。
生徒の声が遠い。
窓から差す春の日が、長い廊下の半分だけを照らしている。
ひなたは化学室の前で止まった。
「化学室」
「そこなら知ってる」
真二が何気なく言った。
「何を?」
「何をって、化学室」
「それ名前じゃん」
「授業で入ったこともある」
「じゃあ、あの棚に何入ってる?」
小窓の向こうを指差される。
「……知らない」
「奥の部屋は?」
「知らない」
「放課後は何に使ってるの?」
「知らない」
ひなたが笑った。
「ほら。知らない」
「ひなたも知らないだろ」
「だから知りたいんだよ」
理央が小窓から中を覗いた。
「ひなたの方が合ってると思う」
「理央!」
ひなたが一瞬で理央の隣へ移動する。
「名前と大体の用途を知ってることと、その場所を知ってることは違うよ」
「そう、それ!」
ひなたが勢いよくノブへ手を伸ばした。
「じゃあ見よう」
「勝手に入っちゃ駄目だよ」
ぴたり。
ひなたの手が止まった。
理央を見る。
ノブを見る。
もう一度、理央を見る。
「……さっき私の味方だったよね?」
「味方はしてないよ」
「したよ!」
「『真二は化学室をそんなに知らない』には賛成したけど、『勝手に入っていい』とは言ってない」
「ハシゴかけて外した!」
「かけてないよ?」
「もっと悪い!」
美咲が吹き出した。
理央は何がおかしいのか分からないらしく、少し首を傾げている。
ひなたはしばらく恨めしそうに化学室を見ていたが、侵入は諦めた。
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四人はそのまま奥へ進んだ。
視聴覚室。生物室。準備室。
ひなたは見慣れないものを見つけるたびに寄り道した。
最初は高校生が校内探検なんて、と笑っていた美咲も、いつの間にか自分から扉の小窓を覗いている。
真二がそれを指摘すると、
「これはひなたに付き合ってるだけ」
と言った。
その直後、誰より先に次の角を覗き込んだ。
真二は何も言わなかった。
少し後ろを歩いていた理央が、壁の前で止まった。
「ねえ」
校内案内図だった。
理央の指先に、小さな四角がある。
部屋らしい。
しかし、そこだけ名前がない。
倉庫にも準備室にも細かく名前が振られているのに、一室だけ空白だった。
「何これ」
ひなたの声が変わった。
案内図。
廊下の奥。
案内図。
廊下の奥。
確認する必要もないのに二度見して、歩き出す。
「待て」
「まだ何もしてない!」
「歩くなとは言ってない」
「じゃあいいじゃん」
「走るな!」
ひなたが走った。
「聞けよ!」
美咲も続く。
「これは気になる!」
理央まで歩いていく。
真二は一人残された。
「……なんで俺が一番まともみたいになってるんだ」
三人が振り返った。
美咲が言う。
「来ないの?」
「行くよ!」
口から即答が出た。
……なんで行くって即答したんだ、俺。
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扉は普通だった。
灰色の扉に銀色のノブ。
教室名を入れる枠だけが空っぽになっている。
ひなたが上を見る。下を見る。横を見る。
「立入禁止、なし」
「それで入っていいことにはならないぞ」
「分かってる」
「分かってるの?」
「私だって何でも勝手に入ったりしないよ」
真二は少し安心した。
ひなたがノブを指差した。
「開くか確認するだけ」
「それ、分かってる人の確認じゃないだろ」
美咲が笑った。
理央は扉を見ている。
ひなたが期待を込めて振り返った。
「理央」
「禁止されてないことと、許可されてることは同じじゃないよ」
「まだ何も聞いてない!」
「聞くと思って」
「先回りしてハシゴ外された!」
今度は真二も笑った。
「もう理央に期待するな」
「真二まで!」
「先生に聞けばいいだろ」
「聞いたら答え分かっちゃうじゃん」
「そのために聞くんだよ」
ひなたは納得しない。
代わりに扉の小窓へ顔を寄せた。
「あ」
「何?」
美咲がすぐ反応した。
「何かある」
「そりゃあるだろ」
「棚みたいなの。あと箱」
美咲も隣へ行く。
「見せて」
「待って、まだ見てる」
真二も後ろから覗いたが、ひなたと美咲の頭しか見えなかった。
「二人で全部塞いでる」
「真二も見たいんじゃん」
「ここまで来たら見るだろ」
「素直になった」
「はいはい」
美咲が少しずれた。
「真二、こっちから見えるよ」
「どこ」
真二が顔を寄せる。
「見えない」
「もうちょっと前」
「無理だって」
「詰めれば入るよ」
「入らないって」
美咲が真二の背中越しに身を乗り出した。
「ほら、そこ」
「どこだよ」
背中に美咲が当たった。
「ちょ、森野」
「見えた?」
「そうじゃなくて」
前にはひなた。
後ろには美咲。
狭い。
「真二、ちょっと前」
ひなたまで言う。
行けるか。
前へ行けばひなた。後ろへ下がれば美咲。
なんで俺が真ん中なんだ。
「私も見えない」
美咲がさらに身を乗り出した。
「だから押すな!」
「押してないよ」
「押してる!」
「ちょっとだけ!」
真二が押し出された。
そのまま、ひなたへ。
「わっ!」
「ごめん!」
ひなたがよろけ、とっさにドアノブを掴んだ。
ガチャ。
扉が内側へ開いた。
「あ」
ドタン!
---
「いたっ!」
ひなたの声が真下からした。
「ごめん!」
真二は両手を床について、慌てて身体を浮かせた。
背中には美咲の重み。
一番下にひなた。
その上に自分。
さらに美咲。
「痛たた……」
後ろから美咲の声がする。
「ごめん、ちょっと待って。今降りる」
「ひなた、大丈夫?」
「ちょっと重かった」
「ごめん!」
腕に力を入れたまま、真二は下を見た。
近い。
ひなたの顔が、腕の間にある。
こんな距離で顔を見たのは、いつ以来だろう。
昔なら、あった。
小学生の頃、追いかけっこをしていて正面からぶつかり、二人で転んだことがある。ひなたが笑いながら背中に飛び乗ってきたこともあった。
肩が当たろうが腕を掴まれようが、何とも思わなかった。
いつから、そんなことをしなくなったんだろう。
小さい。
ひなたって、こんなに小さかったっけ。
昔の記憶では、もっと同じくらいだった。
今は、自分の両腕の間にすっぽり収まっている。
ひなたが小さくなったわけじゃない。
俺が大きくなったのか。
毎日のように見ていたから、そんなことを考えたこともなかった。
ひなたが少し身じろぎした。
制服が擦れる。吐いた息が近い。
ひなたの匂いがする。
知っている匂いだ。昔から何度も嗅いでいる。
ただ、こんなに濃くはない。
息を吸う。
ひなた。
もう一度吸う。
やっぱり、ひなた。
腕の中も、目の前もひなたで、息を吸えば匂いまでひなたが入ってくる。
――ひなたに埋もれている。
なんだこれ。
少し息を深く吸ってみる。
もっとひなたに埋もれた。
もう一度――
「真二?」
「…………」
「真二?」
我に返った。
ひなたの上にいた。
「何してるの?」
「……呼吸」
「なんでそんな真剣に?」
答えられない。
とにかく、ひなたの上から退かないと。
でも美咲が降りるまでは動けない。
背中で美咲が動いた。
「待って、今降りるから」
入口から声がした。
「三人とも大丈夫?」
理央。
真二は顔だけそちらへ向けた。
一人だけ廊下に立っている。
救世主だった。
「理央」
「何?」
「助けて」
理央は三人を観察した。
「美咲が先に降りればいいと思う」
「そうしてる!」
「じゃあ真二は動かない」
「はい」
「美咲が降りる」
「はい」
「そのあと真二が起きる」
「はい」
「最後にひなた」
「はい」
ひなたが笑った。
「真二、理央の言うことだけすごい素直」
「今の理央には全面的に従う」
「さっきハシゴ外したのに」
「あれ言ったのひなただろ!」
「覚えてた」
「今それ話す!?」
ようやく背中が軽くなった。
「降りた」
美咲の声。
「よし!」
真二は身体を起こした。
すぐひなたへ手を出しかけ――やめた。
自分で普通に起き上がっている。
「大丈夫?」
「うん」
ひなたは制服をぱたぱた払った。
もういつものひなただった。
真二も床に座ったまま息を吐く。
なのに、さっき知ったことだけが頭に残っている。
小さかった。
近かった。
知っている匂いが、近すぎると全然違った。
十五年も知っている相手なのに。
「真二、見て」
ひなたはもう部屋の奥を向いていた。
「今?」
「なんかいっぱいある」
「……三十秒待って」
「なんで?」
「人生で必要な三十秒」
美咲が吹き出した。
「何それ」
俺にも分からない。
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部屋は、想像していたより広かった。
窓にはカーテンが掛かっていたが、開いた扉から廊下の光が入っている。
棚には段ボール。
古い看板。
紙で作られた花。
大きな布。
何に使ったのか分からない木の板。
「倉庫?」
美咲が言った。
ひなたはもう箱を覗いている。
「これ何?」
「触るなら壊すなよ」
「見るだけ」
箱から金色の王冠が出てきた。
「見て!」
「見るだけじゃなかったな」
ひなたは王冠を頭に載せた。
「似合う?」
「似合う似合う。だからちゃんと戻してきな」
「雑! 感想が雑!」
美咲が別の箱を開けた。
「何これ!」
巨大な赤い羽根飾りが出てきた。
「美咲、それ似合いそう」
「絶対嫌」
三十秒後。
美咲は羽根飾りを頭につけていた。
「似合う?」
「なんでつけたんだよ!」
「ひなたがうるさいから!」
「美咲も楽しんでるじゃん」
「楽しんでない」
「写真撮ろう」
「それは撮る」
「楽しんでるだろ!」
理央は棚から古い冊子を見つけていた。
「文化祭のパンフレットみたい」
「何年前?」
「十二年前」
ひなたが覗き込む。
「私たち小学生にもなってない!」
ひなたが写真を覗き込む。
「昔の高校生だ」
ひなたがページをめくる。
知らない名前。
知らないクラス。
でも、同じ教室や体育館が載っている。
美咲も羽根をつけたまま覗いた。
「この人たち、今もう三十歳くらい?」
「そうなるね」
理央が答える。
「大人じゃん」
「美咲も十五年後にはそうだよ」
「やめて」
「なんで?」
「急に人生を進めないで」
真二は笑った。
そのとき。
「楽しそうだね」
知らない声がした。
四人が止まった。
扉を見る。
先生が立っていた。
沈黙。
ひなた、王冠。
美咲、巨大な羽根飾り。
理央、古いパンフレット。
真二、床。
先生は四人を順番に見た。
「何してるの?」
真二も三人を順番に見た。
誰か答えろ。
ひなたが王冠を外した。
「……探検です」
正直すぎる。
先生が笑いをこらえたような顔をした。
「ここ、文化祭の旧備品室。入るなら先生に一声かけて」
「すみません」
四人で頭を下げた。
真二は理央を見る。
「理央」
「何?」
「許可されてないって言ったよな」
「言ったよ」
「なんで理央も普通に入ってたんだよ」
理央が少し考えた。
「三人とも入ったから」
「それは理由になるの!?」
「一人だけ廊下にいるのも変でしょ?」
「そこは急に空気読むんだ!?」
ひなたが笑った。
美咲も笑った。
先生まで笑った。
真二だけ納得できなかった。
---
四人で使ったものを元の場所へ戻し、先生にもう一度謝って部屋を出た。
帰りの階段で、ひなたが言った。
「探検成功だったね」
「注意されたけどな」
「でも部屋の正体分かった」
「旧備品室」
美咲が言う。
「普通だったね」
「普通じゃないよ」
ひなたは即答した。
「王冠あったし」
「基準そこ?」
「美咲の羽もあった」
「忘れて」
「写真あるよ」
美咲が止まった。
「消して」
ひなたが走った。
「やだ!」
「ひなた!」
美咲が追う。
廊下の先で二人が騒いでいる。
真二は呆れて見送った。
その横で理央が言った。
「明日はどこ探検する?」
真二は理央を見た。
「理央も!?」
理央が笑った。




