鋼の愛馬に跨って2「最北端」
雲一つない空の下、沙弥は日本の最北端・宗谷岬に立っていた。
目の前にオホーツク海と日本海をつなぐ宗谷海峡が広がっていた。3年前、友達と一緒に来るはずだった場所。
「やっと来られた…」
3年越しで叶えることができた、旅の目的地。正直、感傷にひたりたい気持ちもあったが、いかせん日本有数の観光地なので人が多い。ライダー、ドライバー、チャリダー(自転車ツーリスト)、そして一般の観光客でごった返している。風が強いため、人と人が会話する声も大声になりがちで、かなり騒がしかった。
日本最北端の地の碑と、間宮林蔵の立像をそそくさとスマホで撮影すると、沙弥は愛車のスーパーフォアに跨り、すぐに出発した。
北海道上陸3日目。本日の走行距離は、今回のツーリングで最長になる。まず、クッチャロ湖から、この宗谷岬までが約65km。今日はこのあと、宗谷岬から網走湖まで、オホーツク海沿いの国道238号を一気に南下する。その距離、約290km。ここまでの走行距離と、ここから先の走行距離を合わせると、今日1日で350km以上を走り切る計算だ。
要するに時速100㎞のスピードで、ノンストップで走って3時間半かかる距離だ。一般道の法定速度は時速60kmだから、ノンストップで走っても約5時間はかかる。
「早めにゲストハウスを出ておいて良かった…」
ロング・ツーリングになることは分かっていたので、沙弥は朝食を辞退して8時前にはゲストハウスを出発したのだ。おかげで、現在まだ午前10時前。順調にいけば、午後4時頃には到着することができるだろう。
とは言え、焦りと無理は禁物。バックミラーと目視で後方の安全を確認すると、沙弥はスーパーフォアを発進させた。
※
宗谷岬を出発してから2時間半あまり。休憩は途中1度、道の駅でトイレに立ち寄ったぐらいで、あとはぶっ続けで走り続けた。そろそろ給油のタイミングだったのと、朝食抜きでお腹が空いてきたので、沙弥は雄武町で給油と昼食を済ませることにした。スマホのナビは、雄武町にセイコーマートと、ホクレンのガソリンスタンドがあることを示している。
北海道のコンビニと言えばセイコーマート、ガソリンスタンドと言えばホクレンだ。どちらも、今回のツーリングではとてもお世話になった。
まずセイコーマート。ソロツーリングということもあり、昼食は飲食店を利用するよりも、コンビニのおにぎりやサンドイッチで済ませることが多かった。1人で食堂に入ると、料理が出て来るまでの間、手持無沙汰だったり、時には相席をお願いされたりする。それが苦にならない人もいるだろうが、若い女性1人だと、いろいろと面倒くさいことも多いので、沙弥は極力避けるようにしていた。
この2日間は、お昼にセイコーマートで買ったおにぎりとお茶を、駐車場で座って食べるというのが習慣になった。今は当たり前にできているが、これも3年前の沙弥にはできなかったことだ。
そして、ホクレンのガソリンスタンド。愛車のスーパーフォア1300の燃料タンクの容量は、21リットル。あまりギリギリで給油するのも何かあった時に怖いので、トリップメーターの走行距離が250kmを超えたら、沙弥は給油をすることにしている。
クルマしか乗ったことのない人には理解し難いかもしれないが、実は殆どのバイクには燃料計が装備されていない。ガソリンの残量が少なくなった時に点灯する警告灯がメーター周りにあるだけだ。このスーパーフォアの場合は、ガソリンの残量が4リットルを切ったところで、警告灯が点灯するようになっている。
スーパーフォア1300の燃費は走り方にもよるが、北海道に来てからはだいたいリッター17〜18kmといったところだった。信号や渋滞が少ないので、低速でストップ&ゴーを繰り返すような市街地での走行と比べると、かなり燃費が良い。この計算でいくと、警告灯が灯った時点で、あと50km程は走行可能ということになる。
「いいですよね、大型バイク。僕らみたいな原チャリは、タンクが小さくて航続距離が限られてるから、まずガソリンスタンドの位置を確認してから、ツーリングのルートを決めるんですよ」
昨日、泊まったゲストハウスで知り合った原チャリ(原動機付自転車・排気量50cc未満の小型バイク)ライダーの男の子が、そんなことを言っていた。北海道在住の大学生だという彼の愛車は、ホンダ・モンキーだった。バックパックに必要最小限の装備だけ詰めて、北海道を回っているという。
「宗谷岬まで行ったら、次は南下して知床や、道東をのんびり回るつもりです。なんせ、大学生の夏休みは、2カ月もあるもんで」
「いいなあ。東京からだと、フェリーの移動で前後1日ずつ取られちゃうから、8日間休みを取っても実質、北海道にいられるのは5日間だけだよ」
沙弥がそう返すと、
「時間がある代わりにお金がないので、本当に観光地は見て回るだけです。友達にも『お土産は期待するな』って言ってあります」
とニコニコしながら話していた。せっかくの縁だったので、
「これ、途中で飲んで」
と沙弥はその大学生に缶コーヒーを差し入れた。
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セイコーマートでサンドイッチとペットボトル入りの紅茶の昼食を済ませると、近くにあったホクレンのガソリンスタンドで給油をして、沙弥はまた愛車を出発させた。
ここまで来ると、富良野の渋滞が信じられないくらい、対向車も先行車も少なく快適に走ることができた。たまにすれ違うライダーとピースサインを交わすと、ついフルフェイスヘルメットの中の頬が緩む。沙弥が江差町を走っている時、グループツーリングのライダーたちとすれ違った。グループ全員がそれぞれでポーズを決めているらしく、フォーメーションを組んでアクロバティックなポーズをキメて来た。その旺盛なサービス精神に、沙弥は爆笑してしまった。
3年前。まだ沙弥が、中型自動二輪免許しか持っていなかった頃、1度北海道にツーリングに来たことがあった。当時の愛車は、アメリカンタイプのヤマハドラッグスター250だった。
その時は、ソロではなく高校時代からの友人で、同じくバイク仲間だった片山由紀と一緒だった。そして、忘れもしないフェリーが苫小牧港に入港し、間もなく下船というタイミングで、由紀のスマホが鳴ったのだ。
それは由紀の実家からの電話だった。祖母が急逝してしまったので、至急、戻ってこいという連絡だった。
「ごめん、せっかく北海道に着いたのに、あたし帰らなくちゃ。楽しみにしてたのに、せっかく北海道に来れたのに、本当にごめん」
由紀は申し訳なさそうにそう言い、沙弥だけでもツーリングを続けて欲しいと伝えてきたのだが、当時の沙弥には1人で北海道をツーリングして回る自信も、度胸もなかった。
沙弥と由紀の2人は、北海道上陸後、そのまま近くの旅行代理店に行き、なんとかその日の夜に出発する大洗行きのフェリーのチケットを確保すると、翌日に東京に戻ることになった。こうして、沙弥の北海道初上陸は、半日ほどで終わった。
来年、また北海道にツーリングに行こうと約束していた由紀は、その年のうちに交通事故で亡くなってしまった。コンビニで買い物を済ませて出てきたところを、ブレーキとアクセルを踏み間違えた軽乗用車に突っ込まれ、その巻き添えになってしまった。即死だったと、沙弥はニュースで知った。
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サロマ湖、能取湖を過ぎると、網走湖が見えてきた。今夜のゲストハウスは、あの近くだ。
さすがに、宗谷岬からの300km近いロング・ツーリングは疲れた。自分の体重の殆どをシートで支える設計になっているアメリカンタイプのバイクと比べて、ネイキッドタイプのバイクは、もっとバランスよく体重が分散するようにできている。なので、長距離走行の疲労もドラッグスターほどではないのだが、それでも肩や首がパンパンに張っているのがわかる。
休憩少なめで突っ走ってきた甲斐があって、午後4時過ぎには目的地近くまで来ることができた。近くの温泉施設で今日の汗を流してから、沙弥はゲストハウスに向かうことにした。
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国道39号から案内に従って脇道に進むと、目的地であるゲストハウスが見えてきた。既にクルマが2台、停まっている。今日は週末なので、ゲストハウスの宿泊客も多めなのだろう。見た限り、宿泊客の中にライダーは沙弥しかいないようだった。
ゲストハウスの前にバイクを停め、サイドスタンドの下に転倒防止用のプレートを敷くと、ヘルメットを脱いで荷解きを始める。さすがにヘルメットの中が、汗くさい。先ほどの温泉施設でシャンプーはしてきたのだが、ヘルメットをかぶるとこうなってしまうのは仕方ない。
すぐ後ろからクルマの停車する音が聞こえた。振り向くと、クルマの中から2人の女性が降りてくるところだった。
「ああ、やっぱりそうだ!行き先、同じだった」
助手席から降りてきたのは、見るからに可愛らしい感じの女性だった。どこかのアイドルグループでセンターに立っていそうな人だと、沙弥は思った。
「本当だ!範子、大当たりじゃん」
運転席からは痩せた背の高い女性が降りてきた。こちらは格好いい感じのお姉さんだ。その女性が沙弥に話しかけてきた。
「ごめんなさい、なんのことだか分からないですよね?しばらく前から、うちらのクルマ。ずっとお姉さんのバイクの後ろ、走ってんだ。一つ前の交差点のところで、赤信号に捕まって置いてかれちゃったけど」
「やっぱり、女の子だったんだあ!こんなに大きいバイクに乗ってて格好いい!」
範子と呼ばれていた、可愛らしい女性が沙弥に近づいてくる。
「後ろを走りながら、花ちゃんと『女の子みたいだけど、格好いいね』って話してたんです。東京のナンバーだったし、もしかしたら同じところに泊まるのかな?って言ってたら、大当たり!」
そう笑った範子さんの笑顔は、同性である沙弥から見ても魅力的だった。「可愛いは正義」そんな言葉が、沙弥の頭に浮かんだ。
「荷下ろししてるところ、話しかけちゃって、ごめんね。うちらもこれからチェックインするところなんだ。荷物、多いみたいだけど、どれか持ちましょうか?」
花ちゃんと呼ばれていた背の高い女性が、沙弥のバイクの後部座席に積んだツーリングバックを見ながらそう言った。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。慣れているので」
ツーリングバックは後部座席の上と、その左右合わせて合計3つあったが、中身のほとんどが衣類なので、見た目よりもはるかに軽い。3つまとめて持てるようにデザインされているので、沙弥1人でも余裕で持ち歩ける。
花ちゃん、範子さんと沙弥の3人は、それぞれバッゲージを抱えてゲストハウスのフロントに向かった。
「長旅、お疲れさまでした。皆さん、夕食は召し上がると聞いてましたので、18時半になったら、食堂までお集まりください。今日は、3組のご家族とお1人様ですので、お2人は同室で、中野さんは個室でお願いします」
フロントで、ゲストハウスのオーナーの男性はそう案内してくれた。
ゲストハウスは原則、相部屋だと聞いていたのだが、今回のツーリングでは結果的に沙弥は1人で部屋を使うことが多かった。相部屋になったのは、昨日のクッチャロ湖のゲストハウスだけだ。
18時半の夕食までには、まだ少し時間があるので、沙弥は談話室にある自販機で缶ビールを買うことにした。運転があるので、温泉施設での湯上りのビールは我慢していたのだが、ようやく解禁だ。
3年前までは、缶ビールを買って1人で飲むなんてことは考えられなかった。そもそも、ソロツーリング自体、沙弥にはあり得ないことだったのだ。それがこの3年間で、大きく考え方が変わった。生き方も変わった。
きっかけがあるとすれば、「あの出来事」であるのは明白だが、それはあくまできっかけに過ぎない。自分でも驚くほど引きずらなかったのは、決して薄情だったからではないと、沙弥は信じたかった。
「あ、ここにもピアノがある」
「弾いても大丈夫か、あとで宿主さんに聞いてみようか」
先ほどの2人、範子さんと花ちゃんが談話室に入ってきた。
「あ、ビール!いいなあ。晩御飯までまだ少しあるし、うちらもいただいちゃおうか?」
花ちゃんが提案すると、範子さんも
「賛成ー!」と答えた。
沙弥は迷うことなくロング缶を買ったのだが、2人が買ったのは、それぞれ350ml缶が1本ずつだった。
「じゃ、旅の出会いを記念しまして、乾杯!」
花ちゃんの音頭で、3人は乾杯をした。
「お2人も東京からですか?」
「うん。旭川の空港でレンタカーを借りて、6泊7日で北海道回ってるとこ」
花ちゃんが答えた。
「ああ、飛行機で来られたんですね」
「お姉さんはフェリーですか?」
「はい。大洗から出てる苫小牧行きのフェリーで来ました」
「そうなんだ。ところで、大きいバイクだね。あれ、何ccあるの?」
花ちゃんが、興味津々といった感じで質問してきた。
「1300ccです」
沙弥がそう答えると
「え!うちらの乗ってるノートよりも大きいんだ」と驚いていた。
「追いつかないわけだよー。お姉さんは1人で1300cc、あたしたちは2人で1200ccだもん」
範子さんが、納得したという感じで話す。
「だよねえ。うち、父親が元ライダーでさ。あたしが中学生の頃くらいまでは、家にバイクがあったんだよね」
花ちゃんがそう続ける。
「へえ、どんなのに乗られてたんですか?」
排気量に興味を持つあたり、絶対にバイクのことを知ってる人だとは沙弥も思ったのだが、やっぱりそうか。
「うーん、車種とかよく分からないんだけど、なんかカバーで覆われた、速そうなやつ」
「カバー?カウルのことですかね?」
そう言いながら、沙弥はスマホでカウル付きのバイクの写真を検索して、いくつか花ちゃんに見せた。
「ああ、そうそう!こんな感じのやつ。このカバーみたいなのって、カウルっていうんだね」
「普通、知らないですよね。バイクに乗ってる人でもなけりゃ」
初対面の花ちゃん、範子さんの2人と、こんな風に話をしているのが、沙弥は不思議な気がした。これも3年前の沙弥だったら、あり得ないことだったろう。
「あ、お部屋に居ないと思ったら、ここだったんですね。夕食の準備が出来たので、どうぞ食堂までお集まりください」
そのタイミングでゲストハウスのオーナーに声を掛けられたので、沙弥と範子さん、花ちゃんの3人は食堂へ移動することにした。ちょうど、3人とも缶ビールを飲み終えたところだった。
飲み終えたビールの空き缶をリサイクルボックスに入れると、3人は談話室を後にした。




