第二十話 香ばしい匂いと、街角のお料理助手
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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職人街で大きな革エプロンを身にまとい、鍛冶や大工の仕事を器用にこなす灰銀色の大型魔犬・オヤカタとその弟子たちの噂は、あっという間にベイスの町中に広まっていた。
山から町へと降りてきた子魔犬たちも、それぞれの得意な魔法や個性を活かして人間たちの仕事を手伝い、町の一員として誇らしく暮らしている。
そんな賑やかな街角の一角で、羨望の眼差しを向けながらお腹を「ぐうぅ」と鳴らす数頭の小さな町魔犬たちがいた。
彼らが熱い視線を注いでいたのは、町で最も賑わう酒場兼料理屋「錆びた鉄剣亭」と、その向かいで香ばしい煙を上げる街角のパン屋さんである。
風に乗って漂ってくるのは、こんがりと焦げた麦の香ばしい匂いや、大鍋でじっくり煮込まれた肉と野菜の芳醇な香り。食いしん坊な魔犬たちにとって、それは何よりの誘惑だった。
町魔犬たちは、お家のお手伝いでもらったコインを出しあって、どのメニューを買うか鼻を付き合わせて相談していたのだ。
「お肉!お肉にしようよぉ」
「えーー、お肉じゃあパンを買うお金がなくなっちゃうよ!」
「じゃあ、パンを1個と鉄剣亭はスープをもらおうか!」
「お肉…ーー」
「「お肉は我慢!」」
約一匹以外は意見が揃ったため、パン屋では丸い白パンを一つ。錆びた鉄剣亭では具沢山のスープを一つもらって、路地裏に入り、皆で分けあって食べた。
「はふっ…!おいひい!!」
「やっぱりいつもお家で貰う黒パンより、柔らかくって美味しいよねぇ」
「毎日これならいいのにねっ!」
毎日食卓に並ぶ白パンーーそれを想像した町魔犬たちだったが、お得意の脳内算盤がかなりの量のコインを弾き出し、しゅんっと妄想が覚めてしまった。
「よし!スープ冷めたぞ!」
氷魔法が得意な一匹が、熱々のスープを食べやすいように冷ましてくれた。
皆それを思い思いに食べた。器用にスプーンを前足に持って食べるもの、風魔法で水球のように持ち上げて口に運ぶもの。食べ方はそれぞれだったが、感想は一声に揃っていた。
「「「おいしいっ!!」」」
「なんでこんなに美味しくできるんだろう?」
「人間って何でも上手く作ってすごいよねぇ」
「でも、俺たちのなかにだって工房とかで働くやつもいるじゃないか」
そう、オヤカタやその弟子、時計屋、服屋などで働く町魔犬たちだ。
「俺らもさ、ただ貰って食べるだけじゃなくて、自分たちで美味しいご飯を作るお手伝いができるんじゃないか?…そんで、まかないにこのスープとかパンを貰うんだ!」
「お前っ!それは最高じゃないか?」
情熱に目を輝かせた魔犬たちは、すぐさま世話役であるレオンと、白銀の先輩魔犬クゥのもとへと駆け込んだ。
しかし、大張り切りの魔犬たちとは裏腹に、厨房を預かる職人たちの反応は厳しいものだった。
「気持ちは嬉しいんだがなぁ……」
「錆びた鉄剣亭」の冒険者上がりの豪快な親父さんは、太い腕を組んでうーんと唸った。
「厨房ってのは衛生第一だ。どれだけ綺麗にしていても、その毛並みから一本でも抜け毛が料理に入っちまったら大変だからな。それに、狭い厨房で火や氷の魔法を暴走させられちゃ堪らん」
パン屋の頑固な老職人も「職人の繊細な火加減は人間の長年の勘があってこそだ」と難色を示し、首を横に振るのだった。
だが、誇り高き腹ペコ魔犬たちがここで諦めるはずもなかった。
「毛が入るなら、毛を絶対に落とさなければいいんだ!」
子魔犬たちは集まり、夜通しで特訓を重ねた。そして編み出されたのが、独自の『自浄・風防魔法』である。全身の毛並みの表面に極めて微細な風の膜を完璧に張り巡らせ、汚れや埃を一切寄せ付けず、抜け毛の飛散を完全にシャットアウトする画期的な魔法だ。
さらに彼らは、職人通りの頼れる先輩である大型魔犬・オヤカタの元を訪れた。オヤカタはちびっ子たちの熱意に深々と頷くと、服飾店の職人・魔犬たちと協力して、前足や尻尾の動きを邪魔しない、耐火性と撥水性に優れた、特注の小ぶりなコック服とエプロンを仕立ててくれたのだった。
小さなコック帽をちょこんと頭に乗せ、特注エプロンをキュッと締めた町魔犬たちが、再び厨房の前に整列した。
「見よ、この完璧な準備と気合を!」と言わんばかりに胸を張る姿に、料理人たちは驚き、その勢いには半ば呆れながら、厨房にはいることを許可した。
まず実力を発揮したのは、街角のパン屋さんにて。
薪の火加減によってどうしても焼きムラが出やすかったパン窯の前に、火魔法の得意な小さな魔犬がそっと歩み寄った。
鼻先を窯の覗き穴に近づけ、内部の熱気と温度の変化を繊細に感じ取る。そして、小さな吐息とともに極めて微細な火魔法を送り込んだ。
薪の爆ぜる揺らぎを均一に微調整し、熱を窯全体へ完璧に行き渡らせる。やがて焼き上がったパンは、外側は黄金色にパリッと香ばしく、中は限界までふっくらと膨らんだ、これまでにない「至高の白パン」となった。
老パン職人は一口パンを食べると、目を見開いた。そして、いつもの頑固そうな表情からは想像ができないほど明るく、ニカッと笑ったのだ。
続いて「錆びた鉄剣亭」の厨房。
グツグツと煮込まれた特製スープの大鍋の前で、別の魔犬が微小な氷魔法を発動させる。
湯気を優しく包み込み、旨味と香りを一瞬でキュッとスープの奥底に閉じ込めながら、粗熱を適温まで下げる。
さらに、焼き上がったパイや肉料理から立ち上る甘く香ばしい匂いだけを、柔らかな微風魔法に乗せて、開け放たれた窓から街の通りへとふんわり届けてみせた。
「なぁ、なんかうまそうな匂いしねぇか?」
「あー腹減ってきたな!飯食ってくか!」
街道を行き交う人々や冒険者たちが香りに吸い寄せられるように「錆びた鉄剣亭」へとなだれ込み、店内はあっという間に超満員となった。
「おいおい、これじゃ鍋があっという間に空っぽだ!」
豪快な親父さんは大笑いしながら魔犬たちの頭を撫で回し、正式に「お料理助手」として彼らを採用することを宣言したのだった。
そして腹ペコ町魔犬たちは、目論み通りにまかないを獲得し、めくるめく満腹の毎日を送ることになったのだった。
しかし、彼らの野望はそこで止まらなかった。ある日のまかない時間のことである。
「んまぁ~い!毎日食べても飽きない!」
「嘘つけ!お前昨日は『そろそろトマト味が食べたいな~』とか親父さんの前でわざとらしく言ってただろ!」
「だって、そっちも食べたいんだもん!」
「あんたねぇ」
一番のお調子者の一匹を、皆でやれやれと言いながらからかう。いつもの楽しい時間。しかし、一匹の聡明な食いしん坊はいつもと違うことを考えていた。
「こんな美味しいものをさ、食べたことない仲間もいるよな?」
その言葉に皆はハッとした。確かに、町で食べ歩きなんぞをしている奇特な魔犬は、たとえ町に馴染んだ町魔犬といえど、他にあまりいなかった。
「興味ないんじゃないのぉ?」
「ばかっ、こんな上手い匂いさせてるのを見逃す犬がどこにいるんだよ」
「えぇ~じゃあなんでよ?」
一斉に首をかしげて考える。嗅覚の優れた魔犬にとって、料理の匂いなど、いっそ暴力的なほど魅力である筈なのだ。
「あ!山の大きい兄ちゃんたちなんかは、お金持ってないや」
「あと、あれじゃない?お店の食器って食べづらいじゃん」
「それだけでこのご飯が食べられないなんてもったいない!」
彼らの情熱は「仲間の魔犬たちも、人間と一緒に気兼ねなく美味しいご飯を食べたい!」という方向にまで発展し、厨房に戻るや否や、魔犬視点による店舗の改革を提案したのだ。
魔犬が立ったまま、あるいは伏せたまま無理のない首の角度で食事ができるよう、深さを巧みに計算した「深底の木製専用食器」。
さらに、人間のテーブル席の隣には、魔犬たちがゆったりと並んで座れる「魔犬優先ローカウンター」やテラス席を設置。
前例のない、魔犬を客にした計画に店主たちは首を捻ったが、あまりにもお手伝い魔犬たちの説得が熱心だったため、これを採用してみることにしたのだった。
そして、店先に小さく「魔犬席ございます」と立て看板を出した。
結果、快適に人間の料理を食べられるという評判を聞きつけ、街に暮らす魔犬だけでなく、霊峰の深い山々から山魔犬たちも続々と店を訪れるようになった。
町に住み着いた魔犬や町魔犬たちはお手伝いで得たコインで代金を支払うが、通貨を持たない山魔犬たちは自らの力で代金を持ち込んだ。
「冷たい渓流で獲れた新鮮な川魚」や、「山深くで狩ってきた極上の魔獣肉」である。
市場でも滅多に出回らないこれらの希少で高級な食材は、料理人たちの腕によって「魔獣肉の赤ワイン煮込み」や「川魚と香草の包み焼き」といった「錆びた鉄剣亭」の特別限定メニューへと生まれ変わった。
極上の逸品を求めて、噂を聞きつけた冒険者や町民が押し寄せ、ベイスの街角は連日お祭りのような大繁盛を見せることとなった。
活気に溢れる夕暮れの「錆びた鉄剣亭」。
小さなエプロンをつけた魔犬たちが、鼻先で器用にカトラリーを揃えて運んだり、尻尾を上機嫌にパタパタと振りながらスープの温度を確かめたりと、大忙しで動き回っている。
客席では、仕事を終えた冒険者たちがエールの入った木杯を掲げて乾杯し、そのすぐ隣のローカウンターでは、魔犬が深底の専用皿から美味しそうにスープを味わっていた。
「今日のスープも最高だな!」「ワンッ!」
互いに顔を見合わせて鼻を鳴らし合う光景は、すでにこの街の温かな日常となっていた。
そんな賑やかな店内に、様子を見にやってきた一行があった。
世話役のレオンとクゥ、そして見回りを兼ねて訪れた領主のエレアノーリエとノランである。
「うわあ、すごい賑わいですね! 焼き立てパンとスープの香りがたまりません!」
ノランが目を輝かせると、赤髪をたなびかせたエレアノーリエも「本当に素晴らしいことですわ。人と魔犬がこうして自然に食卓を囲めるなんて」と感銘を受けたように微笑んだ。
二人は運ばれてきた焼き立ての特製パンをスープに浸し、その深い味わいに舌鼓を打つ。
窓の外には、夕日に染まるベイス=アルカの街並みが広がっている。
街角に広がる香ばしい焼きたての匂いと、店内にあふれる人と魔犬の温かな笑顔。
豊かな食卓と絆に包まれながら、魔法都市の温かな一日は静かに暮れていくのだった。
食いしん坊キャラ大好きマン
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