第十四話 お忍び辺境伯と、海を目指す小さな騎士
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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グランセリア王国の北方に広がる広大な領地は、第三王女エレアノーリエが領主となり、人と魔犬が共に支え合う「魔法都市」として、発展の芽が出始めていた。
その中心、ベイス=アルカの町に降りた魔犬たちの多くは、それぞれの個性を活かして工房や商店の手伝いを買って出たり、町の人間と友になりその家に住み着いたりと、すっかり町の一員として馴染んでいた。
しかし――中には、少しばかり「変わり犬」の魔犬も存在した。
ベイスの町外れにある賑やかな酒場兼飯屋、『錆びた鉄剣亭』。
夕刻を迎え、汗を流した職人や冒険者たちが続々と集まり、木樽の叩かれる音と笑い声が響き渡る店内で、厨房の奥からダッと勢いよく飛び出してきた影があった。
「オヤジさん! 今日の『家賃』、置いとくぞー!」
引き締まった青みがかった黒色の毛並みを持つ子魔犬が、自分の身体ほどもある大きな野生イノシシのモモ肉を魔法で宙に浮かせて運び、厨房の台へドスンと載せた。
「おう、ありがとな! 今日の肉も立派だ! おいみんな、今日の特別メニューは極上の肉だぞ!」
店主の豪快な声に、客たちから「よっ、狩り名犬!」「今日もごちそうさま!」と歓声が上がる。
この子魔犬は、多くの魔犬が好む山や館の静寂よりも、人間たちが集まって笑い合う「酒場の喧騒」を何より愛する変わり者だった。
おまけに、精霊魔法や魔道魔法の構築はさっぱり苦手だったが、その代わりに並の魔獣すら凌駕する圧倒的な身体能力と俊敏さを備えていた。彼は自ら狩った獲物を「家賃」として店に納め、カウンターの隅や客の足元を自分の寝床にしていたのだ。
そんなある日の夜、酒場の重い扉が開き、ひと際背の高い大柄な男が、数人の配下を連れてふらりと店に入ってきた。
身につけている服こそ一般的な旅装だが、放つ覇気と研ぎ澄まされた佇まいは隠しようもない。
「ははあ、ここがエレアの言っていた酒場か! 良い活気だ、親父! 酒と一番美味い肉料理を人数分頼む!」
豪快に笑いながら木製テーブルの丸椅子に腰掛けたのは、南方辺境伯として南の防衛を担う王弟――ラインハルトであった。
彼はこの日、妹である領主エレアノーリエからの相談を受け、北方の辺境伯地に新設する騎士団の編成や防衛体制について協議するため、極秘でお忍び視察に訪れていたのだ。
木杯を受け取ったラインハルトは、豪快に酒を煽ると、同行していた配下の精鋭騎士たちに向かって楽しげに語り始めた。
「いやあ、ベイスの酒も美味いが、うちの領地の海の幸と潮風も恋しくなるな! 空と地平線の境目まで一面に青が広がる『海』の景色……あのどこまでも続く大波と潮の香りには、成人したばかりの俺も感動したぞ…。いつかエレアの奴にも見せてやりたいもんだ!」
「海……?」
カウンターの隅で丸くなっていた子魔犬の耳が、ピクッと跳ね上がった。
山に囲まれたこの地で生まれ育ち、「海」という言葉すら聞いたことがなかった子魔犬にとって、ラインハルトが語る未知の世界は、胸を激しく躍らせるものだった。
子魔犬はダッと床を蹴ると、ラインハルトのテーブルへ一直線に跳び上がり、彼の膝の上にドンと立ち上がった。
「ワンッ! おい、あんた! その『海』ってのはどんなところなんだ!? オイラもそこへ連れていってくれよ!」
あまりの勢いに、周囲の騎士たちが腰のものに手を添えサッと身構える。しかし、ラインハルトは目を丸くした後に、それを片手で制し、大爆笑した。
「ガハハハ! おいおい、いきなり威勢の良い客だな! お前さん、南の海について来たいのか?」
ラインハルトは子魔犬の頭をガシガシと撫で回したが、やがて表情を少し引き締めて首を振った。
「気持ちは嬉しいがな、お前さん。俺の治める南の最前線は、海からの魔物の襲来も絶えない過酷な土地だ。遊び半分で魔女様の魔犬を連れて帰るわけにはいかんのだよ」
だが、子魔犬は諦めなかった。
「遊びなんかじゃないぞ! オイラ、こう見えて前足と爪は強いんだ!」
子魔犬はラインハルトの膝から躍り下りると、一番体格のいい護衛の騎士の前でピタリと足をとめ、腰を落として構えた。
「なに……? 腕試しというわけか。ラインハルト様、よろしいでしょうか」
「構わん。俺が責任をとるゆえ、全力で立ち会え」
ラインハルトの許しを得た騎士は、試すような笑みを浮かべ、素早く手を伸ばし、子魔犬の首元を掴もうとする。
――次の瞬間。
子魔犬の姿が、残像を残して消えた。
「なっ……!?」
騎士が息をのんだ瞬間には、子魔犬は騎士の差し出した腕を蹴り台にして空中へ跳躍。店の柱を三段階に渡って壁走りし、躍動的な回転を描いて騎士の背後へと静かに着地していた。
「どうだっ!」
誇らしげに胸を張る子魔犬に、店主の親父も思わず身を乗り出して助け船を出した。
「お客さん、その子は魔法こそ得意じゃありませんが、身のこなしとガッツは折り紙付きですよ! 家賃の狩りだって一度も欠かしたことがない、義理堅くて頼もしいやつなんです!」
一連の動きを鮮やかに目の当たりにしたラインハルトは、しばし呆然とした後、また天を仰いで腹を抱えた。
「ハハハハハ! 参った、驚いたぞ! 魔法が苦手だと? 冗談ではない、充分すぎるほどの武の才能じゃないか! それだけの身のこなしと根性があれば、そこらの騎士も顔負けだ!」
ラインハルトは子魔犬をガッと抱き上げ、目線を合わせた。
「よし、気に入った! お前さんのその気概、南の海へ連れていってやる!」
「本当か!? やったー!」
子魔犬は尻尾をちぎれんばかりに振り、ラインハルトの顔をベロベロと舐めまわした。
それを南の領主は笑って許すと、今度は子魔犬をそっとテーブルの上に乗せ、重々しく口を開いた。
「うむ、それでは。新たに我がレムリアス辺境伯領地、騎士団に入団するそなたに、褒美をやろう」
子魔犬の青みがかった毛色をじっくりと見つめ、ラインハルトは納得したように頷いた。
「そなたは本日より、青の海辺…『シアラグナ』を名乗るが良い!」
「『シアラグナ』…!」
「うむ!私はそなたを『シア』と呼ぼう」
その瞬間、ラインハルトとシアラグナのあいだに魂の絆が結ばれ始めた。ラインハルトは、少し体が軽くなったような、気力が充実したのを不思議がったが、その時は気に留めず、小さな騎士の誕生を祝い、部下と酒樽をいくつも空けたのだった。
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南への旅立ちを翌日に控えた昼下がり。
報告と挨拶のため、ラインハルトと子魔犬は、レオンの手引きで山の上の大魔女の館へと向かった。
館の広々とした応接間には、大魔女モルガナを筆頭に、領主となったエレアノーリエ、家庭教師のノラン、そして金の魔犬ブランと白銀の魔犬クゥが集まっていた。
「ラインハルト兄様、お忍びでお見えになったと思えば、まさか魔犬と絆を結び、連れてお帰りになるとは……」
エレアノーリエが驚きつつも微笑むと、ラインハルトは誇らしげに胸を張った。
「なに、ただの魔犬ではないぞ。この気概と武の才能は、我が南方騎士団の要になると確信している!」
そんな賑やかなやり取りの中、黒檀の椅子に腰掛けていた大魔女モルガナは、窓の外を眺めていた。その小さな瞳には、どこかわずかな郷愁が滲んでいる。
「……南の海、ね」
ぽつりと漏らされたモルガナの言葉に、部屋の中がしんと静まり返った。
その静寂を破ったのは、ラインハルトの肩に乗ってついてきた、シアだった。
「魔女さま、どうしたの?」
モルガナはシアにちらりと視線を移してから、また窓の外の遠い空を見つめ、静かに続けた。
「そこは、かつて……数百年も前に育った、私の故郷の町よ」
「モルガナ様の……故郷……?」
レオンやノランが息をのむ。不老の大魔女が自らの過去を語ることは、めったにないことだった。また、事情を全てを知っていたエレアノーリエとラインハルトも、何と声をかければ良いか分からず、下を向いた。
南の海は、かつてモルガナの生家、コードリア子爵家が栄えそして魔物の襲来により全てを奪われた場所。暗く、苦しい過去の場所だからだ。
すると、無邪気な子魔犬がタタタッとモルガナの足元へ駆け寄り、大きな瞳を輝かせて見上げた。
「モルガナ様! 南の海って、モルガナ様の思い出の場所だったんだね!」
子魔犬はぴょんと跳ね起きると、元気に宣言した。
「オイラ、南についたら毎日いっぱい海のお魚を捕まえるよ! それでね、騎士の人にお手紙を書いてもらって、美味しいお魚の干物をモルガナ様とお山の皆に送るからね! ……あ、もしオイラが魔法を得意になれたら、でっかい生の魚をそのまま転移魔法で送るよ!」
その真っ直ぐな思いやりに、モルガナは一瞬目を見開いた。
そして僅かに強ばらせていた表情を解き、唇の端を和らげて呟いた。
「楽しみに待っているわ…シアラグナ、波に拐われないようにね」
「任せてよ!」
シアは誇らしげに胸を張り、居合わせたブランやクゥ、山の魔犬たちとも固く鼻先を合わせ、旅立ちの誓いを交わしたのだった。
――それから数か月後。
南方の潮風が吹き抜ける沿岸の城塞都市にて、その「名物犬」の噂は一瞬にして広まった。
広大な海の水平線を初めて目にした日、あまりの雄大さに大興奮して波打ち際を駆け回った子魔犬は、そのまま南方騎士団の訓練場へと足繁く通うようになった。
「おい! 魔犬殿に走り込みで負けるなぞ!」
「遅い!シアラグナ殿の身軽な動きを見習え!」
騎士顔負けの体力と圧倒的な俊敏さ、そして何より物怖じしない気概で魔物退治や城壁の巡回をこなすシアは、あっという間に騎士団の人気者にして「名物騎士犬」として受け入れられたのである。
また、シアラグナと魂の回廊を結んだラインハルトにも変化があった。
「ガハハハハッ!軽い軽い!体がまるで羽のようだ!」
元々恵まれた体格と、たゆまぬ鍛練により、どの護衛騎士より優れた騎士であったラインハルトが、シアラグナから魂の回廊を通じて受けとる「ちから」により、もはや手の付けられない状態になっていた。
「さあもう一度来るが良い!立ち上がるのだ貴様らぁ!」
「閣下…皆…げ、限界です。休憩を頂戴したく…!」
「む…?またやり過ぎてしまったか。すまんな。では小休止!次の鐘がなる頃再開する!!」
「短いっ!短いです閣下ぁ…」
その凄まじい手合わせに付き合わされる部下たちの苦労は、いつか「大陸最強の騎士団」として実を結ぶのだが、今の彼らには体力魔王ラインハルトにしごかれる、地獄であった。
そして毎月、領主館を通じて山の上の館には、南の潮風の香りが漂う特製のお魚の干物と、子魔犬が代筆してもらい、肉球の判子がつかれた、元気いっぱいのお手紙が届く。
『魔女さま、山の皆へ。
今日も南の海はとっても青くて大きい! 騎士のみんなと一緒に、毎日特訓を頑張っているよ。
オイラが獲った美味しかったお魚を干物にしたので、食べてください。
追伸:名前をもらってから、魔法が得意になったんだ。獲れたての大きなお魚が届く日も近いぞ! シアラグナより』
届いた手紙と美味しい干物を囲みながら、山の館ではモルガナと魔犬たちが、遠い南の海へと思いを馳せながら優しく微笑むのだった。
二章から書きたいものが沢山あって、ぽんぽこ書けるので、しばらく一日二回投稿になりそう…。うるさいけどブックマーク外さないで下さい…お願いっ!
ーー閲覧いただき、ありがとうございます!ーー
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