第十三話 デカい弟子と、魔犬ギルドのはじまり
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
――そして、これは「町に降りる魔犬」たちの、ある一幕――。
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カン、カン、カン――。
ベイスの町の職人通りに足を踏み入れると、鉄を打つ硬質で力強い金属音が重なり合って耳に届く。鍛冶屋の煙突からは立ち上る煙がそびえ、空気に香ばしい煤と熱気が混じり合っていた。
その街道の真ん中に、一頭の大きな魔犬が佇んでいた。
灰銀色の毛並みに、後ろ足で立ち上がれば、背高の男性を優に越えるような雄大な体躯。力強さと優しさを兼ね備えた彼の面持ちは幾分緊張しているようだった。
彼の脳裏に浮かんでいたのは、かつて大魔女モルガナの館の裏庭で起こした「あの大失敗」の記憶だった。
――モルガナ様の誕生日に、心からの感謝を込めた最高のプレゼントを贈ろう。
そう思い立った魔犬たちは、仲間たちと鉄の塊を調達し、炎の魔法や豪腕で美しいレリーフを作ろうとした。
しかし、鍛冶の「か」の字も知らなかった魔犬たちは、加減を誤って炉を暴走させ、爆風とともに顔も体も真っ黒な煤だらけになってしまったのだった。
結局、その反省を生かして木彫りのレリーフへと切り替え、モルガナ様には喜んでもらえたものの、彼の心には強い悔しさと、強烈な憧憬が焼き付いていた。
(あんなに冷たくて硬い鉄を、思いのままに鍛え上げ、素晴らしい道具に変えてしまう人間の職人技……! ほんとうにすごい……!)
自分も、ただ圧倒的な筋力や魔法を放つだけでなく、あの手仕事の温もりのある道具を作り出せるようになりたい。
硬い金属と対話する技術を学びたい―。
一奮発した彼は胸を張り、巨大な尾を揺らしながら、職人街の奥深くへと踏み出した。目指すは、ベイスの町で「腕は一番だが、性格は一番の頑固者」と誰もが口を揃える老鍛冶職人、バルトの工房であった。
はじめに、職人の元に行くために、町に降りる魔犬たちの世話役を魔女から仰せつかっている、レオンという少年を尋ねた。
彼曰く、「町魔犬」と呼ばれる、町で生まれたことで小さな身体となった魔犬ーーその一匹が鍛冶屋で手伝いとして働いており、その口利きからなら…ということだった。
しかし、「くそ真面目」を地で行くような灰銀の大魔犬には、それは先人の功績を掠めとるようで、是とは言えなかった。
大魔犬は代わりに、とにかく町一番の鍛冶屋の場所だけ紹介してくれと頼み、レオンは心配しながらも、渋々教えてくれたのだった。
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「ハッ! 犬が鍛冶屋に弟子入りだと!? 冗談言うんじゃねえ!」
工房の門を叩いた大魔犬を迎えたのは、地面を揺らすような町一番の鍛冶職人ーーバルトの大声だった。
白髪交じりのヒゲをたくわえ、筋肉質な腕に大きなハンマーを担いだ老職人は、太い眉を釣り上げて大魔犬を睨みつける。
「熱い炉の前に立ったこともねえ奴に、職人技の厳しさが分かってたまるか! ここは遊び場じゃねえんだ、さっさと山へ帰りな!」
バルトはしっしと手で払うように追い払おうとした。
しかし、魔犬の目は本気だった。諦めるどころか、翌日から毎日、工房の前に姿勢をただし、お座りをして待ち続けたのである。
バルトが作業を始めれば、散らかった薪を大きな口で咥えて整頓し、作業場に落ちた重い鉄くずを前脚でまとめて片付ける。
「邪魔だと言っているだろ!」とバルトが怒鳴りつけても、魔犬は尻尾をゆっくりと振って一言、「手伝いたい」と真っ直ぐな瞳で見つめ返してくるのだった。
そんな押し掛け弟子状態が続いていたある日のこと。
バルトは、大きな商会から依頼された特殊な合金の鍛造作業に難航していた。硬度の異なる金属を均一に混ぜ合わせるには、炉の温度を極限まで一定に保ち、内部の微小な歪みを正確に見極める必要がある。
「クソッ、温度がほんの少し下がっただけで表面に亀裂が入る……!」
汗だくでハンマーを振るい、焦りを募らせるバルト。
その時、すっと巨大な影がバルトの横に並んだ。大魔犬だ。
魔犬は、大人が数人で運ぶような重量級の鉄塊を軽々と片前脚で支え上げると、静かに瞳を閉じた。
次の瞬間、工房の空気が一変する。
魔犬から解き放たれたのは、極めて繊細な「熱の制御魔法」だった。炉の炎がまるで生き物のように均一な輝きを保ち、鉄塊全体を完璧な温度で包み込む。
さらに、魔犬は「波長魔法」を発動させ、耳をピンと立てて金属内部の微細な気泡や歪みの位置をバルトへ教えるように、爪でトン、トンと叩いて示してみせた。
「な……ッ! 炉の温度がピタッと安定しやがった……!? 歪みの位置まで解っているだと……!?」
バルトは目を見張り、手にしたハンマーを握り直した。
魔法のアシストを得て打ち直された鉄は、一見して解るほどの美しい打面と、強度を持って仕上がった。
作業を終え、荒い息をつくバルト。大魔犬は不安そうにバルトの顔を見上げている。
老職人はしばらく絶句していたが、やがてハッと鼻を鳴らし、バンダナを巻き直した。
「……チッ、ただの大きな犬じゃねえな。……おい! 明日からは掃除と薪割りだけじゃねえぞ、鍛冶の基本道具の手入れからだ! 遅れずについてきな!」
「ゥ…?!………ワンッ!」
毒気を抜かれた老職人の言葉に、大魔犬は歓喜の歓声をあげ、工房全体を揺らさんばかりに歓びを爆発させたのだった。
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それからの日々、工房での修業は驚くほどの勢いで進んでいった。
大きな体に似合わず、彼の持つ魔力制御は非常に繊細だった。
彼は大きな前脚の鋭い爪に「微細振動の魔法」を乗せ、研磨用の砥石と組み合わせることで、人間の手では不可能なミリ単位以下の精度で金属表面を滑らかに削り出す技術を開眼させた。
人間の長年培った熟練の手仕事と、魔犬の誇る圧倒的な能力と魔法の融合。
バルトの厳しくも温かい指導のもと、彼は人間には扱えない特殊合金の刃物や、農民たちが狂喜するような精密な農具の部品を次々と作り上げていったのである。
弟子入りから数か月が過ぎた、澄み切った秋の朝のこと。
バルトは、魔犬がたった一匹で打ち上げ、研ぎ澄ませた一振りの万能包丁を光にかざしていた。
刃の噛み合わせ、重心のバランス、金属の結晶の密度――どこをとっても文句のつけどころがない、見事な職人仕事だった。
バルトは感極まったように小さな溜息をつくと、傍らで緊張した面持ちでお座りをする魔犬の頭を、ゴツゴツとした大きな手で力強く撫でまわした。
そして、彼の巨体にピッタリ合うように誂えた、大きなエプロンを魔犬の身体に押し付けて贈った。
「ふん……皆伝だ。これほどのものを打ち込めるようになったんだ。これからはお前も、一人の『親方』だな」
バルトとしては、「一人前の職人として認める」という最大の褒め言葉のつもりだった。
だが――。
(オヤカタ……? ぼくの名前……!?)
なんと大魔犬は、「親方」という言葉をバルトから授かった『自分の名前』だと盛大に勘違いしてしまったのだ!
「ワンッ! ゥオーーッン!!」
『バルトさん!ありがとう!!ありがとう!!』
「お、おいっ!? どうした!?あ?!なんだ今の声は?!」
大喜びした彼は、極太の尻尾をぶんぶんと振り回した。その巨大な尻尾の衝撃で、工房に置かれていた金づちや桶がガラガラと音を立てて転がる。
「お前…まさかっ!ーーちがう! そうじゃねえ! 名前をつけたわけじゃねえ! おい、暴れるな、道具が倒れるだろ!!」
バルトは大慌てで誤りを正しながら、彼の尻尾を押さえ込もうとしたが、自分の名を呼ばれたと思い込んだ「オヤカタ」の笑顔と暴走を止めることはできなかった。
結局、バルトも折れるしかなく、誇らしげにエプロンを胸に当てる彼を「ったく、世話の焼ける弟子だぜ」と照れくさそうに微笑みながら見つめるのだった。
それから度々、ベイスの町の酒場には、鼻高々に酒樽を叩くバルトの姿があった。
「おい、見たかよ! うちの『オヤカタ』が仕込んだ業物だ! 切れ味が違うだろ! アイツの魔法と俺の鍛冶技が合わさった、ベイス一番の逸品なんだよ!」
普段の厳しさとは裏腹な弟子自慢をする親父の横で、酒場の外からは、エプロンを着たオヤカタが誇らしげに鼻を鳴らす音が響いていた。
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ある日の午後、バルトの工房に賑やかな足音が近づいてきた。
町の魔犬世話役であるレオンと、その相棒である漆黒の魔犬クゥが、一群の小さな影を引き連れてやってきたのだ。
「やあ、オヤカタ! バルトさん! 様子を見に来たよ!」
レオンの後ろからわらわらと飛び出してきたのは、小さな身体の「町魔犬」たちだった。
「きゅ~ん!」「ワンワン!」
小さな魔犬たちは、大きな職人エプロンを着て凛々しくハンマーの点検をしている「オヤカタ」を取り囲み、目を輝かせて尻尾を振り回す。
「オヤカタおじちゃん、かっこいい!」「私たちも何かを作りたい!」「 人間と一緒に働きたい!」と、口々にすごい熱量だ。
「ハハハ、元気なちびっ子たちだな」
朗らかに笑うオヤカタに、レオンは苦笑しながら頭をかく。
「この子たち、町で暮らすうちに人間の手仕事にすごく興味を持っちゃったみたいで。オヤカタみたいに職人になりたいって、聞かないんだ」
しかし、町魔犬たちの体はあまりにも小さく綿飴のようだ。重い金づちを振り下ろす鍛冶仕事は、さすがに体格的に無理がある。
周りの難しい顔を見て、「やはりダメなのか」と、がっかりして耳を寝かせるちびたちを見て、オヤカタとバルトは顔を見合わせた。
「待て待て、鍛冶だけが手仕事じゃねえ」
バルトが腕を組み、オヤカタに視線を送る。
「オヤカタ、このちびどもがどんな魔法と才能を持ってるか、じっくり話を聞いて、観察しろ。この『職人通り』で鼻をきかせてるお前なら、どこに送り込みゃあ良いかわかる筈だ」
オヤカタは深く頷くと、ちびっ子魔犬たちの前にしゃがみ込み、一匹一匹の動作や魔法の特性を観察し始めた。
「それじゃあ、僕に自分の一番得意な魔法を見せてみて。それから、今までで一番面白いと思った『モノ』についても教えて」
一匹目の町魔犬は、おずおずと前に出ると、小さな体に似合う、とてもとても小さな光の魔法を鼻先に灯した。
オヤカタが灯した光を不思議そうに見つめると、その町魔犬は慌てて説明を始めた。
「ぼ、ぼくは炎の魔法とかは上手くないけど、この光の魔法は皆と違う使い方ができるんだっ…!」
詳しく聞くと、生み出した小さな光がまるで魔犬たちの敏感な鼻や肉球のように、町魔犬の頭に情報を伝えてくるのだという。
例えば、この光をポットの中にいれれば、それがどんなお茶かわかったり、鍵穴にいれれば、どんな構造かわかるのだという。
聞いたことのない魔法にオヤカタは驚いたが、本人は、「狭いとこに落ちたものを見つけるぐらいしか役に立たないんだけどね」と恥ずかしがっていた。
また、面白いと思った「モノ」は、「時計」だと言う。
「前、町の広場で上等な服を着た人が、腕に時計を巻いているのを見つけたんだ!時計ってふつう、僕の身体より大きいじゃない?それがとっても小さくなってたんだ!」
「こっそりこの光の魔法で中を調べたら、ギザギザのもの同士がカチカチって音を立てて、見事な構造で動いていたんだ、あんなに小さな時計を作れるなんて、やっぱり人間ってすごいと思う!」
そう、一息に話終えると、また恥ずかしそうに前足を揃えて座ったのだった。
オヤカタは一言唸ると考え込んだ。そして、この町魔犬が持つ才能に気がついた。
「ねぇ、もしその腕時計っていうものを作るお手伝いができたら、君は楽しいかな?」
「…っえ!!ほんとに?!うんうん!楽しいと思うよ!」
「もしかしたら、君は部品を触って組み立てる仕事はできないかもしれないけれど、それでも?」
一も二も無く飛び付いた町魔犬だったが、オヤカタが重ねた言葉に少し瞳が揺れた。しかし、直後にはきりっとした表情を作り、はっきりとした口調で答えた。
「良いのさ!僕はあの腕時計を作るのを手伝って、それを作るところが見られれば!」
その言葉に安心したオヤカタは、大きく頷き、にっこりと笑って見せた。
次に、オヤカタの前に進み出た二匹目の子魔犬は、誇らしげに小さな鼻を鳴らすと、ふわりと心地よい微風を巻き起こした。
その風はただ吹くだけではなく、散らばっていた木葉を優しく掬い上げ、まるで踊らせるように美しく空間に舞わせてみせたかと思えば、オヤカタの周りを毛先ギリギリで高速旋回させ、最後は向きも揃えて縦に積み上げて見せた。
オヤカタの瞳がキラリと輝く。
「なるほどな、素晴らしい風魔法の制御だ。これなら木工などにすぐ生かせそうだが…」
「私はお洋服が好きなの!人間が細い針と糸できれいな模様を作るのが堪らなく素敵だと思うわ!…とくにスカートがひらひらしたときに、その模様が流れるように動くのが大好き!」
バルトの言葉に、二匹目の子魔犬は食いつくように主張し、尻尾をピンッと立てた。
オヤカタはその情熱をしっかりと見極めると、満足そうに深く鼻を鳴らした。
「君はもう作りたいものが決まっているようだな。良いだろう、君見事な風魔法で刺繍を施す可能性を探ってみよう」
町魔犬は満足そうな顔をして、尻尾を千切れんばかりに振った。
続く町魔犬たちも適正を見極めていき、オヤカタは彼らの弟子入り先を組み立てていった。
オヤカタは心底嬉しくなった。自分自身が鍛冶の面白さに目覚めた時と同じ、もの造りへの熱い情熱が彼らの瞳に宿っていることを確信したからだ。
オヤカタはちびたちの首根っこを優しく咥え上げると、街の職人仲間たちの工房へと自ら紹介に歩き出した。
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最初に訪れたのは、偏屈な老職人が営む時計工房だった。
所狭しと大小様々な時計が並ぶ、薄暗い工房の扉を開け、オヤカタが来訪の理由を告げると、拡大鏡を目に嵌めた老職人ジゼルが、振り返りもせずに冷ややかに言い放った。
「お断りだ。こんな精密機械の作業に、毛だらけの生き物を入れさせるわけにはいかん。毛一本落ちただけで歯車が狂うのだ」
つれなく追い払われそうになり、縮こまる小さな魔犬。しかし、後ろに控えていたオヤカタは、大きな巨体を小さく折りたたむようにしてジゼルの前に跪き、深々と頭を下げた。
時計の針が動く音が響くなか、オヤカタは長い間無言で頭を下げ続けた。『どうか一度でいい、この子の力を見てやってほしい』――言葉はなくとも溢れ出るオヤカタの真摯な眼差しと熱意に、ジゼルは渋々拡大鏡を外した。
「……ふん。その小さな犬っころに何ができるんだ。」
「この子は小さな機械の中身を看破できる。なにか、修理に難航しているような時計はないか。この子に預けて貰えれば、きっと故障の原因を突き止めてみせる。」
その言葉を訝しげに受け取りながら、ジゼルは椅子から立ち上がると、店の奥の戸棚から、小さな時計ーー腕時計を出してきた。
「こいつは、他の時計屋に修理に出して油を足してもらった時計らしいが、どうも正常に動かない。私にもどこに不調があるかわからず、返却予定のものだ」
老人は皺だらけの手に乗せた腕時計を、小さな町魔犬の前にズイッと差し出し、「どこが悪いのか、わかるもんなら言ってみろ」と難題を突きつけた。
促された子魔犬は静かに時計へと歩み寄ると、爪先から微小な光の粒を時計の小さな隙間から内部に放ち、じっと感覚を澄ませた。カチカチと噛み合う歯車の中を光が突き進み、数分、ついに、不調の原因となっている小さな小さな油の固まりを見つけて見せた。
「ゥウン……!!…あった!!ジゼルさん!四層目の歯車、この右のところに油の固まりがある!それが時計を変にしてるんだ」
「な……っ!? 適当言ってんじゃねぇだろうな……」
ジゼルは町子犬が前足に乗せて差し出した腕時計を慌てて受け取ると、分解を始めた。町子犬は、それを目を煌めかせて覗き込みながら、油の固まりを光で指し示してみせた。
老職人は目を見張り、オヤカタと子魔犬の顔を交互に見比べると、降参したようにふっと目を細めた。
「……気に入った。今日から私の助手にしてやろう」
町魔犬は、棉飴のような身体を弾ませ、喜びの遠吠えをあげた。ジゼルに「うるせぇ!」と叱られ、尻尾を下げたが、それでもその顔は喜色満面であった。
続いてオヤカタが向かったのは、華やかなドレスや服飾を取り扱う仕立て屋であった。
店主の女性職人は、オヤカタに連れられた小さな魔犬を見ると、困惑気味に首を振った。
「お手伝いねぇ…?お気持ちは嬉しいけれど、服飾は手先の繊細さが命なのよ。針仕事や糸通しなんて、いくら賢い魔犬ちゃんでも無理なんじゃないかしら……?」
すると町魔犬は、店主に優しく微笑みかけると、そっと息を吹きかけた。その瞬間、作業台に放置されていた糸の切れ端が宙を舞う。小さな魔犬は風を操り、その糸を美しく変形させていった。リボンにしたり、小鳥の形、花の形などにして、店主の目を楽しませた。そして、自信たっぷりに胸を張った。
「私はどんなものでもこの風の魔法で完璧に操ってみせるわ!それこそ、糸を通した針なんかでもね…人間が使うより早く仕上げてみせるわっ!」
町魔犬の挑戦的な言葉に、店主の眉がピクリと上がる。
張り詰め始めた空気を和らげるように、オヤカタは柔らかい声で提案した。
「店主、この子に刺繍の課題を与えてくれないか?『これができるなら、入店を認めてもいい』という基準を示してほしいんだ。」
女性職人は少し笑みをみせると、従業員を呼び寄せ、完成された作品と、布とシルク糸、針を用意させた。
「いいわ、お嬢ちゃん。この刺繍を完璧に再現できたら、貴女がこの店で針を持つことを許しましょう。」
示された課題は難しいものだった。花々が見事に咲き誇る様子を表した美しい刺繍。それを小さな町魔犬に再現しろというのだ。
しかし、勝ち気な町魔犬は、刺繍を注意深く観察すると、ニヤリと笑った。
またそっと息を吹き掛け、複数の針と色とりどりのシルク糸をふわりと浮かせる。器用に穴に糸を通した次の瞬間、子魔犬が繰り出す繊細な風の魔法によって、何本もの糸がまるで生き物のように綾なし、見事な美しさで用意された布へと滑り込んでいった。
そして、周囲があっと驚きの声をあげる間に見事、作品の完全再現をしてみせた。
「まあ……! 私が三日かけた刺繍を……!?」
驚きに目を見張る店主の前に、オヤカタは誇らしげに胸を張り、力強く尻尾を振った。
「すごいわ! この子がいれば、今までの何倍も早く、素晴らしい服が作れるわ! 私も図案に集中できるし……意地悪をしてごめんなさいね、ぜひ、うちの店で働いてちょうだい!」
その後も店々を周り、町魔犬を紹介していった。最初は難色を示していた職人たちも、オヤカタの真摯な推薦と、小さな魔犬たちの熱意、そして高い能力に、次々と毒気を抜かれていくのだった。
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数週間後、ベイスの町の職人街は、かつてない活気と温かな笑顔に包まれていた。
時計屋の工房では、老主人の隣で小さな町魔犬が、時計の隙間から、繊細な光の魔法を差し込み、歯車のほんのわずかなズレを調整している。
服飾店では、別の町魔犬が色鮮やかな糸が通った針をを風で操り、見事な刺繍をドレスの裾に刻み込んでいた。
その他にも、あの日、オヤカタが紹介した町魔犬たちがそれぞれの工房で前足を振るっていた。
「すごいわよ!あの子達!人間の手じゃできない細かなことを魔法で簡単に!」
「あそこの工房で作って貰ったものは、質が段違いにいい!」
「ママ見て!あんな小さなおててで作ってるよ!かわいいねっ!」
町民たちからは感嘆の声が上がり、職人たちも「うちのちび助がいなきゃ、もう仕事にならんよ」と鼻高々だ。
そして、すべての始まりとなったバルトの鍛冶工房の一角には、新しく小さな木製の掲示板が作られていた。
掲示板には、職人たちからの依頼紙がびっしりと並んでいる。
『家具屋:木材が好きな風使いの魔犬を求む』
『薬師:薬草に含まれる魔力を測れる、鑑定の上手い魔犬を求む』
それこそが、「物造りを学びたい魔犬」と「魔犬の能力を求める人間の職人」を結びつけるための窓口――のちにベイスの町の名物となる『職人ギルド』もとい、『職犬ギルド』の誕生の瞬間であった。
「よし、今日から弟子入りするもの、 整列だ!」
「「はいっ!オヤカタ!!」」
大きなエプロンを着たオヤカタが、低く力強い声で一喝する。
目の前には、新しく山や町から集まってきた魔犬、町魔犬たちが、ピシッとお座りをして背筋を伸ばしていた。
オヤカタは、一匹一匹の首に、大小様々な特注エプロンを優しくかけていく。
「職犬の仕事は、人間の心に寄り添うことだ。魔法は力自慢のためじゃない、道具を使う人間を笑顔にするために使うんだ。分かったな!」
「「わかりました!!オヤカタ」」」
魔犬たちは誇らしげにエプロンを整え、声を揃えて返事をした。
その様子を、工房の奥で腕を組みながら見ていたバルトは、満足そうに髭を撫でる。
「フン……すっかり『親方』の顔になりやがって」
傍らで見守っていたレオンとクゥも、温かい眼差しで彼らの姿を見つめていた。
「すごいな、クゥ。最初はレリーフ作りで大失敗して煤だらけになっていた魔犬たちが、今じゃ街中の職人と一緒に働いてるんだ」
「ええ、レオン。人間の長年培った熟練の技術と、私たちの真摯な心と魔法。それが組み合わさった時、ベイスの町にはこんなにも豊かな仕事が生まれるのですね」
カン、カン、カン――。
今日もベイスの町に、心地よい槌音が響き渡る。
それは人間の熟練の技と、魔犬たちの温かな魔法が織りなす、新時代の絆の音色であった。




