第十一話 ちいさな足跡と、はじまりの街角
オムニバス一作目です!緊張!
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬』たちが数百年の年月を暮らしていた。
ある日、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
――そして、これはレオンが『魔犬観察ノート』を手に、世話役として町を駆け回っていた頃のお話。
人間と共に生きることを選んだ魔犬の夫婦に、いよいよ新たな命が宿る時がやってきた。それは、誰も想像し得なかった“とある小さな奇跡”の始まりだった。
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山々に抱かれたベイスの町に、やわらかな木漏れ日が降り注ぐ穏やかな朝のことだった。
町に降りる魔犬の世話役として毎日東奔西走しているレオンの自宅の離れでは、ここ数日、どこか緊張した空気が漂っていた。
人間にすっかり馴染み、レオンの家に身を寄せていた元・山の魔犬のつがいが、いよいよ出産の時を迎えていたからだ。
「無事に生まれたか……!?」
離れから聴こえた小さな産声を聞きつけ、レオンはドアを跳ね飛ばさんばかりの勢いで飛び込んだ。相棒である白銀の魔犬クゥも、静かな足取りながら耳をピンと立ててその後に続く。
レオンは「ついに新しい巨大な毛玉たちが町で誕生したか」と、溢れんばかりの期待に胸を膨らませていた。
山の魔犬といえば、生まれたばかりの子犬であっても人間の赤子ほどの体躯を持ち、制御がされず溢れ出す魔力によって周囲の空気を歪ませるほどの存在感が常である。
ところが――。
「……え?」
レオンの足が、ピタリと止まった。
毛布が敷き詰められた籠の中で、母親魔犬が愛おしそうに舐め上げていたのは、巨大な毛玉などではなかった。
「な……なんだこれ……!?」
そこにいたのは、レオンの片手の上にすっぽりと収まってしまうほど小さな、綿飴のような塊だった。
片手サイズどころか、下手をすればリンゴひとつ分ほどしかない。艶やかな漆黒、温かみのある栗色、そして淡い金色の毛並みをした五匹の赤ん坊が、キュキュと可愛らしい声をあげながら親の腹元にすり寄っている。
「れ、レオン、落ち着きなさい……! しかし……これは一体どういうことでしょう!?」
普段は冷静沈着なクゥまでもが、銀の毛並みを逆立てて目を丸くしている。
「ま、魔法の暴走か!? それとも何か悪い病気にかかって身体が縮んじまったのか!? 大変だ、今すぐモルガナ様のところへ連れて行かないと!」
パニックに陥ったレオンは、母犬に用意していた労いの品を贈るな否や、待ったも聞かずに毛布ごと五匹の子魔犬を大切に抱え上げると、脱兎のごとく霊峰ヴァルグヴェルドへの山道を駆け上がっていった。
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「…ノックぐらいはして欲しかったわね」
深山の館の執務室。黒檀の机に向かっていた十歳ほどの少女の姿をした大魔女モルガナは、息を切らして駆け込んできたレオンとクゥを呆れ顔で迎えた。
「モルガナ様、大変なんです! 魔犬の子供たちが……こんなに小さく生まれてしまって! 魔法の異常でしょうか!?」
レオンが差し出した籠を、モルガナは黒い瞳を細めて覗き込んだ。そして、細く白い指先で栗色の子魔犬の背中をちょんと撫でる。
「……ふふ、相変わらず騒々しい世話役ね。安心しなさい、病気でも魔法の暴走でもないわ。これは『環境への順応』よ」
「順応……ですか?」
クゥが尋ねると、モルガナは優しく微笑みながら脚を組み替えた。
「魔犬が大きな身体と強大な魔法を持つのは、この厳しい山々で生き抜き、外敵から群れを守るため。けれど……この子たちの母親は、もうずっと温かな人間の町で暮らしているでしょう? 平和な町の中で過ごすのに、家を壊しかねない巨躯も、山を吹き飛ばすような爆炎も不便なだけ。」
「母親は心の底から『この町で、人間と共に生きるための姿』を強く望んだのよ」
「町で生きるための姿……」
「ええ。魔犬の持つ膨大な魔法の力は、体を巨大化させるのではなく、人間と寄り添うための『小さく愛くるしい姿』へと変革させるために使われたのね。いわば、ベイスの町が生んだ新しい奇跡というわけよ」
モルガナの解説を聞き、レオンは呆然と胸を撫でおろした。
そして次の瞬間、手元で「キュ〜……」と甘い声をあげてすやすやと眠り始めた小さな子魔犬たちを見つめ――レオンの表情が一気に崩れ去った。
「うっ……ぐぬぬ……! かわ、可愛すぎる……!!」
眉間にシワを寄せていた強面の顔はどこへやら、レオンは鼻の下をデレデレに伸ばし、目に入れても痛くないといった様子で小さな頭を撫でまわし始めた。
「よし! 俺が町の世話役として、責任を持ってこのちびっ子たちの成長を見届けてやるからな!」
そんなレオンの破顔っぷりに、クゥは呆れたように小さく溜め息をつく。
「やれやれ、情けない顔をして……。まあ良いでしょう。山で生まれ育った先輩魔犬として、この私が人間社会でのマナーとルールを叩き込んであげます」
クゥは威厳たっぷりに胸を張り、籠の中の子魔犬たちを見下ろした。
すると、クゥの気配に気づいた栗色の子魔犬がうっすらと目をあけ、フラフラと覚束ない足取りでクゥの前脚へと這い寄ってきた。
「キュプッ…キュウン」
『くぅおに、ちゃ……? ふあふあ…あったたい……』
「ッ!?」
小さな鼻先がクゥの足元に擦りつけられ、ちいさな尻尾がちぎれんばかりにパタパタと振られる。
「く、クゥお兄ちゃん……と呼ばれましたか……? いや、しかし私は指導者として……っ」
クゥのピンと立っていた黒い耳がへにゃりと倒れ、凛々しかった目元が一瞬でとろけていく。気づけばクゥは自分から体を低くし、子魔犬たちに顔を舐め回されるがままになっていた。
「……クゥ、お前もすっかり骨抜きじゃねえか」
「く、口出ししないでくださいレオン! これは……後輩とのスキンシップです!」
一匹と一人の情けない様に、モルガナは苦笑しながらまた、魔道書へと視線を移したのだった。
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数ヶ月が経ち、三匹の子魔犬たちはレオンの家ですくすくと成長していった。
生まれた五匹のうち、二匹は魔犬の番が普段いる人間の家に住むことになり、残る三匹を、「最初のちびっ子魔犬」としてクゥとレオンが育てることになったのだ。
身体の大きさは未だに片手で持てるほどにしかならなかったが、魔犬の血ゆえに知能の発達は早く、生後間もなく人間の言葉を完璧に解するようになっていた。
ある日の午後、レオンの家の庭で、クゥによる「魔犬マナー講座」が開かれていた。
「良いですか、皆さん。街中で興奮して風や火の魔法を使ってはいけません。それから、人間から美味しいものを貰う時は、必ずピシッとお座りをして――」
熱弁を振るうクゥの前に、小さな三匹がちょこんと並んで座っている。
漆黒の毛並みを持つ子、栗色の子、そして淡い金色の子だ。
クゥの言葉が終わるか終わらないかのうちに、栗色の子がキラキラと目を輝かせて前足を挙げた。
「はい! クゥお兄ちゃん! 魔法といえばね、昨日お散歩の途中で絵描き屋さんのアトリエを覗いたの! キャンバスの構図と色の重ね方がとっても素晴らしくて……僕、描いた絵の具を魔法の風で一瞬で乾燥させるお手伝いができると思うんだ!」
「え……? ええと、構図…乾燥……?」
思わぬ角度からの発言に、クゥが言葉を詰まらせる。間髪入れずに、淡い金の毛並みを持つ子が舌をペロリと出してみせた。
「僕はね、果物屋さんの棚卸しを見ていたよ! おじさんが算盤を弾くより早く、魔法の光の点でリンゴの数を数えて計算してあげたら、すっごく感謝されちゃった! 明日からはお店の帳簿つけをお手伝いする約束をしたんだ!」
「帳簿の……計算……!?」
クゥの頭の上に大量の疑問符が浮かぶ。
「私はね、鍛冶屋さんの工房の道具の配置を整理してあげたの! 狭い場所でもすばやくハンマーを運べるから、職人さんが『小さいのに大したもんだ』って撫でてくれたよ!」
漆黒の子も誇らしげに胸を張る。
「……ま、待ちなさい。狩りの技術や、敵を打ち払うための威嚇の訓練は……?」
クゥが引きつった笑顔で尋ねると、三頭は揃って首をかしげた。
「狩り? だってお肉は肉屋さんでレオンがお買い物してきてくれるよ?」
「それにベイスの町には悪い魔物なんて入ってこないもの。みんな優しくて、商売や芸術のお話をする方がずっと楽しいよ!」
「ッ……!?」
クゥは強烈なカルチャーショックを受け、その場に崩れ落ちそうになった。
(我が後輩たちが……狩りや戦いではなく、「商売」や「芸術」に才能を開花させている……!?)
腕組みをして様子を見ていたレオンが、爆笑しながらクゥの背中を叩いた。
「ハハハ! 参ったなクゥ! お前が叩き込もうとした武闘派のマナーより、あいつらは町のエキスパートになる道を選んだみたいだぞ!」
「う、うぐぐ……。ですが、町に馴染むため、人間の役に立とうとしている姿勢は立派……と言わざるを得ません……これが順応なのですね…」
カルチャーショックに打ちひしがれつつも、誇らしそうに夢を語る小さな後輩たちの瞳を見て、クゥは「……頼もしい後輩たちです」と優しく目を細めるのだった。
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それからというもの、ベイスの町では微笑ましくも新しい光景が日常となった。
ある工房では、小さな漆黒の魔犬が器用に道具を運び、職人と完璧な呼吸で作業を進めている。
ある商家では、カウンターの上にちょこんと乗った金色の魔犬が、愛くるしい姿で客を出迎えつつ、流暢な言葉と確かな計算力で買い物をサポートする「名物看板犬」として大人気を博していた。
またある画廊では、栗色の子魔犬が画家の傍らに寄り添い、色彩の調和について人間と熱く議論を交わしていた。
彼らのような、町で生まれ、町に暮らす身体の小さな魔犬は、山で生まれる魔犬と区別して「町魔犬」と呼ばれるようになった。
かつて「山の恐ろしい魔獣」として恐れられていた魔犬の血脈は、モルガナの庇護とレオンたちの努力、そして人間の温かな受容を経て――「町に寄り添い、共に文化を創り出す愛らしい存在」へと昇華したのだ。
夕暮れ時。オレンジ色の街灯がポツポツと灯り始めるベイスの中央広場。
仕事を終えた子魔犬たちが、「レオン! クゥお兄ちゃん!」と元気に駆け寄ってくる。
「おーい、今日も大活躍だったみたいだな!」
レオンはしゃがみ込み、膝の上に飛び乗ってきた子魔犬たちをまとめて抱きしめた。
「フッ……本当に賑やかになりましたね」
クゥが隣で静かに微笑む。その足元には、すっかり甘え上手になった子魔犬たちが体をすり寄せていた。
ふと見上げれば、はるか山頂に佇むモルガナの館の窓辺に、小さな光が灯っているのが見えた。
まるで山の上の大魔女が、町に広がっていく温かな足跡と、新しい時代の訪れを静かに見守り、祝福してくれているかのように。
街灯のオレンジ色の光に包まれながら、町と魔犬たちの紡ぐ新たな物語は、これからも優しく続いていくのだった。




