第十話 ふたりの魔女と、手のひらの小さな光
やわらかな太陽の光が降り注ぐ山の庭園は、今日も甘い花の香りと、温かい紅茶の香気で満ちていた。
「ひぃおばあちゃまーー!」
僕は短い足をいっしょうけんめい動かして、青々とした芝生を駆け抜けた。
お庭の黒檀のテーブルセットでは、ふたりの『女の子』が穏やかにお茶を愉しんでいる。ひとりは十歳くらいの可愛らしい見た目をした大魔女のモルガナ様。もうひとりは、十五歳くらいの綺麗な赤髪をなびかせた、僕の大好きなひぃおばあちゃま――エレアノーリエだ。
「あらあら、リュシアン! 今日も元気いっぱいですわね」
駆け寄った僕を、エレアノーリエひぃおばあちゃまは軽々と抱き上げてくれた。見た目は僕の年離れたお姉さんみたいに若くて綺麗なのに、ぎゅっと抱きしめてくれる手はとても温かくて、包み込むような優しさに満ちている。
「ひぃおばあちゃま、あついー!」
「ふふ、ごめんなさいね。だってリュシアンが可愛くてたまらないのですもの」
愛おしそうに頬を寄せてくるひぃおばあちゃまの瞳は、僕と同じ透き通るような紫色だ。僕がえへへ、と照れ笑いを浮かべながらテーブルの上の焼き菓子に手を伸ばそうとすると、向かいで苦めのお茶をすすっていたモルガナ様が、ふんと鼻を鳴らした。
「……目元や紫の瞳は貴女の血を感じさるけれど、魔法を前にした時のその物珍しそうな顔といい、素直すぎる性格といい、ノランの幼い頃にそっくりね」
「ええ、本当に。ノラン様が見たら、絶対に『私の若い頃に似ていますね』なんて照れくさそうに笑ったはずですわ」
「この子まで婚期を逃してほしくはないけれどね」
ふたりは顔を見合わせると、どこか愛おしそうに、そしてちょっぴり切なさの混じった優しい笑顔を浮かべた。ひぃおじいちゃまの『ノラン』という人は、僕が生まれる前に天国へ行ってしまったけれど、ふたりの会話の中にはいつも当たり前のように生きている。
------------------------------
僕は掴んだお菓子を口に詰め込むと、ひぃおばあちゃまの膝の上にちょこんと座り、庭園の端にある石造りの手すりの向こうを見下ろした。
深い山々の麓には、見渡すかぎり美しい街並みが広がっている。白壁と橙色の屋根が並ぶその場所は、かつて小さな町だったという魔法都市『ベイス=アルカ』。
街の通りには、各地から集まったたくさんの魔道魔法使いや精霊魔法使いが行き交い、さらに北に聳え立つ、恐ろしい迷宮が潜む山脈へと挑む冒険者たちの活気に溢れている。
「ねえ、ひぃおばあちゃま! 遠くの町を守ってるあのキラキラした結界って、ひぃおじいちゃまと一緒に作ったの?」
僕が指をさすと、ひぃおばあちゃまは街を見つめる瞳をいっそうやわらかくした。
「ええ。わたくしとノラン様、そしてモルガナ様が、この館で夜通し議論を重ねて作り上げた『結界の魔道具』よ。精霊魔法の結界を、魔力を流すだけで誰でも維持できるようにした、とっておきの仕掛けなの」
「ねんねしないで作っちゃったの? すごいなぁ!」
「ノラン様はね、新たな魔法理論を考える天才だったのよ。彼が遺してくれた美しい技術は、形を変えて今もこうして、国中のたくさんの人々を魔獣から守っているの」
ひぃおじいちゃまが作った優しさと強さは、目に見えない光の結界となって、今もこの世界をあたたかく包み込んでいるんだ。
------------------------------
「やあ、みなさん! こんにちは!」
森の小道から、軽やかな足音とともに一人の青年がやってきた。初代『世話役』だったレオンひぃおじいさんの曾孫で、僕の大好きなライカお兄ちゃんだった。
ライカお兄ちゃんの足元には、ふかふかの毛並みをした子魔犬たちが楽しそうに跳ね回っている。金色、漆黒、美しい銀色。昔、大魔女様の館にいた伝説の魔犬ブランやクゥたちの血を引く、僕らの大切なお友達だ。
「エレアノーリエ様、モルガナ様! リュシアン坊ちゃん、もうすぐ魔法学校の入学ですね!」
「ライカお兄ちゃん! 子魔犬たちも一緒だ!」
僕が膝から飛び降りて駆け寄ると、子魔犬たちが「キュ〜ン!」と甘えた声をあげて僕の顔をペロペロとなめてくれた。
「えへへ、くすぐったいよ! 」
あっというまに子犬たちと団子になってしまった僕に向かってくすりと微笑み、ひぃおばあちゃまが優しくお兄ちゃんに声をかけた。
「ごきげんよう、ライカ。山へ帰る子犬たちの付き添いかしら?」
「えぇ、そうなんです。それと、こないだ生まれた子達が喋れるようになったって聞いたんで、またノート作りに…」
そういうと、ライカお兄ちゃんは腰につけた革の鞄から、一冊の使い込まれた分厚いノートを取り出して、ぽんぽんと叩いた。
表紙には『魔犬観察ノート』と、何人もの手で書き足された歴史を感じる文字が躍っている。
「曾祖父が小さい頃に始めたって言うこれですが、長く経った今もこれだけは変わらないやり方なんですよねぇ」
頭を掻きながらそう言う、ライカお兄ちゃんの足元から、トコトコと子犬が一匹、モルガナ様に近づき、前足を膝に乗せながら「キューン」と鳴いた。
「魔女さまぁ…あたち、おうちの前でほのお出しちゃって怒られちゃった…やっぱりお山にいるよ」
「あら、そうなの。…ライカ、なにか被害がでたかしら」
モルガナ様は、その子犬の頭を撫でてやりながら、ライカお兄ちゃんの顔を窺った。
「あー、…建物だけちょっと。でも、きっちり話しはつけましたし、ご心配なく!これも『魔犬調停官』の仕事なんで!」
ライカお兄ちゃんは元気よく答えたが、モルガナ様のお顔は晴れなかった。
「大層な役職名までついて…。元々その役目はレオンに与えたものよ。貴方が辛ければやめてもーー」
「いいえ魔女様!!我が家はこのお役目に誇りを持っています!…どうかお任せください!」
モルガナ様は小さく頷き、「それならいいのよ」と、紅茶を口に含んだ。
子犬たちからやっと解放された僕は、身体中についた草をぱっぱっと払い、ライカお兄ちゃんのズボンを引っ張った。
「……ねえ、ライカお兄ちゃん。僕も魔法学校に入ったら、ひぃおばあちゃまたちみたいに、魔犬とお友だちになれるかなぁ?」
僕が期待に満ちた目で尋ねると、お兄ちゃんはまたニカッと笑って答えてくれた。
「もちろんですとも! リュシアン坊ちゃんにも、きっと最高のパートナーが見つかりますよ!」
「わぁ……! 僕、いっぱい勉強して、絶対に魔犬と仲良くなる!」
何世代も昔に生まれた、魔犬の世話役、そのお役目が今もこうして人間と魔犬の絆を強く強く繋ぎ続けている。
------------------------------
「んなぁ…?…あ!聞こえる!」
ライカお兄ちゃんが帰ったあと、子犬たちと遊びつかれて寝ちゃった僕を、風に乗って届いた、麓の街からの楽しげな笛や太鼓の音が起こした。
「明日は年に一度の『お守りの魔女様を奉る祭り』の日でしょう? 町中が準備で大忙しでしょうね」
「……またあの季節ね」
モルガナ様は苦々しそうに顔をしかめ、冷めかけた紅茶に口をつけた。
「私はただ、山の上の館から静かに眺めていればそれでよかったのに……」
「まあまあ、モルガナ様。五年に一度くらいは街に顔を出してくださらなければ、町の人々が淋しがりますわ」
ひぃおばあちゃまがクスクスと笑う。僕も思い出して、目を輝かせた。
「僕、ひぃおばあちゃまから聞いたよ! 初めてモルガナ様がお祭りに来た時、町中が大騒ぎになったんだって!」
「大騒ぎどころではないわ。伝説のお守りの魔女様が初めてお姿を現したのですもの」
ひぃおばあちゃまは懐かしそうに目を細め、遠い目をした。
「街の人々はお守りの魔女様のお顔をひと目見られて大喜びでした。あの時、酒場で大樽を空けて、みんなで肩を組んで笑っていた町の人たちの笑顔……ノラン様も、レオンも、ブランもクゥも、みんな心の底から嬉しそうにしていましたもの。あの暖かな光景は、何年経ってもわたくしの宝物ですわ」
照れくさそうにぷいっと横を向くモルガナ様だったけれど、その唇の端はほんの少しだけやわらかく緩んでいた。
------------------------------
やがて空が茜色に染まり始め、夕暮れが街を包み込んでいく。 ベイス=アルカの街並みに、ポツリ、ポツリとオレンジ色の街灯が一斉に灯り始めた。
その温かな灯火は、まるで地上に降りた星の海みたいに綺麗だった。
「あ……そうだ! ひぃおばあちゃま、見てて!」
僕は思い立って、小さな両手をそっと前に差し出した。 胸の奥から温かい魔力を手ぐすね引き寄せる。むずかしい詠唱も、大きい魔法陣もいらない。ひぃおじいちゃまが遺して、ひぃおばあちゃまが教えてくれた『いちばんはじめのまほう』を頭の中に思い描く。
指先から、ぽっと小さな光が生まれた。 それは手のひらの上で揺らめく、透き通った蜂蜜色のやさしい光。
「見て見て! 僕、できたよ!」
僕が目を輝かせて差し出すと、ひぃおばあちゃまは息をのみ、それから心からの感嘆を込めてパッと表情を輝かせた。
「……素晴らしいわ、リュシアン! なんてあたたかく綺麗な光……! ノラン様が見たら、飛び上がって喜んだでしょうね。『さすが私たちのひ孫です!』って、鼻を高くしたはずよ」
「本当!?」
「ええ、本当よ」
不老の時を生きるふたりの魔女――十五歳の姿のひぃおばあちゃまと、十歳の姿のモルガナ様。
ふたりの優しい視線が、僕の手に灯る小さな光と、その向こうに広がるオレンジ色の街並み、そして僕の姿に注がれている。その瞳の奥には、天国へと旅立った愛しい人々――ノランひぃおじいちゃま、レオンさん、ブランやクゥたちの面影が、きっとあたたかく重なっているのだと思う。
人の命は巡り、いつか去ってしまうものかもしれない。 けれど、彼らが重ねてきた愛と、紡いできた魔法と、育んだ温かい絆は、消えることなくこの街に根付き、僕たち子供の中に永遠に生き続けていく。
「さあ、リュシアン。おうちにお帰り。ご飯を食べなきゃ」
背中を押してくれるひぃおばあちゃまの優しい声に、僕は「うん!」と元気にうなずいた。
手のひらに小さな魔法の光を灯したまま、僕は夕陽に向かって、新しい未来へと力強く一歩を踏み出した。
後ろを振り返れば、二人の魔女様が、いつまでも温かい笑顔で僕のことを見守ってくれていた。
ここまで閲覧いただき、誠にありがとうございます!
ここまでを第一章:『本編:魔法都市ベイス=アルカ創設譚』として一区切りとさせていただきます。
書き足りない話、裏にかくれている小話については、第二章:『短編:魔犬オムニバス』として今後オムニバス形式で書いて参ります!
よろしければ、第二章もお付き合いください!
重ねて、ここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました!




