二話目 甘くならない日曜日
「デートって誰とだよ。」
少しだけ探るような目で、コースケが言う。
わたしはわざと視線を逸らし、肩をすくめてみせた。
「気になる~?」
「ちげーよ。」
むくれた声が返ってくる。
わたしはくすっと笑い、結依の腕を引き寄せた。
「もちろん、結依とよ。」
一瞬の沈黙。
数秒遅れて理解が追いついたらしいコースケが、 「はぁ?」と間の抜けた声を漏らす。
その顔があまりに見事で、わたしと結依は顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「何だよ。やっぱりそうじゃねぇか。」
知ってました、みたいな顔をしているけれど…
たぶん今のは完全に焦った顔だ。
「隣町に、この前、パティシエール『ノエル』ってお店が出来たの。」
わたしは鞄を机にかけながら続ける。
「そこの“粉雪のシフォン”がすごいらしいよ。
雲みたいに軽い生地に、雪みたいに粉糖がかかっててさぁ。
別皿の生クリームをつけて食べるのが、最高なんだって。」
想像しただけで、口の中が甘くなりよだれが出てる。
「絶対に食べに行くんだから。ねぇ結依。」
「うんうん、行く行く。」
事件のあと、
こんなふうに何かを楽しみにする自分が、
ちゃんと戻ってくるとは思っていなかった。
でも今は、違う。
甘い匂いのする日曜日の事を思い浮かべながら、
わたしは少しだけ笑った。
キーンコーン、とチャイムが鳴る。
「ほら、授業始まるって。帰れ帰れ、チャラ男。」
「うるせぇな。」
コースケは肩をすくめて立ち上がる。
去り際に振り向いて、
「デート、ついてっていい?」
なんて言うものだから。
わたしと結依は、ほぼ同時に消しゴムを投げつけた。
★☆
――そして、日曜日。
いつもの交差点で合流し、そのまま駅へ向かう。
開店は十一時。人気店だから、と少し早い電車に乗った。
日曜の朝は、まだ眠そうだ。
車内の乗客もまばらで、窓から差し込む光がやわらかい。
揺れる車内で他愛ない話をしていると、不意に結依が言った。
「ねぇ、明穂。」
「なに?」
「今日、本当にコースケくん断っちゃってよかったの?」
からかうように目を細める。
「せっかく遊びに行けるチャンスだったのに。」
「あ、当たり前でしょ。なんであんなヤツ。」
思わず少し早口になる。
「前から言ってるけど、何にもないからね。中学からの友達なだけ。」
「分かりやすい。」
結依がくすっと笑う。
「でもさ、コースケくん、明穂のこと好きだよね。」
心臓が、ひとつ跳ねた。
「毎朝席に座って待ってるしさ。ちょっとストーカーっぽいけど、あれ意外と一途じゃないかな。」
「ないない。」
わたしは手を振る。
けれど結依は続けた。
「明穂が怪我したって聞いた朝もすごかったじゃない。
“許さねぇ”って本気で怒っててさ。警察に押しかけそうな勢いだったじゃん。」
「……」
窓の外に視線を逃がす。
正直に言えば、知っている。
コースケが、わたしをどう思っているのか。
昔、部活の男子たちと話しているのを、偶然聞いてしまったことがある。
少しチャラくて、いい加減で、馬鹿で。
そんな変なところも別に嫌いじゃない。
告白されたら、ちょっと困った顔をしてコースケをからかって上げたい、そんな想像もしている。
でも……
もし本当に告白なんてされたら――
わたしは、どう答えるんだろう。
今の関係は、ちょうどいい。
くだらない話をして、笑って、時々怒って。
わたしにとってコースケと過ごす日々は楽しくて、そして居心地がよい……。
それが壊れるかもしれないと思うと、
胸の奥が、ほんの少しだけ落ち着かなくなる。
電車が小さく揺れる。
窓に映る自分の顔は、
どこか、まだ答えを決めきれていない表情をしていた。
そんなことを考えていると、車内アナウンスが静かに流れた。
――まあ、そのときはそのとき。
今はスイーツだ。
結依と目が合う。
どちらからともなく、にやりと笑った。
駅から店までは徒歩十分。
スマホの地図を頼りに曲がり角をいくつか抜ける。
そして、最後の角を曲がった瞬間。
「えっ……ちょっと、並んでない?」
結依の声が、半分ひっくり返った。
顔を上げると、そこにはきれいに折れ曲がる長蛇の列。
「うわ……」
わたしは列の先を目で追う。
ちゃんと、店の扉に繋がっている。
「どうする……並ぶ?」
結依が少しだけ不安そうにこちらを見る。
わたしは無言で人数を数え始めた。
……四十七、四十八、四十九。
五十。
五十一。
「……五十一番目。」
思わず無言のまま顔を見合わせた。
「取りあえず並ぼうか。
店内無理でも、テイクアウトあるみたいだし。」
「だよね。ここまで来たんだし。」
列の最後尾に並ぶ。
十五分。
太陽は少し高くなり、後ろにはさらに人が増えた。
期待と不安が、じわじわと混ざっていく。
そのときだった。
白衣を着た女の子が、店から出てきた。
手元の紙を見ながら、列をゆっくり数えている。
……嫌な予感しかしない。
四十人あたりで足を止め、指がゆっくり動く。
そして。
わたしたちの、五人前で止まった。
「申し訳ございません。
本日の“粉雪のシフォン”は、こちらで終了となります。」
空気が、ほんの少しだけ静まる。
「他のケーキでしたらご案内できますので――」
その言葉の続きは、もうあまり聞いていなかった。
わたしは結依と顔を見合わせる。
そして、同時に。
「……えぇー……」
力なく、肩を落とした。
店員の声をきっかけに、列がゆるやかにほどけていく。
別のケーキを尋ねる人。
「仕方ないよね」と笑って去る人。
わたしと結依も、その流れに混ざった。
溜め息が、ひとつ。
一週間前から楽しみにしていた日曜日。
地図を見て、時間を調べて、電車の本数まで確認して。
それが、あっけなく。
音もなく、崩れた。
「……どうする?」
結依が少しだけ困った顔をする。
「うーん……」
考えてみるけれど、名案なんて浮かばない。
結局、わたしたちは駅前のファーストフード店に落ち着いた。
見慣れたロゴ。
聞き慣れた注文のやり取り。
トレイの上には、食べ慣れたハンバーガーとポテト。
「……これはこれで、美味しいけどね。」
「うん。間違いない味。」
そう言いながら、また小さく笑う。
本当は、ふわふわのシフォンを食べるはずだった。
雪みたいな粉糖に、別皿の生クリーム。
それなのに、今は塩気の強いポテトをつまんでいる。
ああ、しょっぱい……。
わたしの人生なんてこんな感じよね。
窓の外をぼんやり眺めながら、
もう一度だけ、静かに溜め息をついた。
★☆
次の日。
昨日のことを、ほんの少しだけ引きずりながら。
わたしは結依といつもの道を歩いた。
そして教室に入ると、案の定。
「おう。」
わたしの席に座っている男がいる。
「……コースケ、退いて。」
いつもより少しだけ強い声になった。
「なんだよ。機嫌悪いじゃん。」
肩をすくめながら席を立つコースケ。
その横で、結依が彼の腕を引いてこそこそと耳打ちする。
次の瞬間。
「アハハハハ!」
やたらと響く笑い声。
わたしはじとっと睨みつけた。
「なんだよ、ケーキぐらいで。」
「うるさい!今、機嫌悪いの。
早く自分の教室帰って。」
ぷい、と窓の外へ視線を逸らす。
「シフォンだろ? そんなの俺が作ってやるよ。
絶対、俺のほうがうまいし。」
わたしは鼻で笑って、手をひらひら振った。
「あんたのケーキなんて食べ飽きたわ。
わたしはあのお店のが食べたいの。」
言いながら、少しだけ本気で拗ねている自分に気づく。
「もう、イラつくから消えて。」
そのときだった。
――不意に。
頭の中で何かが弾けた。
周囲の音が途切れ、
コースケの笑い声がスローモーションになり
窓から差し込む春の光が、フラッシュを焚かれたように白く反転する。
――嘘でしょ。またなの?
こめかみを突き刺す痛みと同時に、目を閉じているはずなのに、映像の断片が流れ込んでくる。
「……っ」
頭を押さえ顔をしかめる。
「明穂?」
結依の小さな声が聞こえる。
あの事件以来、見ていなかったはずの“予知”。
どうして、今。
教室のざわめきが、遠くなる。
目を閉じたまま、息を整える。
ほんの一瞬だったはずなのに、
嫌な確信だけが胸に残った。
ゆっくりと目を開ける。
指先の震えを隠すように、制服のスカートをぎゅっと握りしめた。
窓の外は、いつも通りの朝。
何も変わっていない。
――まだ、何も。




