最終回 運命の指輪に願うこと
わたしは腕を振り、ひたすら走り続けた。
あの公園は遠くない。
息が上がる。
汗が頬を伝う。
それなのに身体は冷え切っていた。
もう映像は終わっている。
それでも、血を流して倒れていたみらいの姿が頭から離れない。
――時任未来。
彼に抱いていた違和感。
そして、あの言葉。
『救ってあげて』
わたしはずっと勘違いしていた。
みらいの両親が離婚しそうだから。
苦しんでいる彼を支えてあげてほしいから。
そういう意味だと思っていた。
でも違う。
違ったんだ。
あの夢。
夢だと思っていた記憶。
あれはきっと現実だ。
未来のどこかで、わたしはみらいと会っている。
だから彼はわたしを知っていた。
だからわたしの言葉を覚えていた。
――救ってあげて。
あれはきっと。
――あの子の命を救ってあげて。
そういう意味だった。
「もう……なんで……」
息を切らしながら呟く。
「なんで、ちゃんと言わないのよ……」
未来のわたしに向けた文句だった。
ここを曲がれば公園が見える。
一度だけ息を整え、角を曲がった。
視界の先に公園が見える。
信号も見えた。
間違いない。
映像に映っていた場所だ。
周囲を見渡す。
みらいの姿はない。
少しだけ胸を撫で下ろした。
けれど、不安は消えない。
むしろ強くなっていた。
映像から時間までは分からない。
もしかしたら今日じゃないのかもしれない。
そう思うのに、胸の鼓動は収まらなかった。
走ってきたからじゃない。
これは――嫌な予感だ。
結依が襲われたあの日。
あのとき感じた不安とよく似ている。
わたしは唇を噛み、公園へ向かって歩き出した。
すれ違う子供。
道の反対側を歩く人影。
明らかにみらいではないのに、何故か一人ずつ確認してはホッと息をつく。
時折車が行き交うが、そんな些細な事にもわたしの肩は上がり、緊張してしまう。
あと三十メートル……、二十メートル切ったのではないかと思ったとき、わたしの息が一瞬止まった。
目の前から来る猛スピードの車が迫ってきた。
横断歩道は赤。
みらい姿はない。
でも、わたしは走り出し叫んでいた。
「みらい!来ちゃダメ。みらい、聞こえる。」
行き交う人がわたしを横目で見てくるが、そんなのは構っていられない。
不安が恐怖が募り、そしてそれは現実へと変わる。
信号が青へと変わる。
その瞬間、みらいが公園の柵を越え、ボールを持ったまま、信号を渡ろうとしていた。
急いでいるのか少し慌てたように左右を確認せず信号に向かって走り出す。
前から迫る車はスピードを落とす気配はない。
子供に、みらいに気づいていないのか、信号が変わったことすら知らないように。
「みらーい!」
わたしが精一杯声を張り上げ声を上げた。
すると、彼の動きが止まった。
信号の途中。
でも彼の視線はわたしには向いていない。
迫り来る車を見つめ、固まっていた。
声を上げる余裕はもうなくなっていた。
——お願い間に合って。
わたしは走り込みながら、みらいを押し倒した。
ドンッ
身体を貫くような激しい痛みが全身に伝わり、わたしは意識が遠退いた。
★☆
わたしが意識を取り戻したのは声が聞こえたからだ。
「おい、きみ。しっかりしろ」
重たいまぶたを開くと、知らない男性がわたしを覗き込んでいた。
その向こうから、たくさんの人の声が聞こえる。
けれど、どこか遠い。
ゆっくり視線を動かす。
わたしは道路の真ん中に倒れていた。
熱を持ったアスファルトが背中に伝わってくる。
「おーい、生きてる、生きてるぞこの子。
救急車まだなのか?」
「救急車?」
その一言でわたしは記憶が戻る。
——わたし車に引かれたんだ。
その瞬間、忘れていた。
感じていなかった痛みが全身を貫いた。
足を動かそうとしても動かなかった。
右手にも力が入らない。
かろうじて左手だけはわたしの意思に応えてくれる。
息が荒くなる、意識がまた離れそうになる。
でも確かめなくてはならない。
その男性の手を取り、わたしは聞いた。
「みらいは?」
「えっ!」
「男の子……無事?」
男性がわたしの手をとった。
「ああ、あの男の子か、怪我はしてるけど大丈夫。意識もあるし、いま安全なところにいるから安心しなさい。」
その言葉を聞いた瞬間。
全身から力が抜けた。
――よかった。
救えた。
未来を変えられた。
男性はわたしの手を握ったまま言う。
「だから今度はきみが頑張れ。」
声はかけられたものの息が苦しい。
「おい、まだなのか救急車。
きみ、ちょっと待ってて。」
そう言ってその人が立ち去るのが分かった。
痛い。
身体中が痛い。
指先にヌルッとしたものを感じ、視線を移した。
真っ赤に染まったわたしの手。
わたしはそれを指先でなぞる。
——わたし……死ぬんだ。
諦めに似た言葉。
不思議と怖さはなかった。
ただ……悲しかった。
お父さん、お母さん……ごめん。
わたし……先に死んじゃう。
ごめんなさい。
結依……澪。
旅行行けそうにないや、約束破ってごめん。
結依……。
ずっと友達でいようって言ったのに、
ずっと一緒にいるって言ったのにごめんね。
澪……。
ずっと守って上げるって約束したのに、約束破って、ごめん。
もっと澪と遊びたかったな。
コースケ……コースケ……。
彼の名前を告げた時、わたしの心は壊れた。
わたし、わたし死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
なんで死ななきゃいけないの。
これからだったのに。
もっと笑いたかった。
もっと喧嘩したかった。
もっと一緒に歩きたかった。
もっと。
もっと。
「コースケ……」
涙が溢れた。
「言わなきゃ良かった。
好きだなんて言わなきゃ良かった。
コースケごめんね、約束破ってごめんね。」
コースケの顔が浮かんで、わたしの瞳から後悔の涙がとめどなく溢れてきた。
震える左手を空へ伸ばす。
沈みかけた夕日に照らされて、薬指の指輪が小さく光った。
わたしはそれを見つめながら願う。
「神様……お願い」
掠れた声しか出なかった。
「もう一度だけ」
お願い。
「もう一度だけ、タイムリープさせて」
みんなを置いていけない。
コースケを置いていけない。
まだ終われない。
まだ。
まだ――。
けれど。
何も起きなかった。
「そうだよね。わたしだけずるいよね。
何度もやり直して。
そんな都合がいい話しなんて……」
もう力が入らない。
身体の感覚はすでになかった。
痛みすら感じてこない。
微かに聞こえる人の声。
救急車の音。
みらい、怪我してるけど大丈夫なのかな。
もう目の前が暗くなった。
なんだか温かい。
布団に包まれるように眠気が襲ってくる。
暗くなったわたしの視界に、小さな光の玉がゆらゆらとやってきた。
「コースケごめんね。ごめんね。
もう一度。もういち……ど。」
光がわたしを包み込む。
そして――。
世界は白く染まった。
——And it begins again.




