五話目 私に似合う色
目の前から、みらいが歩いてきた。
足が止まった。
視線が、彼に釘付けになる。
「どうしたの、明穂?」
急に立ち止まったわたしに二人が振り向いて、結依が覗き込むように顔を近づけてくる。
みらいはまだ気づいていない。
両親に挟まれて、楽しそうに何か話している。
その姿を見た瞬間、胸がじんわりと熱くなった。
両親が仲直りしたとは、みらい本人から聞いていた。
でも、実際にこうして三人並んで歩く姿を目にすると、ほっとするような、嬉しいような、言葉にならない気持ちが込み上げてきて、気づいたら顔がほころんでいた。
何も答えないわたしの視線の先を、結依が目で追う。
「あっ、あの子じゃん。」
結依が指を差して声を上げた瞬間、みらいがこちらを振り向いた。
「あっ、明穂。」
相変わらずの呼び捨て。思わず頬が膨らんだけれど、そんなことはお構いなしに、みらいが駆け寄ってくる。
――まっ、いっか。
「みらい、ご両親とお出かけ?」
「うん、明日お祭りだろ、浴衣買いに来たんだ。」
「嘘、わたしも友達と今から買いに行くところよ。」
みらいが顔を上げて、結依と澪を交互に見やる。
「こんにちは!」
わたしへの態度とは打って変わって、元気よく丁寧な挨拶。片眉がぴくりと上がった。
「こんにちは!」
「こ、こんにちは!」
二人が挨拶を返すと、みらいはにかっと笑って「この前いた、胸のお姉さんと、前髪のお姉さんだろ。覚えてるぜ」と言い放った。
――胸、前髪……。
唖然とする結依と澪の顔を見て、わたしは思わず吹き出した。
そこへみらいのご両親が近づいてきて、お父さんが「コラッ」とみらいを叱る。
「すみません。」
頭を下げるお父さんに、わたしも軽く会釈した。
二言三言、ご両親と言葉を交わす。
想像していたイメージとは、だいぶ違った。
もっと神経質な感じかと思っていたのに、二人とも穏やかで、笑顔が柔らかい。
離婚を考えていたとはとても思えないくらい、仲が良さそうだった。
その間をはしゃぎながら行き来する、みらい。
――時間の歪み。
そんな言葉が頭をよぎったけれど、わたしはすぐに打ち消した。
これはみらいが、自分で掴んだ未来なんだと。
「じゃあな、明穂! お姉ちゃんたちもまたね!」
みらいはわたしに手を振って、両親と一緒にまた歩き出した。
「なに、あの子。変わった子ね。」
結依が呆れたように言うと、その横で澪がくすくすと笑う。
「生意気でしょ。」
「ほんとね。」
結依が肩を軽く上げて、クスッと笑う。
「行こっ!」
「うん」
頷きながら、もう一度だけ遠ざかるみらいの背中を目で追った。
――なぜ彼は、わたしのことを覚えているのだろう。
あの夢の記憶を。
ずっとくすぶり続けている疑問だった。
タイムリープをして過去を改変したなら、記憶は消えているはずだ。
なのにみらいは、わたしとの約束を覚えていた。
そもそも、あのときの出来事は夢だったのか。
それとも現実だったのか。考えても考えても、答えは出ないままだった。
「ねぇ明穂、早く行こうよ。」
「う、うん」
――変わった子。
結依の何気ない一言が、胸の奥に沈んでいく。 その瞬間、わたしはふと考えてしまった。
――みらいは、本当に「あのとき」のみらいなのだろうか。
★☆
デパートに入ると、ひんやりとした空気が焼けた素肌を包んでくれて、思わず息をついた。
「じゃあ早速行きましょうか。」
「ちょっと待って、結依。」
わたしが彼女の腕を制する。
「なに、どうしたの?」
怪訝な顔を向ける結依に、わたしは真面目な顔で提案した。
「ほら、外暑かったでしょ。一旦フードコートで涼まない?」
「ダメよ!」
即座に、ぴしゃりと却下される。
「なんでよ。」
「明穂、フードコート行ったらあれもこれもで時間かかるじゃないの。あの子だって言ってたでしょ、浴衣買いに来たって。早く行かないと良いのから取られちゃうわよ。」
正論だった。助けを求めるように澪を見たけれど……。
「そうですよ、明穂さん。先に浴衣買ってからにしましょうよ。」
あっさりと梯子を外された。
世間は厳しい。多数決には逆らえない。
「え~」
ぐずるわたしの両手を結依と澪がそれぞれ掴んで、子供のように引きずっていった。
★☆
連れてこられたのは、以前にも結依と来たことのあるお洒落な洋服屋さんだった。その一角に浴衣コーナーが設けられていて、わたしたちはそこへと吸い込まれていく。
色とりどりの浴衣が並んでいた。
赤、青、黄色、ピンクに白、大人っぽい紺もある。澪はさっそく白い浴衣を手に取って、自分の体に当てている。
「澪ちゃんだったら赤とか、この青も合うんじゃない。」
すかさず結依が口を挟んだ。まるでデザイナーみたいだ。
「え~、派手じゃないですか、これ?」
口ではそう言いながらも、澪の表情はまんざらでもなさそうだ。
二人を横目に、わたしはゆっくりとハンガーを眺めていた。
正直、かなり迷っている。予算は全然大丈夫なんだけど……。
コースケはどんなのが好きなんだろう。
自分の趣味なら、結依が今手にしている赤や、この黄色も捨てがたい。
ピンクは可愛いけど少し子供っぽいかな、これは却下。
清楚な感じなら白かな。
何度もハンガーを取っては体に当てて、また戻す。どれも決め手に欠ける。
いや、正確には、もう一つ、頭の片隅にずっとひっかかっていることがあった。
コースケと並んで映える浴衣を選びたいのはもちろんだけど……。
顎に手を当てて唸っているわたしに、澪が声をかけてくる。
「明穂さん、まだ決まらないんですか?」
「う、うん。澪は決まったの?」
「はい、思い切って青にしました。」
「へえ!」
結依の助言だろう。てっきり白を選ぶかと思っていたけれど、浴衣を身体に合わせて見せてくる澪の姿にまんざらでもないと感じていた。
「どうしたの明穂、まだ?」
わたしと澪の会話に結依も覗き込んでくる。
「うん、あのさ……今さらなんだけど、浴衣って、や、やっぱり、む、胸があった方が、は、映えるわよね?」
「はっ?」
二人の声がきれいに揃って裏返った。
そして肩を震わせた澪が堪えきれず吹き出して、わたしの肩を叩いた。
「やだ明穂さん、子供みたい。アハハ。そんな小さいこと気にしてたんですか、アハハ」
「うぐっ」
――子供……小さい……。
そうよ!わたしの胸は子供サイズよ。
''胸が''小さいことを気にして何が悪いのよ。
「なにを言ってるの澪。わたしには重要なミッションが控えてるの。失敗はできないのよ。」
真面目な顔で訴えかけると、澪はお腹をさすりながらまだ笑い足りなさそうに言ってきた。
「じ、じゃあ盛ればいいじゃないですか。盛大に。アハハ」
「そ、そうね……でも不自然じゃないかしら」
意外とありかも。
浴衣よね、『着痩せしちゃって』とか言えば通じないかしら。
そんな物騒なことを考えていると、ふいに視界に足が現れて、わたしの前に立った。
顔を上げると、上唇をぐっと噛みしめた、妙に重い顔の結依がそこにいた。
「あのね、明穂……」
「な、なに?」
深刻な顔に思わず一歩後ずさる。
「着物というのはね……」
「うん……」
「胸がない方が、映えるのよ。」
「…………」
「う、嘘よそんなの!」
一拍置いてから反論した。
でも結依は、ゆっくりと首を左右に振った。
「本当よ。わたしみたいに大きいと、シワが寄りやすくて着崩れしやすいの。だから浴衣を着るときはサラシを巻くんだけど、これがけっこう苦しくて。」
「へぇ……」
知らなかった。
思わず感心してしまう。
「その点、明穂!まーったくないでしょ、胸。
ほんとに浴衣を着るとき''だけ''は、明穂が羨ましいわ。まっ平らになりたいくらい。」
「そ、そうだったのね。」
わたしはそっと自分の胸に触れた。
生まれて初めて、胸がないことを褒められた。
なぜか澪が横で苦しそうに結依の肩を掴んでいるのは気になったけれど、胸の中にほんの少し、希望の光が灯った気がした。
「じゃあ結依、わたしどれが似合うと思う。決めきれなくて。」
「ああ、やっぱりこれじゃない。」
結依の手は迷わず、紺色の浴衣を取った。




