三話目 逃げられない誘い
足が、急に重くなった。
金縛りにあったみたいに、一歩も動けない。
周囲を見渡して、索敵モードに入る。
これは予感だ。
間違いない。
でも、なんで?
わたしは頭の中で、今日を巻き戻した。
タイムリープの映像みたいに、フィルムを逆回転させる。
――止まった。
ここよ。この場面。
お昼休み、結依がわたしを叱りつけたあと、急に話を切り上げて言ったのだ。
『じゃあ話はここまで。旅行の計画なんだけど』
そしてすぐ後。
澪がこう続けたわ。
『今日の放課後、喫茶店で話しませんか?』
一見すると、自然な流れに見える。
けど……やっぱり変だ。
あの二人、絶対グルなのでは?
あり得る……
しかも、あの二人がこんな回りくどい手を使ってまで、わたしを誘い出す理由には、心当たりがある。
おそらく、コースケだ。
コースケから頼まれた……。
いや、違うわね。
作戦を立てたのは結依だろう。
わたしの煮え切らない態度に痺れを切らして、強引に話を進めようとした。そんなところかしら。
フッ、甘いわね。
伊達に弓道をやっている訳じゃない。
わたしの視力は2.5。
普通の検査機械では測れないのよ、この眼は。
この程度の人ごみ、目を凝らせば一発よ。
みてらっしゃい!
目を細めて、周囲を一人ずつ確認していく。
――あれは違う。
――あれは肌荒れがひどすぎる。
――あれは……うん、美味しそうね。
あれ?
いない……。
もう一度見渡しても、コースケの姿はどこにもない。
おかしいな。
わたしはぽりぽりと頭を掻いた。
勘違い……考えすぎ……。
そうよね、さすがにそこまではしないか。
二人を疑ったことに少し罪悪感を覚えながら、踵を返す。
喫茶店の窓際の席に、結依と澪の姿が見えた。中を確認しても、当然コースケの姿はない。
やっぱり、わたしの思い違いだった。
ごめんね、結依、澪。
「明穂!」
肩が跳ね上がった。
嘘、なんでいるの。
背後から聞こえた声に、全身の血が一瞬で沸騰した。聞き間違えるはずがない。
「おい、明穂!」
もう一度呼ばれる。
間違いない。
わたしはゆっくりと、恐る恐る振り返った。
「コースケ!」
分かっていたのに、思わず声が出た。
「どこから湧いて出てきたのよ。」
「なんだよ、その言い方。」
コースケの片眉がむっと上がる。
いったいどこに隠れていたの。
完全にパニックになったわたしは、助けを求めるように喫茶店の窓際へと視線を這わせた。
すると――
口元を手で押さえながら、澪がにこにこと笑ってこちらを見ていた。
そしてゆっくりと、結依が振り向く。
口角をゆっくりと吊り上げた、悪魔みたいな横顔。
全身に鳥肌が立った。
――やられた。
やっぱり全部、結依の作戦だった。
わたしの行動を読んで、完璧に罠を張っていたのだ。
いつもはポンコツな推理ばかりするくせに、なんでこういうときだけ名探偵みたいに冴えてるのよ。
でも、そんな文句は誰にも届かない。
目の前にはコースケがいて、わたしに逃げ道なんてどこにもなかった。
うろたえるわたしの手を、コースケが掴んだ。
「ちょっと話があるから、付き合えよ。」
「えっ、待って待って、結依と澪と、えっと、待ち合わせ……」
言い訳など聞こえていないように、コースケはわたしの手をぐいぐいと引っ張っていく。
喫茶店の看板が、どんどん遠ざかっていく。
――澪、助けて。
――結依、お願いだから。
手を伸ばして、遠ざかる看板を掴もうと何度も空を切った。
掴める訳なんてないのに。
やがて喫茶店が見えなくなって、わたしはうなだれたまま、コースケに手を引かれ続けた。
心臓がうるさい。
コースケは何も言ってこない。
チラリと顔を上げて、すぐに下を向く。
――怒ってるのかな……朝のこと。
そうよね。コースケは何も悪くないのに、勝手に八つ当たりして。
わたし、どこに連れていかれるんだろう。
手を引かれながら、不安が心の中に広がっていく。
もしかして人気のないところに連れていかれて――いや、それはない。
うん、ドラマの見すぎ。
で、でも、これはあるんじゃないかしら。
『お前にはもう飽き飽きだ。別れよ。』
待って、まだ付き合ってもいないんですけど。付き合う前に別れ話って何。
え、どうしよう。
――ふられちゃった、アハハ。
絶対に無理。
そんな軽いノリで乗り切れる訳がない。
一生トラウマになって、もう生きていけないわ。
「明穂!」
「ひゃい!」
最悪な想像の最中、コースケが不意に声をかけてきた。顔を上げる。
「一緒に食べようぜ。」
コースケが指差す方向へ、ゆっくりと視線を向けた。
「中学の時、よく一緒に来たろ。」
わたしのお気に入りの、たこ焼き屋だった。
「う、うん!」
完全に不意をつかれた。肩から、どっと力が抜けていく。
なんだったのよ、今までのあの不安は。
急に恥ずかしくなって、顔に熱が集まってくる。うつむいたまま、コースケに手を引かれてたこ焼き屋の前まで来た。
「おっ、明穂ちゃん、いらっしゃい!」
威勢のいいおじさんの声に顔を上げる。
「なんだい今日は。カッコいいお兄ちゃんと手なんか繋いで、デートかい?」
ハッとして手元を見た。
手首を持たれていたはずなのに、いつの間にかコースケと指を絡めるように繋いでいた。
顔から、ボンと火が出た。
「ち、違うの、おじさん。ほら、コースケよ、コースケ。中学の時に一緒に来てたじゃない。」
「んっ?」
おじさんが顔を近づけて目を細める。
「おうっ!光介くんじゃないか。久しぶりだねえ、見違えたよ。」
コースケは頭を掻きながらぺこぺこと挨拶を返した。
「なんだ、二人ともやっぱり付き合ってたんだね。おじさん、前からそうじゃないかと思ってたんだよ。」
――もういいわ。
恥ずかしいけど、言い訳に疲れた。本当に。
「それならせっかくだから食べてってよ。
お祭り用の新作でね、試作で何個か作ったんだ。明穂ちゃんならいつもの値段でいいからさぁ。」
――えっ、新作!
ケースを覗き込んで、目が釘付けになった。
「ウッ」
思わず息が止まる。
「あ、明穂……これって。」
コースケも目を丸くして、おそれおののくように一歩後ずさった。
「す、すごいわね。タコが見えない。」
一目見ただけで、味覚が騒ぎ出した。
「おじさん、こ、これって?」
「これかい。『ギルティ デラックス フルコンボ』だよ。」
ギルティ……罪、という意味よね。
確かに、罪だ。
たこ焼きを完全に覆い隠すほど盛られたネギ。その上からこれでもかと散りばめられたチェダーチーズとマヨネーズが、マグマのように絡み合っている。
しかもこの赤いのは、明太子。
嘘でしょ。
まさに罪……いや、夢のコンボだ。
「お、おい明穂。夕飯も近いし、普通のにしとい――」
「おじさん、これちょうだい!」
コースケの声など、もう耳に入ってこない。口の中がじゅるりと潤む。
★☆
「あーん。……うん、美味しい。」
一口で頬張って、目を細める。
作りたてではないけれど、むしろ落ち着いて食べやすい。
ネギのしゃきしゃきした歯ごたえと、とろりと溶け出す生地。チーズとマヨネーズが絡み合って、明太子がいいアクセントになっている。
――う~ん、しあわせ。
そんなわたしをコースケが眉をひきつらせながら見ていた。
「なに?」
「い、いや、なんでも。」
コースケも割り箸を手にして、箸を皿に伸ばす。
「美味しいでしょ?」
「ああ……うん。うまい。本当に、うまい。」
「ほら言ったじゃない。」
少し勝ち誇って、頬の片方だけ上げた。
「なあ、明穂。」
「うん……」
もう一口、たこ焼きを頬張ろうとした瞬間。
「夏祭り、一緒に行かないか。」
「ウッ!」
喉に、つっかえた。
く、苦しい……。
「ご、ごめん、大丈夫か、明穂!」
――バン、バン、バン。
「ゲホ、ゲホ」
背中を叩かれて、詰まっていたものがようやく通った。
あ、危なかった。
一瞬、三途の川のせせらぎが聞こえたわ。
「ごめん、ホントに。ほら、お茶飲めよ。」
「うん、大丈夫。ありがとう。」
差し出されたペットボトルのお茶を一口飲んで、ようやく息が整う。わたしは、ゆっくりと我に返った。
――さ、誘われた。わたし、誘われたわよね。
なんて返そう。
答えなければならない。ふざけて誤魔化せる空気でもない。
コースケは勇気を出して誘ってくれた。
だったらわたしも、真剣に答えなければならない。
結依も澪も、煮え切らないわたしのためにお膳立てをしてくれた。
逃げる訳にはいかない。
わたしは一度、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
覚悟が、決まった。
顔を上げて、コースケの目を見る。
コースケの目が、少しだけ見開かれた。
わたしの胸が、熱くなる。
吹っ切れたわたしは、一気に言葉を出した。
「うん、いいよ。一緒に行こ。」
すると。
――ダメ。
頭の中……いや、胸の奥の深いところから、小さな声が聞こえた。




