二話目 まだ友達のままで
「ひ、ひどい顔してるわよ、明穂。」
朝の待ち合わせ。
結依の第一声を聞いて、わたしは力なく鼻で笑った。
――分かってる。
昨夜は目を閉じるたびにコースケの顔が浮かんで、緊張と、ときめきと、震えと、その他いろいろ、ごちゃ混ぜになって、結局一睡もできなかった。
クマは酷い。
寝癖は直らない。
お腹まで痛い。
久しぶりに、最悪の朝だった。
「ご、ごめん……明穂。そんなに追い詰められてるなんて、し、知らなかったから……」
――やめて。そんな哀れみの目で見ないで。
わたしだって、恥ずかしい。
恋愛漫画を見てはキャッキャ騒いで、恋愛ドラマを見てはウフフと笑って、そんなことを繰り返していた自分が、まさか''こっち側''に来るとは思っていなかった。
こんなに苦しいなんて、知らなかった。
ごめんなさい。
『早く告白しちゃいなさいよ』
あんな言葉を吐いて、本当にごめん。
だから許して。わたしを解放して。
ぶつぶつと念仏を唱えながら、時折り意味のない笑いが口から漏れる。
世の恋愛漫画の主人公たちに、土下座して回りたい気分だった。
「だ、大丈夫、明穂?」
遠くから結依の心配する声が聞こえて、フフフと笑いながら頷いた。
全部、あの男のせいだ。
コースケ、もう。
嬉しいよ。嬉しいんだけど。
こっちにだって心の準備というものがあるじゃない。
どのタイミングがいいのかも分からないけどさぁ、あと三日なんて、そんな。
もう……。
「し、しっかりして、明穂!」
なんだか、泣きたくなってきた。
結依に半ば引っ張られるようにして、わたしは学校へとたどり着いた。
下駄箱を抜けて、二階への階段を上る。
クラスの扉まであと数歩というところで、足が急に重くなった。
――金縛り。
いや、違う。
これは予感だ。
「どうしたの、明穂?」
「ねえ結依……。教室の中、ちょっと見てきてくれない。」
結依が首を伸ばして扉の隙間から覗き込む。
「いるわよ、コースケくん。」
やっぱり。
わたしの第六感はよく当たる。
以前、友達に「動物みたいな勘ね」と呆れられたこともあるけど、今はそんなことどうでもいい。
「どうするの、明穂。このまま廊下で固まってるつもり?」
「うん……」
囁くように促され、わたしは重い足を引きずりながら教室へと入った。
「明穂おは……、って、どうしたの!」
「おはよう、あき……えっ」
通りすぎるクラスメイトたちが口々に言葉を止める。
よほど酷い顔をしているのだろう。
「おう、明穂、久しぶり!」
コースケの声が聞こえた瞬間、肩がドキッと揺れた。
久しぶりに聞いた声なのに、嬉しいのに、顔がまともに見られない。頬が燃えるように熱い。
「どうした明穂、酷い顔して。」
わたしの椅子に座って覗き込んでくるコースケが、心配そうに声をかけてくる。
――あんたのせいでしょ。
恥ずかしいのやら、顔を見られたくないのやら、一晩中目が冴えて一睡もできなかったことが頭をよぎって、気づいたら腹が立っていた。
「もう、どいてよ。」
つい声を荒げて、コースケを席から追い払う。
「なんだよ、急に……」
不満そうに口を尖らせながら、コースケが渋々立ち上がった。
席について、わたしはぷいっと机に顔を伏せた。
見られたくなかった。
こんな酷い顔も、八つ当たりしている自分の顔も。
背後で結依がコースケに何か言っている。
「具合が悪い」という言葉が、ぼんやりと耳に届いた。
久しぶりに会えて、声が聞けて、本当は嬉しいのに。
胸がぎゅっと締め付けられる。
「ちょっと、明穂!」
恐る恐る顔を上げると、コースケの姿はもうなかった。代わりにそこにいたのは、鬼の形相の結依だった。
「いい加減にしなさいよ。コースケくん、可哀想じゃない。」
叱りつけられて、肩が縮む。
「きっと勇気出して会いに来たのよ。
それなのにあんな言い方して……もう知らないからね。」
「うん……ごめん。」
結依に謝って、それから、廊下の向こうに消えたコースケにも、心の中で謝った。
★☆
昼休み。
わたしはまだ責められていた。
「それで、だったんですね。」
朝の経緯を聞いた澪が、目を丸くする。
「コースケさん、ずっと死んでましたよ。
負のオーラ全開で。」
「えっ」
「見るも酷い有り様でした。
クラスのみんなも声をかけようとして、でも誰も近寄れなくて。私も行ってみたんですけど……」
澪が言葉を濁す。
――やめて澪、それ以上言わないで。
「ごめんね、ごめんね、コースケ。」
どうしたらいいか分からなくて、頭を抱えてひたすら謝り続けた。
すると結依がわたしの肩をぽんと叩く。
「落ち着きなさい、明穂。過ぎたことは仕方ないわ。」
「結依……」
優しい言葉にすがりつくと、
「きっとコースケくんも、明穂のことは諦めたわね。」
「えっ!」
「あんな酷い態度をとられたら、そりゃ愛想も尽きるわよ。でもよかったじゃない、これで楽になれて!」
傷口に塩を塗り込んできた。
思わず、瞳に涙が滲んできた。
「嘘よ。でもね、いつまでもそんな態度を続けてたら、本当になっちゃうわよ。ちゃんと応えてあげないと」
「うん……」
顔を歪めながら、子供みたいに頷いた。
「じゃあ明日、ちゃんと伝えなさい。分かった?」
「うん……」
とは言ったものの、覚悟はまだ、どこにも見当たらなかった。
「じゃあ話はここまで。旅行の計画なんだけど……」
「あの、今日の放課後、喫茶店で話しませんか?」
結依の言葉を遮って、澪が提案してくる。
「ほら、明穂さんが行きたいって言ってたお店で。」
澪がちらりとわたしを見た。
「明穂さん元気なさそうだから、美味しいものを食べたら少し元気になるかなって……どうですか?」
わたしと結依を交互に見ながら、遠慮がちに確認してくる。
「私はいいけど、明穂は?」
「部活の後でよければ……」
「じゃあ決まりね。私と澪ちゃんは先に行って待ってるから、明穂は後で合流して。」
「うん」
わたしは、できるだけ元気に返事をした。
★☆
「うーーーん」
部活に出たわたしの矢は、やはり外れた。
足踏みしても位置が定まらず、踏み直す。
胴造りしてもどこか落ち着かない。
会に入るとコースケの顔が浮かんで、溜めが作れないまま早打ちになる。
当たらない訳じゃない。
でも散っている。
集中できていない。
順番を替わり、ペットボトルのお茶を一口飲んで、息をゆっくりと吐いた。
昼休みが終わってからずっと、同じことを考えていた。
コースケのことが好きなのに、いざ告白されると聞いた途端、どうしてこんなにも心が乱れるのだろう。
コースケと手を繋いで歩く場面なんて、何度も頭の中で描いた。
少し前、みんなでシフォンケーキを作ったとき、台所で肩が触れるくらい並んでドキドキもした。
嫌じゃない、全然嫌じゃない。
なのに、わたしの中の何かが、彼を遠ざけようとしている。
最初は、関係が壊れるのが怖いからだと思っていた。
でも、たぶん違う。
うまく言葉にはできないけれど、もっと根っこのところ――心の奥底で、ブレーキみたいなものが働いている。そんな気がする。
何なのかは、分からない。
そもそも、コースケはわたしのどこが好きなんだろう。
結依みたいに女子力が高い訳でもないし、澪みたいに頭が良い訳でもない。自慢できることといえば、少し運動神経がいいくらい。
そんなわたしがコースケの隣に並んで、釣り合うのだろうか。
考えれば考えるほど、暗い方へと引っ張られていく。
「明穂さん」
後輩の声に、顔を上げた。
お茶をもう一口飲んで、矢籠を受け取る。気持ちを切り替える。
――今はやめよう、こんな考えは。
明日、まず最初にコースケに謝る。
今朝の八つ当たりを、素直に謝る。
そのあとのことは……まあ、何とかなるわよ、きっと。
それに今日はこの後――フフフ。
順番に戻り、わたしは足踏みを始めた。さっきよりずっと安定している。
胴造り。
息を吐いて、肩と腰の位置を揃える。力が、ちゃんと抜けている。
弓構え、打起し。
いい感じだ。
そして会――。
ゆっくりと、息を吐く。
狙うはパフェ。
夏季限定、トロピカルフルーツパフェ。
矢を放った。
「よーし」
みんなの掛け声が聞こえて、わたしはニヤリと笑った。
★☆
放課後。
さっさと着替えを済ませて、わたしはスキップしながら喫茶店へと急いだ。
切り替えが早いのが、わたしの良いところ。
あのあとの矢は全部、気持ちのいい場所へ飛んでいった。そうよ、考えすぎてはダメ。まずパフェを攻略して、そのあとは――。
目当ての喫茶店が、前方に見えてきた。
足が自然と速くなる。
すると。
足が、急に止まった。
あれ……?




