一話目 変わってしまう前に
「いや、マジでビックリしたわ。」
「本当ですよ。いきなり明穂さんが抱き締めるから、こっちまでドキドキしちゃいました。」
夏休み直前の放課後。
旅行の行き先を決めるはずだったのに、気づけばわたしは二人の視線の的になっていた。
頬に熱が集まって、自分でも分かるくらい顔が真っ赤になっている。
「だから、違うって言ってるでしょ。」
何度説明しても、結依と澪は面白がるばかりで、まるで聞く耳を持ってくれない。
――まあ、気持ちは分かるわよ。
事情を知らない二人からすれば、いきなり小学生の男の子に抱きついた同い年の女の子なんて、そりゃあ奇妙な光景以外の何物でもない。
みらい本人だって、あの瞬間きょとんとした顔をしていた。
でも。
しょうがないじゃない。
無事でいてくれて、ちゃんとわたしのことを覚えていてくれて――嬉しさが全部一緒に溢れてきたら、腕が動くより先に気持ちが追いつかなかっただけで。
うつむくわたしに、二人の言葉は容赦ない。
「焦ったわよ~。あんな子供に鞍替えしちゃったかと思っちゃったわ。」
「えぇ、結依さん、それって流石に犯罪ですよ。犯罪。」
「もう!」
さすがに頭に来て、わたしは頬を膨らませ二人を睨んだ。二人は肩を竦めて顔を見合わせると、慌てて取り繕ってくる。
「嘘ですって。怒らないで下さい、明穂さん。」
「ごめん、ごめんって。ご両親が離婚しそうなんでしょ、そりゃあ心配するわよね。」
怒りはまだ収まっていない。
「ふんっ」と鼻を鳴らして、わたしはそっぽを向いた。
「本当に悪かったって。
そうよねえ、コースケくんだっているのに、明穂があんな子に乗り換える訳ないもんね。」
「あっ!」
コースケの名前が出た瞬間、澪が甲高い声を上げた。
「なに?」
驚く結依と一緒に、わたしも澪へ目を向ける。澪は口元を手で押さえ、わたしと結依を交互に見やりながら、明らかに挙動がおかしい。
「どうしたの、澪ちゃん?」
重ねて問う結依に、澪はばつが悪そうに頬を掻いた。その視線がちらちらとわたしの方へ漂ってくる。
「じ、実はなんですけど……」
妙な間が空いた。
指先をもじもじと動かしながら、言葉を探すみたいに口を開いたり閉じたりしている。
「もしかして、コースケのこと?」
最近ぱったり姿を見せないコースケ。
その事情に心当たりがあるのかと思い、嫌な予感がじわりと胸の底から這い上がってきた。
――まさか、結依じゃなくて澪と……。
夢の中の記憶がにわかに甦り、思わず息を飲む。
嘘。やめてよ。
心臓が速くなる。
すると澪は意を決したように顔を上げ、まっすぐにわたしを見た。
ゴクリと喉が鳴る。
「あの……実は、コースケさんが明穂さんに、こ、告白したいんだけど、どうすればいいかって……そ、相談受けてて。」
「はっ?」
声が、裏返った。
頬に、また別の熱が集まってくる。今度は恥ずかしさと、もう一種類の何かが混ざった、説明のつかない赤さだった。
「へぇ~すごい!やったじゃない、明穂。」
結依がわたしの肩を叩きながら、まるで自分のことのように声を弾ませる。
でもわたしの頭の中は、もう真っ白だった。
――告白。
コースケが、わたしに。
嬉しいはずなのに、手のひらがじわりと湿って、指先がかすかに震えている。
「それでいつ?」
わたしの戸惑いなんてお構いなしに、結依が前のめりになって澪を問い詰める。
「夏祭りの日って……言ってました。」
――な、夏祭り。
あと、三日。
壁のカレンダーを確認して、わたしは固まった。
「なんて告白したらいいか、女の子ってどんな風に言われたら嬉しいのかって聞いてきて。
でも私に聞かれても、告白なんてされたことも、したこともないから……。
き、気持ちをそのまま伝えればいいんじゃないですかって答えたんですけど。」
澪は指を絡めながら、前髪の奥からそっとわたしを覗き込んでくる。
確認を求めるような、不安そうな目で。
言葉が、入ってこない。
そんな目で見ないでよ。
わたしだって、分からないんだから。
「ゆ、結依」
助けを求めて隣を見ると、結依は口角を目いっぱい吊り上げて、不気味なくらい満足そうに微笑んでいた。
楽しんでいる。この状況を、心の底から楽しんでいる。
「ねえ、明穂。」
「は、はい」
肩がびくりと跳ねる。
「なんて答えるの?」
結依の顔がすっと近づいてきて、わたしは思わず視線を逃がした。
「オーケーよね?」
「あの~」
「オーケーするんでしょ?」
「あの~、いや~」
曖昧な声で躱し続けると、結依の表情から笑みが消えた。
真顔で、まっすぐに見てくる。
「嘘でしょ。」
なぜかその視線が、胸に刺さった。
「明穂、もしかして迷ってるの? コースケくんのこと、好きじゃないの?」
「そ、そんなことないよ。」
わたしは……コースケのことが好きだ。
きっかけだって、ちゃんと覚えている。
中学の部活合宿。
コースケたち男子部員が話しているのを、こっそり聞いてしまった。
よくある話だった。好きな子は誰だ、みたいな、軽いノリのやつ。
――えぇ、だれ、だれ?
わたしも気楽に盗み聞きしていたら、コースケの口からわたしの名前が出て、心臓が喉まで飛び出しそうになった。
「え~、明穂なんだ。」
「意外だな。」
意外って。
一番意外なのはわたしよ。
だってあのコースケが。何組の誰が可愛いとか、どこのクラスのあの子が綺麗とか、いつもそういうことばかり言っていたくせに。
確かに、一番仲が良かったのはわたしだった。
よく喋って、張り合って、部活帰りにわたしのお気に入りのたこ焼き屋にも食べに行った。
そう、あの日までは、ただの友達だった。
でもあの話を聞いてから、わたしの中の何かがじわじわと変わっていったと思う。
目が合うと変に緊張して、他の女子と話していると胸がざわついて。
そんな自分を、ずっと認めたくなかった。
コースケは、確かにカッコいい。
顔も整ってるし、背も高い。
それに話も合うし、一緒にいると時間を忘れるくらい楽しい。
そう言えば、あとから結依にこんな事を言われたっけ。
――コースケくんが他の女の子の話をするのは、明穂を嫉妬させたいからに決まってるじゃない。鈍いわね。
あの時は本当に、唖然とした。
知らないうちに、わたしはコースケに引き寄せられていた。ずっとそこにいてくれる、当たり前みたいな存在に。
「でも……なんて言うのかな。今の関係が、一番楽しいんだ。
気を遣わなくていいこの感じを、壊したくないって言うか。
それに……」
わたしは言葉に詰まった。
「それに……、なによ。」
結依にじっと見つめられて、視線を落とし指をくるくると絡める。
その様子に、今度は澪まで目を丸くして覗き込んできた。
「え、コースケさんに何か問題でもあるんですか。それとも明穂さんの方に、何か事情が……?」
声を低くして、心配そうにわたしに迫ってくる。
「ち、違うの。
その~……わたし、男の子に告白されるの、初めてで。付き合った事も、ないから……。」
「はっ?」
二人の声が、きれいに揃って裏返った。
場の空気が、一瞬だけ固まる。
「アハハハハ、嘘でしょ明穂!子供じゃないんだから!」
「やだ、明穂さん――アハハハ。冗談ですよね?」
二人の笑い声が重なって、わたしの耳まで熱くなった。
「もう、笑わないでよ。
本当に、真剣に困ってるんだから。」
プクッと思い切り頬を膨らませ二人を睨みつけると、結依はニヤニヤとわたしの膨らんだ頬を両手で潰した。
「ぷっ」
間の抜けた音が口先から漏れる。
「もういい加減観念しなさい。
コースケくんずっと明穂の事が好きだったんだから応えてあげなさいよ。」
「う~ん……」
両手で頬を押されたまま、わたしは頼りなく、曖昧に答えた。
二人が帰ったその夜。
わたしは一晩中、唸り声を上げながら寝返りを打ち続け、朝を迎えてしまう。
★☆
そして次の日。
学校に近づくにつれ、わたしの心臓は壊れてしまいそうなほど、跳ね上がっていた。




