二話目 知らない澪
なんだろう、今の感覚。
タイムリープするときの感覚とは、少し違う。
一瞬の歪み。乾いた音。
そして――リセットボタンを押したように、目の前がプツリと途絶えた感覚。
周りは何も変わっていない。
結依の背中。
答案用紙を受け取って頭を抱えるクラスメイト。
さっきと変わらない、いつもの光景。
気のせい……。そう思うはずなのに、
空気が違う……、音が違う……。
言葉にできない違和感に、ドキドキが収まらなかった。
チャイムが鳴る、次の時間は移動教室。
クラスのみんながそそくさと準備を始め、教室を出ていく。
わたしも準備をしようとするのだけれど、さっきの歪みが頭から離れなくて、どうにも気持ちが落ち着かない。
「どうしたの明穂、早く行こ。」
「うん……」
結依に促されて、わたしは机の中から教科書と筆箱を取り出した。結依の横に並んで廊下に出る。
廊下の風景に、異常はない。
見慣れた景色。すれ違う同じ学年の子たち。
何も変わらない、いつもどおりの僅かな休み時間。
やっぱり気のせい……かな。
「あっ、明穂さん、結依さん!」
見知らぬ女の子に声をかけられて、わたしと結依の足が同時に止まった。
セミロングの明るい髪に、くりっと開いた二重の、美少女。
誰……?
知らないはずなのに、どこか見覚えのある顔。
頭の上に無数の疑問符が浮かんで、わたしは思わず目を細めた。
「あら、澪ちゃん。」
「――澪?」
思わず声が裏返った。顔を近づけて、もう一度よく見る。
言われてみれば、確かに澪だ。
でも。
「いつ髪、切ったの?」
昨日見たときは、いつもの澪だったはずだ。
前髪を目元まで垂らして、かろうじて瞳が見えるかどうかという長さ。
髪の色だって――。
「いつって……ずっとこうですよ。やだ、明穂さん近いですってば。もう、どうしたんですか、いつにも増して変ですよ。」
軽く毒づいて、澪は結依の影に逃げ込むようにわたしから一歩遠ざかった。
見た目も、喋り方も、わたしの知ってる澪じゃない。
まるで別人みたいで、わたしは何度もまばたきを繰り返した。
「みおー! 遅れちゃうよ。」
廊下の向こうから、手を振る人影が見えた。
澪が明るく手を上げて応える。
「待って、すぐ行く! じゃあわたし移動教室なんで、お昼にまた。」
笑顔で手を振って、声のした方向へ駆けていった。
わたしは、呆然と立ち尽くしていた。
今起きたことが、いまだにうまく飲み込めない。
――何なの、あれ。
その隣で、結依がぽつりと呟いた。
「やっぱり澪ちゃんってかわいいわよねえ。
さすが学園のアイドル。オーラが違うもの」
「は……ぁ?」
結依の言葉に、わたしの声が再び裏返った。
「アイドル? 澪が? どういうこと……」
振り返ったわたしの顔を見て、結依は小さくため息をついた。
「また変なこと言って、明穂。澪ちゃんは学園のアイドルじゃない。男子の一番人気だし、女子からも慕われてるじゃないの。」
そう言うと結依は、頬に手を当ててうっとりするように続けた。
「明るい性格に、嫌みのないほっこりしたキャラ。しかも勉強まで出来る才女ときてる。
見た目なら負けない自信はあるけど……根本的に中身が違うのよね、彼女は。」
うんうんと、妙に納得した様子で頷く結依を前に、わたしは首元に冷たいものを押し当てられたような感覚に襲われた。
――違う。
わたしの知っている澪と、明らかに違う。
恐る恐る、わたしは口を開いた。
「み、澪って……いじめられてたわよね。」
「はあ? 澪ちゃんが、誰に?
聞いたことないわよ、そんなの。
そもそも、彼女をいじめる人いるわけないじゃない。」
即座に否定されて、結依の怪訝な目がわたしに向いた。
「ほら明穂、変なこと言ってないで早く行くよ。授業遅れちゃう。」
結依に促されて、わたしは震える足をそっと動かした。一歩踏み出しながら、澪が消えていった廊下の先へと、思わず視線を落とす。
――歪み。
頭の中でその言葉が浮かんだ。さっきの、何かが切り替わるような感覚と、じわりとリンクする。わたしは教科書を持つ手に、ぎゅっと力を込めた。
次の授業は、ほとんど頭に入ってこなかった。
「明穂!」
「う、うん」
クラスメイトに話しかけられても、上の空。
澪のことが、頭から離れない。
――タイムリープの代償。
時間の歪みは、これまでにも何度かあった。
でもどれも些細なことだった。
教室が変わっていたり、名前が変わっていたり、記憶がすり替わることだってあった。
ちょっと変な扱いを受けることはあっても、それだけだった。
でも今回は違う。
身近な人の、記憶が変わった。
性格が変わった。
過去まで変わった。
そんなことは一度もなかった。
きっかけは――ショートリープの多用。
多分間違いない。
それだけで、こんなことが。
何か大きな失敗をしてしまったような気がして、胸がざわつく。
でも……。
よ、良かったんじゃないかな。
今の澪は、学校中の人気者だ。結依はそう言っていた。
それに……いじめの記憶。
澪にとってあれは、深い心の傷だった。わたしたちと遊ぶようになって明るくはなっても、彼女の前髪はずっと長いままだった。
そんな彼女が今は、明るく笑って、パッチリと目を開いて歩いていた。
歪みは起きた。でも今の澪の方が、きっと幸せだ。
あんな胸が締め付けられるような過去、ないほうがいいに決まってる。
絶対にそうだ。……そうよね。
わたしは自分に何度も言い聞かせながら、ざわつく不安を胸の奥へとそっとしまい込んだ。
昼休み、わたしと結依は澪を誘って屋上へ上がった。
人工芝が敷かれた屋上は、学校の憩いの場だ。
真夏の直射日光はさすがに堪えるけれど、日陰に入るとカラッとした風が吹き抜けて、意外なほど心地よい。
わたしたちは木陰に腰を下ろして、お弁当を広げた。
話題は自然と、夏休みのことになった。
三人で遊びに行こうという計画。場所はまだ決まっていないけれど、きっと楽しい夏になるに違いない。
「どこに行きましょうか。わたし日差しが苦手なので、海以外なら大丈夫ですよ。
水族館とかなら、むしろ行きたいです。」
積極的に話を引っ張っていく澪を、わたしはぎこちない笑顔のまま眺めていた。
あまりにも自然過ぎる。
嬉しいはずなのに、どこか別人のような澪に、まだ気持ちが、追いついていなかった。
「そういえば結依さん。」
不意に澪が結依の方を向いて、いたずらっぽく顔を覗き込んだ。
「夏祭り、コースケさんと行くんでしょ。」
その言葉に、わたしの心臓がドキリと跳ね上がった。
声も出せないまま、戸惑いのまま結依を見る。
結依も不意を突かれたのか、視線が泳いで、みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「実はコースケさんから、相談を受けてて……」
澪が口元に手を当てて、くすっと笑った。
「結依さんに告白するつもりなんだけど、なんて言ったらいいかなって。そう言ってましたよ。」
――えっ。
周りの声が、遠くなる
心臓の音だけが、やけに大きく響いた。
わたしの頭の中が、真っ白になった。




