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repeat(リピート) ~運命の指輪に願うこと~  作者: しんいち
repeat4 残さなくていいもの

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32/39

九話目 間違えた優しさ

 わたしは澪からスマホを受け取って、電話帳から陽子ちゃんの名前を画面に映し出した。


 まだ手は痛い。

 でも、もう迷いはない。

 

 みんなの視線が集まるなか、わたしは画面をタップした。

 

 呼び出し音が耳元で鳴る。

 

 『もしもし』

 

 陽子ちゃんの声が聞こえた。

 

「陽子ちゃん! 明穂だけど」

 

 わたしの声を聞いて、みんなが息を飲む気配がした。


 『どうしたの? 何か用事……』

 

「あのね」

 

 ここまでは、前と一緒。

 

 でも今回は——わたしは、全てを話した。

 URLを見つけたこと。

 誠一さんが遺した動画を見つけたこと。

 そして『幸福な王子』の一節に線が引かれ、『君の口癖』と書かれていたこと。

 

 電話口から、陽子ちゃんの声が返ってくる。

 

 ――うん。

 ――うん……。

 ――うん…………。

 

 抑揚のない、ずれた相槌。

 

「もしかしたら、誠一さんの遺言なのかと思って……」

 

 そう告げた瞬間、陽子ちゃんの声が途切れた。

 戸惑っているのか。喜んでいるのか。スマホ越しではわからない。

 

 でも——なんだろう。

 

 自分が予測していた反応とは、どこか違う気がした。

 

「陽子ちゃん?」

 

 『ああ、うん……――ずっとそばにいるよ。でしょ。誠一さん、よく言ってたわ。あの人、意外とキザだから』

 

 さっきとは違う、どこか戸惑ったような声だった。

 

「それで陽子ちゃんはなんて返してたの?」

 

 答えは、知っている。

 

 『え〜と、確か……――知ってる。そう返してたわ』

 

 わたしが返事をしようとした瞬間、陽子ちゃんが続けた。

 

 『明穂ちゃん……その動画、見せてもらえる? できれば今日……本はそのままにしておくから』

 

「うん! じゃあ——」

 

 時間を決めて、今日会う約束をした。

 電話を切って、みんなに結果を伝える。

 

「やったわね。」

 

「これで動画見れるかもな。」

 

「やりましたね。」

 

 口々に声が上がって、ハイタッチが飛び交う。

 

 でも——わたしの胸は、素直に弾まなかった。

 

 陽子ちゃんの様子が、おかしかった。

 

 あの淡々とした口調。どこか怒っているような、冷めているような……うまく言葉にできないけれど、期待していた反応とは確かに違った。

 

 鼓動が、胸を重く叩いていた。

 

「どうしたの明穂? 早く動画調べましょ」

 

 結依の軽やかな声が、わたしの思考を切る。

 

「まずどれで試す? ローマ字、それとも英文」


 胸の奥の不安を抱えたまま、わたしはもう一度、同じ時間の中に踏み出した。



 約束の時間に、わたしたちは陽子ちゃんの家を訪れた。

 

 玄関を開けた瞬間から、空気が違った。

 妙な緊張感。重苦しい静けさ。帰り際に見せてくれたあの笑顔とはうって変わって、陽子ちゃんの表情はどこか険しかった。

 

 喜んでは……いない。

 でも、怒っているわけでもない。

 

 顔を強ばらせて、沈んだ表情でわたしたちを迎えた。その様子に結依と澪が目配せを交わして、落ち着かなそうに身じろぎしている。


 コースケは今日が初対面だけれど、その場の空気のおかしさに気づいたのか、何度も腰の位置を変えながら居心地悪そうにしていた。

 

「明穂ちゃん、動画見せてもらえるかな。」

 

 用意されたノートパソコンの前に座った結依が、黙ってメモを見ながらURLを打ち込み始めた。

 

 ログインのパスワード。数字の羅列を打ち込んでいると、陽子ちゃんがそのメモをちらりと見て、くすっと笑った。

 

「やっぱりキザよね、あの人。それ、わたしたちが出会った日付よ。そんなのパスワードに使うなんて、子供みたいでしょ。」

 

 少し呆れたような口ぶり。それでも、その一言でほんの少し、場の空気がやわらいだ気がした。

 

 カタカタ、とキーボードを叩く音が、時計の針のように規則正しく部屋に響く。

 

 そして最後のフォルダーのパスワードを打ち終えた結依が、エンターキーだけを残して、画面をそっと陽子ちゃんに向けた。

 

「ここを押せば、開きます。」

 

 抑揚のない声だった。緊張しているのか、何かを感じ取っているのか——いつもの結依の声じゃない。パソコンを渡したまま、結依は静かに目を伏せていた。

 

「結依ちゃん、ありがとう。」

 

 陽子ちゃんは、なんの躊躇いもなくボタンを押した。

 

 動画が始まる。

 画面の中で動く誠一さんの姿を見た瞬間、陽子ちゃんは目を見開いて、画面の彼とまっすぐ視線を合わせた。

 

 『陽ちゃん……君がこの動画を見ているということは、僕はもうこの世にいないんだよね?』

 

 誠一さんの問いかけに、見開かれていた目がすっと細くなって、陽子ちゃんはうっすらと微笑んだ。

 

 そのまま、黙って動画を見続ける。

 時には真剣な表情で。

 時には口に手を当てながら、誠一さんが何か言うたびに、声を殺してくすくすと笑いながら。

 

 動画が佳境に差し掛かった。

 

 『ずっとそばにいるよ。またね、陽ちゃん』

 

 その言葉を聞いた瞬間、陽子ちゃんの肩がかすかに震えた。

 

 動画が止まる。

 

 陽子ちゃんは画面をじっと見つめたまま——そして。

 

 大きな、ため息をついた。


「あーぁ……!」

 

 陽子ちゃんは本棚に並ぶ本へと視線を這わせながら、困ったように言葉を続けた。

 

「捨てられなくなっちゃったわね。」

 

 もう一度、浅いため息が漏れる。

 

「今度の家、ちょっと狭いのよ。こんなにたくさん、持っていけるかしら。」

 

 笑っていた。

 でも、口元だけだった。


 わたしはこの時、初めて気づき始めていた。

 

 ――余計なことをしたのではないか、と。

 

「陽子ちゃん、あのね……」

 

 声をかけようとしたその瞬間、陽子ちゃんがわたしと視線を合わせた。

 

 真剣な目だった。


 刺すような、鋭い眼差し。


 見たことのない陽子ちゃんの表情に、わたしはすっと視線を落とした。

 

「明穂ちゃん」

 

 顔を上げる。

 

「わたしが引っ越しをする理由、わかるかしら?」

 

 唐突な問いかけだった。

 

 確か——『一人ではこの家は広すぎる』、そう言っていたはずだ。でも、きっと違う。

 

 陽子ちゃんの雰囲気に押されて、わたしは静かに首を横に振った。

 

「あの人の声が聞こえるの。」

 

「えっ?」

 

「この家にいると、誠一さんの声が聞こえるのよ。」

 

 彼女は微笑んだ。わたしの背筋に、すうっと寒気が走った。

 

「幽霊……ってこと?」

 

 陽子ちゃんは首を横に振った。

 

「たぶん違うわ。明穂ちゃんは『幻肢』って言葉を知ってる?」

 

「げんし……?」

 

「事故で手や足を失った時に起きる幻覚みたいなものかな。なくなったのに、まだそこにあるみたいな感覚。たぶんわたしのは、それね。」

 

 彼女は視線を落として、ゆっくりと立ち上がった。

 

「あの人がいなくなってから、この家に帰るたびにずっと、声が聞こえるようになったの。

 

 リビングにいるとね、『陽ちゃんなに食べる、なに作ろうか』って聞いてくるの。


 一人でベッドに入ると、『今日はなんの本を読もうか』、『僕の練習に付き合ってよ』って言ってくるのよ。」

 

 陽子ちゃんの指が、本の背表紙をゆっくりとなぞっていく。慈しむように。惜しむように。

 

「わたしね……辛かったの。彼の声を聞くのが、辛かったの。だからこの家を出ようと、決心したの。」

 

 陽子ちゃんの肩が震えた。

 

 口をぐっと結んで——

 

 瞳から、涙が溢れた。

 

「や、やっと踏み出せると思ったのに。」


 言葉が一瞬途切れた。


「やっとあの人と……お、お別れできると思ったのに……できなくなっちゃった。」

 

 その瞬間、彼女は口元を押さえて、膝から崩れ落ちた。

 

 嗚咽が漏れる。声を押さえようと口元を両手で覆い隠しているのに、瞳からは絶え間なく涙が溢れて、悲鳴のような泣き声が指の隙間から漏れ聞こえてきた。

 

 結依と澪は言葉を失って、その光景をただ見つめていた。

 

 わたしは、勘違いをしていた。

 ずっと――最初から。

 

 四番目の映像。今まさに目の前で起きていることが、それだった。

 

 わたしは、陽子ちゃんが嬉しくて泣いていると思っていた。誠一さんと再会できて喜んでいると、そう思い込んでいた。

 

 なんで気づかなかったんだろう。

 いや——もしかして、気づいていたのだろうか。

 

 誠一さんのお葬式の日。泣き崩れる陽子ちゃんの姿。今目の前の光景と、あの日が重なった。

 

 だからわたしは躊躇していたのではないか。

 動画を見せることに。


 なんで——。

 

 声が出なかった。

 声をかけられなかった。

 あの時と、同じだった。誠一さんのお葬式と、同じだった。

 

 わたしの肩が震えていた。指先が震え、唇が震えた。

 

 そんなわたしの手を、コースケがぎゅっと掴んだ。

 

 唇を噛みしめたまま、コースケは陽子ちゃんをじっと見つめて、静かに喉を鳴らす。

 

 わたしはコースケの手を握り返した。

 でも、震えは止まらなかった。


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