五話目 残された声
――ピンポーン。
チャイムの音が室内に響く。
壁の時計を見ると、もうお昼だった。
「結依、ちょっと待ってて。」
まだ探偵ごっこに興じている結依を部屋に残して、わたしは玄関へと向かった。
「は〜い」
扉を開けると。
「おう!」
軽い掛け声と共に、コースケが立っていた。
黒の薄手のパーカーにデニム。いつもの軽い装い。そしてその手に提げた紙袋から漏れてくる甘い香りが、わたしの鼻をそっとくすぐった。
「ほら、作ってきたぞ。」
わたしの視線に気づいたコースケが、紙袋を軽く持ち上げて見せてくる。
「ありがとう!」
思わず口元がゆるんだ。わたしはコースケを家の中へと招き入れた。
「おっ、結依ちゃん!」
軽く手を上げてリビングの結依に挨拶するコースケだったが……。
「え〜、神木くん」
おでこに手を当て、人差し指をびしっとコースケに向ける結依。
「な、なにやってるの結依ちゃん……」
左の眉をひきつらせながら、コースケがわたしに助けを求めてくる。わたしは両手を広げて、静かに首を横に振った。
「関わっちゃダメよ。面倒だから。」
「う、うん……」
戸惑いを顔に貼りつけたまま、コースケは紙袋をテーブルにそっと置いた。
「ところでコースケ、何のケーキ作ったの?」
結依はそのまま放っておいて、わたしの関心は箱へと移っていた。
ユニバに行けなくなったわたしのために、コースケが作ってきてくれたケーキ。これだけが、今日のわたしの救いだ。
「タルト作ってみた。フルーツタルト。前に明穂、タルト好きって言ってたろ。」
「へぇ、よく覚えてたじゃん。」
「当たり前だろ。」
少し頬を赤らめながら、照れくさそうに頬をかくコースケ。なんだかこっちまで、むずがゆくなってくる。
コースケのタルトは、本当においしいのだ。
サクッとした生地に、しっかりとした甘さのクリーム。最近は甘さ控えめなんてものが流行りだけど、わたしには少し物足りない。
わたしの好みをちゃんとわかってくれてるコースケのケーキは、どんなケーキ屋さんのものよりも格別だった。
コースケの手がゆっくりと箱へと伸びる。そして、蓋がひらいた。
「うわ〜!おいしそう!」
声を上げたのは、わたしじゃなく結依だった。
構ってもらえなくて飽きたのか、いつの間にかケーキを覗き込んで、目をきらきらさせている。
結依……それ、わたしのセリフなんだけど。
心の中でひとつツッコミを入れながら、わたしははしゃぐ結依を半ば呆れながら眺めていた。
「包丁ある?せっかくだからみんなで食べようぜ。」
コースケが声を上げる。
「うん、じゃあわたし飲み物用意するね。コーヒーでいい?」
コースケを台所に案内しながら、まな板と包丁を出して、わたしはお湯を沸かし始めた。
手際よく箱からタルトを取り出したコースケが、慣れた手つきで包丁を入れていく。その横顔に、思わず目が吸い寄せられて――。
「明穂、皿どこ?」
「う、うん!」
慌てて棚から皿を取り出す。
一瞬……、ほんの一瞬よ。
コースケと並んでキッチンに立つ、ちょっと先の未来みたいなものが頭をよぎって、なんだか勝手にドキドキしてしまった。
未来の予知映像じゃなくて、これがわたしの選びたい未来だったらいいのに……なんて。
「そういえば、今日は朝比奈来ないの?」
不意に澪の名前が出て、わたしはちょっとだけムッとした。
「澪は美容院で髪切ってから来るって。
……なんで、気になるの?」
我ながら少しトゲのある言い方だと思いながらも、止められなかった。
「違うって!最近仲良いじゃん、お前たち。
今日はいないなって思っただけだろ。」
「ふーーん。だから気になるんでしょ。」
わたしはプッと頬を膨らませて、コースケを横目で睨んだ。
「だから違うって。」
苦笑いを浮かべながら、コースケは面倒くさそうに言った。
「やだ……焼きもち?」
話を聞いていた結依がにやにやしながら割り込んでくる。
わたしはフグみたいにさらに頬を膨らませて、「違うもん」とそっぽを向く。
コースケも照れくさそうに頬を搔いていた。
テーブルにタルトとコーヒーが並んだ。
綺麗に切り分けられたタルトと、コーヒーの香ばしい香りがリビングをふんわりと包む。なんだかカフェに来たみたいだ。
三人で席に着く。
「いただきます。」
コースケのタルトを一口、口に運ぶ。
あーあ、幸せ。
しみじみとそう思いながら、話題はいつの間にか、あの本のことへと移っていった。
「URL?なにそれ、面白そうじゃん。ちょっと話聞かせてよ。」
コースケは前のめりになりながら、コーヒーをひと口すすった。
昨日の引っ越しのこと。
誠一さんの本棚から、みんなで一冊ずつ貰ってきたこと。
そして……
家に帰ってから、雨で滲んだURLを見つけた経緯を、わたしはコースケに話して聞かせた。
「ふーん。……それで明穂はなんでこの本を貰ってきたんだ。こんなヨレヨレの。」
本を手に取りながら、コースケが鋭く切り込んでくる。
コーヒーカップを持つ手が、思わず止まった。
全く考えていなかった。本物の探偵に出くわしたような感覚に、言葉が詰まる。
「う~ん、なんて言うか……そ、そう、ほら!誠一さんが最後に買った本でしょ。なんか取っておいた方が良いかなって思って。エヘヘ」
ちょっと笑ってごまかしてみる。
「ふーん……」
「……」
コースケだけじゃない。結依まで言葉を止めて、目を細めてわたしを見てくる。
二人の視線が刺さって痛い。
やめてよ。なんでいつも変なところだけ鋭いのよ。
いっそのこと――
『わたし、階段から落ちて予知が見えるようになったの。ついでにタイムリープまで!』
ああ、言いたい。
最近誤魔化すの面倒なのよホントに。
もう言って、楽になりたい。
でも、そんなことを言ったら、二人が離れていく未来が見える気がした。喉まで出かかった言葉を、わたしはぐっと飲み込んだ。
「まあ、いいや。それで、そのURLって何なのかわかったのか?」
コースケがあっさり流してくれて、ほっと息をつく。
わたしたちはコースケが来る直前の調査の話をして聞かせた。
パソコンを開いて画面を見せながら、結依がマウスを操作しつつ説明を始める。
コースケは口に手を当てながら、黙って話に耳を傾けていた。
「わたしはきっと、お宝の隠し場所を伝える動画だと思うの。
一つひとつにヒントがあって、それを解いていくと最後にとんでもない財宝に辿り着く。
わたしはそう睨んでいるわ。」
持論を展開する結依を前に、さしものコースケも苦笑いを浮かべて、突っ込んでいいものか確かめるようにわたしを見てきた。
――任せるわ。
肩をすくめて、わたしはコースケに合図を送った。
「う〜ん、お、面白い推理だけどさあ。」
優しいコースケは、はっきりとは言わずにやんわりと否定する道を選んだようだった。
「やっぱりこういうのって、『遺言』じゃないのかな。
全部のフォルダーがそうかはわからないけど、少なくともこの本のタイトルがついたフォルダー……。
この動画は、そんな気がするんだよな。」
画面をトントンと指で叩きながら、コースケは真剣な顔でそう告げた。
「遺言……」
わたしと結依が、思わず顔を見合わせた。
「動画を残した人が、その陽子さんって人に向けて言い残したかったこと……。
そういうものじゃないかな。」
画面を凝視したまま、コースケは静かに続けた。
「目が見えなかった人に、動画にして見せて、声にして伝える。俺もそうするし。
だからこれ、『to.youko』なんだろ。」
コースケが本の文字をそっと指でなぞりながら、静かにそう言った。
わたしはコースケを見つめた。
まともな推理だった。
いつも結依のヘンテコな迷推理を聞かされ続けてきたわたしには、コースケの言葉が本物の名探偵のそれに聞こえた。
感嘆の声が漏れて、気付けば拍手を送ってしまう。
「すごいコースケ!コナンくんみたい。
やっぱり古畑とは格が違うわね。」
――しまった。口が滑った。
結依が、じとーっと恨めしい瞳でわたしを見てくる。
ヤバイ……。
そのとき、チャイムが鳴った。
――ピンポーン。
た、助かった。
たぶん澪だ。タイミング良すぎる。
ちょっと結依に罪悪感を感じつつも、わたしは逃げるように席を立った。




