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殿下のはじめての一歩

 …………………………ハードすぎる人生に目を覚ましたレオニスはボロボロと涙をこぼしていた。

 オズワルドと侍医を部屋から追い出した後、糸が切れたように高熱を出した。


 ただでさえブレていた目標が完全に消えたのだ。もう生きている意味を見出せなくなったんだろう。

 本来ならそのまま目覚めることがなかったのだ。


 王になれないなら、一度でいいから自由に生きたい。


 女神とかいう存在がたまたま拾い上げたその願いを叶えるべく異世界人である自分が選ばれた。

 渡された小さな心は魂の残滓なのだろう。様々な感情と記憶だけを残してレオニス本人の意思みたいなものは希薄だった。


 憑依をしたこの身体の主導権は自分だが、心の根っこはレオニスのものなので大きな傷が盛大に痛む。痛すぎて涙が止まらない。堪え性がないとか言わないでほしい。

 今までよく泣かなかったな。泣けなかったのもあるだろうけどこれを耐えていたのは凄いとしか言いようがない。


 まだ夜明け前だったので布団に潜り込みなんとか涙を止めようと頑張ってみたものの結局止められず、涙と鼻水に塗れた酷い顔で様子を見に来たオズワルドを驚愕させるのであった。




 顔を洗い目元を濡れた布巾で冷やすものの腫れが引かなかった為今日も学院は休むことにした。

 六日も休んでいるのに家族はもちろん取り巻きも見舞いに来ない。

 おいそれと王宮には来れないだろうが様子伺いの手紙すらないのだから薄情なものだ。


 物心ついた時から誰からも優しくされたことがないからか、人とどう接すればいいのかわからない。

 王妃が亡くなるまで対応を間違えれば体罰が待っていたのだ。人が怖いのは仕方ないとはいえやはり不憫すぎる。

 レオニスの過去を思い出すほど涙がこぼれ落ちそうになるのでこれからのことを考えることにした。



 心配そうな顔で身支度を手伝ってくれたオズワルドを追い出して机に向かう。

 自由に生きるにはどうすればいいか、やってみたい事を一つづつ書き出していこうか。


 まずは街に降りるのが手っ取り早いだろう。

 王侯貴族は常に人目に晒されている為自由という自由が殆どない。それなら平民に混ざって遊んでしまえばいい。

 市場は人が賑わっていそうで楽しそうだし屋台飯も気になるな。

 市井には生活に密着した様々な魔道具があると聞いたから魔道具屋も行ってみたいな。魔術とか未知の分野だから色々見てみたい。

 王都は広大だから気になるところを片っ端から行ってみるのもいいだろう。


 一年で消えてしまうのだから魔力も死なない程度に使っていくつもりだ。極端に魔力を使う事をしなければ大丈夫なはずだ。

 レオニスは希少な全属性持ちだ。色々な魔術を万遍なく使える。生まれ持ったチートステータスなのに誰も評価しないとはなんて勿体無い。


 前の生ではアウトドアが趣味だったから王都の外にも行ってみたい。

 本格的な登山やキャンプは無理かもしれないが王都周辺の森や草原をトレッキングしてみるのもいいし、川釣りもやりたい。

 世界が違うのだから見た事のない生物や植物を探してみるのもいいかもしれない。


 しかし、王都の出入りには身分証が必要だ。貴族の場合は家紋のついたアミュレットを持っていれば、例え使用人であろうとその家が持ち主の身分を保証している事になる。

 王族は滅多に王都の外に出ることはないし、出る時も事前通知の上大名行列のような大世帯の為顔パスである。

 もちろんレオニスはそんな物は持っていないし王族の顔パスは論外だ。

 そのため偽造するか、もしくは偽名で冒険者登録できるならそちらの方が手っ取り早いかもしれない。


 この世界には冒険者という職業がある。素材採取や魔獣退治、未開の地の探索など命の危険と隣り合わせだが浪漫もある職業だ。

 主に平民がなる職業ではあるが、貴族でも兄弟が多すぎて何も継げない者が行き着いたりもする。

 恋人を作って恋愛を楽しむのもいいが、いずれいなくなる人間が相手では可哀想だろう。のめり込むと身を滅ぼしそうだしやめておこう。




 どうやって王宮を抜け出すかを考えているところで扉がノックされた。

 慌てて机の上を片付けて入室の許可を出すとオズワルドが朝食の乗ったワゴンを引いて入ってきた。後ろには毒味係の男もいる。

 朝食はいらないと言えばよかった。

 毒味された食事は冷め切っていて美味しくない。じっと見られながらの食事も監視されてる様で落ち着かない。


 病み上がりの配慮からかいつもより品数を少なくしてくれてはいたが、熱で体力も落ち食欲のない身体で無理やり口に入れてもなかなか飲み込めず、半分以上残して下げさせる。

 侍医を呼ばれそうになるが、医師も昼食もいらないと断り、夕食の時間まで一人にさせてくれと言うとものすごく傷ましそうな顔をされた。

 本気で心配してくれているのだろうが、オズワルドが誰の味方かわからない以上心を許すわけにはいかない。


 魔力欠乏症の事を言うなと口止めをさせたがそのうち本宮(向こう)へ報告されるだろう。

 そうなればレオニスは用済みの王子だ。オズワルドも侍従から外されるだろう。

 心配そうなあの顔を見てしまうと良心が痛むが、この一年、後悔なく死ぬ為には必要のない人物だと割り切ることにする。





 気を取り直して王宮を抜け出す手段を考える。

 レオニスの記憶を元に、魔力を薄く、薄く波状にしてゆっくりと周りへ伸ばしていく。

 空間把握の魔術だ。

 魔術に長けた人間には気づかれてしまう可能性があるが、王妃宮にはそんな人間はいないし離れれば離れるほどどこから発生しているか把握するのが難しいくらい薄く弱く飛ばしているので、本宮にいる魔術師達は違和感を少し感じる程度だろう。


 魔術って凄い。ちょっと興奮しながら探っていると警備の薄そうな場所があった。

 使用人棟の方の出入り口だ。使用人のふりをすれば出られるかもしれない。

 顔を知られていない王子だから変装して認識阻害の魔術をかけてしまえば出入りできるだろう。



 後は髪と目の色だ。この色は王族特有の色なので隠す必要がある。

 そういえばと、机の引き出しを開け小さな紙袋を取り出す。中を開けると染め粉と色つき眼鏡が入っていた。

 これは一年ほど前に取り巻きの一人がレオニスを歓楽街に連れて行こうとして持ってきたものだ。


 レオニスの見た目は絶世の美丈夫なのでこの顔で微笑んだらどんな女でも落とせるだろうという目論見だったんだろう。レオニスが微笑んだ事などないのに何を考えていたのだろう。

 色々と言っていたが要約すると碌でもない事だったような記憶がある。


 これで変装してくれと押し付けられたものの、影がついているから行動を全て報告されるぞと言ったら顔を青ざめさせてそそくさと去っていった。

 手元に残った変装道具を返そうとしたものの、その取り巻きはいつの間にか学院から消えていた。



 染め粉を髪につけて髪型を崩す。髪が目にかかるが野暮ったく見えるから良いだろう。

 ここに色眼鏡をかければ目の色も誤魔化せるし、ついでに赤い目元も隠せるから、上々だ。


 次に衣装部屋からサイズアウトした剣術の訓練用の動きやすい服を引っ張り出す。少しきついが着れなくはない。

 上等な生地を使ってるが長く着用していたので少し色褪せてヨレている。袖に細かく繊細な刺繍がついているが折り曲げて隠してしまおう。

 裏庭の茂みの奥に庭師の小屋があったはずだからそこでエプロンを拝借すれば庭師に見えなくもないはずだ。


 鏡を見ると野暮ったい青年が写る。……が、姿勢が良すぎる。草臥れた社会人経験を活かして背を丸め、俯きがちな視線にすれば気弱な感じに仕上がった。


「よし」


 今まで問題も起こさず大人しく過ごしていたから入学当初よりもさらに監視も緩くなっているし、王宮にいる間は何故か影は付いていない。

 部屋から出た事がバレなければなんとか誤魔化せるはずだ。




 窓を開け土魔術で静かに足場を作っていく。レオニスの部屋は本宮とは逆の位置にあるため窓から出ようとしても誰かに見られることはない。

 衛兵の巡回時間は把握しているし、何より今まで大人しかった王子がいきなり窓から外出するなんて誰も思わないだろう。


 慎重に下まで降り、茂みに隠れ身を低くしながら庭師の小屋へ向かう。歩いて数分、城壁沿いの少し開けた場所にその小屋はあった。

 扉を開けるとスコップや鍬、剪定鋏など色々な道具が入っていた。ドアのすぐ側の壁にエプロンが何着がかかっていたので一枚拝借する。

 エプロンを着け、履いていたブーツを少し土で汚せば下っ端庭師の完成だ。


 このまま向かいたいがもう一つ準備がある。

 部屋の隅に乱雑に積まれている箱を動かし、人ひとり分の隙間を空ける。そして扉から死角になるように積み直す。

 そこに一枚の魔術陣が書かれた紙を置き動かないように固定する。


 これは転移魔術陣という一度行った事のある場所であれば一瞬で行き来が可能になる高度魔術の一種だ。

 街のどこかにもう一枚を設置しておけば今後は魔術陣で外に出られるようになる。


 王宮全体に防護結界が展開されている。

 これはかなり強固なもので、物理攻撃に攻撃魔術はもちろん転移魔術なども弾いてしまう。なので自室には置けなかった。

 しかし、この結界は円形にしか展開できないため、王宮の複雑な外壁にはわずかに結界の届かない箇所があった。

 この庭師小屋もその一つだ。


 この魔術陣は数ヶ月前にレオニスが魔術練習の一環で作ったものだ。ちゃんと発動する事は確認済みである。

 かなりの魔力が込められているので近距離であれば数回は使えるだろう。

 思えばこれに相当の魔力を使ったせいで急激に魔力が減ったのではないだろうか。


「どこか遠くに行きたかったんだろうな。一度行った場所でないと転移できないのに……」


 魔術陣を見つめ独り言ちた。




 魔術陣を設置し終えて、使用人棟に向かった。

 通用口になるそこには門番が二人、欠伸をしながら暇そうに立っていた。

 死角になる位置で一度立ち止まり、認識阻害魔術をかける。これで個人と認識できず庭師の格好をした誰か、となるはずだ。


 少し緊張しながら近づくと、門番の一人がこちらに気付き声をかけてきた。

「よう、お疲れさん」

「お疲れ様です」

 へにゃりと口に笑みをのせ軽くお辞儀をしながら通りすぎる。


 ある程度離れたところで振り返れば、見上げるほどの城壁と壮大な王宮が目に入る。歴史を感じさせるその壮大な姿に思わずため息がでる。

 学院へは馬車での送迎なのでこうやって近くで見上げるのは初めてだった。



「…………この王宮の警備大丈夫なのか?」



 拍子抜けする程簡単に王宮外に出れてしまった事に警備への不安を覚えるが、楽に抜け出せたのだからいいかと開き直る。

 そして高鳴る胸を押さえながら王宮を背に歩き出す。

 こうしてレオニスは無事に王宮を抜け出したのであった。

小話

王宮は建国当初から増改築を繰り返し、今の複雑な形の外壁になった。

結界の魔道具は国家機密で歴史はまだ浅い。改良のための研究が続いている。今は城壁に沿って展開できないかを研究中。

結界は内側からの攻撃も弾くので城壁の外側まで覆ってしまうと敵に対して城壁上から攻撃できないという。

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