第856話
遊廓、しだれ屋―――
大盃を抱えてシズクが踊る。
向かいで大盃を抱えた男も、真っ赤な顔で踊る。
「あそーれ、もういっちまい!」
「いよっ!」
「もういっちまい!」
「いよっ!」
「呑めーなかったらもういっちまい!」
「はいっ!」
「呑ーんだら更にーもういっぱい!」
「はいっ!」
シズクの歌に合わせ、ぽん! ぽん! と太鼓が叩かれ、拍子が入る。
入って来た幇間達(楽器演奏者)も巻き込んで、シズク達がやんややんやと酒を呑ませて騒いでいる。
「はいー!」
ぐびぐびぐび・・・
「無理だばあー!」
ぶへっ! と幇間の男が酒を吹いて膝をつく。
シズクはごくっと飲み干して、
「あーははは! ほーら脱いで脱いで!」
「うぬぬ・・・」
「さー次は誰だあー! 最後には勝てるかもしれないぞー!」
シズクがびし! とラディを指差し、
「勝ったらラディが脱ぐぞー!」
「えっ!?」
はえ? とシズクがラディの方を向いて、
「誰が私の筋肉見たいってんだよ。ラディだよ、ラディ。
こん中で一番おっぱいでかいの、ラディじゃないか」
「ええーっ!」
「大丈夫だよ!」
「やめて下さい!」
「嫌だ。やめない」
ざぶん、と樽に大盃を突っ込んで、
「さあ次は誰だあー!」
踊りながら酒を呑むシズク。
それを見てげらげら笑うクレールとトモヤ。
カオルとマツもにこにこしながら料理を摘んでいる。
「賑やかになってきましたね」
「ええ。こういう宴は楽しいものです」
マサヒデは茶を、アルマダは酒を、静かに飲んでいる。
「アルマダさん。ここの酒ってどうなんです?」
「美味しいですよ。でも一番ではないです」
「料理もですよね」
「ええ。三浦酒天には負けますね」
マサヒデがにやりと笑って、
「イザベルさん!」
「は!」
さ! とイザベルが来て、マサヒデの前で手を付いた。
マサヒデが懐から小袋を出して、金貨を1枚イザベルに差し出し、
「三浦酒天で、弁当3つ。酒1升を買ってきて下さい」
「は!」
「太夫さんと禿の2人に」
イザベルがにやりと笑う。
「最高の飯とは、というわけですか。鼻っ柱を叩き折ると」
「ははは! やめて下さい。そんなのじゃありませんよ。
だったら、ブリ=サンクに頼んで弁当を作ってもらいます。
この色町のすぐ外には、こんな美味しいお店があるってだけです」
「ふふふ。承知致しました」
「本当にそんなのじゃないんですからね。
小赤さん、私達が食べてるのに、ほとんど食べてないです。
禿のお二人なんか、何も食べてないじゃないですか」
「ふふふ。流石はマサヒデ様。お優しい事です」
「ま、ちょっとだけですよ。ちょっとだけは、もっと美味い飯は・・・って気持ちもあります。ちょっとだけ」
「ふふ。では行って参ります!」
すすす、とイザベルが部屋を出て行った。
アルマダが苦笑いして、
「マサヒデさん、そこまでやり込める事もないでしょうに」
マサヒデが湯呑を置いて、真面目な顔になり、
「食べられないの、いけませんよ。
目の前で私達が食べて飲んで騒いで。
あの3人、離れて見てるだけなんて。
いたずらして、飯抜きの罰じゃないんですから」
「土産という事で、食べさせるんですか」
「そういう事です」
「ふふ。流石はマサヒデさん。お優しい事です」
「ま! ついでにって気持ちも少しはありますよ」
「ははは! マサヒデさんも罰を受けますよ!
こういう時の女性は怖いですからね」
「少しくらい、構いやしません」
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四半刻後。
すー、と襖が開き、イザベルが戻って来た。
弁当と徳利をぶら下げて、ずかずかと小赤の前に立つ。
「清聴! これはマサヒデ=トミヤス様からの土産である!」
「こら!」
マサヒデがイザベルに声を上げる。
立ち上がって、イザベルの横まで歩いて行き、弁当をふんだくり、
「すみませんでした。この人、軍人とか騎士とかやってたので、こういうのが抜けなくて、これが普通なんです。本人にも全く驚かせる気はないんですよ」
ぱしん、とイザベルの頭をはたいて、
「ほら、イザベルさん、謝りなさい」
「は! 申し訳ありませんでした!」
ぴしりと90度の礼。
「お騒がせしましたね」
と、マサヒデも謝りながら弁当を並べていく。
小赤の左右の禿を見て、
「これはお土産。お客様からの気持ちがこもったお土産ですよ。
まさか、後で冷めてから食べるなんて言いませんよね。
一流の店が、そんな客の心を踏みにじるような事はしませんよね。
今すぐに。温かいうちに食べてほしいです」
あっ! と禿2人が頭を下げた。
マサヒデは知らなかったが、禿の食事は粗末だ。
普段は冷や飯に、おかずは客の残り物と、薄い味噌汁に漬物がつくくらい。
この弁当は、2人にとっては凄いご馳走。
「ありがとうござりんす」「ありがとうござりんす」
「小赤さんも食べてくれますよね」
こん、と徳利を叩き、
「たまには外の酒も試してみて下さい。飲み比べなんて如何です。
先に言っておきますけど、その弁当もこの酒も、安い居酒屋の物ですよ。
良かったら、後でご意見を下さい」
にやっと笑って、マサヒデは席に戻って行った。
安い居酒屋の物。
試されているな、と無表情で小赤が盃を取る。
よいしょ、と禿が徳利を上げ、酒を注ぐ。
ちみり。
「ぅ」
小赤の口から小さく声が出て、禿が驚いて小赤を見た。
すうっと目を細くして、マサヒデを見る。
視線に気付いたか、マサヒデも小赤を見て、目が合った。
「ふふ」
聞こえなかったが、はっきりとマサヒデが笑ったのが分かった。
そっと盃を戻して、左右の禿を見て頷く。
「はい」「はい」
2人が弁当を開けて「ああ」と声を上げた。
小赤の鼻にも匂ってくる。
なんと美味そうな香り!
自分の前に置かれた弁当箱を、そっと開ける。
素晴らしい香りだ。
言われずとも、箱を見れば安い店の物とすぐ分かる。
とりどりに並べられた料理も、高いものではない。
だが、中身は一流の店と入れ替えたのではないか、と疑う程の香り。
そっと箸を伸ばした時、イザベルが小赤の前に座った。
箸を置くと、イザベルが揚げ物を指差して、
「この揚げ物はマッリーという」
「・・・」
「それは魔の国の郷土料理だ。
身分の上下に関わらず、どの家庭でも食べる。平民も貴族も王族もだ」
「・・・」
「遊女は幼き頃に拾われ、故郷を覚えておらぬ者も多いと聞く。
それで、我が頼んでそれを入れてもらった」
「・・・」
「そもそも、お主が魔の国の出かは我は知らぬ。
この国で産まれたのやも知れぬ。
されど、どちらにせよそれで良いと思った。
魔の国の出であれば、懐かしき味。
人の国の出であれば、珍しき味。
その味を楽しんで貰えれば、我は嬉しい」
す、と小赤が頭を下げると、イザベルが頷いて席に戻って行った。
「小赤姐さん、美味しゅうござんす」
「トミヤス様もハワード様もイザベル様も、皆様、お優しい方でありんす」
「あっちはハワード様とお友達になりんした」
「まあ! 初客はハワード様でありんすか?」
「ハワード様はお友達で、客ではござんせん」
「いけず」
小赤を挟んで、禿2人がにこにこと弁当を食べる。
そっと盃を取ると、酒が注がれた。
箸を取り、マッリーをかりっと小さくかじる。
口に広がるクミンとにんにくの香り、ふわりと柔らかなナマズの肉。
「・・・」
く、と酒を飲み干して、もう一度マサヒデの方を見る。
マサヒデは小さく笑って頷いて、目を逸らした。




