第845話
マサヒデはカオルと2人で歩きながら、懐に入れた細見を開く。
これは遊女の細見だ。
「あらら」
「ふふ」
マサヒデが苦い顔をして、
「やけに変な笑い方してると思ったら、こういう事か」
くすくすとカオルが笑う。
「引手というのはそういう店です。
それで気に入った遊女を選び、揚屋に連れて行ってもらえます。
手を引いて連れて行く、引手」
「なるほど」
自分でも顔が赤くなっているのが分かる。
ぱさっと細見を閉じて、きょろきょろと周りを見る。
カオルは「ゴミ箱を探しているのか?」と思って、
「せっかくですから、持って帰っては?
ご主人様よりも、奥方様の方がご興味があるかと」
「そうですかね?」
「そう思います」
「じゃあ、持って帰りますか。ところで、あの引手の茶屋ですけど」
「は」
「しだれ屋はまっとうな店だと言ってましたね。
カオルさん、あれ、どう見ました」
「嘘や買収などには見えません。心からそう感じているかと」
「もうひとつ。あのお店の方、ジョージさんがうちに来たと聞いて、えらく驚いてましたね」
「は」
「やっぱり、滅多に外には出ないんですね」
「でしょう。出入りは隠し通路を使ったと思います」
「隠し通路? そんなものまであるんですか?」
「ございます。確認済みです。
あの下男の顔には嘘は見えませんでしたが、どうだか分かりません。
人は慣れれば顔は当然、目でも嘘をつけます」
「そんな事に慣れたくないですね」
「これも心法のひとつ。貴族の皆様には必須の技術です。
さて、疑い出すときりがありませんが・・・
あれだけ怪しい所がある店で働く者、顔だけで信じるのはいささか」
「ふうむ。ま、下手に探って何か知ってしまうのもどうだか。
私にはそういう事を知らぬふりをするのは無理です。
まあ、ありがとうございます、いただきますで帰って来ましょう」
「洗えば色々と出てきそうですが、何分時間が。
何を調べたら良いかも分からず、ぼんやりしておりますし」
「仕方ないですよ。では、私はアルマダさんの所に行ってきます。
カオルさんは、ラディさんに時間を伝えてきて下さい」
「は」
「酉の刻で良いですよね。あまり遅いのもちょっと」
「分かりました」
「では酉の刻で」
歓楽街を出た所で、2人は分かれた。
マサヒデがちらっと後ろを気にしたが、今日は後ろに誰もついてこない。
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郊外のあばら家。
「こんにちはー」
マサヒデが入って行くと、縁側の騎士達が頭を下げた。
本を片手にアルマダが中から出てくる。
「こんにちは」
すたすたと歩いて行って、
「遊廓は明後日です」
「おや。収穫祭が終わったばかりなのに」
「それと、良い本をあげましょう」
マサヒデが縁側に座り、懐から遊女の細見を出してアルマダに差し出す。
「何ですこれ。細見?」
「ははは!」
座っていた騎士2人が笑い声を上げる。
「アルマダ様、明後日までに決めておいて下さい」
「何を決めるんです」
「まずは開いて頂いて」
ぱらり。
アルマダが適当に細見を開いて、呆れ顔をする。
「・・・マサヒデさん」
「先程、茶屋で頂きまして。私には無用ですから」
アルマダが変な顔で細見を適当にぱらぱらとめくって、ひょいと騎士のジョナスに放り投げる。
「私にも必要ありませんね」
「アルマダ様はいつも女に囲まれておりますからな。
わざわざ遊女を選ぶ必要もありませんか」
「そういう事ではありませんよ。
ジョナスさんはそれでも見て、妄想で楽しみなさい」
「お心遣いありがとうございます。されど、既に持っておりますので」
「やれやれ」
マサヒデもにやにや笑って、
「おっと、すっかり忘れてました。噂の小赤太夫でも見ておきますか」
「左様ですな。せっかく敵の情報もあるのに目を通さないのは愚策です」
ぱらぱらとジョナスが細見をめくり、
「マサヒデ殿、アルマダ殿、こちらです」
「さあて、どれどれ」
「はあ・・・」
アルマダが溜め息をついて細見を見やる。
「やれやれ。スリーサイズまで書いてありますね。呆れたものだ。
89、58、88、ですって。マサヒデさん、どうです」
「さあ・・・どうなんです?」
マサヒデがジョナスの方を向くと、ジョナスが肩を竦めて、
「たまりませんな」
「だそうですよ」
「ま、そんな事はどうでも宜しい」
「アルマダ様・・・」
「それよりも、生まれや性格などの情報が欲しいですね」
ジョナスが顎に手を当てて、
「それはどうでしょう。禿は幼いうちに買われてきます。生まれは本人も分からないと思いますよ。太夫の仮面を被った者の性格もどうだか」
「約に立ちそうな情報は何も載ってませんね。代金と店くらいか」
アルマダがびりびりと細見を破ってこよりに丸め、
「ま、火付けには使えそうです」
「・・・」
「ジョナスさん、手伝って下さい。同じのが2冊あっても使わないでしょう」
「はあ」
ジョナスも細見を取って、ページを破って細く丸めていく。
アルマダがこよりを作りながら、
「で。楽しくなりそうですか」
「今の所はなんとも。ただ、昨日、私達が神社に行っている間に、魔術師協会に店主が来たそうですよ」
「ほう」
「覆面で」
「ほう」
「で、先程予約を入れに店に行ってきましたが、店の者も店主が店を出たと聞いて驚いていました。知らなかったのか、とぼけているのか」
「面白くなりそうなタネは転がっているんですね」
ふ、とマサヒデが笑って、
「明後日、酉の刻。歓楽街の入口で良いですか」
「ええ。トモヤさんもその時間なら大丈夫でしょう」
「では」
「マサヒデさん」
立ち上がったマサヒデを、アルマダが引き止める。
マサヒデが振り向いて、
「何か」
「次はまともな本を持って来て下さい」
「ははは! クレールさんに見立ててもらいますか!」
「大丈夫なんですか?」
「読書家ですからね。兵法書や歴史書ばかり読んでますから」
「期待していますよ」
「それより、自分で読みたい本を選んだらどうです。
どうせ訓練場に来るんですから、たまには寄って下さいよ。
書庫で好きな本を選べば良いじゃないですか」
「ああ。そう言えば書庫を作ったんでしたか。行きますよ。
でも、マサヒデさんの愛の巣に立ち入るのは気が引けますね」
「ははは! アルマダさんも遊廓で巣を作る相手を探したらどうです」
「御免被ります」
「ふふ。では」
懐手にマサヒデはあばら家を出て行った。
ジョナスがにやにやしながら、
「間夫にでもなったらどうです」
「まぶ? まぶとは何です」
「遊女の本当の恋人、というやつです。金は掛かりませんよ」
「さ。それは相手を見て決めます」
「ほう! では今夜にでも見に行きますか?」
「行きません」
「ははは! でしょうな!」
「さ、手を休めない」
「了解であります!」
びりびりとページを破っては、長いこよりを作っていく。
その姿は、この国の5分の1を牛耳るハワード家の者とは見えない。




