レーネと鈴音 1
ほんの少し前まで、私は二度目のハートフル学園祭で友人たちと「ロミオとジュリエット」の演劇をするため、猛練習に励んでいた──のに。
いま現在、私は元の世界の自分の身体で、本物の吉田と向かい合っていた。
「ほ、本物の吉田……?」
呆然とする私をよそに、本物の吉田は平然とした様子で近づいてくる。
そして石像のように固まる私を見て、軽く首を傾げた。
「どうした、化け物を見るような顔をして」
「いや……ずいぶん久しぶりだなと……」
前回、元の世界に戻ってきた時を除けば、最後に会ったのは私が施設を出た時だから、五年以上は会っていないことになる。
ずいぶん大人びたな、それでも青メガネは変わらないんだ、元祖吉田のアイデンティティが守られて安心した、なんてぼんやり考える私に本物の吉田は「寝ぼけているのか」と眉を顰めた。
「エアコン、直しておいたぞ。俺はこれから仕事だから、また連絡する」
「あっ、ありがとう。頑張って!」
「ああ。鍵はかけておくから」
それだけ言うと本物の吉田は私の頭をぽんと撫で、部屋を出ていく。
廊下を歩く音、ドアを開閉する音、外から鍵を閉める音が聞こえてきた後、私は我に返った。
「エアコン……そうだ、リビング!」
寝室を出てリビングに行くと、やはり私が転生する前よりも小綺麗で可愛らしい部屋が広がっていた。古めのエアコンからはそよそよとした風が出ており、それなりに涼しい。
「本物の吉田……エアコン業者になったのかな」
今しがた「エアコンを直しておいた」と言っていたし、壊れたエアコン修理の仕事で偶然我が家に来ていたのかもしれない。吉田は昔から手先が器用だった記憶がある。
けれど前回もここで吉田に遭遇したことを考えると、このエアコンはどれだけ壊れまくっているんだろう、買い換えたほうがもう早いのではないかと思えてくる。
ひとまずこの部屋を軽く見てから、先ほど見つけたレーネの手帳を拝見させてもらおうと、きょろきょろし始めた私はやがて、とある一点で目を止めた。
「えっ……ええっ……?」
可愛らしい置物や花が生けられている棚の上には、いくつもの写真たてが置かれている。
そしてそのどれもが、私・鈴音と吉田のラブラブツーショットだった。
「…………」
この部屋の中で仲良く撮っている日常のワンシーンから、有名な観光地をバックに撮った旅行先らしい写真まで、何枚も何枚も大切そうに飾られている。
こんなのどう見ても、結婚を前提に考えている恋人同士のようにしか見えない。
「わ、私が吉田と付き合って……いや、正確には私じゃないんだけど……ええっ……」
吉田はエアコン業者なのではなく、ただ彼女の壊れたエアコンを直していた優しい彼氏の可能性も出てきた。むしろそれでしかない気がしてならない。
大混乱の中、ふらふらと寝室に戻る。
これを異世界版の吉田に話したら、それはもう嫌な顔をするだろうな、なんて思いながら。
「こ、怖いんですけど……」
再びレーネが使っていた手帳を手にした私は、とてつもない緊張感に包まれていた。
一ミリも異性として意識していなかった知人と自分(の身体)が交際していたなんて、落ち着けるはずがない。
だがしかしよくよく考えると、レーネからすれば仲の悪かった義理の兄と自分(の身体が)交際している状況なのだから、私なんかよりもよっぽど複雑のはず。
全方位に対してソワソワしてしまいながら、改めて手帳を開いてみる。
「すごい、ちゃんとこっちの文字も書けるんだ」
可愛らしいパステルカラーのペンで綴られた几帳面そうな綺麗な字が、ぎっしりと並んでいる。どうやらスケジュール帳兼、日記帳として使っているらしい。
仕事で褒められて嬉しかった、デートが楽しかった、夕食を美味しく作れた、そんな明るくてほっこりするようなことばかり書かれていて、笑みがこぼれる。
「……レーネが幸せそうで、本当によかった」
彼女とは直接会ったことも話したこともないのに、不思議と誰よりも幸せに暮らしていてほしいと心から望んでしまう。
やはり私にとってレーネは、半身のような存在だと実感する。
とはいえ、これ以上プライベートな部分を勝手に見るのは良くないだろうと、パラパラ捲りつつ軽く確認していた時だった。
「あれ? ここだけ普通の黒いペンで書かれてる」
ずっとカラフルなペンだったのに、黒いペンで長文が書かれている部分を見つけ、手を止める。
なんだろうと気になって、この部分だけはちゃんと目を通させてもらうことにした。
日付はちょうど一ヶ月前ほど前だ。
「……精神が安定してきたせいか、いろんなことを思い出すようになった。自分がどれほど愚かで最低な人間だったのかを思い知るたびに、胸が苦しくなる……ど、どうしたの……?」
先程とは打って変わっていきなりのどシリアスで重い文章たちに、戸惑いを隠せなくなる。
ドキドキしつつ、ひとまず読み進めていく。
「ユリウスお兄様は何も悪くなかった。悪いのは全て私。できることなら謝りたい……」
そんな中、ユリウスの名前が出てきたことで、どくんと心臓が跳ねた。
──レーネは元々ユリウスに対して恨みを抱いていたようで、過去に「一生許さない」という発言があったとセシルから聞いている。
ジェニーも「お兄様のせいで母親が死んだと言って泣いているのは見たわ」と言っていたし、二人の間に何か事件があったのは間違いない。
この辺りの問題は気になるものの、私自身には関係ないセンシティブな問題だし、これ以上は深掘りしない方がいいはず。
この手帳にはクソゲー世界に戻るためのヒントなんかはなさそうだし、こんな時だけれどお腹が空いてしまった私は、腹が減っては……と言い訳をしながらリビングに戻ることにした。
そっと冷蔵庫を空けるとタッパーが並んでおり、美味しそうな作り置きがたくさんある。
「て、ていねいな暮らしすぎる……」
私も自炊をしていたけれど、女子力の高さが格段に違う。
外に買いに出た時に元に戻っても大変だろうし、痛んでももったいないし……と再度言い訳をしながら、ちょっとだけレーネの手作りをいただくことにした。
お皿によそってダイニングテーブルでそれらを食べながら「わっ、すごく美味しい!」と感動していると、不意に例の写真たてがまた目に入った。
「……自分の顔なのに、すっごく可愛く見える」
写真に映る彼女は恋をする女の子そのもので、多幸感溢れる笑顔はとても眩しい。
あちらの世界では家族の中で孤立し、学園でも虐められていたレーネがこんなふうに笑いながら過ごせていることが、本当に本当に嬉しかった。
私だってこの世界で孤独にブラック社畜をしている頃とは比べものにならないくらい、あちらの世界で大好きな人達と幸せに暮らしている。
ただ同じ名前という共通点の私達が入れ替わったのは、幸せになるためだと思いたい。
「よし、とにかくなんとかして戻らないと!」
今あちらの世界に戻っているレーネだって、同じことを望んでいるに違いない。
──前回はレーネが屋敷の階段から飛び降りたことをきっかけに、元に戻ることができた。
とはいえ、前回のユリウスの憔悴した様子を思い出すと、もう同じような行動はとらせないようにするはず。ルカだっているのだから尚更だろう。
下手をすれば死んでしまう可能性だってあるし、私としても全力で止めてほしい。
「でも、私に今できることなんて……うーん……」
魔法が存在しない世界で、異世界転移する方法なんて見つかるはずがない。しかもただの転移ではなく入れ替わりなんて、難易度が高すぎる。
食事を終えたお皿を洗い終え、ソファにぼふりと腰を下ろした私は腕を組み、どうしようと必死に頭を働かせた。
今この瞬間も、あちらがどうなっているのか気がかりで仕方ない。焦燥感だけが募っていき、無意識に祈るようにぎゅっと胸の前で両手を握る。
「……誰か助けてくれないかな」
そして心の底からの願いをつい口にした瞬間、右手が突如、眩い銀色に輝きだした。
何事かと慌てて右手を見つめると、そこには銀色に輝く五芒星のようなものが浮かんでいる。
「えっ、なんでこんなファンタジーなものが……」
間違いなくここは元の世界だし、手の甲をつねってみてもしっかり痛いから、夢じゃない。
この世界に奇跡も魔法もあるはずがなく、ありえない状況に困惑していた時だった。
《……なに、呼んだ?》
どこからともなく聞こえてきた声に、心臓がまた跳ねる。
この声と、どこか面倒そうな声音には覚えがあった。恐怖によって脳に刻まれている、というのが正しいかもしれない。
「も、もしかして……メレディス……?」
いよいよ小説とコミック発売(3/1)まであと少しです!!!
サイン本もたくさんのご予約ありがとうございました;;♡
Xでもお話したのですが今回のサイン本はこれまでの感謝が爆発した結果、いつもより長文のメッセージと
担当編者さんの書いたキラキラがあります( т т )♡w
我々の初のコラボサイン(?)入りなので
どうか楽しんでいただけますように……!!!!




