レーネと鈴音 2
恐る恐る空気に向かって声を発してみると、あっさり《そうだよ》と返事がされた。
気持ちよくぐっすり寝てたのに、という文句と共に呑気なあくびが聞こえてくる。
絶望していたらラスボスに繋がってしまうなんて、誰が想像しただろうか。
「こ、こっちの世界からも会話なんてできるの……⁉︎」
《こっちの世界? どういう──……》
そこまで言いかけたメレディスは、少し黙り込む。
呆然と輝き続ける右手を見つめながら、続く言葉を待つ。
《お前、今どこにいる? 俺が居場所を探知できないなんてありえないんだけど》
「じ、実は……かくかくしかじかで……」
それからは今いる場所を説明するため、この状況に至るまでの経緯を全て説明したところ、メレディスはとても楽しげな声音で「なるほどね」と呟いた。
《嘘じゃないとは思ってたんだけど、本当に異世界から来てたんだ。すごいじゃん、お前》
メレディスは本気で褒めているようなトーンで、そう言ってのける。
未だにパニック状態の私はというと「それほどでも」なんて妙な返事をすることしかできない。
「でも、この世界には魔力なんて存在しないのに、どうして会話ができるんだろう」
《お前と交わしたのは魂との契約だから、器が入れ替わっても繋がりは切れなかったんだろうな。ただ流石の俺でも、世界を越えられるとは思わなかったよ》
やっぱり俺って世界一の魔法使いだな、なんて言うメレディスが、私は救世主に見えていた。
普段は死ぬほど怖い悪魔のような存在だけれど、今はもう神様に思えてくる。この詰んでいる状況を打破できるのは、間違いなく彼しかいない。
「あの、メレディス様。以前ひとつだけお願いを聞いてくださると仰っていましたよね……?」
夏休みに隣国でこの契約をした時、メレディスは「それとレーネが本当に困った時一度だけ、俺が助けてあげるって契約も入れておいたよ」と言っていた。
私は当時、ただより高いものはないとその優しさに怯えていたけれど、今は全力で乗っからせていただきたい気持ちでいる。
《いいよ。どうせ元の世界に戻りたい、って話だろ?》
「おっしゃる通りでございます。そっちの様子も気になるから、なるべく早く戻りたくて……」
レーネの日記を見る限り、前回のようにユリウスに酷い態度をとるとは思えない。
それでも距離感は普段の恋人に対するものとはかけ離れたものになってしまうだろうし、きっと傷付いてしまうはず。
学園祭までの日数も、ほとんどない。みんなで作り上げてきた演劇だって、主役が突然いなくなっては困るだろう。
私自身もこれまで精一杯やってきたのだから、やり抜きたい気持ちがあった。
《いや、いくら俺でも異世界にいる人間同士の中身を入れ替える方法なんて分からないけど》
「えっ」
《そんなことをする必要もないし、そもそも考えたことすらなかったからな》
「た、確かに……」
よーし、異世界同士の人間を入れ替えてみよう! なんて思い立つわけがない。そもそも世の中に他人同士を入れ替えるなんて魔法がありふれていては、誰も信用できなくなってしまう。
《まあ方法さえ分かれば、なんとかしてやれなくもない》
やはり自身の魔法にはかなりの自信があるらしく、なんてことないようにそう言ってくれた。
けれど方法を探すにしても、私がこっちの世界で魔法について調べるなんて不可能だし、メレディスほどの人に「ゼロから調べてきてください」なんて言えるはずもない。
「人の中身を入れ替える方法……方法……」
両手で頭を考えながら、必死に脳を働かせる。メレディスに頼れるこの機会を逃せば、本当にレーネの飛び降り法しか手段がなくなってしまう。
やがて追い込まれた私の脳裏にはふと、先月のとある会話が蘇った。
『前にデビュタント舞踏会で話した身体が入れ替わる魔法のこと、覚えてる?』
『えっ? 覚えてる、けど……』
『調べた結果、人と人が入れ替わる魔法に関する文献を見つけたんだって。でも、古代魔法のひとつみたいで、実現が不可能なお伽噺レベルだったみたい』
パーフェクト学園との交流会の際、転生者仲間のアンナさんとそんな話をした記憶がある。
これだ! と確信し、すぐに尋ねてみることにした。
「古代魔法のひとつに人と人が入れ替わる魔法に関する文献があったらしいんだけど、それって使えたりしないのかな?」
《古代魔法とは言っても、腐るほどあるからな。しかも調べるだけでクソ手間がかかる》
「そっか……そもそも今の魔法使いには、到底不可能なレベルの高度な魔法なんだよね?」
アンナさんから聞いたことを何気なくそのまま口に出すと、リビングの空気が丸ごと凍りつくような錯覚を覚えるくらい、怒気を含んだメレディスの低い声が部屋に響いた。
《はあ? この俺を誰だと思ってんだ、クソガキ》
「ひえっ……」
《俺に不可能とかねえから》
隣国で気付いたことだけれど、メレディスは苛立つと言葉遣いが悪くなる傾向にある。まずいと思った私は慌てて「そうですよね!」と大声を上げた。
「い、今のは一般論でして、メレディス様ほどのお方なら余裕だともちろん分かっております!」
《……ふうん》
同じ世界にいないというのに、その圧の恐ろしさに震えてしまう。今は唯一で最強の味方だけれど、やはり油断は禁物で発言には気をつけようと大反省した。
《古代魔法ね、適当に調べてやるから待ってて。俺にできないことはないし》
「あ、ありがとうございます!」
図らずとも世界一の魔法使い様のプライドに火をつけてしまったらしく、メレディスがなんとかしてくれるらしい。不可能はないと二度も言うあたり、かなり重要なポイントなのだろう。
怖くて仕方ない一方で、子どもっぽい部分もあるんだと少しだけ可愛く思えてくる。
「そちらに戻れたら、私にできる限りのお礼はさせていただきますので……」
《お前ができることなんて、俺にもできるからいい》
「ですよね」
ひとまずメレディスに全てを任せることとなり、改めて心からの感謝を伝えた。
《そっちって、魔水晶みたいなものはない?》
魔水晶というのは交流会のドラゴンレースでも使っていた、映像を写す魔道具のことだ。
流石に存在しないことを伝えつつ、なぜ必要なのかと尋ねると、予想外の答えが返ってきた。
《こっちが気になるって言ってたし、レーネの様子を見せてやろうと思って》
「メ、メレディス様……!」
もはや優しすぎて怖い。
怖すぎて素直に「なんでそんなに優しいんですか」という問いを投げかけたところ、自身の魔法が異世界にどの程度まで影響を及ぼせるのか、純粋に気になるという回答を頂いた。
誰よりも魔法に秀でているのに、まだ探究心を持って貪欲に行動できるというのは、本当に素晴らしいことだと思うし、純粋に尊敬に値する。
そもそも生まれ持った才能や魔力があったとしても、それほどの心がけや気概がないと、彼くらいの境地には至れなれのだろう。
そんな素直な気持ちを伝えたところ、なぜか少しの間、沈黙が流れた。
《……お前、よく分かってるじゃん》
そう呟いたメレディスは「とにかく」と続ける。
《こういうのは【役割を与えられていること】が大事なんだ。映すためのものは他にない?》
「映すためのもの、役割……」
ソファから立ち上がり、リビングを見渡す。すると横長の四角い機械が目に入り、ダメもとで尋ねてみる。
「あのー、テレビとかってダメだよね……? 映像を写す機械なんだけど」
《判断がつかないから、ひとまずお前の血で手の甲にある模様をそれに書いてみて》
そこそこハードルが高い指示をあっさりと出され、内心冷や汗をかいたものの、意を決してキッチンから出してきた包丁で指先をぷつんと切った。痛い。
ピリピリとした痛みに耐えながら、右手の甲で光ったままの五芒星のようなマークをテレビの画面に描いていく。
「なんかすごい呪いみたいになったけど、書けました」
《ん、ちょっと待ってろ》
勢い余って結構ざっくり指を切ってしまったせいで予想以上に血が出ており、真っ暗い画面に血が垂れ流し状態で、ちょっとしたホラーだった。どちらかというと井戸なんかが映りそうだ。
メレディスに言われた通り、大人しくホラー画面を見つめて待つ。すると電源も入れておらず、何も映っていなかった真っ黒な画面が突然パッと明るくなる。
「うわっ」
驚きで心臓を吐き出しそうになりながらもテレビ画面を眺めていると、なんと映ったのはユリウスとルカと暮らしている屋敷内にある、私の部屋だった。
ベッドの上には、制服姿で横たわるレーネの姿がある。




