管理者
「いらっしゃい」
誰かがそう言うのと同時に僕はスポットライトに照らされる。
辺りには何もなく、ただ僕の足元にはカビて黒ずんだ木の床が敷かれているだけだ。
「初めまして、ラス……。私はホルダ、世界の管理者。知っていますね?」
「ええ……。もちろんです」
それもそのはず、今まで僕たちがホルダだと思っていたものは、言ってみれば本物ではなかったのだから。
「ぼくがあなただと思っていたのは、あれは……僕は、所謂神だったんですね」
「あなたたちが神と呼ぶそれは、生物のそれぞれに眠る支配者の顔ですから……。しかしどこかで信じられるような全知や全能などというものはありません。互いが互いに相殺し得る程度の力、だけどそれを発揮できるかどうかは自身を神だと信じられるかどうかです。あなたにはそれができた、もしくはそれができる要素が備わっていたからあなたの中の神は目を覚ました……、その引き金になるのがレジェンドアームズ。誰しもではなく、あなた自身における伝説の意志、短い生の中に貫き通すべきあなた自身なのです」
ホルダはそう言うと僕にそっと手を差し伸べた。
「さあ、ラス。選びなさい……、人として生きるのか、あなたとして生きるのか」
ぼくはどうするべきなんだろう。
僕はどちらでもいいよ。ぼくの好きにすればいいさ。
ぼくはぼくの世界を守りたい。
僕はその力になれる。
それじゃあぼくは、もう……。
そんなことはないさ、ぼくだって僕だ。それまで気付かなかった。それだけだろ?
「ホルダ……。一つ聞きたいことがあります」
「答えましょう」
「……ヤマトは、どうして神である自身を捨てたんですか?」
「山登歩は、本来死ぬはずでした。でも、こうして再び生きる機会を得た……。旅の途中でそのことに気付いていたのでしょう。再び目を覚ました後、自分が生還するためには神である自分になる他ない、それをここで知った山登歩は、そうして得る新たな生命を偽物だと解釈したのです。だから、あなたに託した。帰還後、自分が死んだとしてもあなたが家族を守ってくれると信じたのです。そうでしょう?」
「……ズルい人だな」
「ええ、それは彼自身も十分に理解しているようでした。自分で成すべきことをあなたに押し付ける真似をしていることを悔いてもいました。だから、山登歩は伝言を残しました」
「伝言……。聞かせてくれますか?」
「ラス、すまない。俺は俺でなくてはあいつに合わせる顔じゃないんだ。そんなことで、あいつに悲しい思いをさせたくないし、それで狂ってほしくもない。だから、頼む。お前が救ってくれ。世界を」
全く、最後まで自己中心的で検証なしに突っ走る闇雲な人だな。ヤマトは。
だけど、ぼくはそんな勝手な彼が好きだった。純粋に勝手な彼が羨ましかった。
ぼくも、そういう生き方をしたいと思ったから。
信じるなんて自分勝手だ。でも、それがいいんだろ?
「ありがとう……、ヤマトさん」
ぼくは、ホルダのその輝く顔を見つめた。
「ぼくは、神になります」
「わかりました。では、いきなさい。ラス」
僕はホルダの手を取った。
すると、ホルダのその白い輝きが僕の体へと伝わり、全身を温かく包んだかと思うと僕の体が少しだけ軽くなったのを感じた。でも、僕は振り向かないことにした。
ホルダはそのまま僕の体を放り投げるようにして僕の手を離す。
「また、会いましょう」
ホルダの手を離れた僕の体はぐんぐん上へとあがっていく。
落ちる時とは反対に、入り口宛らに遠ざかっていく光を足元に感じながら、僕はあがっていく。
これから目を覚ますっていうのに、どうしてかこんな昇天染みた行き方をしなきゃいけないなんて。
だけど、僕は思う。
結局生きるってことは、死者からみたのと生者からみたので同じなんだろうと。
お互いにそれぞれの世界があって皆そこで生きていると考えれば、どちらからかみれば死んでいて、でもどちらからかみたら誕生するんだ。
おかしな話、僕はそう思うけど、とある高僧やまたとある神の子はそれに気付いていたのだろうか。
残された者なのか、残った者なのか。そういう違いが見えないものを認めるか、認めないのかの違いを生むのだろう。ぼくたちは残った者に残された者だ。だからきっと見えないものを認めることができない。それは宇宙の端がわからないのと同じく、螺旋を理解できないことと同じだ。
時は流れ、生は死、継承は学び、純粋さとは変化しないこと。
ぼくたち残残の生き物はどうしたって窮屈だ。
時は層だと誰かが言っていたのを思い出した。
生からみる死は、死からみる生だ。
受け継がれることは、残りたい者の残しものだ。
変化しないことは、そう決めたものだ。
幾つもの点が、世界には散らばっている。ぼくたちはそれを辿るのか、悩むのか、ただ事実として確認するのか、認識するだけなのか。
それがぼくたち意識に託された唯一のものだ。そしてそれしかないのがぼくたちだ。
合わせることなんて実は不自然で、僕は自然を取り戻すために世界に戻る。
救われるんだか壊されるんだかわからないが、それでもぼくはそれが正しいと思うから。それがぼくの純粋さだから。失えないんだ。変われないんだ、その考えだけは。
視線の先にまた明かりが見える。僕の体はそれに吸い込まれるようにして一直線にそれに向かっていく。
目が覚める。
悲鳴が聞こえる。
僕の足元には、線路とその砂利がある。
震える景色、いや、揺れているのは僕だ。
僕をホームの隙間に挟み込んでいた列車は向こう側にひっくり返っている。
「おい! 君! 大丈夫か!?」
ホームの向こう側で行き交う無数の足を遮るようにして一人の男が僕の視界に立ちふさがった。
中年の男だ。捩れたネクタイもめくれ上がったジャケットも乱れた髪も気にせず、この大地震も気にせず、僕に手を伸ばしている。
「だ、大丈夫ですか!? 私も手伝います!」
そう叫んで制服を着た少女が中年の男の隣にしゃがみ込み、彼女もまた僕に手を伸ばす。
僕は、両手で二人の手を掴んだ。
中年の男の手は温かく、少女の手は冷たい。
「ありがとう……ございます」
僕がそう言うと、二人は声を合わせて僕をホームに引っ張りあげた。
太って、こんなに重たい僕をだ。
「また来るぞ! 伏せろ!」
中年の男がそう叫んで少女に覆いかぶさった。次の瞬間、聞いたことのない轟音と悲鳴と共にホームに被さっていた鉄骨の屋根が崩れ落ち、ホームのいたるところにヒビが入った。幾人もの人がそれに巻き込まれて僕の視界から消えた。
伏せている二人の上に折れた鉄骨が降り注ぐ。
僕は、二人に覆いかぶさった。
再びの轟音。粉塵が舞い、景色を隠した。
「……や、止んだ。大丈夫ですか? お嬢さん」
「だ、大丈夫です。ありがとうございました」
「き、君! そんな……!」
中年の男が驚愕の表情で僕を見つめている。僕はそれに微笑んだ。
「きき、君は……一体」
「その……体は……なに……」
僕は言った。「もっと……もっと早くあなたたちに……」
「え?」
僕は体中で蠢くジャバラの触手を振り回して振りかかってきた鉄骨諸共粒子に変えた。
「な、なな……な!」
中年の男はもう声も上げられないようだ。僕はそれを見てなんだかおかしくなってしまった。
僕は本当に自分勝手な奴だ。
でも、もう決めたんだ。
僕は声も上げられずただ目も口も開きっぱなしになっている二人を見てから地面を強く蹴った。
上空から俯瞰で見る地上はもう崩壊と言っていいほど原型を留めていない。そして、遠くには馬鹿みたいに大量の黒煙が吹き上がっているのが見える。そうして巻き上げられた黒煙に稲妻が踊り、風の音すらもかき消す爆音が響いた。それに合わせるようにして地面から湧き上がる鼓動のような低音。
僕は宙に浮いたまま周囲をぐるりと見回す。
すると、足元やら向こうに見えるビルの隙間から光の粒を纏った蒸気のようなものが吹き出し、しかしそれは上空へ上がることなく、しなる植物の根のように蠢いて光の粒を周囲に撒き散らした。光の粒が付着したビルは一瞬にして崩壊、看板は跡形もなく消え去った。
すると、光の蒸気の一つから何かが飛び出すのが見えた。
「あれは……」
飛び出した光る何かは上空で膨張し、ひと目にそれが人型だとわからないほどに大きくなった。
「ホ、ホルダ……」
その大きな光の人は間違いなく、ホルダだ。
当然その表情は確認できないが、僕にはそれが怒っているとわかる。
僕は、体中でひしめく触手を巨大なホルダ同等まで広げ、それを一つの形にまとめた。
「ホルダ!」
「ホソダ……いえ、何か違うようですが……。来たんですね」
「……僕が世界を終わらせる。だから後は任せてくれないか?」
「……それは無理な願いです」
呟くようにそう言ったホルダの顔は眩く、その表情を肉眼で知ることは不可能だ。でも、僕にはホルダのその複雑な表情がわかる。悲しんでいるような怒っているような、それでいて何も考えていないような、そんな無表情に近い哀れみの表情。きっとぼくが憎んだのと同じようにホルダも自身の感情と現実と期待とで悩んだのだろう。
そしてホルダの出した結論こそが原因の覚醒、そうやって未来を手中に収めることで管理者であろうとしているのだ。
それほど悩んだんだ。神であるホルダですら、その意識をどうすべきか。
「でも……あなたがそうして現れたということは、今しようとしていることは無意味なのでしょうね」
「…………」
「抗うべきでしょうか? それともあなたが行動するまで破壊スべきでしょうか?」
「それは……」
「ホソダ。あなたは全てを救おうとしています。でもそれは、今を殺すことです。わかっていますね?」
「もちろん、わかっている。だけど、僕にはどうしてもそれが正しいと思えて仕方ないんだよ」
「今を殺し、戻ることで得られるものは本当に正しいものですか?」
「……そうだ。少なくとも、僕が神として成すことはそれだけだ。そのために僕はここに戻ってきた」
「そうですか……なら、決裂ですね」
「……そうか」
「初めからわかっていたことでしょう? 止めることはできないと……」
「ああ……。だから、もう説得はしない」
「そうですね、その方がいいでしょう。さあホソダ、始めましょう……世界の終焉を」
ホルダがそう言った途端、その顔の輝きは増し、そうして切り離された光はもう一人のホルダへと姿を変えた。新たなホルダが音もなく、その両手を地面にかざすようにすると空へ響き渡るほどの地鳴りと共に大地が裂け、そこから巨大な山がまるでつまみ上げた布切れのごとくせり上がった。次にそのせり上がった新しい山へと一人目のホルダが息を吹きかけると、突如山は赤みを帯び、その頂上から火炎を吹き上げた。
撒き散らされた巨大な火の粉が街に降り注ぐ。
今の現象で一体何人の生物が死んだだろうか。
僕は火炎を吹き上げる山に絡みつくジャバラ触手の手の平をかざし、火炎を原初の形へと戻した。ほのおの原初は揺らぎ、震えるということそのものだ。だから僕が火炎を原初に戻した途端、空気が揺らぎ、光の姿であるホルダを曇らせた。
「素晴らしい力です……」
ホルダは感心したようにそう言うと、続いて二体目の分裂を起こした。
二体目の分身は両手を目いっぱいに広げ、それをゆっくりと閉じて手を鳴らした。すると、弾かれた空気がガラスに砂を投げつけたようなパリパリという音を鳴らし、そして辺りの風が止まった。次の瞬間、あり得ない速度で空間が氷付いた。
空気が混ざりこんで白濁した氷柱には、巻き上がった煤や、崩壊しかけてのビルなんかがそのまま時が止まったかのように収められている。
僕は触手を絡め、幾つもの拳を作り上げてその巨大な氷柱を叩き壊す。止められた振動は僕の拳で再び息を吹き返し、氷柱は厚く白い霧へと変わった。
霧に紛れて別の光塊が雲に隠れた太陽のように輝いているのが見えた。
次の瞬間生じた衝撃波が厚い霧もろとも僕を吹き飛ばす。
僕は仰け反った体を背後に生やした新しい腕で支えるが、そんなことはお構いなしに僕の体の隙間に入り込んでくる衝撃波は絡みあった僕の体を分解するつもりらしく、その圧力で少しずつ僕の体が緩んで膨張するのを感じた。
関節が緩んで上手く力の入らない腕を上げ、目に見えない力に手の平をかざしてみるが、何も起きる様子はない。
「ホソダ、あなたは本当によくやりました。でも、もういいのです。全てが終われば辛いことも無くなりましょう」
ホルダはそう言った後、「信じて下さい」と呟いた。
「自身で説得は無意味だと言っておきながら、馬鹿なことを言っていますね……。ねえ、ホソダ。私は気に食わない生命を絶やすだけの傲慢な神でしょうか? 私は少なくとも、世界を救いたいと考えています。安寧と愛情を大切にしています。だから、滅ぼすのです……人を街を文明を」
ホルダの愛は、個に向けられるものではない。舞台を舞台であらせるためにホルダは。
「ぼ……僕の、力なら……できる。できるんだよ……だか、ら」
「……できません。だってそうすれば人はまた同じことを繰り返すでしょう? それに、そうならない保証はどこにもないのです。あなたが全てを戻したとして、あなたが神として存在するからこそ未来が変わるのだとして……それが本当に理解の世界になるはずがありません。人は幼い。その幼さ故に、欲しがり、甘え、押し付ける。都合の悪いことを全て妄想に仕立てて、悪かったことを受け入れ、成長するということができない。万人が同じでなくとも、それを理解し解決する……そんな方法を探すための時間を、彼らは作れるようになりますか?」
「……で……きる。できる。人、は。今のようになってしまったのは……始まりが……正されれば」
僕がそこまで言うと、体を突き抜けていた不可視の圧力が止んだ。
「……始まり。僕が正すのは、全ての始まりじゃない。……人の始まりだ。世界のどこかで生まれた人の原初となる生物、それが変われば……未来は変わる」
「…………」
「僕は、見たんだ……。変えられた未来を生きる僕の娘を、この目で、確かに見たんだ。だから……」
信じてくれ。
「……ホソダ。私はどうすればいいのかわかりません。私の正しさを信じるべきなのか、あなたの未来を信じる私を信じるべきなのか。そのどちらもが正しくとも、それは私が選択できることだとは思えないのです」
「僕を……信じてくれ」
「それなら……私を殺してください。あなたの力で、二度と私が生まれないようにしてください」
ホルダはそう言うと、力なく両手をぶら下げて、分裂した三体の分身を自身に吸収した。
そしてホルダは僕を見つめる。
「…………」
僕は、迷わなかった。
立ち尽くすホルダを抱きしめると、ホルダを原初の形へと戻したのだ。
巨大な輝く人型は、僕の腕の中で霧散し、小さな一粒の光の欠片へと変わる。
僕はそれを救うようにして手の平に乗せた。その、小さな卵を。
「これは……」
僕にはその卵に見覚えがあった。
とはいっても、僕が見たのはそれに外皮が着いたものだった。
それに気付いた瞬間、僕は全てを理解した。
世界の管理者は二人いた。
創造する者と破壊する者。
アンダーワールドの始まりに落とされたその二人が、現実と虚構の管理者だった。
思い出すことのできない記憶の中で、僕は白衣の少女のことを感じていた。
「ジ……ナ」
ふと口をついて出たその言葉が何なのかはわからない。けれど、きっとそれが答えなのだろう。
僕は、きっと流れているであろう涙を拭わず、両手を組んでそっと目を閉じた。
最後の一息は吸っているその途中で、無かったことになった。
瞼を落とした世界には、暗闇の中を蠢くさらに濃い暗闇がひしめいていた。
その一つ一つが小さなイモムシのような姿をしていて、でもそれが嫌なものだとは思えなかった。ふと見上げてみると、遥か上空から薄い灰色の、目の錯覚のようにしか思えないほど微かな線がぐるぐると螺旋を描いて続いているのに気付いた。歪な螺旋だ。
僕の見える限りではどこにも交わらない、絡まないその不思議な微かな線は、僕の胸の辺りに続いている。
僕がそれを摘むようにして少しだけ引っ張ってみたが、触れることはできなかった。そうしてその微かな線に集中していたからか、蠢く暗闇のイモムシが体のあちこちでまるで僕を無視するように存在していることに気付いた。肩や胸、膝やつま先、足の甲も手の平にも半分突き刺さったような形で僕の体中に纏わり付いているのだ。
すると、突然胸に続いていた微かな線が僕から切り離された。
僕の目の前を漂うその線は、ぐねぐねと形を変えながら、少しずつ螺旋を辿って短くなっていく。
そして、僕もそれと同じように、繋がりを失った体が上下の概念を失い捻れるように回転し、僕は自分の体が徐々に小さくなっていくのを感じた。
もう、終わるのだ。
僕はぼくを失う。
遠くへ、あの螺旋の向こう側を越えて、もっと遠くまで行くのだ。
霧散していく意識のそれぞれを感じながら、僕は。
僕でもなくなった。




