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「くそっ! なんでこんなことするんだ! どうして!」

「……うるさいからよ。私が生きる道にそんなガキ必要ないのよ!」

「全部……全部演技だったのかよ。全部! あの涙も! 誰かを想って流したんじゃないのか!」

「はははっ! やっぱりバカよあんた……。私は初めから生きることしか考えてないわ? アイロスと一緒にいたのも、ジーナに近付いたのも全部私が生きるために必要だったことよ!」

「バカなことを言っているのはあなただ! 一人で生きていくことなんてできない、それは他人を利用しようとしたあなたならわかるでしょう。でもそれは、あなたを生かすためじゃない! あなたを、セーレという存在を認めた人たちがいたからあなたがいるんだ! 初めから一人なら、セーレさんはいてもいなくても変わらない!」

「……だから何? だったら必要なのは他人であって、スラストでもアイロスでもジーナでもなくていいじゃない。私を利用したければすればいいのよ……。私は! 誰にでも利用されるわ! でも! 誰かのために全てを捧げたりしない! 私は私よ!」

「どうしてわからないんだ……。何を言っても……!」

「どこにも変わる必要なんてないのよ!」


 セーレはそう叫んでもう一丁の銃を取り出した。

 連射。

 ぼくは即座にスラストの盾になる。

 一発ずつならヤマトに殴られたぐらいの威力だが、連発となるとそうはいかないみたいだ。押し込まれる弾丸の圧力で筋肉が裂けるのを感じた。


「ぐっ……!」

「お、お父さん……。お父さん!」

「スラスト、動くな。弾切れまでの辛抱だ」


 幾つもの弾丸が当たったことで、ぼくの背中はついにその痛みを感じ始めた。温かいものが背を伝わっていく。その時、一発の弾丸が後頭部に強い衝撃を与えた。


「っが!」


 大きく脳が揺さぶられ、意識が遠のく。


「お父さん!」


 続けて二発。

 心配そうな目で見つめるスラストのタイガーアイがぼやけて見えなくなっていく。

 大丈夫。ぼくは大丈夫だ。


(レボーアップ! ランクゼクスだ、ヒーロー!)

「ランク? そんなのどうでもいい。ぼくはセーレを止めなきゃいけないんだ」

(ハハー! 君は本当に変わったよ! まるでヒーローだね)

「初めから、ぼくはヒーローだよ……」

(でも、いいのかい? 力を使えば君はまた記憶を失うよ?)

「ああ、いいんだ。結局ぼくが覚えていることなんて、起きたことでしかないから……。変わらないんだよ、ぼくが何を忘れたって、誰もがぼくを忘れたって。世界は変わらないんだ」

(だから変える?)

「そうだ、始まりからやり直すんだよ。原因の覚醒で人々が滅んでも、その後に残すぼくの種子が世界を導いてくれる」

(それは何?)

「記憶だよ。残ったものではない真の記憶。戻した世界でこの世界を経験した僕の記憶を持つぼくがいれば世界は変る」

「トランプタワーの理屈だね。うん、確かに君の言う通り君という土台が変わればタワーのバランスは一挙崩れてブレイクダウン……。むしろ君が低い位置にいればいるほど効果は絶大ってね。ジーニアス! 君は賢いね!」

「何が君は、だよ。お前はぼくだろ? 今さら隠さなくたっていいんだ」

「ははっ! アメイジング! わかってたんだね」

「でも、正直不安だよ。結局その先がどうなるかはわからないから」

「だけど、僕が得た記憶はぼくが思う美しい記憶だから、最初の一行にそって美しい未来があると確信しているんだ」

(ああ、そうだ。矛盾のない美しいものだって土台になれるんだよ)

「じゃあ、やろうぜヒーロー! 僕が主人公だ!」


 銃撃は止んだ。でも、スラストの姿がない。

 後方から聞こえた一発の銃声、僕は振り向くのと同時に駈け出した。


「スラスト!」


 スラストは、セーレの銃撃を地面に伏せてかわしていた。四つん這いでまるで獣のようなあの動きは、間違いなく小悪魔の仕業だろう。僕はスラストの動きに気がいっているセーレに体当たりした。

 衝撃で再び弾丸が発射された。


「離せっ! お前もあのガキも殺してやる!」


 両腕を抑えこまれて尚セーレは叫び続ける。だけど、今の僕にはそんなセーレがわけもわからず泣き叫ぶ赤ん坊のように見えるのだ。


「セーレさん、僕を信じてください! 必ず! あなたが安心して生きられる世界にしますから!」

「うるさい! 私は死にたくないんだ! 死にたくない!」

「大丈夫、大丈夫です! あなたのその恐怖も全部! 僕が失くしてみせます!」

「誰があんたみたいなガキの言うことを……!」


 その時、あり得ないほどの振動が室内を崩し始めた。無理矢理にひしゃげられた扉から大量の水が勢い良く飛び込んでくる。


「くそっ! こんな時に!」


 廊下から勢い良く飛び込んでくる水流に乗って、ついにあの怪物が姿を現した。

 巨大なウツボ頭リーボ。

 リーボは体の幅に対して狭いその入口を両手で無理に開いて大量の水と共に室内へと侵入してくる。器用に体をくねらせながらぼくたちの周囲を回すると、ぼくらを完全に囲んでしまった。それまでに廊下に溜まっていた水が一挙に押し寄せてきたことで室内はあっという間に水浸しだ。

 このままでは僕たちの分が悪い。

 さらに増す水かさは最早立っていなければ息ができないほど上がってきている。


「やだっ! 助けて! 助けて!」


 ついに足がつかないほど水が満たされた室内にセーレの叫び声が響く。

 見回した視線の先に、溺れてもがくセーレの姿を捉えた。きっと彼女は泳げないのだ。彼女が鉄骨人である以上、泳ぐことすら考えなかったのだろう。


「今いきます!」


 僕がセーレのところへ向かおうと水を掻き始めた途端、何かが僕を水中へと引き込んだ。見た目とは違ってガサついたヤスリのような肌は、一度掴んだものを離さない仕様だろうか。僕がいくらもがいてもその手の平から抜け出すことができない。水中にいることでさらに動きの機敏になったリーボのウツボ頭が目の前いっぱいに広がっている。その鼻っぱしに付いた抉れたような傷は、ヤマトがあの時殴りつけたものだ。

 リーボは握りしめた僕を睨みつけると、迷いなく鋭牙の生えそろった口の中へと放り込んだ。

 歪な牙は、口の外回りだけでなく、その上顎にもびっしりと生えそろっている。

 閉じられる口、僕は両腕を突っ張ってそれに耐える。力は同等か、ここにきて初めて僕は重いと感じている。力比べには問題ないが、それよりもずっと重大なのが空気が不足しているということだ。およそ全力に近いくらい力を込めているため、僕の体に蓄えられていた空気が一気に消費されていく。

 このままじゃまずい。

 そう思った瞬間、僕の体は硬直し、息苦しさなど忘れてしまうほどに無理な収縮を始めた。

 しかしそれは、ぼくだけでなくリーボも同じだ。

 絞り出されたような新たな潮流がリーボの喉の奥から放出され、僕はそれに押し出されて口の中から飛び出す。すると、痺れて力の抜けた僕の体を何かが掴みあげた。


「お父さん! 大丈夫!?」

「ス、ス、スラスト……。お前、僕もいたんだぞ」

「ご、ごめんなさい。でも、この子がそうするしかないって言うから……」


 小悪魔め、僕が死なないと踏んでエレキガンを使ったのか。


「ふざけやがって……。でも、助かったよ」


 しかしおかしいのは、一体僕がどこに立っているのかということだ。部屋に入ってからそれが水に満たされるまで、天井以外にこんな足場はなかったはず。それから周囲を見回すと、この足場の正体がわかった。


「ジーナさん。無事だったんですね」

「ごめんごめん。まさかあのタイミングでダンジョンキーパーに襲われるなんて思わなかったんだよ。ったく困ったもんだね」

「でも、良かったです……って! セーレさんは!?」

「無事だよ。パニック起こして気絶してるけど、大丈夫だよ」

「そうですか……良かった。それでジーナさんはどこへ行ってたんですか?」

「どこへ行ってたっていうか、一旦は上に逃げたんだけど、あいつの咆哮があるのを忘れててさ。結局アクアリウムの窓ガラスが割れちゃって、そのまま地下まで流されたんだよ……」

「そ、それで地下はどうなってたんですか?」

「無かったんだ、何も……。あったのはエタニリウムの巨大な根だけだったよ。もう全部飲まれていたんだ」

「それじゃあ、結局アイロスさんは助からなかったってことですか……」

「……ごめん。エタニリウムの管理くらいはできていると思っていたのが間違いだったんだ。ルルディアでラスが見た未来の話をもっとよく考えればそれもすぐにわかったことなのにボクは……」


 永遠の種子エタニリウム。ホルダはそれをこの世界に用意された終焉だと言った。

 それはつまり、海人というバケモノが終焉を招く種子だったということでもあるのだろう。結局彼らは自らの生み出した永遠によって終わり、そしてその強欲はアンダーワールドを終わらせるのだ。

 やはりぼくの考えた通りだ。

 世界は変わらない。だから僕はその結果を変えなきゃいけないんだ。保たれる世界の均衡を土台から矛盾のないものに変えれば、きっと変わった世界が保持される。

 不変のための変化こそ、僕が僕の伝説であり、レジェンドアームズの使い道なんだ。


「ジーナさん。僕……戻ります。皆のことを忘れてしまうかもしれないけれど、でも、僕が戻らなければ誰も救えないんです」

「……そっか。いいさ、それでもボクたちはラス、君を忘れないよ」

「ジーナさん、セーレさんによろしく言っといてください。スラスト、また会おうな」

「いってらっしゃい。ラス」

「お父さん! 頑張ってね!」


 僕は一人立ち上がり、胸のダイヤルを回す。捻るのはその限界までだ。

 幾度も鳴るガラスの音色、その回数分だけ僕はアンダーワールド歩いてきたんだ。

 歯車が回り出す、鐘の音が僕の頭の奥で鳴り響く。

 二人とも、不安な顔はしていない。スラストは真っ直ぐに僕を見つめているし、ジーナは微笑んでいる。

 そんなことに意味はないのだろうけれど、僕はなんとなく二人に手を振っていた。

 霧散する感覚とともに二人の顔が霧に紛れて消えていき、僕はそっと目を閉じた。

 暗い視界の中でただ鐘の音だけを感じていると、それが僕の記憶を砕く音なのだということに気づく。記憶が失われるのはあまり良いことではない、というのはあくまで一般常識での話だろう。例えばそれがつらい経験だったり、都合の悪いものだったり、そういうものを忘れるのは精神衛生上良くない。なぜかといえば、それこそが人格の土台である記憶となるからだ。

 でも、その土台が間違っているのなら話は別だろう。

 狂った土台の上に何を乗せたとしても、結局それらは狂っている。何が狂うとかじゃなくて、そもそも不安定なのだからそうだ。平らな板の上に置かれたピンポン球、それならピンポン球を歪にすることが安定だろうけれど、問題なのはでこぼこの板では、その上に置かれたピンポン球がそのままで安定してしまうことにある。それは一見安定しているのだから良いじゃないか、とも思えるが実はそうではない。

 初めはぼくもそれでいいのだと感じていたが、生活のその土台である地の底は、鉄骨人の生まれである海人という歪な基礎によって覆される結果となってしまった。そしてそれは、エタニリウムによって地面がひっくり返るという物理的な意味だけでなく、セーレが死に怯えて狂ってしまうのもその基礎が生にしがみついた海人だったからだ。

 それなら海人を絶やせば良いという考えもあるかもしれない、だがそれはただの付け焼き刃でしかない。

 土台を、基礎を変えなければ、それが歪であれば結果は変わらない。

 海人は本来ならば変化するべきだったのに、それに気付くことすらできなかったのは、土台の歪さの上で生きるぼくたちが変化せずとも安定できていたからだ。だけど、そんなのは違う。

 平らな土台の上で変化し、安定することこそが真理なはずだ。

 歪な土台を見過ごして、何も気付けないなんて。

 そんなのは神の予測域でしかない。

 現実は虚構ではない、ゲームなんかになるはずがないんだ。

 結果はいつだって見えないことが当然だし、ぼくたちは変化することが自然なんだ。

 だからぼくはその土台を平らに直す。原因の覚醒を受け止め、それを土台として生きられるようにぼくは、この記憶を持ってあの世界に戻らなければならない。


「うっ……」


 開いた瞳に陽の光が容赦なく飛び込んでくる。

 尻の下に感じる柔らかく冷たいゼリーの感覚、初めてなような気がするけど、でも懐かしい気もする。


「白衣の少女……」


 僕は彼女に会わなければならないんだ。理由は、僕がぼくの世界に戻るため。

 この虚構の世界から現実を得るためだ。

 そんなことを考えながら、僕は壊れたゴーグルのスイッチを切り替えていた。

 示されているのはジーナの文字。距離はここから五百キロメートルだ。


「でも、どうやってそこまで……」


 辺りを見回すが、背の高い壁に挟まれたここからでは何も見えない。とにかくという思いで立ち上がってみると、僕の体は思いの外軽く、ひとたび力加減を違えれば飛び上がってしまうかというところだった。


「ぼ、僕の体は……」


 僕の体は鉄とカルシウムでできている。そしてこの右半身はレジェンドアームズ。僕の能力は時の逆行、この世界では時間がないから、今僕にできるのは時系列を無視した物理的移動だ。

 それを使えばジーナのところまで行けるだろうか。


「いや、ダメだ。この力は記憶を失ってしまう……」


 だとすれば、走っていくしかない。

 もう一度ゴーグルに示されたジーナの文字を確認し、その方角に歩みを進めた。

 壁を迂回し、それから廃墟を抜けると、その先は赤い砂の砂漠が広がっている。視線の先にずっと続くその砂漠はまるでこの世界の全てのようにも見える。

 そうして砂漠を見つめていると、突然地面が盛り上がり、砂の中から狼が飛び出した。


「サ、サンドウルフか。ほら、こっちへおいで」


 興奮したように僕の周りを飛び回る砂狼は威嚇して牙をむき出しにしているが、目線を同じくした僕に襲いかかってこようとはしない。


「っと……こんなことしてる場合じゃないんだった。ごめんな、僕には用事があるんだ」


 この砂漠を走るのか。どうにも無理なような気がしてならないが、でもできるとわかる。

 不慣れな運動で怪我をしないようにニ、三度屈伸をして、大きく息を吐き出す。そして、地面を強く蹴り、転ぶことを覚悟した勢いで駆け出した。


「ま、まさか僕がこんなに速く走れるなんて!」


 景色が吹っ飛んでいく。でもそれは、新幹線なんかのそれでは比較にならない。視界は最早僕の目線を残して何がなんだかわからないほどだ。僕は景色に吸い込まれるようにしてジーナを目指す。

 ジーナまで約二百キロメートル、そこは突然草原に変わった。大きな岩が幾つも点在する見通しの良い草原、一旦そこで足を止めると、向こう側に馬鹿に大きな樹木が茂る巨大な森が広がっている。

 その巨大な樹々の隙間に見えたもの、あれは確か、誰かの好物だったはずだ。


「ムベンべ。また、食べたいな……」


 でもそれも後でだ。僕は再び走り出した。

 ジーナまで後一キロ。目の前には巨大な山オロスがある。


「ジーナは……湖の中!? なんだよ潜っていけってのか?」


 でもやるしかないだろう。

 僕はその濁った湖を見下ろしたが、その底は見えない。少しだけ考えて湖面に顔を突っ込んだ。

 湖の中は外から見たのとは全く違って透き通っている。それは透明度なんてもので計れるようなものではなく、まるで外にいるのと変わらないほどだ。

 ところでジーナはどこにいるのだろうか。ゴーグルは生い茂る大きな水草の中を指しているようだが。

 その時、何か巨大なものが水草の森を掻き分けるように進むのを見た。


「ぷはっ……。何だあれ、貝殻?」


 ヤドカリだ。あれは、あの巨大な貝殻は移動要塞であるヤドカリの。


「あそこにいるんだな……。ジーナは……」


 僕は覚悟を決めて湖の中へと足を踏み入れた。そこで大きく息を吸い込んで止める。

 それから一気に湖底を目指して駆け出す。

 浮力を感じないのは、この体が鉄骨人のものだからだ。慣れているはずなのに、それでも不思議な感覚になるのは、僕の記憶が失われたからだろう。

 思い出した、といえばおかしなはなしだが、ジーナの名前を覚えていない時点で僕は少なくともそれまでに出会った人のことを忘れてしまったのだろうとわかる。

 それなら僕がジーナに会おうとしているのは、僕が見た未来のことと関係があるはずだ。

 ヤドカリの中に入ると、やはりぼくには見覚えがあった。格納庫から進んだ先にある鉄板の通路、その一つの扉の脇にある操作盤を弄ると、簡単に扉が開いた。


「だーれー? セーレー?」

「ジーナ。僕です、ラスです」


 そう言いながら研究室兼操作室へ向かうと、異様な位置にあるベッドの上で白衣の少女は寝転んだまま何かの本を読んでいる。


「で、君は誰? 勝手に入ってきたりして……って! なんで入ってこれんのさ!」

「僕は未来からきたんです。そしてあの操作盤の記憶があった……」

「んー……。意味がわからないな。八桁の暗証番号だよ? 偶然なんて起きたとしても今じゃないはずだね。でも、君はその偶然を起こしたわけだ。ボクをどうにかするつもりじゃないなら、話くらいは聞こっかね」

「ありがとうございます。とはいっても、僕もジーナに何を聞いたらいいのかわからないんですけど」

「それじゃあ、何しにきたのさ」

「……サミィ、賢者の千日手。そう言えば何かわかりますか?」


 僕がそう言った途端、ジーナの目つきが変わった。


「な、なんでそれを……! 君何者だよ!」

「この腕、見てください。これが僕のレジェンドアームズなんです」

「レ、レジェンド……アームズ。た、確かにその異常な形状はあれかもしれないけど……。本当に? でもどうやって」

「僕の能力は時の逆行なんです。でも、一層世界であるアンダーワールドではその移動が時系列を無視した物理的なものに変わるんですよ」

「……な、なるほど。でもそれとこれと何か関係ある?」

「……その、僕は元の世界に戻りたいんです。全てを変えるために僕が戻らなければならないんです。でも、そのチケットを使えばいつでも戻れるはずなのになぜか僕にはここへくるべきだという記憶があるんです」

「チケット? 何それ」

「これです、持ってないんですか?」

「うーん……、見たことないなあ」

「でも、ジーナ。あなたもレジェンドアームズを持っていますよね? それならきっとチケットをもらっているはずなんですが……」

「あー……随分前の記憶だからなあ。もしかしたら持っていたのかもしれないけど、覚えて……」


 そこまで話したところでジーナは不意に声を漏らした。


「それがチケットだったかはよく覚えてないけど確かサミィの時、ボクは何かを聞いたんだ……」

「何か? 教えてください」

「いや、それがなんだったのか……。でも、そういえば……! そうだ!」

「思い出しましたか!?」

「う、うん。ホルダが言ったんだ、どちらの『そうぞうの世界』を選ぶかとか確かそんなことをさ……。それで、ボクはその一方の世界を選んだんだ。その時一瞬元の世界に戻ったんだけど、地鳴りが聞こえ

て……」

「その『そうぞうの世界』っていうのは幾つかあったんですね?」

「そうだよ、二つ。創るか想うかの二つだったね……。ボクが選んだのは想う世界、それがこのアンダーワールドさ」

「つまり、ジーナは一度チケットを使ったかもしれないと言うことですか……」

「君の言うチケットがそうなら確かにボクはそれを使ったのかもしれないね」

「じ、じゃあもう元の世界には戻れないんですね……」

「そうだね。だけどボクは何も後悔なんてしてないよ。誰かの新発見の上で生きていくのはつまらないからね。ボクにはこの世界基準が適当なんだ」


 もう戻らない、そんな選択があることを知らなかった。様々な経験を経たジーナがそう言うのであれば、生の欲望が表立っていないこの世界もまた、世界のあり方として良いことなのかもしれない。

 だけど、ぼくは。


「ジーナ……。僕は世界を変えます、止めますか?」

「……いや、止めないよ。君にはそれができるんでしょ? だったらやればいいよ。考えてみれば、ボクの能力で世界を変えることだってできただろうけれど、ボクは流されている方が性に合っているしさ。確かにボクはこの世界が好きだけど、君が変えた世界ってのももしかしたら良いとこかもじゃん?」


「だったらボクはそれに期待してみてもいいよ」、ジーナはそう続けて僕の肩を叩いた。


「……それじゃあジーナさん。僕、行きます」

「うん、いってらっしゃい」


 僕はヤドカリの外に出ると、そのまま湖上へと駆け上がった。

 向かう場所は決めていた、というのもただそういう記憶があるということなのだが。

 僕がチケットを使う場所は、岩の転がるこの草原。

 死なない体の僕がこの世界で唯一死ねるのは、このチケットを使った時だけだろう。ならば僕はきちんと墓場で死にたいと思ったのだ。

 活き活きとして張りのあるその草原に腰を下ろすと、なんだか色々思い出しそうになるが、何も思い出すことはない。


「これって、所謂自殺なのかな……」


 本来ならば死なない僕が死ぬために、だけどそれは死ではなく元いた場所に戻るということなのだけれ

ど、このチケットを使うのだ。ところで僕が消えた後、この体はどうなるのだろうか。

 今更考えても仕方のないことだが、きっとただの人形に戻るのだろう。

 だから僕はここにきたんだ。

 取り出したチケットは、陽の光に透かすと普通に光を通し、和紙とは違う密度の本当に普通のコピー用紙のようなただの紙だ。


「こんなもので本当に帰れるんだろうな……。でもまあ、やったらそうなるんだろうな」


 一度だけ大きく深呼吸をして、僕はチケットをちぎった。


 

 

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