降りる
ドアノブのない扉。
僕は少なくとも自動ドアの開発された時代の人間だ。
だから、こういった扉を道開けばいいのか当然知っている。
しかし、扉は開かない。今こうして突っ立っているのは、自動扉のセンサーに反応してもらうためなのだが、その扉がうんともすんともいわないこの状況では「何してるの?」なんて言われてしまいそうだ。
「ラス……。あんた何してんの?」
「え……」
「なんでそんなとこに突っ立ってんのって聞いてんだけど」
「え、ああ、いやこれ自動扉ですよね?」
「…………」
まさか、今更こんなところでカルチャーショックを受けることになるとは思わなかった。
呆れたように嘆息をつき、首を振ったセーレは何も言わずに僕を押しのけると、扉に手を触れた。
「……開かないじゃないですか」
「おかしいわね……」
「どいていろ」
扉の前で棒立ちしている僕とセーレの後ろから何やら殺気のこもったヤマトの声が聞こえた。
なんとなく恐怖を感じつつ振り返ると、ヤマトの腕はその内側から発光し、今にも扉を破壊しそうな勢いだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ここは海人の施設なんだから鉄骨人のセーレじゃダメなんだよ。さ、スラちゃん……」
そしてジーナに促されるまま僕とセーレの間から体を滑りこませてきたスラストは、小さく一呼吸してからそっと扉に手を触れた。
すると、スラストが触れた辺りが青く輝き、扉は勢い良く壁に吸い込まれていった。
「…………」
部屋の中には何もない。何もないとは言っても、それはめぼしい物がという意味だが。
さほど広くない部屋の中は大人が三人分と子供が二人分、そして巨体が一人入るともうどこにいることもできない。窮屈ではないが、全ての席が埋まっている電車内といったところだろうか。
「さて、これからどうする? って言っても下を目指すしかないんだけどさ」
「……そうよ。でも、後どれくらい降りればいいわけ? これが何百階ってなるとアイロスが保たないわよ……、まさかそんなことはないでしょうね?」
「そこまでは深くなかったはずだけど……。ボクの記憶ではせいぜい三十階程度だったはずだよ」
「さ、三十階!?」
「……階段がどこにあるのかわからない状況では三十階降りるのにどれだけかかるかわからないぞ」
「そ、それじゃあアイロスさんが!」
だから、考えなければいけない。
一気に下まで降りる方法を。
「何かないかしら……」
「そうだ! ヤマトさんの力を使って……」
「無理無理! そんなことしてどこまで落ちていくかわかったもんじゃないよ!」
「そうですよね……。それじゃあどうすれば」
「……ジーナ。あの大穴はどこまで続いているか覚えているか?」
「大穴?」
「ああ、あの化け物が出てきたあの穴だ。上から見る限りではかなり深くまで続いていたようだが」
「なるほど、名案。……と言いたいところだけど、あそこにはリーボがいるから難しいと思うよ」
「……あいつを倒せばいいのか。それならそう難しいことではない」
「でもさ、次もまた出てくるとは限らないよ? ヤマトがぶっ飛ばしちゃったしさ。それに、リーボを排除できたとしてもあの大穴には水がたっぷり詰まってるし、長時間息を止めておくのも無理なんじゃない?」
「それはお前の力があるだろう」
「ボクができるのは強制変態。だから水自体を何かに変えることはできるけど、無くすることはできないよ」
「それなら、ここから下層まで階段を作ればいいんじゃない?」
「め、名案……。まさかセーレから名案が生まれるなんて思わなかったよ」
ジーナのその一言の憤慨するセーレだが、何やら嬉しそうでもある。
だが、その笑顔がアイロスいち早く救えるかもしれないという喜びからくるものなのか、単に嬉しいからなのかはわからない。
状況的にその笑顔はあり得ること、当たり前のことであるにも関わらずあっけらかんとしたそれになんとなくどこか違和感を感じた。
それからジーナはセーレの案に従い、狭い部屋の真ん中辺りの床を下へと続く階段に仕上げた。
なんともご都合主義的な展開だと思わざるを得ない状況だが、それも致し方無い。
道のないところに道を作る。
そんな馬鹿げた理想を可能にするこのレジェンドアームズは、本当にただ伝説的であるということだけが理由に作られたのだろうか。
未だ尽きないレジェンドアームズへの疑問をアイロスと共に背負いながら僕は不自然に床を突き抜けている階段を降りる。
その先、またその先もこれまで見てきたのと同じような空間で、出てくるモンスターも気味の悪い虫ばかり。この虫が何から進化したのかはあえて考えまい。
僕はそうして下層へと歩みを続ける時々にアイロスの状態をさり気なく察していた。
呼吸は、ほとんど感じない。でも、胸がほんの少しだけ動くのは感じる。
そしてアイロスの体は依然熱く、陸人の体であれば間違いなく背中は重度の火傷を負っているだろう。それはこの特殊な鉄骨人の体であっても異常な熱さだ。
だけど、アイロスはまだ生きている。
あの草原に散らばっていた岩に触れなかったこと、それが今になっていい結果を生んでいると言っても良い。だって、僕があそこであの岩に触れていたら今のアイロスが死んでいると結論付けることもできたのかもしれないのだから。
だけど、だとすれば一体。死ぬっていうのはどういうことなんだ。
本人ではない第三者から見てもうそれは生きているとはいえない、それが死なのだろうか。
それとも、本人が生きていると自覚することが生なのだろうか。
今のアイロスはいわば植物状態の陸人。
僕たちはそういう風になってしまった人を生きているとはいえないと判断して、最悪それは身近な人でも同じ結論だったりする。そしてそれを維持してあげることが色々な面で困難になったとき、それを脳死、もしくは意識不明と判断してその補助を止める。
そういう納得の仕方で生命を終えさせる。そして勝手に罪を背負う。
僕は聖人君子ってやつではないから、それを正しいとも思うし、間違っているとも言い切れない。
つまり、僕がもしそういう人の身近な存在だったらオフを選択するだろうし、勝手に罪を背負うだろうということだ。
それなのに、僕はアイロスを背に抱き、彼を救おうとしている。
エゴイズムは行動という現実との壮大な矛盾だ。
でも、その矛盾はあくまで僕を苦しめるもの。考えて出された結論と想像、そしてそれとは全く違っている行動という現実。
聖人である僕と現実主義の僕が同時に、交互に僕の体を乗っ取ってはそれぞれに違う見解を生むんだ。
もしかして仏陀とかイエスとかもそういう感覚を罪や罰としてまとめていたのだろうか。
だとすれば、今僕が取っている行動はその全てを否定している。罪も罰もどちらも欲しくないから、僕はアイロスを救おうと理解しているんだ。他人の生死の判断も、維持もそれを終えることもその全てを自由という便利な発想で否定しようとしているんだ。
ヤマトが言っていた、お前は自由だ、という言葉。
セーレが言っていた、君は生意気だ、という言葉。
彼らは僕のことを、僕以上に知っていた。いや、気付いていたんだ。
僕が個人だって、そういう漠然としていながら存在としての確証みたいなものを。それはとても普通で当たり前のことなのだけれど、なぜだか僕にとってそれがとても嬉しいことだと感じた。
僕が僕だと、初めて認識されていることを実感できたんだ。
その時、僕の頭の直ぐ側で強烈な破裂音が響いた。
「うわっ!」
「あんた! 何ぼーっとしてんのよ! ここダンジョンよ? ダ、ン、ジョ、ン!」
セーレにそう言われて辺りを改めて見回すと、モンスターの種類こそ変わっていないものの、その凶暴さと数は増していることに気付く。
ここにくるまでの間ずっと隊列では一番安全な位置にいたから、死骸を踏みつけることはあっても戦闘はしていなかったから油断していた。
ジーナもヤマトも襲いかかる無数の虫共に夢中で僕の方なんか見ていない。
「い、いつの間にこんな……」
「バカ言ってんじゃないわよ! さっきからずっと、この階層に来てからずっとよ! ったくそれなのにあんたはニヤニヤして……危ないっ!」
セーレがそう叫ぶのと同時に僕の視界は体からはみ出す足の付け根、虫の中で最も気持ち悪いといわれる腹の下に覆われた。
小さな鉤のような棘が生えた足が僕の頭を包み込み、後頭部や耳に引っかかる。
頭を振り回してそれを引き離そうとするが、全く外れる気配はない。
僕は反射的にアイロスを放り出し、両手で顔に張り付く虫を無理矢理引き離した。
相当力強く僕に張り付いていたのだろう、僕の視界が晴れるのと同時に、虫の足は根こそぎ引きちぎれ僕の頭の周りに残された。
そして、足が引き抜けた体から緑色の粘着く液体が吹き出し僕のマスクに付着した。
「うわあああ!」
「バカっ! 何やってんのよ!」
付着した液体がマスクの目の部分を溶かす。
沸騰したように気泡をいくつも生み出しながら飛び散る液体がゴーグルの強化ガラスを貫通し、ついには僕の目に飛び込んだ。
目が焼ける。ここまでいくつもの虫を踏みつけてきたが、毒なんてなかったはずだ。
だけどこの目の痛みはただ体液が着いたくらいで生じるものじゃない。
目の膜を無理矢理引き剥がされるような痛み。目玉が沸騰して自ら破裂しようとするような痛み。
「ラス! 立って! 頑張りなさい!」
痛い、痛い、痛い。
徐々に虫の毒液が涙腺を通って体の中に入っていくのを感じる。
「喉が! 喉が焼ける! 痛い!」
「ク……ソっ! ジーナ! ラスが毒を受けたわ! 何とか治療しなくちゃラスが死んじゃう!」
「し……死?」
それなら大丈夫だ。僕は死んでも元に戻れる。
その代償は僕の記憶だけど、目が見えなくなるよりはマシだ。
「だ、大丈夫です、セーレさん。僕、は。死んでも元に戻れます……自分を、守って」
「バカっ! 何言ってんのよ! 治せるもんは治したほうがいいに決まってるでしょ!」
「でも、そんな時間は……ありま……せ」
喉を滑っていく熱い何かが通り過ぎていく僕の食道を、臓器を焼いていくのがわかる。
呼吸がしづらくなっていく、意識が保てなくなっていく。
でも、目が見えないから今どれだけ混濁しているのかがわからない。
「……ナ! 下へ! ラス……わ!」
微かに聞こえたセーレの声。そして銃声。
次の瞬間、僕の体を何か冷たいものが撫でるように移動していくのを感じた。
そしてその冷たさとは別に、体の中が温かくなっていく。なんだかくすぐったいようなむずむずとする感覚。すると、不思議なことに空気の行き来が自由になる。
緊張して固まっていた体が緩んでいく。
「ラス! 大丈夫!?」
「その、声は……。ジーナ……さん?」
「そう! そうだよ! 大丈夫?」
「え、ええ。体はもう……何を、したんです?」
「ああっと。ちょっと体の中身を作り変えたんだ。……全部じゃないからラスはラスだと思うけど。ちゃんと自覚はある?」
「じ、自覚って……。たぶん、大丈夫ですよ。ぼくはぼくです、何も問題は感じませんよ」
「そう、なら良かったよ。ぶっちゃけ賭けだったんだ。記憶が失くなるのと人格が変わるののさ」
「ジーナあんた……。まあ、仕方なかったとはいえ、確かにあんたの能力は怖いわ……」
「でも、そんな危険を冒されるくらいなら一回死んだほうが良かったですよ」
「そ、そんなこと言うなよ君……。次に忘れるのが何かわからないんでしょ?」
「まあそうですけど……」
そう言って眉をしかめるジーナの表情がなんだかいつもより大人びているように感じる。
なんとなく思うのは、この大人びた雰囲気こそ現実でのジーナなのではないかということ。
アンダーワールドでは数億歳、現実ではどれくらいなのだろう。
ぼくは無意識に全員の顔を見ていた。
「ラス、あんた目が見えてるの?」
「え? そりゃ見えてますよ」
「……嘘でしょ」
「何がですか」
「あんたの左目、真っ白よ?」
そんなはずがない。
ぼくはそれを確かめるために右目の瞼を落とした。
暗闇だ。
両目を閉じたのと同じく、片目を閉じただけなのに辺りは暗闇に包まれている。痛みは感じないがきっと、ぼくの生身の左目は潰れてしまっている。
それじゃあなぜぼくはものがみえているんだ。
まるで今まで通りに見えている視界に違和感はない。片目が潰れたから右目が補助的に機能を取り戻したとでもいうのだろうか。
「よく、わかりませんが……今見えているのは右目です」
「み、右目? 心配かけないように嘘付いてるんじゃなくて? だって右目って使えないんじゃ……?」
「ええ、これまではそうだったんですけど……。でも今は」
「レジェンドアームズの効果かなあ……。ヤマトの体を守るように進化したみたいにアームズにはそもそもそういう補助機能みたいなものがあるのかも。っていってもそれもホルダのさじ加減なのかもしれないけど」
「それじゃあジーナさんにも?」
「どうだろ。ボクは君たちみたいな無茶しないし、そういう機能が発揮されたことは今まで一度もないよ」
「……まあ、見えてるならいいじゃない。そういうもんだってことでしょ。さあラスも無事だったことだし、先を進むわよ」
ぼくが無事だと安堵したからだろう、そう言ったセーレはどこか淡々としていて、冷たいとまでは言わないがもう少しぼくの状態に興味を持ってくれてもいいものだが。
少しばかりふてくされたような感情を抱きながら辺りを見回す。
いつの間にか違う階層に移動していたようだ。
部屋の周囲をぐるりと囲むように透明な窓がはめ込まれたアクアリウム空間。
しかし、窓の先は上層のあの場所と同じようにその先は暗く、何も見えず、まるで深海にでもいるかのようなそんな雰囲気を醸し出している。
「ジーナここに見覚えは? 他の階層とは違うみたいだけど……」
「……ある、ね。ここは見たまんまアクアリウムだよ。今は特に生物がいる様子はないけど……」
「あくありうむって何?」
「ああ、そっか知らないんだねセーレは。アクアリウムっていうのはー……そうだなあ、言ってみれば色んなモンスター、それも水棲のモンスターを大きな水槽に入れてそれらの生態を実際に目で見てみるっていう生きる標本箱みたいなものだよ」
「何それ意味あるの? よく、わからないんだけど」
「どうだろうね。本来はその道に通じてない人でもその道があることを知るとか、そういう新しい興味の道筋みたいな意味、それに実際水中に人は生き続けられないからそれを目の当たりにすることでの研究目的みないなのもあるんだろうけど……実際は。実際は娯楽、の意味合いが強いんだ」
「残念なことにね」とそう呟いたジーナ。
ぼくはその一言が妙に引っかかった。
まるで現代の地球のことを知っているかのように聞こえたからだ。宇宙の遠い星からきた彼女がなぜ現代の地球のことを知っているんだ。
ぼくはジーナを信用している、だからこそ彼女の言葉に嘘はないと信じていたが。
まだ隠しごとを、いや、隠しごとではなく嘘を付いている可能性がある。
それは宇宙人ではないということだろうか、それともきたばかりでアンダーワールドに落ちたということが嘘なのだろうか。
時系列的に考えれば後者が怪しいが、この際だ。聞いてしまうのが手っ取り早い。
「ジーナさん。なぜ、水族館が娯楽だと? それはジーナさんの故郷でもそうなんですか?」
「いや、ボクの故郷では水族館なんてないよ。水族館を娯楽としていたのは、海人の生活だよ……」
なるほどそういうこともある。
むしろなぜそう考えなかったのか、まるで人を信じていないようなそんな異様な感覚だ。
「結局、生に欲張る動物は他の生を軽んじることになるんだ。学問や研究なんて大層なことを言い訳に通信できない相手を食べ物か自分たちのものという解釈しか持てなくなる。環境に適応するためにしがみつく生と死を遠ざける意味での生では周囲に及ぼす影響が全く違うんだよ……。ボクはそれがすごく嫌だった。そもそも寿命が長いということもあるのだろうけれど、それでもボクは死を遠ざけようなんて考えない。受け入れることが格好いいなんて思わないけどさ……でも、死を遠ざけることで失われた生への目的と、そのために生み出された執着の答えは決して他者に求めるものなんかじゃないと思うよ……」
ジーナが「残念」と言ったのはそういう意味だったのだ。
もともと環境に適応することを生きる主体としていた海人が、死を恐れるあまりその主体を変貌させた。
その変化がジーナにとっては「残念」だったのだろう。
ぼくはどっちだ。
死にたくないとそう思うのが普通、つまり当たり前だと思っている。それは誰だってそうだ。
犬や猫、ライオンや象だって死なないように生きているし、死にそうになればそれに抗うじゃないか。
それを残念だと言うのであれば、ジーナはなぜ生きているんだろうか。
食物連鎖や弱肉強食の自然を否定するかのようなジーナの考えにぼくは納得することができない。
犬は人間の相棒で、普段の生活で触れることのできない動物を観察する機会は重要だし、檻という窮屈な空間であっても生きられるのであれば彼らにとっても喜ばしいことなはずだろう。それに人間は自分たちの食料になっていく動物たちの管理だってちゃんとしている。絶滅を気にしているし、環境保護のために植樹なんてことだってしているんだ。
ジーナは何もわかっていない。
それまで無意識に生きていきた海人が突如生きる場所を狭められて生きたいと願うのは当然じゃないか。
それなのに、それなのになんでジーナはそんなことを言うんだ。
「ちょっと……ラス、あんたなんて目、してんのよ……」
「……何がです」
「……ううん。なんでもないわ」
ぼくの何がおかしいっていうんだ。
わけのわからないことを呟いてぼくから目を逸らしたセーレは、どこか怯えたような表情をしていた。




