急変
両足に力を込め、僕はそれに頭から飛び込んだ。
今まで触ることすら考えなかったヤマトの光球。それに触れるか触れないかのぎりぎりの瞬間、光の布は波のように僕の脇をすり抜けていく。
ほんの一瞬の出来事だった。
細い管の中をすり抜けるどじょうとかそういう生き物の気分を味わったかと思うと、僕の体にとてつもない負荷がかかり、飛び抜けた先がどこなのかもわからないくらいのスピードで弾き飛ばされた。
不意に訪れた負荷は空気によるものだろう。それらは僕の体の至るところを押し付け、でも僕の体はヤマトの小宇宙から弾き出された反動で前へと進む。
すると、普段はほとんど感じることのない熱を感じ始めた。それがあまりにも久しい感覚だったので、本当はどれくらい熱いのかわからないが、今の僕に取っては灼熱に身を投じていると感じるほど痛い。
僕は声にならない声を漏らしながら速度が落ち着くのにひたすら耐える。
徐々に晴れていく視界、未だそこがどこなのかはわからないままだが、ふと上げた視線の先に大きな岩がみている。
危ないと思うのは当然だが、今の僕には何もできない。
僕は受け身を取ることもそれを防ぐこともできないまま頭からそれに突っ込んだ。
分厚く丈夫な頭蓋骨、それがまるで深い響きを鳴らし、その振動は僕の背骨を伝って全身に行き渡る。
本当は痛いはず、でもその衝撃が凄まじ過ぎたためそんなことを感じることすらできなかったのだ。
岩にぶつかったと思った瞬間から僕の意識は途絶えていた。そして次に目を開いた時、僕がまず感じたのは幾度目かのゴツゴツとした感触、そして熱い吐息だ。
「また、お前か……」
ダンジョンキーパーに抱かれながら僕はもはやこれに温かさを感じていた。
無感情で維持だけを目的として行動するこの化け物に。
もともとは海人と呼ばれていた頃のマーマン、意識のほとんどを失ってでも生き延びたいと願ったか弱く愚かな半魚人の成れの果て。
それなのに、なぜ僕はこれに愛情を感じるのだろうか。
僕が死にかけた、もとい死んだ時には必ずこうして抱き上げてくれるから。だからなのだろうか。
僕は朦朧とする意識の中、抱かれていることを気にせず体を起こす。
その時、ダンジョンキーパーは腰をかがめ、まるで僕を落とさないように気を付けているかのような行動を取った。
僕はそっと足から地面に着地する。
「お前どうして……」
そうして見上げたそのダンジョンキーパーの顔。
今まで見てきたダンジョンキーパーには無かった髪や髭がまばらにではあるが残っている。
この顔。
「ア、アイロ……スさん?」
「……あ……す」
「アイロスさん! どうして! その姿はなんで、動けないはずじゃ!」
「…………」
言葉を失っているわけではないのだ、ただ上手く喋れない、そういうことなのだろう。
アイロスは何か話そうとして口を開けているつもりなのだろうが、唇に僅かな隙間が開く程度だ。
「アイロスさん……」
「あ……す……、せ……れ……」
「セ、セーレさんですか? セーレさんなら……セーレさんは今ここに向かっていますよ」
「せ……せ……ん……」
「何です? ごめんなさい、上手く聞き取れなくて……」
「…………」
一体どういう気持ちなのだろうか。意識はしっかりしているのに体が言うことを利かないそれに感じるジレンマは全身を拘束されていることに近く心を動揺させているはず、それなのにそのリアクションすらできないのだ。
僕は自ずと歯を食いしばっていた。
本当は会えて嬉しいのに、それなのに僕は彼の顔を見ていることができない。
強く閉じた瞼から涙がこぼれ落ちる。
すると、アイロスは体を軋ませながら腕を伸ばし僕を抱いた。
「アイロスさん……、僕は」
ダメだ。今こんな状態でセーレに会ってしまったら僕は彼女を止めきれないかもしれない。
アイロスが動けるようになったとしても、それがアイロスでなくなってしまえば意味はないんだ。
とにかくそれをセーレに伝えて、アームズの使用だけは止めなくちゃならない。
「アイロスさん、ちょっと失礼します!」
これがなければ巨体のアイロスを持ち上げようなんて思わなかったし、できるはずもなかった。
でも、成長した今ならできる。
僕はアイロスを背負い、これから来るであろうセーレから彼を隠そうと思ったのだ。
こんな状態のアイロスを見たらきっと、彼女は完全に冷静さを失ってしまう。
勢いで行動してしまうセーレの悪い癖を知っているからこそそれを守らなければ。
背負ったアイロスは案の定軽い。軽いというよりかは特に重さを感じないといったほうがいいだろう。
僕はそうしてアイロスを背負ったまま巨大樹の森へと走る。
きっとセーレも僕と同じくアイロスが動いているなんて考えてやしないだろう。だとすれば彼女の目につかない場所に隠すというのは容易なことだ。
「アイロスさん……。その、セーレさんのことですが……。色々あって今セーレさんは錯乱しているんです、それでその、一旦アイロスさんには隠れていて貰いたいんです。いいですか?」
僕の問いかけにアイロスは声を発さなかったが、僕の首に回っているその腕がわずかに動くのを感じた。
森への入り口付近、行く先にあるそこら中にあるものと同じような大岩に何気なく視線を送り、僕は愕然とした。
そして、硬くなったアイロスを見なければこんなことに気付くことはできなかっただろうと思える。
今僕のすぐ側にある岩は、よく見れば不自然な亀裂があるのだ。それはまるで人が地に伏せ蹲るような形、人の腕や足を境目とするそんな亀裂だ。
思わず足を止め、アイロスを背に乗せたまま僕はそれを凝視する。
一度気付いてしまえばそれ以外に見えなくなる、ここにあるものが鉄骨人の成れの果てだと。
あっちにもこっちにもそっちにも。
そこらにある岩という岩が全て同じ格好で蹲る人型にしか見えない。
セーレはこれがなんだかわからないと言っていた、これはモンスターの悪戯だと言っていた。
違うじゃないか。
これらは全て、その全てが死んだ鉄骨人なんじゃないか。
そこで僕は思い出した。
風の果てへ行くまでの道のりにも、その他の場所にも同じような岩が転がっていたということを。
「あれもなのか……」
これは、僕の常識だ。
人は死んだらそれが火葬だろうが土葬だろうが関係なく僕ら地球上の人間は土に埋められる。
そしてそれは、地に返すという宗教的意味合いと地表は生者の住む場所だという住み分けだと思っていた。
だがここではどうだ。
死んだ人間は岩となり、土地の一部となっている。
もしかすると死んだ自分がそうなると知っている者はほとんどいないのではないのだろうか。
なにせ僕はここにきてからというもの墓参りないし、悼むという行為すら見たことがないのだから。
僕はこの状況をなんと思えばいいのだろう。
誰に送られることもなく、ただ動かなくなるとだけ知られ、その後無意識に岩となりに広い所へ向かう。
まるで死期を悟った野生動物のようにひっそりと。
鉄骨人類は見る限り人だ。地球上のそれとほとんど変わらず人のなりをしている。だからなのだろうか、この感情はただ同胞と錯覚して同情しているだけなのだろうか。
でも、そう感じる中にも違和感という形で一つ思うことができた。
僕もまた動物であり、野生だということ。そして死への虚しさだ。
だが、これこそが現実なんじゃないだろうか。
以前の僕の生活にはドラマが多すぎたんだ、マンガやテレビ、映画、なんでもドラマだ。
作られた情景そして象られた常識としての感情またそれに反するもの。
どれもこれもがオリジナルじゃない。どこかで聞いて誰かが見たものばかり。
人は人の真似をして成長する、いや、そうじゃない。何かを見て真似することで成長するのは人だけじゃない。人が成長するのはそもそもあるものを使っているからだ。
だから僕たちは誰かの感じたように誰かが起こした情景に決まった感情を抱き、善と悪の二つで周囲を判断するのだ。
そういう虚しさこそが自然的だ、死んだら何もなくなるなんてことはないんだ。なくそうとするために生者が勝手に努力しているだけで真実は死んでもそこにあるものなのかもしれない。
散らばる無数の岩を眺めているとなんとなくそんな複雑な事柄が頭を巡った。
それから僕はアイロスを巨大樹の根の間に座らせ、彼にそこから動かないよう伝え、掘っ立て小屋へとむかった。
セーレはまだ来ていないようだ。
僕は丸太を乗り越えて小屋の中へと入った。
壁に掛けられた物騒なものの数々、そして四脚の椅子。初めてここにきた時には二脚しかなかった椅子を足りないから二つ作り足したんだ。
「懐かしいな……」
まるで何年もここにきていなかったような感覚だ。外と同じく木の酸っぱい匂いがするだけなのに、満たされている空気が違うということが感じさせるものを変えるのだろうか。
腰を下ろした歪な椅子は今の僕には小さいみたいだ。尻が半分はみ出てしまっている。
手垢で滑らかになったテーブル。床にはあちこち鉄くずや木片が散らかったままだ。
ここで何度も食事をした、いくらも話をした、僕とスラストとアイロスとセーレの四人で。
「これがただの帰郷だったら良かったんだけどな……」
「ラス……、あんたどうやって」
不意に後ろから声がした。
「セーレさん……。なんか、懐かしくないですか?」
「アイロスは……。どこへやったの?」
「スラストも連れてきてやれば良かったなあ……」
「ラス! アイロスはどこ!?」
「……それは教えません」
「なんでよ! あんたもジーナも! なんでそんなこと言うのよ!」
「ダメなんですよ。それじゃ、アイロスさんは救えないんです……」
「できるわ! そう言ってたじゃない! 形を変えられるって! これを使えばアイロスを今より若くしてあげられるわ? そうすればまた昔みたいに……」
「無理なんですよ! それはただ形を変えるだけじゃない! それを使えば中身まで失くしてしまう、ジーナさんはそう言っていました!」
「……そう。でもいいわ。アイロスが全てなくしてもまた! また一緒に暮らしてまた同じように笑えるようになればいいじゃない!」
「何を……! そんなのアイロスさんじゃないじゃないですか! そんなの知らない人ですよ!」
「あんたに何がわかるっていうのよ! 突然現れて、少しばかりあの人と一緒にいただけだからそんな簡単に諦めろなんて言えるのよ!」
「違う! 僕は諦めろなんて言っていない! まだ時間はあります、また別の方法を考えましょうよ……」
「もう! 時間がないのよ!」
「あります!」
「ない!」
「あるんです! 僕はついさっき、アイロスさんと会いました。そして声を聞きました。アイロスさんはまだ歩けるんです! だからまだ……」
「私はもう待てないのよ! 本当は……! 本当は諦めようとしていた、アイロスの死を受け入れようとしていた。でも、でもあんたたち他からきた連中が! 助かる方法があるって言ったんじゃない! 諦めようとした私を奮い立たせたんじゃない!」
「そ、それは……」
「あんたたちのせいよ! ここの常識も文化も受け入れきれないあんたたちが、あんたたちが私に希望を持たせて壊した! 言ったならやりなさい! 間に合わないとか失敗とかそんなの許さない!」
セーレの言うことももっともなんだ。
僕は姿形をこの世界の住人に似せただけのまがい物、常識も文化も受け入れきれていない。
そんな僕が僕の世界の常識を持ちだしたから、セーレを混乱させてしまったんだ。
「ご、ごめんなさい……。僕が、勝手なことを言ったから……」
「誤って! 許されるのは! あんたの世界の常識でしょ! ふざけないで!」
「ごめなさい! 本当に、僕はただ……ただ一緒に……」
「うるさい! アイロスを返して!」
「できません!」
「だったらいいわ……。私はここの住人、ここのやり方でやらせてもらう!」
するとセーレは、握りしめていたレジェンドアームズにかぶり付いた。
「セーレさん!」
セーレがそれに歯を立てた瞬間、レジェンドアームズは激しく発光しその光の中心から幾つもの欠片が吹き飛んだ。
吹き飛ばされた白い欠片はきっとあれの露出した中身だろう。それらは弾けても遠くへ飛んで行くことはなく、セーレを囲むようにして一瞬空中で止まったかと思うと、それぞれが輝きながら再びセーレの体へと戻っていった。
光輝きながら破片の一つ一つがセーレに纏わり付いていくと、セーレを丸ごと青白く光らせる。
光が徐々に収まっていく。
「セーレ……さん」
「これが、あんたたちの武器なのね……」
そう言って自分の体を確かめるように両手をかざすセーレの姿は、まるで青白い輝きのパールを纏ったようだ。
「ラス、もう一度聞くわ。アイロスはどこ?」
「…………」
「……言わないのね。だったらいいわ! 力づくで聞き出すまでよ!」
叫んだセーレが僕に襲い掛かってくる。
足音も風音も何も聞こえない。そして、滑るようにして僕に突進してきたセーレは僕を殴りつけた。
避ける気になれば避けられただろう。
でも僕はその一撃を避けなかった。
全く力加減をされていない拳は僕の予想を遥かに超えて強烈、しかし僕だってレジェンドアームズを纏っている。本来なら首の一本はイッてしまうような威力でもはたから見ればただ殴られたようにしか見えないだろう。
「さあ! 言いなさい! アイロスはどこなの!」
「……言いませんよ」
次はみぞおちに膝蹴り。まだ、大丈夫だ。
体を起こす間もなく頭を叩きつけられる。まだ、大丈夫。
そうして地面に伏せった僕の体を脇から蹴り上げる。大丈夫。
蹴られる、蹴られる、殴られる、踏まれる。
まだまだ、大丈夫だ。
「あんた、バカにしてるの? そうやって黙って殴られていれば私の気が収まると思っているの!?」
仰向けに倒れている僕の顔を見下ろしながらそう言ったセーレは、まるでその興奮を抑えようとしていない。子供のように足を床に叩きつけ、そこに大きな穴を開けた。
「だから、言いませんって……。だって、そうしたらセーレさんはきっと後悔します」
「だから言ってんでしょ! 私はアイロスが元に戻ったら上手くやるってさ!」
「無理ですよ! そんなことしたって、絶対にその違和感は拭えない!」
「うるさい!」
セーレは僕の頭を掴み、僕を持ち上げると、そのまま振り回してぶん投げた。
壁を突き破り外へと放り出される僕。
さすがは鉄骨人の体だ、あれだけ殴られても骨折は愚か打撲すらしていない。
「セーレさん、どうすれば僕の話を聞いてくれるんですか」
僕は立ち上がり、体中に付いた土埃を払い落としながらセーレを見やる。
しかし、セーレは僕の方を見ておらず、仁王立ちのままずっと遠くを見つめているようにみえる。
「セーレさん……?」
「ア、ア、ア……」
セーレが呟くようにそう声を漏らすと、どこか彷徨うようにもたつく足運びで前へ進み始めた。
「まずい! セーレさん! ダメです! 僕の話を聞いて!」
僕は、もたつく足から一点、地面を強く踏みしめ吹っ飛ぶように前方に加速したセーレに体当りする。
「離して! あそこにあの人が! 助けてあげなきゃ! 私が、私が……!」
「ダメです! セーレさん落ち着いて!」
「アイロス! 私よ! 今、今助けてあげるから! どけっ!」
セーレが脇腹にしがみつく僕を振り放そうと頭だろうが腕だろうがお構いなしに殴りつけてくる。
殴られてブレる視界の中、遠く目を凝らすと動かないようにと伝えたはずのアイロスが重々しい足取りで向かってきているのが見えた。
しかし、こうなってしまっては仕方ない。いつまでも受け身でいては起こることが起きてしまうかもしれないのだ。
「セーレさん、ごめんなさい!」
僕は右腕に力を込め、セーレを締め上げる。
「がっ、す!」
突然加わった力にセーレが怯み、動きが鈍くなったのを確認した僕はそのままセーレを抱えて立ち上がっった依然締め付ける力を弱めようとしない僕の体中を必死になって殴ったり叩いたりしてセーレが暴れている。
「もう! いい加減に! ……なんだ!?」
暴れるセーレを押さえつけるのに必死になっていたその時、足元をふらつかせる程の大きな揺れを感じた。
怯んだ僕の腕からセーレがすり抜ける。
「ラス! あんた! なん!」
セーレもこの異常な揺れに気付いたようだ。
興奮してはいるものの、足場がおぼつかないために今は少し落ち着いたように見える。
しかしそれは僕も同じだ。
突如として起きたとてつもない振動とそして鼓動を打ち消すような強烈な重低音。
まさしく空気を変えたその衝撃の正体はなんなのか。




