表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/49

移動

 鐘の音が一度鳴る度に、僕は内側から一つずつ霧散していく。

 そうして頭の奥で鳴り響く鐘の音が幾度も鳴る内、僕はついに何もなくなってしまった。

 あくまでそういう感覚、という話だけれど。

 目をつむったままの僕は今自分がどうなっているのかはわからない。

 こうやって考えている僕もこれが本当に僕だといえるのかすら自信がなくなる。でも、とても心地良い。

 そんな音色だ。

 ベッドに横になってまどろむあの幸福感に似ているかもしれない。

 そういう薄く白く濁った世界を感じながら、暗闇を忘れて漠然とした何かと一つに交じり合った頃。

 再び胸のダイヤルがガラスの音を鳴らした。

 次の瞬間には僕は僕であり、足元にも平らな地面の感触を取り戻していた。

 もう開いてもいいだろう。

 そっと目を開くと、そこはヤドカリの中、大きなモニターのあるあの研究室兼ジーナのベッドルームだった。

 なぜここに。

 まだうっすらと濁ったままの視界には誰もいない。

 ここが僕の知っているヤドカリの中なのだとすれば、セーレとジーナがいるはずなのに。

 辺りを見回しても人の気配を感じない見慣れた空間、そんな不思議な雰囲気の中、二人を探そうと僕は一歩を踏み出した。


「……花林ってこと」

「え?」

「何よ……」


 セーレがいる。しかも僕のすぐそばに。

 いつの間にいたのか、いや、その疑問はおかしい。

 まるで何かの途中に僕が割り込んだような感覚だ。


「見てごらんなさい。霧が濃いのか性質が違うのかはわからないけど、モニターの映りが悪いでしょ」


 そう言われてモニターに視線を移すと、薄い布を被されたように周囲がよく見えなくなっている。

 セーレがそばにいて、映りの悪いモニターを眺めているというこの状況、僕は見覚えがある。


「そんな、まさか……」

「全くよ……。だから私たちも一旦ここまできて降りることもできなくてさ。とんぼ返りよ。それからずっとあんたたちを待ちぼうけ……。退屈ったらなかったんだから」

「え、ええ」

「……なんかあんたおかしくない?」

「え? な、何がです?」

「何がって言われてもよくわかんないけど。態度がよ、態度が。なんかこう……雰囲気も違うわよ?」


 態度はわかるが、雰囲気は一緒だろう。

 だが、セーレを含めてこの状況は明らかに不自然だ。そういう意味では僕の方こそそう言ってやりたい。

 この違和感から察するに、開放された僕の能力は地下深くから一瞬で移動する瞬間移動的な能力ではないということだけはわかる。

 中途半端に始まった会話、それに見覚えのある状況、これはもしかすると。


「タイムスリップか……」

「は? あんた何急にわけわかんないことを」

「……そうだ! セーレさん! スラストは!」

「スラスト? 隣の部屋で本読んでるわよ」


 僕はそう聞いて直ぐ様隣の部屋へと向かう。

 すると、そこではソファに腰掛けてジーナの分厚い本を読むスラストの姿があった。


「良かった……」

「どうしたの? お父さん」

「いや、なんでもないよ……」


 悪い夢でも見ていたかのようだ。

 未来を見ておいてこう考えるのもおかしいが、僕にはスラストが行方不明になってしまうという覚えがある。

 でも、なぜいなくなったのかはわからなくて、僕は慌てて外に探しに出るはずだったんだ。

 いや、違う。そうじゃない。

 スラストはルルディアからここにくるまでの間ずっとここで本を読んでいただろう。

 僕は何を考えているんだ。


「お父さん? 大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫……」


 時間を逆行したことで僕はエタニリウムの根からここまで出てきたのだとしても、何かがおかしい。

 これはそう、まるで記憶が二つあるみたいな感覚だ。

 未来を見た上で過去を思い返すという行為が僕の記憶を混乱させているのだろうか。

 だが、僕はちゃんと未来で見たきたことを思い返すこともできる。

 アンダーワールドの真実、そしてサミィのこと、それからホルダと地球上の破滅の映像のことだってしっかり思い出せるんだ。

 でも、今僕の頭の中では二つの大きな流れが同時に流れているのを感じる。

 どちらかがここに来るまでの僕で、もう一方がここに来てからの僕が起こすべき流れで。

 駄目だ、頭が割れそうだ。

 何が起きているんだ、何が真実なんだ、何がどうなっているんだ。


「お父さん!」

「どうしたの!? っとあれ?」

「おばあちゃん! お父さんが急に……!」

「ラス! しっかりしなさい! ラス! ……ス!」


 二人の声が遠ざかっていく。

 僕はまたどこかへ行ってしまうのだろうか。

 だけど、今見えているのはさっきの白濁の世界じゃなく、何もないただの黒の世界だ。

 僕が僕すらも感じることができないほどの暗闇。

 誰かに触れられている感触も、声も、何も感じない。


 オボロェグエエエ……


「ヤバいわ! ジーナ! 早くきてっ! ラスがおかしいのよ!」


 音が、戻ってきた。慌てるセーレの声が聞こえる。

 蹲る僕の背中を擦っているのは、それもセーレか。歪になった硬い手の平を感じる。

 スラストは、スラストはいるのか。

 僕は霞む視界の中で娘の姿を探した。


「ス、スラス……ト」

「お父さん!」


 ああ、この冷たい感触は間違いない。あの子だ、ちゃんと僕のそばにいる。


「よか……った。スラスト……」

「ちょっとあんた、大丈夫? いきなり吐いたりして……。どこか怪我してるの?」

「だ、大丈夫です。すいませんでした」

「いや、あんた少し休みなよ。なんかおかしいって」

「ラス、どうしたの?」

「ジーナ。突然ゲロゲロよ。たまに吐くことはあったけど、今回のは何か違うのよね……」

「……うーん。よくわからないけど、とりあえず休ませよっかね。治療室まで歩ける?」

「もう大丈夫ですよ……」

「そんなこと言って、調子悪そうじゃない。で、チリョウシツってどこ?」

「え? ああ。こっちだよ……」


 僕はセーレに肩を借りてゆっくりと立ち上がる。

 今更セーレが治療室を知らないということを気にすまい。


「ところで、ヤマトさんは……」

「ヤマト? さあ、どこだろ……知らないわね」

「あの、中にはいるんですよね?」

「え? そりゃあいるでしょ。……あんた、本当に大丈夫?」

「ラス、あんまり話さない方がいいよ。まだ体調が整ってないでしょ?」


 ジーナに制されて僕は喋るのを止めた。

 確かに僕の体調は最悪だ。未だに頭が痛むし、体の半分だけ異様に寒気を感じている。

 突然容量を越えるほどの情報を得たことでパンクしたんだろう。

 自分自身ではそういう事柄にもっと適応力があると思っていたが、自己分析なんてたかが知れている。

 アンダーワールドに落ちてから今まで、あの始まりの時よりもずっとこの世界にも体にも馴染んでいるはずなのに、それなのに僕は自分の体のことも把握できていない。

 これは僕の体だろう。

 それなのに、まるでそれを拒むような何かが働いているような、気味の悪い感覚が体内を渦巻いている。

 僕はどうしてしまったんだ。


「さ、ラス。ここに横になって」

「ありがとうございます」


 連れて来られた部屋には、治療室らしくベッドと三つの棚が置いてある。

 その保健室のような部屋、僕が横になっているベッドを仕切っているカーテンの隙間から一台のカプセルが横たわっているのが覗き見えた。


「さ、セーレとスラちゃんは出てってねー」

「なんでよ。いいでしょ別に」

「ダメだよ! 今から全身調べるんだから」

「今更気にしないわよ。ラスの裸なんて」

「ちょ、ちょっとセーレさん! 僕は気になりますから。勘弁してくださいよ」

「なーによ、色気づいちゃってさ。私もチリョウってのが見てみたかったのに……」

「セーレにもやってるじゃないか。注射でチクチクしてるでしょ?」

「は? あれがそうなの? タトゥーのがよっぽど刺激的よ」

「まあまあいいからさ。とにかく出てきなよ」

「ちぇっ。つまんないなー」


 セーレはブツブツ言いながらスラストを連れて外へと出て行った。

 二人きりになる。

 かといってこの方法は多少強引な感じは否めないが、ジーナはもしかすると僕が何か知っていることに気付いるのかもしれない。

 僕は横になったままセーレとスラストが近くにいないことを確認するように扉に耳を貼り付けているジーナを見つめた。


「サミィ……なんですよね」


 僕が藪から棒にそう言うと、ジーナは慌てる様子もなく僕を一瞬見つめて笑みを浮かべた。


「なるほどね。やっぱ知っちゃったか……」

「なぜ、言ってくれなかったんです?」

「……ラスはあそこに戻りたいと今でも思う?」

「それは……」

「やっぱりね。ボクも同じだよ、ボクもあそこにはもう戻らないって決めたんだ。だからアームズも捨てて、過去も捨てたんだ。もう……関係ないんだよ、ボクにはさ」


 呟くようにそう言ったジーナの表情は言っていることとは正反対に悲しげだ。


「ジーナさん……は。全部知っているんですよね……」

「ラス。君はそれを聞いてどうするんだい? ボクを説得してあそこに戻れって言うつもり?」

「いや、そんなことは……」

「じゃあ、ただの好奇心だね。言っちゃ悪いけど、ボクはラスの気を晴らすために自分を語るつもりはないんだよ。ごめんね」

「…………」


 全くもって正論だとしか言いようがない。

 僕はなぜジーナの過去を気にする必要がある。

 それは彼女の言う通りただの好奇心なのかもしれない、そう思うと僕はもう何も聞けなくなってしまった。


「……ラス。ボクはこの世界が好きなんだ。色々調べて、考えて、そしてこの世界が神の予測域にあるということを知った。だけど、それでもボクはここに満足しているんだよ。ラスはどう?」

「僕も……僕もここが好きです。僕ももうあそこには戻りたくない……」

「実はさ、花の卵の在処が花林だってわかった時点でこうなるような気がしてたんだ。結局はそれも神の予測の内なのかもしれないけどさ……」

「そ、そんなことは……」

「あるんだよ、ラス。……そうだな、結局ボクはこれを喋ってしまうんだ。そうしなければ時系列が成り立たなくなるからどうしたって」

「あの、どういう」

「いいかいラス。ホルダがボクを一旦ここから追い出したのは間違いなく、ボクの入れ物がサミィだったからだよ。たぶん君も知っているだろ? サミィは死んでいたんだ。でも、それが問題だったんじゃない。……ボクたちがここに落とされる時記憶を一つ失っていること。それが問題だったんだ」

「記憶を一つ? どういうことです?」

「ボクもサミィの体じゃなければ気が付かなかったと思う。でも、そのおかげでわかったことがあるんだよ」


 そう言うとジーナは小さく息を漏らし、僕の目を真っ直ぐ見つめ直した。


「ボクらが故意に奪われた記憶っていうのは……」

「ラスっ! 無事か!」

「ヤ、ヤマトさん……」


 ヤマトが部屋へ飛び込んできた瞬間、ジーナは僕から目を逸らした。


「セーレから聞いたぞ。また、吐いたんだな……。しかも今度は少しおかしかったということだが」

「え、ええ。こっちに戻ってきてすぐだったからなんだか混乱しちゃって。でも、もう大丈夫です」

「こっちに……? よくわからないが、無事なら良かった」


 そうか、僕の能力がタイムスリップだということはまだ誰も知らないんだ。

 でも、それをどう説明すればいいのか。どこから説明すればいいのだろうか。


「えっと、あの僕……」

「ヤマト、ラスは今安静にしてたほうがいいんだ。だからごめんだけど……」

「ああ、わかっている。ラス、無理はするな。時間ならまだあるはずだ、落ち着いて行こう」

「ありがとうございます。ヤマトさん」


 僕がそう言うと、ヤマトは背を向けたまま立てた二本指を振って部屋から出て行った。


「あの、ジーナさん……」

「さて、これからが大変だよ。ラス。君は自分が未来からきたことに始まり、サミィのことも説明しなくちゃいけないよね。どうする?」

「……サミィのことは、話さない方がいいですよね」

「さあ? それは君が決めなよ。ボクはどっちでもいいよ。どうせ捨てた過去のことだしね」

「そ、そうですか……って! なんで未来からきたってわかるんですか!?」

「なんでって、それしか考えられないじゃないか。時々ラスが吐くのは知ってた、けど鉄骨人の体を持っていて体調不良なんて毒以外あり得ないんだよ。だとすればラスが吐くのは不調和だろうと思ってさ」

「不調和? ど、どういうことですか?」

「そのまんまだってば。ラスの体と意識、それが合っていないからバランスが崩れて拒絶反応が起きていたんだよ。マーマンから抽出した意識を別の体に移す実験の時にそういう現象がよく起きたんだ、でも、ラスの意識を抽出してはいないし移し替えてもいない。それなのに体と意識が不調和を起こすんだとすればそれは、どこからかやってきて突然入ったんじゃないかって、そう考えたんだ」

「え、と。あの意味がわからないんですけど……」

「え? うーん、どう言えばいいのか……。時の存在するあそこならそんな不調和は時間層の違いってことで処理されるんだろうけれど、ここは違う。アンダーワールドは神の予測域にして一瞬の世界、時系列を無視した一層のみの世界なんだ。だから同時に存在することのできない純粋な存在であるラスは一度過ぎたはずの場所から元に戻る時に、本来時間層にある定点、つまりラス自身と物理的にではない方法で移動してきたラスとの間に物理的なズレが生じて君は混乱、不調和を起こして吐いていたんだ。……わかる?」


 わかりません。


「えーと。例えば、机の上に二つのコップがあるね。その片方にだけ水が入っている。でもコップは二つあるよね?」

「はい」

「うん。その水が入っている方が今のラスだよ。そしてもう一つは別の時間層にあるまだ中身のない物理的な存在だけのラス。ここまでは?」

「わかります」

「よしよし。仮に地球上をボクらの現実とすると、そこには時間層が幾つも存在するんだ。その層っていうのはここでいうテーブルで、本来テーブル一つにつきコップは一つしかあり得ない。どう?」

「だ、大丈夫です」

「じゃあ、コップの中身を移動させるにはどうすればいいと思う?」

「そ、それは別のコップに入れ替えればいいんじゃないですか?」

「そう。それが本来の時の移動だよ。ボクらの現実では空のコップが幾つも用意されているから中身の移動も簡単なんだ。だけど、アンダーワールドは一層の世界。だからテーブルもコップも一つしかないね」

「そうですね」

「そのテーブルの上をスライドする水の入ったコップがボクたちの物理的な移動ってやつ。だから一度テーブルの端まで行ったら戻るには元きた道ないし、反対側までスライドさせる必要がある。そうでしょ?」

「はい、そうです……」

「でも、ラスは一旦端っこまで行ったにも関わらず、コップを持ち上げてその中身を反対側の端にぶちまけたんだ、受けるコップがないのにね。しかしだ、中身を出したコップをテーブルのどこかに置かなければいけない。そこでラスはぶちまけた水がテーブル着くぎりぎりのところで瞬時に手に持ったコップでそれを受けようとした。でもでも、ぶちまけた水の全てをすくい取るのは当然無理。結局コップの縁にあたって吹っ飛んでいったり、中身もその勢いで漏れてしまったりでラスは少し失われる。それが不調和だよ。本当はいっぱいに入っているはずのものが失くなっている。そういう矛盾というか違和感でラスは体調を崩していたんだと思う」

「な、なるほど」


 能力を使うと記憶が失われる、今の説明がそうだとすればその理由もわかる。

 対価ではなく代償というのにも納得だ。

 だけど、今の説明に不十分な点がある。


「でも、ジーナさん。僕が吐いたのは一度じゃないですよ?」

「うん。そうだね」

「一度の移動で吐くのは一度じゃないんですか? だとしたら僕は今までに数回移動したってことになるはずですよ」

「ううん。違うよ。さっきも言ったでしょ? ここは一層の世界、一瞬の世界だって。ラスは移動しているけど、ここにいるラスは一瞬のラスだよ。だからここでは一人が吐けば皆が吐く。ラス自身は移動したという自覚があるからわかりづらいのかもしれないけれど、アンダーワールドには常に一人のラスだけしかいられないのさ」

「なるほど、そういうことですか……」


 そういうことなのだそうだ。

 実際何がなんだかわからなくなってしまいそうだった。だからもう、終わりにしよう。

  

 

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ