第三章 中継拠点
季節は移り、街道沿いの楓に似た木が赤く染まった頃、配島は王都ヴェルディンに初めて足を踏み入れた。
城壁は土と石を積み重ねた頑丈なもので、高さは大型のトラックを縦に二台積み上げたほどあった。城門は朝の六時に開き、日没で閉まる。物資の搬入はその間に済ませなければならない。
配島はホレス商隊の先頭の荷馬車に乗っていた。御者台の隣で、街道の最後の二キロを、彼は何度も振り返って数えた。
「ガリクさん、城門までの渋滞、ひどいですね」
「いつものことだ。市が立つ日は朝から馬車が三十台並ぶ」
「それで、商隊の到着が予定より半日ずれる、と」
「ずれる。だがこれはどうしようもない」
配島は黙って、城門の方を見た。
城門の手前の広場は、想像以上に、雑然としていた。
馬車の脇で、御者たちが鎧の衛兵に話しかけ、荷札の写しを見せていた。衛兵は荷札と荷物を一個ずつ突き合わせ、額に汗を浮かべながら、印を押していく。
その脇では、商人らしき男たちが、しびれを切らして地面に座り込み、革袋から硬いパンを取り出してかじっていた。馬は地面に頭を下げ、蹄の脇のぬかるみを舐めていた。
配島の目は、無意識に、その光景の「無駄」を、数え始めていた。
検査待ちの間に、御者と馬が消費する時間。一日の労働時間の中で、純粋に「動いている」時間の比率。荷の積み下ろしの回数。地面に降ろされた荷が、土と水で汚れていく頻度。
彼がカウントを始めて十分も経たないうちに、自分の頭の中で、一つの数字が、はっきりと、形を取った。
午前中の有効稼働率、四割強。
半分以上の時間が、ただの「待ち」と「やり直し」に、消えていた。
配島はその数字を、手元の小さな羊皮紙の切れ端に、書き留めた。隣でガリクが、その動きを、横目で、見ていた。
「お前さん、その紙切れに、何を書いてる」
「無駄の量を、書きました」
「無駄、って、何の無駄だ」
「みんなが、待っている時間の量です」
ガリクは、しばらく、配島の顔を見て、それから、息を吐いた。
「お前さん、いつも、そういう数え方を、するのか」
「自分の故郷では、これを数えないと、仕事が、もらえません」
「気の毒な故郷だな」
「……そうかもしれません」
配島はその「気の毒な故郷」という言葉を、しばらく、噛んだ。
城門での検査が、すべての商隊の動きを律速している。だが城門を増やすことは王の許可がいる。簡単にはできない。
ならば、城門をボトルネックから外す方法を考えるしかない。
配島の頭の中で、また、いつもの計算が始まった。
検査の所要時間。城門を通過する馬車の数。一日の搬入量の上限。
彼は呟いた。
「ボトルネックは、城門だな」
「何だ、ぼ、ぼと、何だって」
「すみません、独り言です」
ガリクは怪訝な顔をした。
配島はその独り言の中身を、頭の中で組み立て直した。
商隊が、ようやく城門を通過したのは、夕方近くだった。
城門の中は、外の雑然とした空気とは、別世界だった。
石畳の大通りがまっすぐ王宮の方へ伸び、両側には三階建ての石造りの建物が並んでいた。一階は商店、二階以上は住居になっているらしい。看板代わりに細長い木の板が、扉の上に下げられていた。職人や商売の種類が、木の板の絵で示されていた。
大通りの脇には、細い水路が通っていた。水路には、緑がかった半透明のスライムのような生物が、ゆっくりと流れていた。配島はそれを見て、思わず立ち止まった。
「ガリクさん、これは」
「浄化スライムだ。王都の水路は、こいつらが、汚れを食ってくれる。ヴェルディンが他の王都より清潔なのは、こいつのおかげだ」
「すごいですね」
「すごくない。普通だ。お前さんの故郷には、これがないのか」
「ありません。代わりに、別の仕組みで、水を、きれいにしています」
ガリクは、もう驚かなかった。配島の故郷の話には、いちいち驚かないことに、決めたようだった。
配島が宿の門をくぐった時には、すでに、空に最初の星が出ていた。
その夜、王都の郊外の宿で、配島はミレナの部屋を訪ねた。
ミレナは机の上に羊皮紙を広げ、隊商の収支を計算している最中だった。
「ハイジマ。何の用」
「ミレナさん。ご相談です」
配島は息を整えた。それから、頭の中で組み立てた案を、口に出した。
「王都の中まで、商隊の馬車が全部入る必要は、ないんじゃないかと思うんです」
「どういう意味」
「城門の手前に、中継の拠点を作るんです。地方から来た馬車は、城門の外側でいったん荷を降ろす。降ろした荷は、王都の中の運び屋が、小型の馬車や手押し車で、それぞれの納品先まで運ぶ」
ミレナの羽根ペンが止まった。
「商隊が、城門の中に入らない、ということ」
「商隊は、外側の中継拠点までで仕事を終えます。中の配達は、別の業者がやる。そうすれば、商隊は城門の検査待ちで足止めされない。次の街への出発も早くなる」
「中の配達は、誰がやるの」
「それを、これから組織します」
ミレナは羽根ペンを置いた。
「ホレス殿に話した?」
「まだです。最初に、ミレナさんに聞いてもらいたくて」
「なぜ私に」
配島は少しだけ言葉を選んだ。
「ミレナさんが、いちばん、計算が速いからです」
ミレナは小さく息を吐いた。それは笑いに似た音だったが、笑いではなかった。
「いいわ、ハイジマ。私の前で、計算してみせて」
配島は手元の羊皮紙に、城門通過の所要時間と、商隊の往復回数の試算を書き出した。
中継拠点を設けた場合の節約時間。中継拠点に必要な人員数。中の配達を担う「運び手」を雇う場合の人件費。
計算が終わった時、ミレナは深く頷いた。
「数字としては、成立するわ。でも、二つ問題がある」
「教えてください」
「一つ。中継拠点の土地を、誰の許可で使うのか。王都の城外も、王の領地よ。勝手に小屋を建てれば違法になる」
「……はい」
「二つ。中の配達を担う『運び手』を、どこから集めるのか。王都の運送組合は、よそ者を入れない」
配島は二つの指摘を、紙の余白に書き留めた。
一つ目は、彼に解決の道はなかった。だが二つ目には、心当たりがあった。
「運び手は、組合に加入してない人を雇います」
「未加入の人」
「王都にいる、未亡人や、戦争で身体の一部を失った退役兵。それから、孤児院で行き場のない若い人たち。馬車を運転する免許も、組合の資格もいらない仕事として組み立てれば、彼らに任せられます」
ミレナは長く配島の顔を見つめた。
「それを、あなたが思いついたの」
「自分の故郷で、似た仕組みがありました」
「あなたの故郷では、未亡人や退役兵が、配達を担うの」
「主婦や、定年退職した方や、学生が担います。免許の要らない、台車や自転車での配達を任されています」
ミレナは黙って羽根ペンを取った。
それから何かを思いついたように、視線を上げた。
「ハイジマ。あなた、私の家のことを、知っている?」
「カルディア家、ということしか」
「私の母が、戦争で夫を亡くした女性たちの互助会を作っていたわ。父が領地を失ってから、その会も解散した。でも、名簿は私の手元にある。彼女たちはみんな、王都の貧民街で、針仕事や洗濯で食いつないでいる」
「……それは」
「私が話を持っていけば、聞いてくれるかもしれない。中継拠点の土地は、私が王宮に頼んでみる。第三王女エリザ様は、私の家の姉のような方なの」
配島は、しばらく言葉を失った。
ミレナは、配島の前ではいつも観察家の顔をしていた。だが今、彼女の目は、別の何かを宿していた。彼女自身の目的を、彼女自身の言葉で、語っていた。
「ミレナさん」
「何」
「自分は、ただ仕事を作りたいだけだったんです。でも、ミレナさんがそこまで動いてくださると、自分の手の届かないところで、たくさんの人が動くことになります」
「それでいいんでしょう」
ミレナは羽根ペンを置き、立ち上がった。
「あなたは、もう、ハイジマ・トオル一人の仕事をしていない。あなたが立てた仕組みが、人を動かすの。自分の仕事が、誰でもできる、と思っていたあなたが、ここまで来た。それで、いいの」
配島は答えなかった。
答えられなかった。
ミレナは部屋の出口まで歩き、扉に手をかけた。
「明日、ホレス殿に話しましょう。それまでに、運び手の組織図を作っておいて」
「はい」
扉の閉まる音がした。
配島は机の前に座り、羊皮紙の余白に「組織図」と書いた。
その下に、四つの役割を書き出した。
集荷係。仕分け係。配達係。事務係。
彼は四つの役割の下に、自分の知る限りの最小単位の人数と動線を書き加えた。気づいた時には、夜が深く、宿の階下から酔った歌声が聞こえてきていた。
翌々日の午後、配島はミレナに連れられて、王都の南西、貧民街の入り口にある、古い集会所を訪ねた。
集会所は、木造の平屋だった。屋根の油布は、何度も継ぎ接ぎされていて、雨が降れば、中で水を受ける桶が必要そうだった。
集会所の中には、十二人の女性が、長椅子に座って、配島たちを待っていた。
全員、黒っぽい喪服に近い服を着ていた。年齢は二十代から五十代まで。みな、痩せていて、頬がこけていた。だが目だけは、鋭かった。
ミレナが、最初に立ち上がり、礼をした。
「皆さん。お忙しいところ、ありがとうございます。私は、ミレナ・カルディアです」
「カルディア家の、ミレナ嬢」
最年長の女性が、低い声で答えた。彼女は白髪交じりの、五十代の女性だった。
「私は、ハンナ・ヴェルムです。あなたのお母様には、ずいぶん、お世話になりました」
「母のことを、覚えていてくださるんですね」
「忘れるわけが、ありません」
ハンナはそう言って、席に座り直した。
ミレナは、配島を、紹介した。
「こちらは、ハイジマ・トオル。ホレス商隊の運用係です。皆さんに、お仕事の話を、持ってまいりました」
配島は、十二人の女性の前で、深く、頭を下げた。
頭を下げてから、彼は、ようやく、口を、開いた。
「自分の名は、ハイジマ・トオルと申します。本日、お時間を、いただき、ありがとうございます」
女性たちは、戸惑った顔をした。
配島が、彼女たちに向かって、深々と頭を下げたことが、戸惑いの原因らしかった。
配島は、その戸惑いを、見ていた。
彼は、自分の用意してきた説明を、できるだけ、簡単な言葉で、話した。
城門の手前に中継拠点を作る計画。中の配達を王都の中の人に任せたいこと。配達の仕事は馬車を運転する免許も組合の資格もいらないこと。手押し車と荷札と、住所を読む力さえあればできること。
給金は、最初の月、銀貨二枚。働きを見て上げる。
「銀貨二枚」
ハンナが、繰り返した。
「私たちが、針仕事と洗濯で、月に稼ぐ平均の、四倍です」
「……四倍」
「これは、施しじゃ、ありません」
配島は、はっきりと、答えた。
「これは、皆さんが、皆さんの仕事として、稼ぐお金です」
集会所が、しばらく、静かになった。
最年少らしき、二十代の女性が、震える声で、口を開いた。
「私は、マリア・コーレンと申します。夫を、二年前に、北の戦争で、亡くしました。子どもは、おりません」
「マリアさん」
「私は、字が、読めます。荷札の住所も、読めます。ただ、私には、夫の遺族年金を、王宮に申請する書類を、書く力が、ありません。書類を書ければ、生きていけました。書けなかったので、今、私は、ここに、います」
配島は、深く、頷いた。
「マリアさんは、すでに、字が読めるんですね」
「はい」
「それで、十分です。配達の仕事に、書類は、いりません。荷札と、住所と、人の顔さえ、覚えれば、できます」
マリアは、唇を、引き結んだ。
彼女は、立ち上がった。
「私を、雇ってください」
「ありがとうございます」
配島は、もう一度、深く、頭を下げた。
マリアの隣で、もう一人の女性が、立ち上がった。それから、もう一人。
最後には、十二人全員が、立ち上がっていた。
集会所を出ると、空にはすでに、夕陽が、傾いていた。
配島は、ミレナの隣を、無言で、歩いた。
しばらくして、ミレナが、口を、開いた。
「ハイジマ。あなたは、彼女たちを、施しの対象に、しなかった」
「自分は、施しを、配ってはいません」
「でも、世間は、これを施しと、呼ぶわ」
「呼ぶ人は、呼べばいいです」
配島は、ようやく、自分の声に、迷いがないことに、気づいた。
「自分は、自分が末端の作業員だった時、誰かに『仕事』を、欲しいと思っていました。施しじゃ、なくて、仕事を。施しは、いつか、止まります。仕事は、自分が続ける限り、止まりません」
ミレナは、しばらく、配島の顔を、見つめていた。
それから、彼女は、視線を、夕陽の方へ、戻した。
「ハイジマ。あなた、本当に、貧民街の出身じゃ、ないのね」
「貧民街、ではありませんでした」
「では、何の出身なの」
「……仕事しか、ない、街の出身です」
ミレナは、それ以上、訊かなかった。
二人は、宿までの道を、無言で、歩いた。
配島は窓の外を見た。
月が昇っていた。地球の月とほぼ同じに見える月だった。少し小さい気がした。
配島は呟いた。
「神宮寺さん」
返ってくる声はなかった。当然だった。
「俺の仕事、誰でもできる仕事じゃ、ないかもしれないですよ」
月は答えない。
配島は灯りを消した。
羊皮紙を、枕の下に滑り込ませた。
明日の朝、ガリクへの点呼が、彼の最初の仕事だった。




